[ BK1 | Amazon ] ISBN4-7664-0999-X, \1800
日記にも書いた通り,本書は小林よしりんの「戦争論3」と並んで平積みにされて販売されていたものである。まんまと三省堂本店店員さんの術中にはまって購入してしまった訳だが,いやあ買って良かった読んで良かった,面白くって一気読み。論旨がすっきりしているし,評論にありがちの難渋な言葉もない。何より,副題である「草の根保守運動の実証研究」という言葉が示す通り,第3章の「史の会」のレポートは実際に会に参加し,そこに集う人々に直接取材した結果を用いて傾向を分析した部分が一番興味深かった。
第4章では「不安なウヨクたち」として詳細にこの分析を行っているが,いやあ,自分が「不安なウヨク」であることをまざまざと教えてくれましたなあ。だからといって「サヨク」になるつもりもないんだけど。
「不安なウヨク」であるわしとしては,当然丸山眞男の影響大な小熊に対して反論したいことは当然あるのだが,それはいずれ書く(かな?)「戦争論3」のレビューにて述べることにしたい。が,本書はわしや上野を含めた現代日本人にシンパシーを感じさせずにはおかない「新しい教科書を作る会」の運動をかなり正確にスケッチとして描き出した優れた研究書である。「いやぁ一本取られたわい」という気持ちを込めて,断言しておきたい。
8/17(日) 掛川・曇
あまりにも早くに寝過ぎたために,丑三つ時に目が覚め,これを書いている。天気はまだ不明。
今日で長かった休みもおしまいであるが,結局仕事らしい仕事は何もしなかった。が,のんべんだらりと過ごした訳でもなく,そこそこ体の調子は維持できているし,本もそれなりに読めた。40点(100点満点)ということころか。
この日記,明日からはいつも通り,「書ける時に書き,書けない時には書かない」といういつもの調子に戻る。これから暫くは忙しい日々が続くが,その分,日記はもっと長くなったりして(笑)。
起きました。久々に蝉の声が響く。ラストチャンスかもしれないからねぇ。涼しい曇天であるが,せめてバックグラウンドミュージックぐらいは夏らしくありたい。
どわーっ,このWeblogにloginするためのPasswordを不用意に変更してしまったぁ~。・・・いや,Reminder機能を確認しようと実行したのだ。んが,Movable Typeは,その際,強制的に以前のpasswordは変更してしまうのである。それを知らずに実行したからさあ大変。しかも,それはメールで知らせてくれることになっているが,その設定も全くしていなかったのだ。つまり,Passwordは変更され,それを知る手段はない,という状態になったのである。
どーしよーかな,またデータベースを作り直せばいいのかなあ,と思案したが,結局,たかがPerlのCGIであるから,ソースに手を入れて(省略)することで難なく変更後のPasswordをgetできたのであった。Open Source万歳! で,これを書いている訳である。
改めてソースを見たが,見事にObject Orientedな構成になっていた。良くできているなあ,と感心する。また,ついでに各種データベースもbinary editorで覗いてみたが,一応passwordやIDは暗号化されているようであった。これにも感心(当たり前か)。良くできたシステムですな。PerlでCGIするなら,このソースを読んで勉強するといいよね。自分ではやる気になりませんが。何せ,C only野郎ですので。
あ,山下達郎の番組が始まった。・・・終わりました。来週は納涼夫婦放談かあ。この気候では納涼の必要はないな。
大学生になって一人暮らしを始める際に,親に買ってもらった炊飯ジャーをいまだに使い続けている。壊れるもんじゃないし,そもそもそんなに使っていないからだろう。
その内蓋の写真↓。単にファイルアップロード機能の確認なんだけど。
カナダと合衆国東海岸で起こった広域停電について,TBSの「報道特集」が報じていた。電中研の人がコメンテータとして出演していたが,彼によれば,発電所の出力に余裕がない状態で運転しているところに,mesh構造の複雑な電力網内で発電所が相互に補う体制になっていることが複合的に重なって起きたものだという。
そうしてみると,The Internetなんてかなりワケワカで,全世界規模の恐ろしく面倒なmeshである。それでも何とかうまくやっているのは,TCPの輻輳制御機能のおかげだろう。末端のHost同士で,途中回線の輻輳に応じた流量調整を行っているおかげで,衛星回線からTerabit級の回線を含む広大なmeshが維持できている。まあこれはHostがコンピュータという高性能な制御機械だから出来る芸当なんだけど。
Gridがらみで,このTCPの輻輳制御を改良して,一定以上の帯域を維持できるようにしたいという研究が幾つか見られる。んが,これってQoSの仕事じゃないのかなあとも思うのだが,どーなんでしょうね。多数が共有する幹線部分で野放図に帯域を取りまくられても,迷惑するユーザが増えるだけだ。「帯域ほしけりゃ金払え」というのが一番シンプルで分かりやすい解決策。回線容量がだぶつき気味の今なら兎も角,キチキチに使われ出すようになれば,最終的には札ビラ切る以外の解決策はなくなる。というか,そうしてもらわないと,一般ユーザが迷惑を被ることになりかねない。
さーて,明日から仕事である。頑張るぞー。
8/16(土) 掛川-> 東京 -> 掛川
土砂降り続く。東海道線は箱根を越える辺りで運転を見合わせているようだし,新幹線も徐行運転を余儀なくされているようだ。さーて,これから東京なんだけど,大丈夫かなあ・・・折角弁当も作ったし,まずは駅まで行って,大丈夫そうならそのまま出かけてしまおう。
んでは。
で,帰ってきました。日帰り旅行。帰りのひかり165号は,Uターンラッシュにも関わらずガラガラで,わざわざ指定席を買う必要もなかったぐらい。
静岡で下車して後続のこだまに乗り換えて掛川には無事着いたが,先を行く列車に故障が発生したとかで,掛川にて足止めとなってた。東海道本線はあっちこっちで大雨のために運転見合わせ区間が発生し,駅の発車時刻案内板は「整備中」の3文字のみをむなしく照らし出すばかり。家族連れの方々がごった返す乗り換え口を横目にすんなり自宅にたどり着いちゃってすいません。
神保町三省堂本店にて購入した「<癒し>のナショナリズム」を貪り読みつつある。これは面白い本である。武田徹さんが褒めていたので気にはなっていたが,きっと難しげな内容なんだろうなという先入観があって,注文してまで読もうという気分にはならなかったのだ。今回も,「戦争論3」のすぐ横に平積みになっていなければ見逃していたに違いない。店員さんの術中にまんまと填った間抜けな私。今日中に読んじゃおうかな。
外はまだまだ止みそうもない雨が続いている。どーなることやら。
おお,GoogleのCache更新。メディアレビューとこのWeblogも更新されていた。何があったGoogle。こんなに素早く更新しちゃって,さすがにYahooやらGooやらから「てめぇんとこのデータ更新がとろすぎらぁ,なんとかせぇやすっとこどっこい」と言われたのが応えたのか。兎も角,改善されたのは結構である。願わくばこの素早さが今後とも維持されますように。
メディアレビュー更新
http://www.pas-net.jp/media/
「牢屋でやせるダイエット」「迷宮物語」「エッセイコミックの系譜(1)」を追加。
大塚英志「キャラクター小説の作り方」講談社現代新書
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-06-149646-8, \760
小難しいフィクションは苦手であるが故に,この著者原作のマンガは読んだことがない。評論も敬遠していたので,本書が大塚英志初体験ということになる。
そんなわしが何故本書を購入して読もうという気になったのか。これは題名がHow toもののように思えたからである。大塚英志の作品の作り方が分かりやすく述べられているものと誤解してしまったからである。
確かに著者はあとがきに「ハウツー本としてきっちりと書かれています。その点のみを期待して読んでいただいでも一向に構いません」と述べているが,それはちょっと難しげの「コミック原作者兼ノベルズ作家の大塚英志」個人にとってのものであり,果たして万人受けするHow to本かと言えば,明らかに違う。かなり分析的な評論家としての記述が多く,門外漢が「スニーカー文庫のような小説」全般の傾向を知る上ではこの上なく役に立つのだが,実作者が自分の内なるコスモを燃やして本書片手に突っ走っていけるかと言えば疑問だ。
それ故に,ジュブナイルなんぞ鼻でせせら笑ってしまうオヤジ・オバハンにはこの上なく面白い「評論」であった。現代新書として発行する決断をした編集者は,「ハウツー本としてきっちりと書かれ」ていることは承知しつつも,著者が本気で書いたらきっとオヤジ・オバハンに受ける評論要素が強くなることを承知の上で依頼を出したに違いない。これがオトナの世界ってもんさ。
では本気で「スニーカー文庫のような小説」を書きたい若人はどうすればいいのか? 簡単なことである。手近にある,自分が面白いと思った小説やマンガやゲームのシナリオをパロディ化し,自分のキャラクターとして咀嚼できるようになったら,そこで新たな物語を紡いでいけばよろしい。但し方法は自分で見つけること。ここが肝要。そこでのたうち回って苦しめばしめたものである。全ての経験は肥やしになるのだ。
そうして出来上がった物語を,冷静な目で見ることができるようなった頃,本書をもう一度読むと良い。どのようなパターンに類別されるのか,キャラクターの目的は大塚が言うところの「欠落を埋める」ことになっていないか,ストーリー作りの過程の思考方法は大塚のものと類似してはいないか。もしかすると目から鱗が落ちるかもしれないよ。