12/3(土) 雀田->掛川・曇時々雨

 昨日は午前中看護学校での非常勤講義を終えるやいなや新幹線に飛び乗って新山口へ移動。未だに「小郡」と言われないとぴんと来ないあたりが旧人類の印である。
 で,本日は
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に参加。我が儘こいて二日の研究集会の初日に割り当てて貰ったのである。例によって漫談に終始する。いや,最近ますます笑いの取れない講演は寂しく感じるので,つい噺家口調になってしまうのである。ま,終わったからいいや。本年度の研究発表はこれでしまい。あとは月末に控えている論文投稿を済ますだけ・・・なのだが,さてどーなるやら。
 帰りの新幹線に間に合わせるべく,早退させて頂いて,雨の中,会場最寄りの雀田駅に移動。そこで見事な虹と対面した。
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 帰りの電車車中でも若者がこぞって写真を撮っていた。キレイな円弧で,これだけくっきり7色が見えているものは確かに珍しいね。
 つーことで,移動に8時間,滞在時間は5時間程という慌ただしい研究出張を終えたのであった。
 ・・・もっと記事更新したいけど,論文投稿まではちと厳しいかなぁ。年末には流石に貯まりに貯まったぷちめれをガシガシ書きたいのだがなぁ。
 とりあえず今日の所は風呂入ってから寝ます。

11/17(木) 掛川・?

 ふひ~,ギリギリで何とか予稿は仕上がった~。単なるPthreadによる直接解法の並列化なんだが,サボって前進・後退代入の部分をほったらかし。ベンチマークしてみたら,次元数増やしても精度増やしても見事にスケールしない。慌てて作って何とかスケールするようになったのが今週の話。
 しかし,Phenom II X6よりCore i7 950の方が超トロイってのはどーにかならんのか。これはやっぱりFX-81xxとかCore i7-3930Kを買ってベンチマークせねばならんのか。・・・金がいくらあっても足りんワイ。
 つーことで,ドガチャカでプログラム作りとデータ取りに勤しんでいた合間に,河野太郎がまたスパコン京に噛み付いていたので質問に答えてみた牧野先生も解答していたが,比べてみると面白い。
 にしても,学者っていつから国会議員を鼻であしらうほど偉くなったのかしらね? まぁ,自分が心血注いでいる分野の研究にケチ付けられて憤る気持ちは分かるが,これはないだろう。確かに世間アピールのために騒ぎ立てる輩がいるのは理解するが,河野太郎,今度は国会の決算行政監視委員として問いただしているのである。日頃から税金で研究も生活も支えている学者が,自分の研究(に関連する事項も含めて)の意義の説明をしないというのは怠慢でしかないし,そのうち有権者から「スパコン村」ってことで総スカンを食うことになる。
 しかしまぁ,ベクトル計算機での成功体験が,今のマルチコアCPU & GPGPUスパコンへの移行を「スポイルした」ってのは皮肉だねぇ。まぁ近い将来,中国に抜かれること確実なので,ワシはせいぜいトレンドに沿った方向で自分の研究を生かしていきたいモノである。税金ジャブジャブマシンにしがみついていられるのもいつまでなのかしら? 流石にボチボチ民間資金を募る方向で動き始まっているようだが。
 さて,明日は怒濤の金曜日5コマ講義&実習日である。それも明日も含めて2回でおしまい。それが終わったら本格的な論文書きに専念せねば~。
 寝ます。

11/13(日)掛川・晴

 ん~,なにやら寒い日が続くな~。と思うと,昨日は日中暑いぐらいの陽気になってたし,寒暖の差が激しい今日この頃。火曜日以降はぐっと寒くなるようなので,ボチボチこたつが欲しいかも。
 さて,ReaDからResearchmapに衣替えした研究者用ポータルサイト,どんなもんかとプロフィールとか業績リストとかを更新してみた。写真のあるなしは印象が大分違うので,むさいひげ面もアップしてある。
 で,色々便利なポータルサイト化がなされているのは分かったのだが,さてblog機能とかはどーなのかなーと様子見してた。なかなかよさげであるが,

  • 既存のblog(MovabletypeとかWordpress)とのデータのやりとりが出来なさそう(そのうちつくか?)
  • blogスタイルカスタマイズの自由度があまりなさそう

とゆーのはちと困るなぁ~,とゆーところ。
 ただそれ以外の機能は結構使いやすそう。そろそろ自分一人でMTを管理するのもめんどくさくなってきたので,お任せできるところはお任せしたいな~とは思っていた。その第一候補としてはここは結構いいかも。とゆーことで,お試しがてら更新してみたのである。新井紀子センセーが登場しているって事は,このサイトの機能はNetCommonsベースなのかしらん? まぁそれなら信頼性は高そうである。
 つーことで,今日はもう寝ます。
・・・ゆー文章をResearchmapに上げたのだが,まぁ浮くこと浮くこと(爆笑)。基本的には真面目な研究がらみの文章を書いてね~,とゆー雰囲気の場所にワシの単なる日記を上げると,タイトルとか内容も浮きまくっておる。みっともないので,当分こちらで更新し続ける次第である。
 つーことでホントに寝ます。

11/7(月) 掛川・晴

 うわ~,久々に日記を書くので緊張する~,ってのは嘘だが,しばらく「何でもいいから何かを書く」という行為から遠ざかっていたので,ちとキーボードを操る手が戸惑っているようである。まぁ,ボツボツ復活していこうっと。
 11月に入ったというのに,日中は結構暑い日が続く。今日も講義では汗だらだら。エアコン付けて講義してたら,座ってのんべんだらりと寝ている聞いている学生さんには寒かったようで,いつの間にか切られていたりする。
 講義終了後に,学生証を忘れた学生様向けの書類にはんこを押す羽目になる。まぁそれはいいのだが,サインをサラサラっと書いて欲しい旨気楽に言ってくるので怒髪天をつく。学生証を忘れたなら「すいません」の一言があってしかるべきものを,何を悪びれる風情もなくさっさとサインをよこせという。しかも午後に講義がないので早めのバスに乗りたいから,とのこと。・・・こんなのばっかりだと就職も決まらんよな,そりゃ。企業訪問して先方を怒らすケースもしばしばあるが,この「悪気のないバカさ加減」が原因なのだろう。
 で,サインをしてやるのも業腹なので,はんこを取りに行くべく研究室まで全力疾走。アシが弱っているせいで死ぬかと思った。多分ワシらの世代は学生様にサービスし尽くしてどっかで心臓麻痺で死ぬとともに,社会に対してはスポイルしまくって使い物にならない人間を大量に輩出することになるのであろう。まぁそれも又良し(どこが?)
 先週で新カリキュラムのシラバス登録が締め切られた。課題の微分積分についても特段問題なく登録できそうである。良きかな。
 で,自分がこれから担当する「応用線型代数」だの「関数論」は個人的趣味満載のものになってしまった。特に前者,書きかけのテキストの前書きの嫌みっぷりには磨きがかかっている。「低レベル学生向けの低レベルテキストは書き飽きた」だからな。まぁ「書き飽きた」と言うほど書いているわけじゃないので,「見飽きた」というのが正しいかな。
 実際,手取り足取り懇切丁寧,ってなものは巷に溢れているので,今更ワシが書かんでも,という気がする。つーか,そーゆーのって,石村園子先生のように親切が服着て歩いているような情熱溢れた方じゃないと,いいものが出来てこない気がする。ワシみたいに「あーたるー,何でこんな一言で終わるような定義にねちねち解説を書かなきゃイカンのだ」と思いながらやっていると,その読者を馬鹿にした態度が透けて見られてしまうのだ。商品として,それはイカンでしょう。
 だもんで,今度は趣味全開,学生のレベルなんか知ったことか,とゆーものにしたいなぁと念願しているのである。もちろん予防線は張ってあって,「訳が分からんでも打ち込めば動くプログラム」を課題にしておけば,うちの学生さんでも何とかやり遂げてくれるモノなのである。その点,従順さでは申し分ないんだが,いざ「考えろ」となると,途端に失速するのが最大の欠点。卒研やってても,いいレベルになってくると,その先の一番売りになりそうなところで力尽きる,というケースが多いんだよなぁ。このあたり,「体力」∝「知力」問題が絡んでいそうな感じである。いずれ,「できない,とはどういことか?」という論考を書きたいなぁ。世の中の方々は,戸塚ヨットスクール並のスパルタで解決すると考えているようだが,それは統計的にも教育的にも間違っているのである。
 そろそろ12月上旬の研究集会向けの予稿を書かねばならんのだが,先方からはまだ講演のスケジュールが送られてこない。どうやら初日に申し込む人が多くてプログラム作成に苦慮している様子。つーても,移動も入れると日曜日午後までのんびりつきあうことはとても無理だし,早めにやってさっさと帰らないといけないのだ。ことに,新幹線しかアシのない静岡県民としては辛いところ。さてどーなりますやら。
 ・・・おお,結構書くことあるなぁ。Twitterばかりにかまけてないで,なるべく更新は頻繁にしたいものである(あくまで努力目標)。
 シャワー浴びて寝ます。

石原繁・浅野重初「理工系入門 微分積分」裳華房,石村園子「すぐわかる微分積分」東京図書

「理工系入門 微分積分」 [ Amazon ] ISBN 978-4-7853-1518-4, \1900
「すぐわかる微分積分」 [ Amazon ] ISBN 978-4-489-00406-3, \2200
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 あーめんどくさ。複数の教員が担当する「微分積分/演習」のテキストを統一するための会合があり,何だか知らないけれどワシが議長役をしろということになった。
 で,大もめ。
 元々,ワシ自身がリーダーシップを取るつもりもなく,現状,テキストが統一されていない状況を理解するためのご意見拝聴に相務めようという態度で臨んだせいなのだが,その煮え切らない態度に怒った方がいらっしゃるのは当然として,そもそも今まで培ってきた教育手法も考慮せずに統一なんて乱暴極まりないというご意見の方もいらっしゃって,面白かった・・・のだが,正直疲れた。政府の審議会で喧々囂々の議論を纏めるなんて良くやるよなぁ・・・ホント,議論ってのはタフじゃないとやってられないなぁとつくづく感じた次第である。
 で,そこで出たテキストの候補がここで取り上げる2冊なのである。石原・浅野の「理工系入門 微分積分」(以下,「石原・浅野本」と称する)は,矢野健太郎の流れをくむ正統派テキストの簡易バージョン,石村園子の「すぐわかる微分積分」(以下,「石村本」)は,共立出版の「やさしく学べる」シリーズ(ここでも離散数学テキストを取り上げたことがある)と双璧をなす,「すぐわかる」シリーズの一冊で,穴埋め形式の演習問題の解答法まで教授してくれるバカ学生向けテキストである。両者とも,一変数関数の微分積分から二変数関数の微分積分までフォローしており,石原・浅野本が常微分方程式まで扱っている点を除けば,ほぼ守備範囲は一致している。
 また,どちらもロングセラーで版数・刷数が半端じゃない。石原・浅野本は1999年初版で,2011年2月に第16版第4刷,石村本はその6年前,1993年に初版,ワシが貰った2008年のものは第37刷である。理工系大学生向けのテキストとしては間違いなくベストセラーと言える。両者とも,主たる使用者の大学教員に支持されているからこそこれだけ売れているわけで,それぞれのテキストに惚れるという合理的理由もちゃんとあるのだ。だから,この両者のどっちかを選べと言われると揉めるわけである。いいじゃんテキストなんて好きなもの使って,結果として微分積分が理解できれば問題なし,とワシ自身はそう考えるのだが,世の中そー考えない方もいらっしゃって,まぁめんどくさいことになってしまうのである。
 「やさしく学べる離散数学」でも述べたが,偏差値40前半以下の学生さんを相手にしていると,「数学」というものを根本的に勘違いしたまま教えられてきた,という事実に気がつく。彼らの多くは単なる記号操作(=計算手法)の暗記と訓練を数学と思っているのだ。まぁ,彼らを相手にしてきた高校の先生方にしてみれば,それで十分と割り切ってのことなんだろう。実際,二次方程式の解の導出方法なんかすっかり忘れ,解の公式だけ覚えている,なんてのが日本の標準的高校生の実態なのだから,標準以下の生徒は計算方法を習得しただけマシ,と割り切るのも無理もないことなのである。
 とはいえ,これだけフツーにコンピューターが氾濫し,スマホですらDual-core CPUを積んでいる時代になると,少々重たい記号処理操作でもソフトで易々と実行できてしまう。計算方法の裏に潜む理論体系を知り,理論に基づいた真の「数学」の運用こそが人間本来の仕事であり,ICT社会になった今こそ,計算は機械に任せて本来の仕事に勤しむべきなのだ。その点,日本の高校生(に限らないけど)の数学力は世界最低レベルと言えよう。何せ,計算機械の方が何万倍(どころじゃないか)も優れている操作を,超低速な人力で再現しておしまいってんだから。最低でも,所謂「応用問題」が出来なきゃ数学を勉強する意味が無い時代になったということは認識して欲しいものである。
 だもんで,大学教師は躍起になって本来の「数学」を教えさせられる羽目になる。いや,数学以前の国語も含めて,全部やり直しになるのだ。答案の書き方,論述の仕方,「式」が単なる記号ではなく,意味を持った「文章」なのだということ・・・,まぁメンドクサイったりゃありゃしない。しかし,これが重要,かつ,専門科目への登竜門となる学習内容なのである。理論体系の存在に気づき,「体系」に基づいた記述方法を習得できないと,彼らは「数学」を学んだことにはならず,コンピューターに取って代わられる存在に留まるのだ。
 で,その本来の「数学」を教えるための教材開発をせっせせっせと行ってきたのが,「大綱化」がなされて教養課程が崩壊した1990年代からの歴史なのである。同時に,大学も山ほど作られた結果,本来なら大学生とは呼べないレベルの人達も受け入れざるを得ない状況になった(大学もある,ということ)。そうなれば,ますます教材としてのテキストは多種多様なものが必要となり,それこそ「微分積分」と「線形代数」の入門書は佃煮に出来るほど出版されることになった。結果として,教員の教授法にあったテキストが選ばれて,熱心な教員ほどテキストに依存したノウハウが増えて執着度が増す,ということになるのである。そのような事情を無視し,十分なFD的議論もせずに無理して統一を求めれば,揉めるのも当然のことなのだ。石原・浅野本を好む向きは,説明が不足している分を埋める講義を熱心に行い,石村本を好む向きは,自学自習の共として演習問題の解答をこのテキストに従って書かせるのだ。どっちがどう優れているかなんて決めようがないではないか。学生の理解度に違いが出るとすれば,それはテキストのせいではない,教員の資質の問題なのである。
 ・・・とゆーことを全部報告書に書いたのでは字数がいくらあっても足りないので,オミットした歴史的経緯とテキストの紹介文についてはこちらに書いておくことにしたのである。