9/3(水) 掛川・?

 夕食を壱番館のカレーで手早く済ませて帰宅したら睡魔が襲ってきて,そのままバタンキュー。目が覚めたらまだ日が変わる前であった。仕方がないのでこうして日記を付けているという次第。
 それにしても昨日は暑かった。関東以西は秋雨前線を押し上げた蒸し暑い暖気の影響で残暑がきつく,静岡でも30度を優に超えた。
 そんな日に,実験講座で使用するために一旦ばらしたCS-PCCLUSTERを再度組み立てようと,PCの移動を敢行したものだから,暑いの何のって。黒い無地Tシャツを着ていたので,作業終了後にクーラーに当たって涼んでいたら汗が乾いて白い塩がふき出てきてしまった。
 と言う訳で,CS-PCCLUSTERのBefore/After。
cs-pccluster.png
 やっぱりPC Clusterはラックに収まっているべきものであるな。
 ちなみに,Test runの後,最初に繋いだ8port Repeater Hubは16portのSwitching Hubに変更された。並列DKA法でガンガン回していたら,数十分後に必ず一台のNIS/NFS接続が切れてしまうのである。MPIとNIS/NFSとを同じIP net上で使うというズボラなことをやっていた報いであろうか。で,取り替えて様子を見ているという次第である。
 PC Watchのソニー副社長のロングインタビュー。GridとCell computingの話が出てくる。まだ実験段階であるだけに抽象的な言い回しが多くなっているが,ビジネスとしてそーゆー話が出てくる時代になったのだな,と感慨深い。
 思えば,CPUが登場し,hippieが大型計算機のantiとしてのPersonal Computerを作り出し,downsizingが進み,アーキテクチャがPC/AT compatibleへと収斂していきつつ,Webをkiller applicationとしてThe Internetが全世界に普及して,IT革命を謳歌した途端にITバブルが弾けて今に至る訳だが,この間,高々30年足らずである。修士時代,混雑するS-810をちょろっと触っていた程度のわしが,並列分散処理を手かげることになるとは夢にも思わなかったが,それもこのような時代の変遷の影響を受けてのことである。
 以前,東大を定年退官されたI先生が講演の中で「一体いつになったら計算機の環境はfixするのか」と半ば呆れて慨嘆されていたが,わしはそれを聞いて,あの元気なI先生に「老い」の影を見ると共に,「変化する環境と共にあるのが『応用』的学問じゃないのか」と,少し反発する気持ちを持ったのである。

9/1(月) 掛川・曇

 何だか蒸し暑くて目が覚めてしまった。9月に入ったというのに,残暑は根強く残っているようである。
 今日は防災の日。駿河湾で大地震が発生,という想定で防災訓練が行われるようだ。全く当事者としては胃に良くない設定である。緊急時連絡カードなるものも常時携帯するように配布されており,わしがどっかで何かの下敷きになったりしていなければ,いざその時には職場に駆けつけ,カードに書いてある連絡先に電話をし,生存が確認できるようにしておかねばいけないらしい。自身はもういつきてもおかしくない状況だそうだが,具体的な日時の予測は難しいから,全く待たされる方はもどかしい。早く来ないかな(違う?)。
 今日は雑用に追われる一日であった。午後からは企業の方が来訪されて,研究話。SCOの訴訟があってから,Linuxがらみのビジネスからは一端手を引いたということであった。それなりに効果はある訳ね。ヤクザのミカジメ料みたいなもんを請求しているらしいが,はてさて判決はいかばかりか。
 注文していた”Revolution OS”が届いたので,作業をしながら流してみる。音楽のセンスがイイし,インタビューしている人選もナイスである。詳細はちゃんと見てからここに書くことにしよう。
 で,それを見つつ思いついたのだ。Open Sourceのビジネスってのは技術的には高いレベルを要求されるのだなあってね。
 結城浩さんが書かれた固有IDのシンプルシナリオ流に単純化して,例を示してみる。
(1) 企業Aはプログラマaにあるシステムを発注する。
(2) プログラマaは,Open Sourceのパッケージαにコードを付け加えて改良し,パッケージα’として完成させて,企業Aに納品する。
(3) プログラマaはパッケージα’をOpen Source Communityにて公開する。
(4) Open Source Communityから別のプログラマbがパッケージα’を入手する。
(5) プログラマbは「私はプログラマbより安い費用でパッケージα’をメンテナンスできる」と,企業Aに自らを売り込む。
 まあ実際には人が作ったものをその人以上に理解して改良できるかと言えば難しいことが多いだろうし,そんなズーズーしいことを平気で実行できる厚顔無恥な輩は少ないだろうから,(5)のようなことはあまりないと言える。んでも
(5)’ パッケージα’をサポートしてくれるプログラマを捜している企業Bが,ツテを辿ってプログラマbに依頼する。
もしくは
(5)’’ プログラマBが,パッケージα’をサポートできる旨,それを求めていた企業Bに自らを売り込む。
ことは枚挙に暇がないし,そーゆー繋がりを通じて,Open Sourceが広がったという側面は見逃せない。
 ソースが公開されているってことは,それをサポートする上で,言い逃れが出来ないってことにもなる。勿論土台となるパッケージの出来が悪ければ改良にも限界はあるが,そうでなければ,不具合が直せないのはソースを読み解く力がないか,サボっているためにそれを回避する手段を見いだしていない,ということになる。しかも,ユーザ数は多いから,モタモタしていては自分以外の人間がさらなる改良を施してしまう可能性が高い。Proprietaryであれば,バイナリだけをユーザに渡し,自分の能力の及ぶ限りにおいて,差分パッチをリリースしていけばいい。勿論,あまりにヒドイ不具合があればそのうちライバルが出現して来る可能性は出てくるけど。
 してみれば,Open Sourceのビジネスモデルでは,技術スキルが不可欠要素となり,言い訳の効かない世界であると言える。うーん・・・。

8/31(日) 掛川・?

 疲れが出たのか,一日中,自宅でぼーっとして過ごす。「凡宰伝」を読んだ以外は,知的活動を全く行わず,洗濯したり自炊したりと生活臭漂う行動で時間を潰す。ちぇーっ,今日で一気に紀要原稿を上げる予定だったのに。ま,時間を取ってボチボチ仕上げましょう。
 さーって,今週はFIT2003用の資料作りと,査読論文のデータ作成に邁進するぞー。暫く論文書いてなかったからなあ,ここで一気に二本目が掲載されれば,昨年,本年と二年分の空白を埋めることが出来る。昔,「年に一本はコンスタントに査読論文が出来ないとねぇ」とY博士に言われたことがずーっと頭の隅に引っかかっていて,それが自分の仕事量の目標になっているのである。で,この目標が達成できていないと,どーにも気持ちが悪いのである。その状態がここ二年ほど続いていたから,鬱積するものがあって今一気に解消しようとしているのである。・・・ま,掲載されるかどーかはワカランけどね,まずは書かないと話にならない。頑張りまっしょう。
 本日で8月も終わり。今年の夏はどこへ行ってしまったのか。外からは鈴虫の声が聞こえてくる。

8/30(土) 掛川->東京->掛川

 朝方は寒くて目が覚めた。扇風機を付けっぱなしにしていたためである。もう秋の風が吹いているのを忘れて油断してしまった。
 いつも通り,八重洲ブックセンター本店と書泉ブックタワーを回って福澤さんが一名行方知れずとなり,捜索むなしく諦めて泣きながら大師匠を訪ね,慰めてもらう。
 用事が済んで,大師匠と一緒に喫茶店に入ったら,一つテーブルを置いて座っていた老夫婦が口げんかをしているところであった。ダンナの方は90歳を越えているようで,こちらも80は優に超えていると思われるツマが,自分の留守中に勝手に銀座に出かけたことを口汚く非難していた。ダンナを「ボケジジイ」呼ばわりするツマも大したものだが,それを黙って聞いていないダンナの反論も素晴らしく,最後はツマからハンドバックでぶったたかれていた。こういう商店街の喫茶店という公の場でぶつかり合う夫婦はDVとは無縁である。
 DVとは,加害者が精神的もしくは肉体的にものすごく優位にあることが原因で被害者が一方的に痛めつけられる現象を指す。加害者の外面が完璧で,被害者も自らの醜態を人前に晒すことを厭うようなら,それが表沙汰にならないことも多いだろう。全く陰険極まりないことであるが,バブル期に朝シャンなるオシャレ信仰が蔓延して以来,「見栄えの良さ」を至上命題とする風潮が一般的になったことで,必要以上に家庭内のみっともなさを隠すようになってしまったことも影響しているのではないか。
 公務員も教師も建前上,誰よりも身綺麗であることが世間的に要求される商売であるが,それ故に自らのみっともなさをさらけ出せなくなっているように見える。そこを,クビにならない程度にうまく小出しにすることは,自分の精神を正常に保つ上でも,公にサービスする上でも必要なことであり,とんでもない不祥事を起こしたりするのはそこがうまくいっていないのが原因ではないか。
 この夫婦がどうなるのかと観察していたら,ツマが5分ほどダンナを置いて買い物に出かけた。で,戻ってきたツマがダンナのために買ってきたものを見せた途端に仲の良い夫婦になってしまい,ダンナは妻の手を握らんばかりにしてありがとうを連発していた。その感情の起伏の激しさに,わたしゃ,やけに乳臭いカフェオレをすすりつつ,内心拍手を送っていたのであります。
 帰りの新幹線では小谷野敦大先生の単行本を貪り読んでいた。いつもながらのコヤノ節は,やっぱり新書の薄さでは発揮しづらいのかしらん?

8/29(金) 恵那->掛川・晴

 ワークショップ二日目になって,少しは晩夏らしくなってきた。マジメに勉強し,帰りは岩村城趾を見学して帰宅。
 帰宅途中に職場によって,runさせていた結果を見る。よしよし。ちゃんと出ている。安心安心・・・と思っていたら,clusterのうち一台が止まっていた。電源がダメになってしまったようなので,切り離して,もっとでかい次数の問題をrunして帰宅。ガンバりゃなんとかなりそうね。
 疲れたので今日はこのぐらい。明日は東京なんだよぉ~。