大塚英志「大学論 いかに教え,いかに学ぶか」講談社新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-288043-5, \740
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 今の大学に奉職して11年目を迎える区切りの日,2009年度の最後に本書を読了したことはワシ個人にとって大きな意味を持つ出来事だった。大塚英志がComic新現実で「シュートに教える」と宣言してからはや5年,神戸の私大で最初の卒業生を送り出すまでの経緯を大塚自身の学問における師弟論を交えて熱く語ったこの新書は,人間社会における「教育」の原点を問い詰めてくれるだけでなく,そこそこ教育経験を積んで「惰性」に流されつつある一教師を鷲掴みにして揺さぶったのだ。教育のミッションを完遂するため,学生と正面から向き合ったのか?・・・しばらく自問自答の日々が続きそうだ。
 早くから予測されていたことではあるが,少子化という現象が起こって以来,ことに私立の高等教育機関は入学生の減少→経営難という現実的な問題を手っ取り早く解決する手段として,様々な組織改編に乗り出している。大学では資格取得に直結する医療看護系に乗り出すところあり,そして京都精華大学や大塚のいる神戸芸術工科大学のように,マンガ・アニメのコンテンツ制作教育に乗り出すところあり,意味不明だがイメージだけは未来的という学部・学科名を冠するところあり・・・まぁほんとにみんな苦労しているなぁと感じる。もちろんワシだって当事者の一人だから,他人事のような感想を言って済ますわけにもいかないのだが,コンピュータと数学の教師が年度明けには文学の先生になるということは知識的にも文科省的にも不可能なので,自分の知識の及ぶ範囲でゼミとか講義の内容を改変する程度の「お付き合い」をするだけである。既存の学問に乗っかって既に教員になっている一個人の変化は普通,その程度だ。
 しかし,マンガ,しかもプロの漫画家になるための教育を,漠然とした将来への希望しか持たない若年者に対して行うという前代未聞の試みにチャレンジするとなると,教える方は相当苦労することになる,というのは誰の目にも明らかだ。いくら教える側にプロ作家や編集者を入れるとしても,アシスタントを養成するようなOJT的なやり方ではうまく行くはずがない。編集部に持ち込みに行く,プロ作家のアシスタントに応募する,という時点で既にその人間には動機もテクニックもある程度備わっていることになる。大学で教えるのはそれ以前の,漫画を描く動機づけも方法論も持たないド素人なのだ。大塚に言わせるとそのような人間は「それが不確かなものでしかないから彼らはここに来た」(P.16)のである。しかも大塚のやり方ときたら,既存の芸術学部だってデッサン力のチェックぐらいはするというのに,AO入試では表現者=「こちら側の人間」かどうかという,質問してその回答を聞くだけで判断する極めて主観的なチェックしかしないというのだ。
 大塚の「シュートな」教え方は,マンガを構成する方法論を体に叩き込ませた後で,自分が表現したいものをその方法論を使うことで引き出させる,というものである。絵を描く細かいテクニックは一切教えない。そんなものは安彦良和・多田由美・菅野博之ら教員(すんげぇ豪華な教員陣!)と学生の合作「8105スタジオ」の作品を葛藤しながら描いたり,プロの編集者とのやりとりの過程でしか身につかない,というのが大塚の持論である。プロの漫画家になるという決意をさせれば「こちら側」の人間であり,こちら側の人間であれば細かい作画テクニックは誰でも身につく・・・これは大塚だけでなく,他の編集者も「絵は誰でもある程度は上手くなる」と言っているから,漫画編集者の共通認識なのだろう。
 大塚英志が実際にどんな喋り方で学生を指導しているのか,ワシは知らない。しかし本書の記述を読む限り,適度に距離とり,大塚の基準である「卒業」をするまではこまめに学生の相談に応じたり,アドバイスを与えたり,時には突きはなしたりしているようだ。今の大学ではアタリマエのことだと言われそうだが,はたして大塚並のケアをしている教員がどれほどいるか,「下流大学」でもちょっと怪しい気がする。よくもまぁあれだけの漫画原作を連載し,東京と神戸を往復しながらそこまでやるもんだと感心させられる。
 流石に同居人(白倉由美)からも,「大学の先生になったはずなのにまるで毎日,高校の先生みたいなことをやってない?」(P.62)と言われてしまう。大塚の答えはこうだ。

「まあ,何にせよぼくがなったのは学校の先生だからね」

 自分がホントに「学校の先生」であったか,ワシを揺さぶり,この疑問が頭から離れなくなったのは,この大塚の言葉を通じて本書全体に通じる「熱」が伝播したからである。
 「教育」の原点を再確認したい人は,是非ご購読頂きたい一冊である。

3/31(水) 掛川->東京->掛川・曇

 花曇り・・・というにはちょっと寒すぎないか,おい。冬みたいな気温なので,富士山もきれいだった。
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 静岡の桜はほぼ満開状態だが,東京はまだ5分咲きといったところ。ぶらりと秋葉原を散策し,金沢ではおなじみだったゴーゴーカレーでチキンカレーを食い,リナックスカフェで読書とTwitter。ここはトイレの落書きもIT系だ。
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 ご意見には全面的に同意する。実験室のOSアップデート,できれば今週末に取りかかりたいが・・・ちと無理だなぁ。
 大師匠のところへ向かう途中,東急池上線のCoolな列車に乗る。
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 設備投資は惜しまないんだな。東急の株,安くなったら買っておくか(無理無理)。
 例によって例のごとく大師匠のところでくだを巻いた後,新幹線で帰宅。車中,ぷちめれ原稿を書いた。大塚英志の熱い本,教員なら必見です。
 ふ~,いい休暇だった。明日から新年度,頑張ろうっと。
 風呂入って寝ます。

3/29(月) 札幌->掛川・雪後晴

 あ~,気温の変化に体がついて行かない。何せ,雪の札幌
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から,桜咲く掛川
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に戻ってきたのである。一仕事終えてスポーツクラブで汗流して戻ってきてこれを書いているのだが,クシャミが止まらないぞ。いかん,明日以降風邪引いたら大師匠に面会できないではないか。根性で乗り切ろう!
 帰省中,いろいろとお仕事が入ってきて,今もO先生から教えてもらった面白そうな本の前書きを訳している。もうちっとで終わるので,本が届いてざっと眺めたら数学書籍ぷちめれ特集を開始しようぞ。それまであれこれ読んでおかねば。帰省中は結局腹の贅肉を増やしただけだったからなぁ。
 寝ます。

3/25(木) 掛川->札幌・雨

 ん~,三連休の水戸→大洗→三里塚(ヘルメットかぶって運動したわけではない)の強行軍はいろいろ言いたいことがたまって書きあぐねているうちに沈黙してしまっていた。ま,気が向けばそのうち。
 これから札幌に帰省するのだが,富士山静岡空港(なげぇ正式名称だこと)を使うのは初めて。濃霧のためか,FDA使用機体の到着が遅れているとアナウンス。ワシはANAなので,今のところ遅れ等の情報は受けていない。予定通り飛べばいいが。
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 こんな狭い搭乗待合室で何時間も過ごしたくないからなぁ。札幌到着は19:15の予定だが,出発地の天候調査中だそうで,どうやることやら。こんな立地の悪い所に無理して作るなよ,と使う奴が行っても説得力ないけど。
 ではリダツします。

3/19(金) 掛川・晴

 ふ~,終わった終わった。もー,昨年からずーっと引きずってきた原稿書き,不十分ながらもとりあえず打ち切った。先方からはどういう反応が来るのか,そっちの方が気になるが,ま,ダメならダメでしょうがないよな,頑張ったし,という気分。文章書きも飽きたので,新学期まではOSインストールとプログラミング精出すことにしようっと。
 ところで,ワシの実験室に昨年から妙なフィギュアが出没している。
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 ダンダラ模様のドーナッツをかぶった牛はわかつきめぐみっぽいキャラだが,隣の黄色いタコ集団が何だか分からん。このキャラの正体を教えてくれたら,単位を付与して進ぜよう。
 一仕事済んだので,お祝いってことで久々に職場近くの回転寿司屋に繰り出そう・・・と出かけたら,怪しげな中華料理屋になっていた。しょうがないので,掛川の沼津魚がし鮨へ。ここも久々だなぁ・・・つーか,昨年から貧窮シフト体制に移行したので,外食の機会自体ががた減りしていたのであるが,ここもシステムが変わっていて,一人用のカウンター席からはコンベアが消えていた。もはや「流れ寿司」とは呼べないが,おかげでコンベアの終端部でひからびた寿司を食わされるという悲哀を感じずに済んだのは幸いであった。
 しかし・・・やっぱり久々の寿司はうまい。
 生イカ,おいしゅうございました。
 タラの芽の天ぷら寿司,熱々でおいしゅうございました。
 あぶり寿司三貫,ジューシーでおいしゅうございました。
 赤貝,おいしゅうございました。
 礒汁,おいしゅうございました。
 ほうぼう,ダジャレ(「ほうぼうで探しました」のコピー付き)が余計でしたが,おいしゅうございました。
 ナメコ汁,出るのが遅くてせっつきましたが,豆腐の冷たいのが気になりましたがおいしゅうございました。
 ・・・などと昔のマラソン選手の遺書みたいな感想を抱いてしまったのであった。貧窮シフトは普通レベルの2000円分の寿司でもこうして豪勢なごちそうにしてしまうのである。貧乏様々である。
 さて,明日は卒業式なのでもう寝ます。早起きして掃除洗濯さっさと済ませて出勤しなきゃぁ。