10/2(木) 掛川・?

 勢いづいて,Linux Conferenceの原稿を上げてしまい,今メールで送信し終わったところである。もう寝る。今度こそ寝る。しかし横山光輝があんなにボロクソに言われているとは意外だった(んなもん見てるからこんな時間になったんじゃ!)。

小谷野敦「反=文藝評論」新曜社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-7885-0859-1, \2400
 コヤノ先生の本は,いつ出版されたのか,その動向が掴みづらい。筑摩書房のように,新刊情報が手に入りやすい大手(でもないか)の出版社なら何とかなるのだが,単行本onlyのマイナー系出版社だと,こちらがWebをマメにチェックする必要がある。で,本書も長らく出版されていることを知らず,仕事が一段落して欲求不満を解消すべく,八重洲ブックセンター本店に突入して目を皿のように棚をサーチしている時に発見したのである。ん,もう,コヤノ先生ったら水くさい(誰に言っているのか)。
 何でこんなにコヤノに入れ込むのか,というと,文章の面白さ,論理思考の強さと共に,感性が自分と似通っている,という点も大きいようである。本書は「反」文藝評論と銘打っているが,それは自分が「文藝評論家ではないから」ということであって,内容は文藝の評論,そのものである。相変わらず,わし自身はここで取り上げられている小説をまるで読んでおらず,村上春樹も右に同じという有様である。んで,小説の内容に照らしてコヤノ先生の論旨がどうなのか,ということを論評する立場にはない。が,コヤノ先生の文章そのものは全面的に肯定し,面白いと感じる。これじゃまるでパロディの元ネタを知らずに,パロディそのものを楽しんでいるようではないか。しかしそれが可能なぐらい,コヤノ節は世間に認知されているのである。そうでなければこれだけ多くの著作を世に出そうと,出版社が考えるはずがない。
 にも関わらず,コヤノ先生は「作家専業でやるつもりはない」とおっしゃる。理由はあとがきに書いてあるので,ここでは触れない。しかし・・・うーん,才能のカケラもないわしからみると,誠にもったいない。生活はそれほど豊かではなさそうであるが,一応食えているのであれば,小熊英二が「本とコンピュータ」最新号で述べているように,そのままフリーの学者,ときどきエッセイストとして活躍した方がいいように思えるのだが・・・というのは,学校出てからこのかたずーっとサラリーマン生活をしている者の「隣の青い芝」的考えなんでしょうかねぇ?
 本書の内容そのものについては,前述の通り,論評する立場にないので触れない。しかし,取り上げられる評論家の言い分をあれこれと詮索し,比較し,反駁する,という「文系」のガクモンの有り様が炸裂していることだけは述べておきたい。学者先生稼業は頭の勝負と思われがちだが,旺盛な脳細胞の活動を支える「体力」の方が,実は重要なのである。軟弱者を自認するコヤノ先生であるが,こと本業に関する限り,恐ろしく精力的なのである。

9/30(火) 掛川・晴

 月曜日の日記を書こうとしたら,もう日が変わっていた。ちぇっ。
 Linux Conference 2003のプログラムが公開された。むぅ,11/1(土)は最終日で,しかも基調講演なしかあ。こりゃ人が少なそうである。とりあえず,Closing Sessionまでお付き合いしてみることにしよう。あああ,原稿がまだ出来てない~。
 寝ます(久々だな,このフレーズ)。
 起きました(これは初めてではないか?)。
 出勤前に,Intel Fortran Compiler for Linuxをインストールしてみる。サポートなしでNonprofit use onlyであるが,期限なしで使えるのはありがたい。もっともAcademic価格なら大した額にはならないのだが。
 おお,これは簡単。install scriptはよくできている。自宅のPIII 800 MHZ + RedHat Linux 9.0にすんなりインストールできた。では,懸案のFMLIBをコンパイルして試してみようぞ・・・と始めたら,FM.f90のコンパイルが30分以上経っても終わらない。さすがFortran界の多倍長の雄であるわい。・・・などと感心している暇もなく出勤時間となり,そのまま自宅を出る。
 cat /proc/meminfoしてみると,
[user@homemachine user]$ cat /proc/meminfo
total: used: free: shared: buffers: cached:
Mem: 260354048 256819200 3534848 0 1527808 201031680
Swap: 534634496 267313152 267321344
MemTotal: 254252 kB
MemFree: 3452 kB
MemShared: 0 kB
Buffers: 1492 kB
Cached: 14860 kB
SwapCached: 181460 kB
Active: 204448 kB
ActiveAnon: 191552 kB
ActiveCache: 12896 kB
Inact_dirty: 12208 kB
Inact_laundry: 8048 kB
Inact_clean: 4520 kB
Inact_target: 45844 kB
HighTotal: 0 kB
HighFree: 0 kB
LowTotal: 254252 kB
LowFree: 3452 kB
SwapTotal: 522104 kB
SwapFree: 261056 kB
となって,どうやら256MBのメインメモリでは足りないらしく,Swapを引き起こしているのが分かる。どーりでHDDがやかましい訳だ。
教訓: 性能の良いコンパイラを使う時には,ハードウェアにもそれなりの投資をしましょう。
 んが,悪いことに,glibcとの不整合があって,コンパイルしようとすると
[user@home user]$ ifc test.f
main program
7 Lines Compiled
/opt/intel/compiler70/ia32/lib/libIEPCF90.a(f90fioerr.o)
(.text+0x4d3): In function f_f77ioerr':
: undefined reference to
__ctype_b’
となって,Executable fileが生成されない。どうやらFAQのようである。ちょうど,linux-users MLでも話題になっていた。
 glibcをダウングレードするか,ダウングレードしたものをstatic linkして使う他ないのかなあ・・・とIntelのSupport Forumを読んでいたら,ctype.cなるソースを作って下さった奇特な方がおられたので,試したらおっけーでした。うーむ感謝感謝。
 久々に,Fortran90と戯れてみるかなぁ。むっかし書いたソースがまだ残っているから,あれこれ弄ってみるもの一興か。

小林よしのり責任編集「わしズム Vol.8」幻冬舎

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-344-00390-X, \952
 戦争論3が出版されて,編集長の漫画二編が無事帰ってきた。これが一番の目当てなんだから,休まれては困る。後の連載は後回し。
 んが,ボチボチ主張が固まってきたこともあって,繰り返しが多くなってきた。故に,読者としてはちと飽きてくる。今は中断している仏教論をまとめて一冊にしてくれないものか。
 戦争論3出版後のよしりんは相変わらず忙しく全国を飛び回っているようだ。金沢の護国神社へ行ったと思えば,新装開店して大にぎわいのJR札幌駅隣接のホテル日航に一泊し,洞爺湖のウィンザーホテルに宿泊したとのこと。
 それはいいのだが,洞爺湖の豪華ホテル,拓銀破綻を知るものとしては複雑な感慨を持ってしまう。カブトデコムに膨大な資金融資を行った結果,取り返しの付かない不良債権を背負ってしまったのが直接の原因なのだが,その投資先の一つがこのホテルなのである。
 今は普通に運営されているようで喜ばしいが,その豪華さの裏には札幌に本店があった唯一の都市銀行の倒産劇があったのだ。それを思うと,今回のゴーマニズム宣言EXTRAを素直に楽しめないのである。ま,よしりんに罪はないのだけれど・・・ね。

9/27(土) 掛川・晴

 まだ夜中なので,天気不明。天候が安定しない典型的な秋の気候が続く。台風シーズンは終わりのようだが,でかい地震が今年は頻発している。釧路地方で震度6とのこと。義弟(なんだよなあ,実感湧かないけど)の実家は大丈夫かしらん?
 Google Toolbar Version 2をインストールする。PageRankの数字が明確に表示できて,わかりやすさに磨きがかかった。んで,わしのWebページのPageRankはというと5/10とのこと。証拠はこれ。わしの職場のメインページと同じランクやんけ。どうやらわしのページ内リンクがそのままカウントされてしまっているようである。まあ,トップ以下のページでも独自にリンクされているところ(BNCpackとか)があるからなんだろうけど,客観的に見てどうなのかしらね?
 今学期から,数学関連科目を多数引き受けることになった。それはいいのだけれど,さーて何をやろうか,となるとかなり迷う。わし自身は応用系の人間であるから,理論屋さんから見ればヘタレ人種である。しかし,世の中,立派な人間よりもヘタレの方がずっと多いのであるから,大衆迎合的に考えれば,わしみたいなのが教えるというのはそれなりに価値のあることなのである。
 藤原正彦の「遥かなるケンブリッジ」には,著者があるカレッジのチューター(個人教授)となる経験が描かれている。数名の学生に対して家庭教師のように濃密なゼミを持つのであるが,そこでスポーツマンタイプの学生が,親しくなった藤原にこんなことを漏らす。カレッジの教授陣は,理論系より応用数学系の方向へ学生を導きたがっている。応用なら理論を適用するだけなので良い成績をとりやすいから・・・と。これは一面の真実を突いている。「良い成績」が「良い学問」に繋がるかどうかは首をかしげるけど,ね。
 純粋数学の専門書は,ものすごく密度が高いので,読みこなそうとすると時間がかかる。しかも,馬車馬のように高度な次元へと一直線に誘うものだから,んなもんいらないこの程度でいい,と感じるヘタレにとっては敷居が高すぎて,目標意識を持つことが難しい。その点,応用系だと,解決すべき具体的な問題が提示されているから,こういう問題の前提に対してはこの理論を使えばいい,この手法を適用すればいい,という道筋がとりやすい。特にコンピュータの馬力に任せた試行錯誤的シミュレーションができれば,考えるための材料も得やすい。
 わしが悩むのは,最初っから応用系を目指す人たちに必要な理論をどのように学習してもらうのか,ということである。理論系を目指して「挫折」しちゃった人たちは,そこに至るまでの理論的蓄積が期待できるから,まだいい。それが全くない場合は,目標意識を保つことができる程度に演習を行い,そこで使う理論を最低限提示し,しかも完璧な証明まで至らないまでも,その理論が正しいことを納得してもらうぐらいの「説明」を行う,という形を取ることになる。このバランスをどうするか,で悩むのである。
 ま,悩んだところで,結果として「いい授業」が可能かどうかは怪しいのであるが,こーゆーことに少ない灰色の脳細胞を使うのは嫌いではないので,今日も,うじうじと結論の出るような出ないような思考に時間を費やしているのである。