四万六千日,お暑い盛りでございます。
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浅草寺は新暦でお祭りをやっているようだが,金沢は旧暦なのね。七夕もそうだったっけ?
しかしこの黒々とした墨跡が暑さを更に助長しているような気がする。本日は日本の各地で35度を超えたようだが,金沢も例外ではない。そんな日に30分もWalkingしたワシはえらい・・・結構快適だったけどね。日頃の運動の成果かな?
まだ締め切り当日じゃないからまだいいや~・・・と放置プレイしていた査読報告,きっちり前日に(どこのローカルタイムに合わせているのやら?)催促メールが届く。「いまならまだ代わりを探せるからできないようなら連絡寄越せ」と書いてあるところが欧米流。慌てて深夜書いて送ったら,interestingと書くべき所をinterestedと書いちゃうし,dependentとすべき所をdependableと書いちゃうし(こっちは致命的),まぁ読む本人は日本人だから意味は分かるとは思うけど,ネイティブアメリカン(かな?)なEditorには爆笑ものの英文だなぁ。ま,いいけど(良くない!)。
つーことで,本日もSWoPPの続き。HPC最後のセッションと,行列・固有値計算何チャラ研究会(長くて覚えられん)の最初のセッションを聞いて,15時過ぎに金沢出発。
行きはカーナビの指示に従って掛川ICから東名自動車道→名神→北陸と通過して金沢西ICで降りたが,帰りは指示に逆らって金沢東ICから北陸自動車道→東海北陸→東海環状→東名と,山岳地帯を縦断するルートを取った。・・・しかし,小矢部から延々片側1車線の道路を走るのは気疲れするなぁ。息抜きは,途中ちょろっと飛騨白川PAでトイレ休憩を取ったぐらいか。
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何か,上から見ていた方がよさげなような気がする。
東海環状まではすかすかの道路を快適にすっ飛ばしてきたのだが,東名に入ってからはいつものようにトラックだらけの密集した不快指数100%な道をひたすらせせこましく走るのみ。まぁ無事戻って来られて幸いである。到着は19:30過ぎかな。やっぱり4時間超かかるか。よくもまぁ,こんな道のりをワシは10年前,何度も行ったり来たりできたもんだ。しかもマニュアル車のパル子でねぇ。30代のワシは元気でしたが,40代のワシは青息吐息でございます。
さて,スポーツクラブ行って汗流して体絞ってから寝ます。今夜はぐっすりだなぁ。
あ,忘れてたので予告。当てにできないけど予告する。8/8(日)~8/21(土)まで,日替わりでぷちめれをかまします。もう紹介すべき本が貯まって貯まって・・・。短めの文章になっちゃうだろうけど,ま,いいやね。ここで書いておかないと一生かけないような気がするしぃ~。
8/3(火) 掛川 -> 金沢・晴後曇
朝,5時30分起床,身支度して朝飯食ってゴミ捨てして6時30分に自宅をマガリ太郎と共に出発。掛川ICから東名に入り,金沢西ICで降りる予定で東名から名神へ。途中,小牧JCTあたりで事故処理のための渋滞が3kmあるとのお知らせが入るが,事故から1時間以上経っていることから,多分,ワシが通過する頃には日本の優秀なる警察はすっかり片付け終わるであろうと考えて,予定通り,ト豊田東JCTを通過して小牧へ。事故の報を聞いて東海環状自動車道へ迂回する車が多かったようだが,予想通り,小牧近辺の渋滞は解消され,スムーズに(といっても時々70km/h程度につまるけど)通過,出発時のカーナビの予測時間より1時間以上早く金沢西に到着,片町・香林坊も混雑がなく,10時40扮頃に会場近くのパーキングにマガリ太郎を止めた。ふ~,約4時間の道のり,途中,トイレ休憩のために南条SAに入った以外はノンストップだったが,やっぱり北陸自動車道に入ってからのスカスカ具合は気持ちが良く,さすが裏日本の交通密度は低いなと羨ましくなる。飯が食えるんなら,北陸の方が絶対生活環境はいいよな~。
つーことで,SWoPP2010金沢に来たのである。講演もしないくせに。
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会場はこちら。
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こんなホール,ワシが能登半島にいたときにはあったっけ? 6年間の石川県生活でも来訪したことなし,今回はじめて入った。
HPC運営委員会で昼飯食って,論文誌編集委員として胃の痛い思いをした後,さっさと宿に入る。パーキング料金もバカにならんし,ワシが聞きたい講演は明日の夕方までないのである。金沢駅近くのルートインへ。最近できたばっかりみたいだが,近くにはワシが邪悪なホテルと呼びつけている東横インもあった。掛川にも最近できたけど,両者ともこんなにあっちこっちにホテル作ってよく経営ができるもんだと関心。このアグレッシブさが停滞感漂う日本では必要なことなのかも。
ちみっと新装した金沢駅を散歩。この無意味にでかい鉄骨のドームはなんなんだ。
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観光シーズンのはずだが,夏のクソ暑い時に兼六園を歩きたくないってことなのか,観光客はちらほら見るのみ。日陰は結構あるはずだけど,エアコン必須になった惰弱な年寄りにはキツイかな。花の季節でもないしね。
つーことで,これから査読報告書を書いて英訳して風呂入って寝ます。
7/30(金) 掛川->浜松->掛川・晴
ふ~,ここんとこ全然blogの更新ができない。精神的にDead lock状態になっているせいもあるが,単純にスポーツクラブの通いすぎによる肉体的疲労蓄積の影響なのかも。何せ,働きパワーがmaxになるはずの昼間に睡魔が襲ってくるんだもんなぁ。これを書いているのも,浜松で豪勢な昼飯を食って家に戻って昼寝から復活した後だったりする。全く,効率が悪いったらありゃしない。おかげでまだ全然計算,つーか,プログラムすら動かしていないという有様。土日で計算,月曜日の夜中に原稿アップと行きたいものだが,さてどうなりますやら?
つーことで,Webデザイン特別プログラムの前期の講座は報告会をやって終了した。ワシは全然タッチしなかったが(バックアップ&Webサーバのアカウント配布のみ),皆様ご苦労様でした。昨年度と違って,サイト構築の自由度が増した分,試行錯誤で迷うことが増えたかも。しかしまぁ,脱落者もなく全員一通りのデザインができたのは良かったっす。
浜松での豪勢な飯の後,家に戻ったら,ワシが原稿を書いた(押しつけたとも言う)「漫画批評」が届いていた。
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執筆者特典ってことで,二部です~。ん~,さぞかしワシみたいな投稿者が多いのかと思ってたら,新規の押しかけ原稿ってワシだけじゃん。良い雑誌なので,刊行ペースはのんびりだけど,地道に続いて欲しいものです。あ,コミックナタリーでも記事になってた。
さて,今日も懲りずにスポーツクラブに行ってきます。
7/25(日) 掛川・晴
天気予報の嘘つきと罵りたくなるピーカン晴れの真夏日。天気が崩れて厚さも一段落するはずじゃなかったか? むぅ,天気図を見ると,太平洋高気圧の張り出しが固定化して,当分低気圧が入り込む隙はなさそうである。暑い空気と共に生きるしかないようだ。
森毅逝去・・・か。毎日新聞のインタビュー,長いものとしてはこれが最後かな? 恬淡としているようでいて,「ええかげん」という,字面とは異なる強い意志を持つ人だったなぁ。数学史に興味を持つきっかけも「魔術から数学へ」に魅了されたからだし。数学の知識では足下にも近寄れなかったが,せめて純粋まっすぐ的議論を忌避する,あの「ええかげん」的多様性重視なイデオロギーは受け継ぎたいものだ。火傷の報道があって,一命を取り留めたと聞いてホッとしたのだが,回復しないまま行ってしまったようであるが,苦痛がない最期であればよかったのだが。ご冥福をお祈り致します。
本日はオープンキャンパス初回。いつも通り,うちは4年生諸君に出張って貰って卒研の中間発表をお願いする。ここでこれやっておくと後半の目標ができるのと,プレゼンの練習にもなるので一挙両得。くれぐれも,原稿を読み上げる発表はしないようにね。ともかくご苦労様です。あと3回,よろしくね~。
帰りは毎日の日課になりつつあるスポーツクラブで運動。軽くストレッチとベンチプレス・腹筋・自転車漕ぎした後にクロールで200mを泳ぐというメニュー。晩飯抜きでこれやると最初かきつかったが,最近は空腹のママ運動するのが快感になってきた。マゾの血が騒いでいる模様。
おかげで何とか体重が
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ということに。あと5kg痩せれば標準体重なのだが・・・ん~,70kgを切れば良しとしたいところ。これ以上の無理なダイエットは仕事に差し支えるぞ。
さて,今週は計算をガシガシやらねば。次週は金沢行きなので,それまでに締め切り仕事は終わらせておかねば・・・って,こんなときにまたウクライナ方面からメールが・・・。
無視して寝ます。
吉村昭「桜田門外ノ変 上・下」新潮文庫
上巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-10-111733-1, \552
下巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-10-111734-8, \590
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今回,職場内の印刷物に本の紹介をする短いコラム(400字程度)を書けと言われたので,本書を取り上げることにした。職員全員に配られるものなので,立場・専門・興味は各人バラバラ。あんまし「ガロアの群論」みたいな理系色全開な本でもマズいし,かといってワシの趣味全開なマンガ「ネム×ダン」でもちょっとなぁ,というところがあるので,少し固めの時代小説が無難なのではないか・・・ということで吉村昭の出番となったのである。映画化が決まって,水戸市の湖畔にオープンセットが組まれていたことは,2010年3月の水戸コミケの際に見聞してきたので,その予習にと原作である本書をほぼ一気読みしたのである。
日本の歴史を習う際には,明治維新の直接の切っ掛けとなった「桜田門外の変」,即ち大老・井伊直弼襲撃暗殺事件,を必ず扱うが,短くまとめすぎると,事件の全貌がよく分からない。事件の基本構造が忠臣蔵と類似している点もあるので,「吉良上野介が悪い」→「井伊直弼が安政の大獄を引き起こしたから悪い」と単純化されすぎて伝わっているきらいがある。ワシも中学校でこの事件を教えられた際には,「暗殺されるほど強烈な弾圧をしたのだな」としか感じなかった。
しかし,政治的な事件というものは概ね,事件が起こるまでの背景と経緯というものがあり,原因を追求していくと様々な人物・事象が積み重なっていることが分かり,「鶏が先か卵が先か」という堂々巡りに陥ってしまうことがよくあるのだ。今のアフガニスタンやイラクに米軍が駐留している理由をきちんと説明しようとしたら,ソ連のアフガン侵攻から説き起こすことになってややこしいことこの上なく,更に言えば,なぜソ連が侵攻したかといえば米ソ冷戦の話をせねばならず,最終的にはイスラム教とキリスト教の起源まで遡ってしまうのである・・・ってのは行き過ぎだが,歴史的経緯というものはかくも複雑でメンド臭いシロモノなのである。
「桜田門外の変」もその例外ではない。確かに井伊直弼という人物の個性がなければ,「大獄」と呼ばれるほどの苛烈な水戸藩や攘夷派志士への弾圧は行われなかったかもしれない。しかし,第14代将軍世継問題が慶福派と一橋派に分裂してあれほど紛糾しなければ,そもそも,井伊直弼が大老に就くこともなく,ことは穏やかに済んだかもしれない。しかし,ペリーが来航して鎖国の扉をこじ開け,ハリスが強硬に通商条約締結を主張して成し遂げるという対外圧力がなければ,開国(やむなし)派と鎖国(維持すべし)派の対立が起こることもなく,そもそも世継ぎ問題も勃発することなく済んだかもしれない。しかしそもそも水戸光圀が御三家の一つのくせに尊王精神を主張していなければ・・・とまぁ,キリがないのである。
吉村昭の長編小説は緻密な取材に基づいた事実の積み重ねを土台とし,透明な文体で淡々と「描写」するところに特徴がある。本書「桜田門外ノ変」も,事件全体としてはせいぜい数時間,襲撃そのものは井伊直弼の首が有村次左衛門によって高々と掲げられるまで,ごく短時間で終了している。しかし,水戸藩士を中心としたグループが事件を起こすまでに至る経緯を,上巻全部を費やして「描写」しているのだ。水戸藩における改革派と門閥派の対立,そもそも水戸で攘夷思想が培われた地理的要因,襲撃計画をすすめるグループの諸国漫遊(「坂本龍馬」の名前もちらと登場)・・・を,襲撃グループの中心人物・関鉄之介を中軸に据えて書き連ねている。これは,重い。井伊直弼らの開国&慶福派が,尊皇攘夷を現在の過激右翼以上に強硬に主張する水戸老公・斉昭を毛嫌いするに至る経緯もきっちり「描写」しているから,読者は単純な肩入れができなくなる。幕末の動乱期に頻発する暗殺の連鎖がここから始まったということを考えると,下巻で描かれる襲撃後の関鉄之介の逃避行を助けた人々と世間という「土壌」こそが,一面非難されるべき所業でもそれが成立するためには必要な条件であったことを確認させてくれるのである。小林よしのり命名の「純粋まっすぐクン」的思考だけでは,歴史の重大事件という「点」の近傍に寄り添うことしかできず,点に至る「線」と,線を載せた「平面」に思いを馳せることはできないのである。
吉村昭は,薩長同盟締結における坂本龍馬の役割についても,完全否定していて,次のように発言している。
「薩長同盟というと,坂本龍馬が斡旋したことになっているのですが,坂本龍馬は土佐藩の藩士ではなく,郷士です。坂本龍馬が両方を仲介して薩長同盟を結ばせたといわれていますけれども,そのようなことは史実にないのです。
一人の人間が薩摩と長州,今のアメリカとソ連のようなものですが,それを中に入って話をつけるなどありえない。一番最大のものは武器なのです。武器で合致してしまった。
それでこの薩摩・長州が新鋭銃,新鋭の大砲,これを(注:イギリスから)輸入して,そして幕府と対抗する。鳥羽伏見の戦いで,幕府軍は1万5千人,薩長の方は4,5千なのですね。それで圧勝してしまったのです。なぜかというと武器なのです。武器の勝利なのです。」(「ひとり旅」文春文庫,P.200)
・・・とまぁ,あくまでもプラグマティックな考えを貫いているのである。司馬史観に色濃いロマン主義・個人主義的なものとは対極にある透徹した現実主義,これを描く文体は,乱反射することのない無色透明なものである必要があったのだ。
さて,こういう原作からどんな映画ができるのか? 以前,NHKでドラマ化された「ポーツマスの旗」は随分リアルで地味なものであったが,逆にそれが小村寿太郎再評価の後押しに繋がったように思える。映画を見た観客が徳川斉昭,井伊直弼の評価をどのように下すのか,アンケートを取って,原作ファンとの比較対照をしてみたいないなぁと思うのである。
・・・で,これをどうやって400字に押し込んだものやら,ワシは更にめんどくさい作業を背負い込むことになったのであった。