実家から帰ってきた・・・という表現は正しいのだろうか? いつも迷う。実家に「帰っていた」のか,実家から今の住居へ「帰ってきた」のか,全くこの「帰ってきた」という表現は,軸となる「家」は一つしかない,という前提に依っているためにわしみたいなひとり者には使用が厄介である。
久々にAmazonのレポートをチェックしたら,先月から引き続き「Javaによるアルゴリズム事典」が好調で,クリック数では今のところトップである(といっても一桁台)。何があったのかなあ。ま,ジワジワと評価が上がってきた,ということにしておこう。良書が売れるのは嬉しいものである。
ということで報告まで。
9/11(木) 札幌・晴
FIT2003に来ており、開放された計算機室でこれを書いている。
札幌に来るまでの道中、経済産業省が公開した「オープンソースソフトウエアの利用状況調査/導入検討ガイドライン」をつらつらと眺めていた。んで気がついたのは、大学や研究機関がオープンソースを担うという観点がまったく欠けているのである。もちろん、この文書はビジネスとしてのオープンソースの活用を目指す企業に向けたものであるから、意図的に無視しているのであろうが、それならそれで一言ぐらいの言及があってしかるべきでは、とは思う。
昔以上に、研究者ってのは自らの研究を広報する必要に迫られていて、分野を問わず、自分のWebページを作って公開している人は多い。そーゆー広報の一環として、成果としてのソフトウェアをオープンソースにするってのは一番理にかなっている行動である。その結果、新たなビジネスに繋がる可能性も広がるわけだ。
そーゆー意味で、本文書は研究者にも広く読まれるべき文書である。後半のGPLの厳密な法的解釈は読んでいて頭が痛くなったが、具体的な事例を眺めるだけでも十分参考になる。
つーことを書いておかないと忘れそうなので、記しておく。続きは帰ってから、と。
9/8(月) 掛川・曇
ねばり腰で頑張っていた残暑も峠は越えたようで,すっかり涼しくなってきた。朝晩は長袖が必須。明日からは札幌に出張だが,あちらは上着も必要な気温であるようだ。つーことで,9日以降は更新を休む予定。
うーむ,ここで不満を書いたのが功を奏したのか,Phaseのリンクページから,わしのBNCpackの分類が変更され,無事多倍長計算パッケージの仲間入りをしている。それはいい。それはいいのだが・・・うーむ,ますます人の悪口が書きづらくなるではないか。なんたるちーや,さんたーるちーや(古い,しかもCMネタ)。
この日記を気候の話から始める癖がついて,もうどのぐらい経つのだろうか。そのまま哲学的な話題に繋がれば,まるで文藝春秋の巻頭エッセイのような「しみじみエッセイ」(from 小谷野敦)になるのだが,まだ枯淡の心境とは無縁であるため,「独特の臭気」(from Weblog入門)が漂う俗っぽい内容になってしまう。あと25年も続いて赤いちゃんちゃんこを着る頃になれば,少しは好々爺になって「枯れた」内容になるかもしれない。しかし,そうなればもう新規に内容を追加するよりも,バックログを読む方が楽しめるだろう。つーか,その頃にはWeb自体が残っているかどうか怪しいものであるが。
しみじみエッセイと言えば,Y博士(Y元教授の方がいいのかな?)が某コンピュータメーカに在籍していた際に,自分で発行していた社内ジャーナルに連載していた記事をまとめた冊子がわしの手元に残っている。面白い代物かと言えば,うーんと即答しかねるのだが,「しみじみ」であることは間違いない。推敲を重ねたと自分で書いているだけあって,文章はさすがにしっかりしている。
この手のシロウトが書いたエッセイってのは,99%がまとめられることもなく消えていくものであるが,Y博士の場合はそれを恐れたのか,ドットインパクトプリンタで印刷・製本して知人に配っていた。で,その一つがわしんとこにある訳だ。
しかし,それとて経年劣化が激しく,もうかなり文字が掠れてしまっている。Y博士を知る人も少ないだろうし,内容も前述の通りであるから,これも99%の一部と成り果てるのだろう。諸行無常。
9/6 (土) 掛川・晴
今日も暑くなりそうである。日本列島は,関東を境に南と北でまるっきり気候が違ってきている。北は低気圧と前線が通過して肌寒いぐらいだが,南は月遅れの残暑がきつい。米の作柄もがらっと違ってくるんじゃないのか。
Weblogのスタイルシートを修正する。と言っても静的に生成する方ではなくて,わしが使っている編集画面に適用されるものである。これがまた小さい字で見づらいったらありゃしない。少なくとも文章を打ち込むTextareaだけは見やすくしようと,fontsizeを11px->14pxへ変更する。おかげで大分見通しがつくようになった。HTMLもCSSも勉強しておくとこーゆー時には役に立つわい。
出張時に愛用している旅の窓口が楽天に買収される(Internet Watch)。本体の日立造船の不振から,売り払われてしまったようだ。利用者としては,妙な仕掛けを導入したりしないで,現状のままの使い勝手を維持して貰えればありがたいのだが,さてどうなりますやら。
Yahoo! BBしかり,楽天しかり,のし上がってきたベンチャーの雄の営業本位体質ってのは,個人的にはどーも肌に合わない。言葉は悪いが,「成金根性」的卑しさが感じられるのである。競争に勝ち抜くためには仕方のないことではあろうが,それを全面的に肯定する気分にはなれない。そーゆー成金さん達が頑張ってくれているおかげで,一消費者たる自分が恩恵を授かっているにもかかわらず,である。・・・疲れてるのかな?
MPIBNCpackのドキュメントをでっち上げてTVを付けると,おや,養老剛司先生の特集番組が放映されているじゃありませんか。思わず見入ってしまう。学問ってのは思考の自由を与えてくれるものだってことを改めて感じる内容であった。
@niftyの契約を10/1付けで解除することにした。あーさっぱりさっぱり。
9/5(金) 掛川・晴
残暑に襲われっぱなしであった週の最後になってようやっと寝苦しくない夜を過ごすことが出来た。目覚めすっきり。
職場と自宅のWindows 2000/XPマシンは全てupdateを終えたが,Officeの方はほったらかしだったので,試しにと自宅マシンの方にOffice Updateをかけてみる。しかしこれがめんどくさい。インストール時にイチイチCD-ROMを要求してくるんだもんなあ。わしはOffice 2000をクリーンインストールしているからいいようなものの,Office 95->97->2000と上書きしてきたズボラユーザは大変なんじゃないのかな。
M$のユーザ不信ここに極まれり,と憤るものの,大勢に従う向きには帰って好都合なんだよな。「M$がやっているんだからうちも」と,易々とvalidate必須にできるから。最も,validateするサポート体制を維持できる体力があればの話だが。
昨日の”Revolution OS”の中で,StallmanがGNU Hurdのリリースが遅れた原因として,Microkernelにおける非同期通信の難しさを挙げていた。Linuxはmonolithic(字幕では「一枚岩」となっていた)だから短期間でリリースできたと。
んで,スケールが小さい話で恐縮だが,わしのMPIBNC(「早くリリースせいよ!」「すいません,ドキュメントがまだ・・・」)には非同期通信API(isend, irecv)は使っていない・・・つーか,使い方がよーわからんので使っていない。今のところ,小規模PC clusterでの数値計算しか考えていないので,相手がいつ送受信おっけ状態になるのかワカラン,ということはないのである。これがGAだのAgent-orientedだのということになれば,逆に非同期通信でなければやってられんという世界になるのだろう。ましてやGridなんてことになれば・・・ねぇ。
つーことはだ,Netで繋がったPC同士を全体として使うことがMicrokernel的なものであり,そこであれもやろうこれもやろうという構想が立ち上がって実験を開始している現状は,PC単体ではmonolithicで十分間に合っており,超大規模な,マシンリソースが膨大に存在する環境でこそMicrokernel的発想が有効であることを示しているということなんだろうか? つまりは早すぎた発想ということなのかな。Machなんてどんなもんなんだろう。もうシロウトにはこの辺が議論の限界であるな。
「などと妄想を書き付けている暇があったら少しはドキュメントを書いたらどうだ!」
「すいません」
ということで,少しはドキュメントを書くも完成には至らず。職場ではPC Clusterが相変わらず汗顔計算を進めている。まったくこの暑いのに頑張っているよのう(誰のせいじゃ)。
青木雄二死去(毎日新聞)。まだ50代である。
査読の仕事が舞い込み,3ヶ月ほったらかしの査読があるにもかかわらず引き受けてしまう。あっ,Mさん,あなたの論文じゃありません。
しかし面倒なことに,むかーしの文献を漁らねばいけないらしい。来週,札幌へ向かう時に,大師匠にもお越し願って,○大で資料を漁ることにする。全く,こーゆー時に首都圏の大大学は頼りになる。感謝感謝。
8月の怒濤の仕事ラッシュが終わってようやっと散髪に行く余裕が出,仕事帰りに立ち寄ってさっぱりさっぱり。残暑もばっちり乗り切れる,と思ったのもつかの間,夕方以降は涼しくなりました。ちぇっ。
おおっ,Phaseサーバのリンクページが更新されている・・・うげ,いつの間にわしのBNCpackは線型計算に分類されていたんだろう・・・まあ贅沢を言ってはイケマセン。