御大層なタイトルであるが,実際そう感じているのだから仕方ない。
日本語を使った学会コミュニティはそろそろ死に時なのである。
ことは日本応用数理学会2011年度年会の講演を申し込んだことに発する。あとでページが消えたら証拠がなくなるので,2011年8月8日に取得したページのイメージファイルをアップしておく→表示
予稿原稿の提出がカメラレディの紙媒体から,PDFファイルに変わってからもう5年以上になるはずである。毎回似たような注意事項が出るのが常であるが,今回はやたらにめんどくさい。引用しておくと
ってなもんである。
「手抜き」
という言葉が脳裏に浮かんだのはワシの邪悪な心の作用であろうか?
そもそも数百件もの講演予稿をメールで受け取るというのが尋常でない。いちいち手作業でフォント埋め込み具合をチェックするという労力をかけても,あくまで
1MB以上のメールを受け取れない同志社大学のメールサーバ
を使うという根性はなかなか見上げたものである。同志社大学のメールサーバがショボイとか回線が細いとか,そんなことは同志社大学の責任ではない。関関同立の一角をなす巨大大学のくせにICT投資がケチ臭いなぁとは思うが,それはそれで大学の経営方針なのだから文句を言う筋合いではない。
少しまともな学会ならば,フォント埋め込みもチェックするシステムも組み込んだWebサービスを利用するのが普通である。それをせずにあくまで貴重な研究者の研究時間を削ってもボランティアベースの手作業で,しかも大学内のタダメールシステムに乗っかる形で膨大な時間を費やす事務処理を済ませようということは
日本応用数理学会に金がない
ということを意味している。
大体,数年前に,日本応用数理学会年会の予稿集が文字化けだらけの読めた代物ではないものになってしまったのがトラウマになり,こんな注意書きがあったりするのが超怪しい。まともな印刷屋なら,文字化けだらけになった時点で顧客に一言注意を促すだろう。それをしない糞印刷屋に発注したこともさることながら,今回の注意書きの
なんてところを見る限り,どうやら現在もその糞印刷屋に発注せざるを得ない,ということが推察されるのだ。どう転んでもこれは
金がないのでまともな印刷屋に発注できずにいる
としか思えないではないか。
で,案の定,ワシの原稿もPS Type3のフォントが埋め込まれずに使っているとかで,注意を受けた。何度目かのやりとりの後,めんどくさくなって,元原稿は自分のサイトに上げて,URLだけ記したjsiam11.pdfを乗っけるようにお願いして,この一件は落着したのである。フォント埋め込みも完璧,先方が提示したWordフォーマットを利用しているから書式も問題が無い。何より,原稿を当日までいくらでも手直しできるし言うことナシ。最初からこうすれば良かったのである。先方からは,フリーフォントを使っても良ければコンパイルし直してもいいと言ってきたのであるが,最新のIPAフォントなら兎も角,さざなみフォントなんぞ使われた日には舌かんで死にたくなる。元もPDFのままでは文字化けするかもしれないと言われているから,それならいっそURLだけの方がマシである。講演当日は紙媒体も持って行く予定だしね。
・・・とまぁ,半ばやけくそのような決着を見たのであるが,いつもならDistillerを通して完璧な埋め込み原稿を作るところなんだが,Acrobatのバージョンが古いままで,インストールし直しもめんどくさくてほったらかしにしていたのである。でまぁ今回はリンクだけを印刷してもらうことにしたのであるが,結構この問題は色々と奥が深い原因がからみあって起きていることに気がついた。
原因1・・・日本語コミュニティ学会には金がない
まともな学者なら外国の雑誌に投稿するのが普通である。国内でも英文が普通。日本応用数理学会でもJ-STAGEを使って速報版の電子雑誌を出している。で,まともな学者ほど日本語で論文は書かない→投稿が減る→論文の質が落ちる→購読者が減る→ますます論文投稿が減る・・・という悪循環に陥っているのが昨今の日本語コミュティ学会の悩みなのである。解決策はない。せいぜい小所帯の学会を統合して事務処理費用だけでも圧縮する他ない。
原因2・・・主要ソフトの日本語サポートの手薄化
AdobeにしろTeXにしろWordにしろ,商売を考えれば,日本語のサポートを手厚くするよりは中国語にシフトした方がよほど儲かるし,中国語サポートの「副産物」程度で日本語のサポートは一応可能になる(品質は二の次)。TeXにしたところで,日本で頑張ってコントリビュートしている方はごくわずか。万が一,TeXユーザの集いにテロリストが乱入したら,日本語TeXの文化は完全に死滅するであろう。
原因3・・・日本語コミュニティ維持のインセンティブ希薄化
原因1と同根。そもそも日本語ローカルの研究発表をサポートするインセンティブは働かなくなっている。手抜きしたくなるのも無理ないのである。
つーことで,日本応用数理学会は「死に際」の醜態をさらし続けるよりは,さっさとSIAMの日本支部に鞍替えした方がいいような気がするのである。
蛇足ながら,「手抜き手抜きというならお前が事務担当ならどうする?」と迫られたら,次のような予稿受付システムにする。
1.糞印刷屋でもサポート可能な標準的なPDF表示環境を提示し(例えば「Windows 7 + Acrobat Reader 10.1.0」とか),この環境で表示できるかどうかを投稿者に確認してもらう。
2.上記が満たされていないPDF原稿が文字化けする可能性を断っておき,印刷は強行する。文字化けの責任は著者に取らせる。いちいちチェックなんかしない。
あるいは,最初からWeb上への掲載のみにする,とか,やりようは何とでもある。受付もWebサービスか,Gmailアカウントを取得するとか,経費削減の方法は色々考えられるはずである。・・・といっても引き受ける気は毛頭無いけど。
何故代数学は難しいのか?—「代数系」とは?
今書いているテキストの一部抜粋。ん~,今週中に上がるかしら?
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前書きにも書いた通り,「代数系」を土台とする現代の代数学は,初学者には取っつきづらい学問である。数学自体,忌避する人達が多い学問であるが,高校までは理系(国際的には認知されていない不思議な学問分類)に在籍し,数学大好きを公言していた学生が,大学入学後に学ぶ代数学となると,途端に戸惑ってしまう,という光景はそこかしこで見られる。
それは多分,「ルール」が大学以前の高校数学,とりわけ微分積分に代表される解析学のそれと全然異なっている(と感じられる)からであろう。トランプを使って7並べしかやったことのない人が,突然「トランプを使っていろんなゲームができるよ」と言われ,無理矢理ブリッジやポーカーやブラックジャックを教えられるようなものであろう。
トランプの例えで言うと,代数系を扱う「代数学」とは,トランプのゲームのルールの多様さを知り,その中に共通の法則を学ぶ学問,ということになる。その延長上で,実はトランプを使わなくても,麻雀牌や花札でもゲームはできる,という「メタ(meta)」な視点を得ることができるようになるのである。具体的な計算方法のルールを覚えて積み重ねていく解析学が水平的な視点の学問であるとすれば,代数学は水平視点の知識をベースに,より抽象的な「上から目線」,すなわちメタな方向へと進んでいく学問,ということになる。
この講義では代数学のベースとなる「代数系」というものだけを抜き出して,その中から親しみやすい題材のみを扱う。トランプというゲームの素材に,ゲームのルールを適用することで新たなゲームが誕生するように,代数系は「集合」という素材をベースに,集合の要素を組み合わせて新たな要素を生成する「演算」というルールを組み合わせて出来上がった「体系(system)」なのである。
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第129回HPC研究会「中止」/宿泊代金等返金手続きについて
SWoPP MLが止まっているようなので,ここに主査・幹事からの連絡事項を転載しておきます。関係各位には個別に連絡をしてあげて下さい。
※_atmark_ -> @に置換
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From – Sun Mar 13 22:41:13 2011
Message-ID:
From: =?ISO-2022-JP?B?U0lHSFBDIEthbmpp?=
Subject: HPC 研究会発表会≪中止≫のご連絡
Date: Sun, 13 Mar 2011 19:40:10 +0900
HPC 研究会にご登録のみなさま
主査の須田です.
3 月 11 日に発生しました地震に関連しまして,大きな被害が発生し,原子力発電所
の問題,交通の遮断,計画停電説など,さまざまな社会的問題が発生しております.
このため,3 月 15 日~16 日に予定しておりました第 129 会 HPC 研究会発表会は
中止とすることに決定いたしました.
宿泊をお申込みだったみなさまには,幹事の片桐孝洋先生より別途ご連絡があります.
なお,HPC 研究会の連絡に広く用いられてきました SWoPP メーリングリスト,また
HPC 研究会ウェブページが,いずれも現在機能しておりません.学生さんなど,研究会
登録されていない方々へのご連絡をよろしくお願いいたします.
また,HPC 幹事メーリングリストも機能しておりません.お問い合わせは
主査:須田 reiji_atmark_is.s.u-tokyo.ac.jp, reijisuda_atmark_gmail.com
担当幹事:片桐 katagiri_atmark_kata-lab.itc.u-tokyo.ac.jp
に直接ご連絡くださいますよう,お願いいたします.別日程で発表会をするかどうか
など,これから検討してまいります.
須田礼仁
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宿泊予約,弁当代の返金手続きについては下記参照。
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From: “KATAGIRI, Takahiro”
To: “Takahiro Katagiri”
Subject: 【重要・確認】HPC129の返金について
Date: Sun, 13 Mar 2011 22:24:57 +0900
HPC129に宿泊・弁当予約された方
幹事の片桐です。
HPC129の返金方法についてお知らせします。
わたくしの口座経由での返金になります。以下の手順で返金予定です。
なお現在、ホテル側からの返金がなされていませんので、
ホテル側からの返金確認後に本業務を開始します。
また、明日以降の東京電力の定期停電措置により、
関東地区のインターネットの不定期な切断が
予想されます。処理が円滑に進まない可能性があります。
あらかじめご承知ください。
本件を、日本語がわからない外国人学生がいる研究室は、
教員等の方において、十分にご周知をお願いします。
ーーーーー
1.申し込み代表者の方は、
以下の情報を katagiri_atmark_kata-lab.itc.u-tokyo.ac.jp に、
電子メールでお送りください。
メールの件名:HPC129返金請求
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お名前(ふりがな):
ご所属:
振り込み済み金額の合計:円
銀行名:
支店名;
普通口座等の種類:普通
口座番号:
口座名義(カタカナ):
————–
2.指定口座に金額を振り込みます。
名義:カタギリタカヒロ
3.口座に入金されたことの確認をお願いします。
4.再度片桐までメールをください。
なお、以下の件名をつけてください。
件名:HPC129返金確認
ーーーーー
以上、よろしくお願いします。
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IS03 First Impression
つーことで,IS03を11/26(金)に掛川のauショップで購入したのである。
金曜日はインストールされているデフォルトアプリ(Twitter,Gmail,ブラウザ(Mobile Safari))でいろいろ遊び,土曜日にあれこれアプリケーションをインストールしたり,デスクトップをカスタマイズしていたのだが,まるっきりPCの使い勝手と変わらない(つか,Linux on PCだもんな,Androidって)ので拍子抜けしてしまった。未知のインターフェースだったので期待が大きすぎたってのが正直なところ。ま,既存の技術の上に成立している昨今のICT,例外はないってことだな。
で,現時点で気が付いたことを書きつけておく。
1.ブラウザがGoogle Chromeではなく”Mobile Safari”となっていること
3G回線経由でアクセスしたときのログを以下に張り付けておく。
kd111237147254.au-net.ne.jp – – [28/Nov/2010:23:17:48 +0900] “GET / HTTP/1.1” 200 8038 “-” “Mozilla/5.0 (Linux; U; Android 2.1-update1; ja-jp; IS03 Build/SB060) AppleWebKit/530.17 (KHTML, like Gecko) Version/4.0 Mobile Safari/530.17”
kd111237147254.au-net.ne.jp – – [28/Nov/2010:23:18:09 +0900] “GET /weblog/ HTTP/1.1” 200 83341 “http://na-inet.jp/” “Mozilla/5.0 (Linux; U; Android 2.1-update1; ja-jp; IS03 Build/SB060) AppleWebKit/530.17 (KHTML, like Gecko) Version/4.0 Mobile Safari/530.17”
まぁ,ChromeだってAppleWebkitを使っているから同じっちゃ同じなんだけど,ネーミングでライバルのiPhoneを作っているAppleのブラウザ名を使うとは思わなんだ。コの業界,いろいろ複雑だよねぇ。
2.3G回線でもWiFiでもあまり体感速度が変わらない
まぁ,Speedtestとかで厳密に速度チェックすると違いが明確になるかもしれないが,フツーにブラウザを使っている限りは動画でも静止画でも表示速度に変化があるようには思えない。回線速度より,本体のCPUの速度がボトルネックになっている感じ。
3.小さい画面でも文字が読みやすい
モリサワフォントがデフォルトなのだが,思いのほか明瞭に文字が読める。フルブラウザしか対応していないデカ目のページでも少し拡大すれば,この小さい画面でも問題なく文章が読み取れる。ディスプレイの性能が良い(さすがシャープ!)ことも手伝っているのだろう。ともかく,ガラケー捨ててよかったと思えるほどである。
4.Googleの音声入力機能を人前で使うのは恥ずかしい
電話するより,キーワード入力のために単語を喋ることがこんなに恥ずかしいとは・・・。風の強い日とか,州がざわついている環境だと誤入力が頻発するのが難点だが,そこそこ使える。でも,本体を横にすればQWERTYキーボードが現れるので,こっちで入力した方が早かったりするんだけどね。でも結構ちゃんと単語に変換してくれるのはさすが。
5.Note PC代わりに使える機能が豊富
頑張れば,CPUやマシンリソースを大量に使わない仕事はIS03でこなせそうである。ワシの場合,少なくともQWERTYキーボードが使えるなら,Twitterは言うに及ばず,少し長めのメールやこのBlog更新ぐらいは難なくできそうだ。・・・もっとも,長時間やっていると肩こりしそうになるが。
6.電車移動中もフル機能が使える(ことが多い)
e-mobileだと結構切れまくってしまうのだが,IS03だとトンネル以外では大概大丈夫そうだ。しばらくは本も持たずに長距離移動しても,気が向いたら青空文庫眺めたり,クリック猿と化して時間を過ごすことも可能だろう。面白いガジェットである。
・・・っつーことで,当分は遊べそうなこのIS03,バッテリ消費も,連続使用しなければ,そんなにすぐなくなることはない。この筐体の大きさでバッテリもガラケー並みの面積なので,まぁ,結構健闘しているんでないかい?
Y博士のこと(1) — 職人(engineer)と学者(scientist)
Y博士のことを書こうと考え,数年経つ。この間,ずうっと書きあぐねまくったのは,私自身の怠惰のせいが大きいのだが,そればかりではない。どこから書き出そうか・・・それを考え続け,折に触れて思い出しては考え考え・・・そんなことをしているうちに年単位の時間が過ぎ去ってしまったのである。どの辺が難しいかはおいおいここでのたくりながら述べるつもりであるが,ともかく,ここは一つ書き出してみようと決意したのである。
決意の理由はいくつかあるが,一番大きいのは,考えてばかりいても先に進まないという,当たり前の事実を,数年の時間を無駄にしたことで悟ったからである。40過ぎて今更そんなことを・・・と我ながら呆れかえるが,経験からしか学べない愚者である以上,仕方のないことである。悟っただけでもよしとしたい。
次に,Y博士を知る関係者の高齢化の問題がある。つい先日も数値計算黎明期に関数近似計算の分野で多大な功績のあったアメリカの研究者の物故に関して記事を書いたが,ここでお話を伺っておかないと,文書上の調査で分かることしか書けなくなる,という焦りを覚えたのだ。まずはオーラルヒストリーをできる範囲で収集しておく必要がある,そのためにはまず切っ掛けとしてのこの記事ぐらいは書いておかなければ話にならない。
最後の理由として,私自身の知識と残された時間とを勘案すると,そろそろ書き始めても良いだろうという判断と,今書いておかないと一生書けないままに終わるだろうという両方の判断がある。知識に関しては,多倍長計算に手を染めて10年以上経ち,ぽつぽつと業績らしきものが出来てきたということがある。世間に対してもの申すだけなら日本語を綴る文章力と媒体さえあれば十分だが,それが説得力を持って他人に通じるものになるかどうかは,文章が伝える「コンテンツ」の質が重要であり,質の向上には知識と経験が不可欠だ。それとて十分とは決して言えないが,ゼロではないと言えるこのタイミングを外してはならじ,と決断したのである。その決断には,41歳を迎えた私の年齢と私を取り巻く社会状況を鑑みて,自分の活動時間はあと10年程度しかないという認識も背景にある。
それにしても,科学技術開発ってのは本当に人間くさい営みだと,中にいる人間としては切に感じる。現代の人間社会においては大なり小なり他人と関わって知識だの財産だの感情だのをやりとりし,そこから日々の糧を得なければならず,「科学技術」もそうしたコミュニケーションにおいて交換されるものの一つでしかない。科学技術開発に携わる人間を理系クンと称して特殊化する向きもあるようだが,それが非人間的だという指摘は間違っている。確かにそこで培われる思考回路が特殊な訓練を要するものであることは認めるが,できあがってきた「科学」や「技術」はコミュニケーションを媒介として古代から現代に至るまで営々と積み上げられてきたものである以上,人間くさいものを形成する一要素であることは当たり前のことだ。
だから,金はもちろんのこと,義理だの名誉だのといった生臭いものが,どうしたって絡んでくる。理系クンがそういうものとは無縁の浮世離れした存在だという認識は誤りだ。金銭を求めない学者はいるが,名誉を求めない学者いない(by 藤原正彦)のである。自分が作成した,開発した,発明したものを褒められて喜ばない科学技術者は存在しないのである。
問題はその「褒められ方」である。どうしたって他人からの評価には「格差」が生じる。褒めるための表現には濃淡が必ずあるし,「誰が」褒めたのか,ということによっても世間の受け取り方は異なってくる。気にする向きは気にするし,気にしないという向きだって否応なく「気にする」他人から気にされてしまうから,本人がどう受け取ろうとも世間的な「評価」はそうした褒められ方によって固まってしまうのだ。こうした「評価」をきちんと定義しようとするとそれだけで一冊の本が書けてしまうほど難しく,しかも重大なものになってしまうのでここでは深入りしないが,これから綴っていこうとしているY博士を語るために提示したいと私が考えている「職人 vs. 学者」という主題においては,この「評価」というもの,そして評価の基盤となる「格差」の生じる原因をまず明らかにしておかないと,後に述べるY博士に生じた「悲劇」というものを理解することはできないのである。
エンジニアを「職人」と書いてしまうと気分を害する人がいるのかもしれない。また,ここでいう「学者」はいわゆる理工系の研究者全般を表す表現ではない。「職人」と「学者」という括弧付きの言葉は,象徴的なテクニカルタームとして使用していきたいと私は考えているので,現実の町工場にいる職人さんや企業・研究所・大学にいる学者先生を表現したものではなく,あくまで人間の性行を二つの方向でわかりやすく示したものである,ということをお断りしておく。
私はこのY博士のことを書いた文章を通じて,「職人」を「一つの技術を突き詰めて考え,深く内省的に自分の知識の血肉とする人」と定義し,「学者」を「一つの技術を中心に周辺の事柄も含めて広域的に考え,体系化していく人」と定義する。この結果として職人は「技術の蓄積が個人とそのごく周囲の少数人にとどまる」傾向があり,学者は「技術を学問化し,広く世間に伝達しようとする」傾向が生じる。それ故に職人の評価は,得てして学者のそれより低くとどまる傾向も生じるのだ。
Y博士はかなり職人的な人だった。晩年は学者の席に着いたが,私の見る限り,最後まで職人的な行動を取っていたと感じる。それば別にY博士が特別なのではなく,理工系全般の「学者」という人の中に,かなりの割合で職人的な人々が混じっているから,その一類型にカテゴライズされるというだけのことだ。
Y博士の特徴は,そんな職人的学者のなかでもことさら職人的であったということだ。漠然とした私の印象を述べると,自分の培った知識を広く伝えることに失敗したのだ。伝えようとしていたが,その伝え方も頑なに職人的で,結局Y博士個人から広がることがなかったのだ。
しかしY博士個人は「学者」であろうと努力したのだ。成功したとはとうてい言えないが,最晩年の数年は真摯に努力していたように思える。しかしその結果,その努力が祟って寿命を縮めることになるのだ。人によってはこれを喜劇的と取る向きもあるかもしれないが,それは努力が真摯であった証とも言える。
・・・と,断言しちゃっていいのかなぁと思うが,今のところ,私の,Y博士に対する「総論」は上記の通りなので,まずはここでそれをご披露しておく。以降,関係者の方々にお話をお伺いしていく予定であるので,そこで得た知見によってこの総論が根底から覆されたり,補強されたりすることになるのであろう。ちょっと楽しみでもあり,怖くもあるが,出来る範囲でこつこつやっていきたいものである。