佐藤賢一「シャルル・ドゥ・ゴール」角川ソフィア文庫

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-400732-4, \1240 + TAX

 フレデリック・フォーサイスの「ジャッカルの日」()は,最初,原作の翻訳を夢中になって読んだものである。その後,長じて映画も見たが,これもひたすら渋い作りで,原作のフランス警察警部がコロンボの如くパッとしない中年親父にも関わらず,ジリジリとターゲットのド・ゴール仏大統領の暗殺を狙う冷酷な犯人を地道に追いかけていく。派手な音楽もなく,クライマックスの暗殺実行シーンもあっさり終わり,それがまたひたすらリアルで寂しさも感じさせるあたり,こういうのが大人の映画だなと勝手に決めつけているのである。
 とはいえ,原作を読んでも映画を見ても,今ひとつ腑に落ちなかったのは,このシャルル・ド・ゴールという年老いた背の高い大統領がなぜこうも執拗に命を狙われるのか,その理由である。もちろん,原作では説明があり,アルジェリア独立を認める大統領の政治決断に対して反発する政治勢力がテロを敢行している,ということであったが,そもそも「アルジェリア独立」がどれほどの衝撃をフランスにもたらしたのか,その辺りの時代背景を知る由もないワシの胃の腑には落ちてこなかったのである。
 そんなワシにとって本書はピッタリの参考書であった。第2次世界大戦ではフランス国土の半分がナチスドイツの支配下に抑えられ,もう半分もペタン傀儡政権がかろうじて存続しているだけということはぼんやりとは知っていたが,ド・ゴール将軍がイギリスに渡って自由政府を立ち上げて大戦末期にレジスタンスや連合軍と協力しながらフランスの解放を行い,かろうじて「戦勝国」の地位につき,国連の常任理事国の一席を占めるに至ったという経緯の詳細は本書を読むまで全く不案内であった。その後のフランス植民地の独立の機運の高まりでにっちもさっちも行かなくなったフランス政界にカムバックした救国の英雄は,大統領の権限を高めた第5共和政を立ち上げて,単なる植民地とは言い難いほど関係を深めていたアルジェリアの独立を認めるに至る。この辺の詳細は第9章「アルジェリア問題」に詳しい。なるほど,これだけ本国からの移民が深く根ざしたアルジェリア社会を切り離すのは相当な力技が必要になるなと,著者の圧倒的な筆力に唸りながら納得するに至ったのである。そりゃまぁ,反対する側としては暗殺したくもなろうというものである。

 本書は「フランス」を骨身に染みて体現していると自負している救国の将軍の生い立ちから,長年住み続けたコロンべ・デ・ドゥー・ゼグリーズに若くして死んだ娘と共に葬られるまで,過不足なく時代背景や政治状況を繰り込みながら巧みにその人生を詳述している。正直,直木賞作家なんだからフツーに角川文庫に入れてもよかろうと思ったもんだが,あんまし売れないと思われたのか,お堅い学術文庫に収められてしまった。とはいえ,鹿島茂も講談社学術文庫に納められちゃうし,学術的価値があるとなればお高めの価格で販売される所に入っちゃうのも仕方ないのかもしらん。

 とゆーことで,近寄りがたいソフィア文庫ではあるが,本書は愛国的熱血将校のフランス救国物語であるからして,安心してワクワク楽しんで読める。年末年始のお供としてふさわしい良書である。「ジャッカルの日」に連なる長年の疑問を解消できたワシからもお勧めしておく次第であります。

11/27(日) 駿府・晴

 本日は晴天なり。富士山も冬の定常状態になってきた。山頂に冠雪していない富士山は富士山ではないのである。にしても毎年毎年寒くなる時期が遅くなっていて,朝晩に薄手のヒートテックを下半身防護のために着用し,20年来のコロンボコートを羽織る程度で済んでいるというのだから,ほんとに11月下旬か? 師走は走らねばいかんというのにこの陽気では汗だくになるではないか。

2022年11月27日(日)駿府から富士山を望む

 つーことで,12月以降に走る予定を固いblogページに書き出してみた。リスト見ただけで死にそうである。それもこれも院生さんがいるせいであり,科研費最終年度であるからであり,コロナ禍でやたらめったらリモート国際研究集会に参加しまくったせいである。額縁ょ〜やりながらこのハイペース,少しは褒めてもらいたいものである。実際,論文書きまくれる時期というものがあり,この機会を除くと今後はせいぜい1年間に査読付き研究集会に1〜2件,口頭発表2〜3件といった感じになるであろう。つか,自分ではそれでも上出来,何せほとんど単著なんだし,五十路半ばになる身としてはこの程度で勘弁してほしいものである。ま,単著でも一流ジャーナル5件とかいうバケモンもおられますが,手塚治虫と単行本出すのも大変な4コマ漫画家と比較するよーなモンなので土台無茶というものである。ま,せいぜい頑張ります〜。

 せっかくサーバ移転してOS新してWordPressも順調に自動アップデートされる様になったというのにここの更新がせいぜい月一になっちゃったのは額縁ょ〜になっちゃったせいで色々愚痴ると(以下バッサリ削除)。ま,次年度からは額縁ょ〜ではなくなるので,清々しますけど,純粋だったあの頃には戻れないのよ〜返して私の清純な下っ端根性〜,らら〜。でもまぁ後腐れがなくなったあたりでバリバリ思い出話を描きまくりますかねぇ。あと10年後かしら〜。忘れてるわな。

 つーことで,今週半ばには久々の飛行機搭乗遠征。沖縄お泊まりの旅でどうなりますことやら。自分で発表しなくていいというのは気楽な様でいてちょっとハラハラもするよのね。ま,色々コメント頂いて・・・と思っていたらいきなりのトップバッターでこんなの誰も聞いてないじゃないのよ〜。ソーキそばとかチャンプルーかっくらってせいぜい楽しんでくるとしますか。コロナになっちゃったらここには書けないので色々察して下さいまし。一応,4回目接種は済ませて3週間以上経つので,最善は尽くしたわけだし。

 つーことで,次の更新は年末かしらねぇ。大御所の著作もあるし,深層学習本とかWeb本も目を通したし,傑作漫画も多数あったし,あれこれ報告したいけど,はてさて,目の回るお仕事予定の目処が立てばお気楽に書けそうなんだけど,どーなりますやら。乞うご期待。

立川談四楼「文字助のはなし」筑摩書房,山本おさむ・宮部嘉光(原作)「父を焼く」小学館

「文字助のはなし」[ Amazon ] ISBN 978-4-480-81868-3, ¥1700 + TAX
「父を焼く」[ Amazon ] ISBN 978-4-09-861503-2, ¥1287

 戸田書店静岡本店が撤退して以来、静岡市中心部に残る大規模書店は丸善・ジュンク堂静岡店しか無くなってしまった。しかもウィークデーには営業時間内に帰宅することはほぼ出来ない上、ここんとこ土日に出勤する行事が多く、今週末は久々に林立する本棚を渉猟することができ、諭吉を一人行方知れずにしてしまった。今回はその中でとても共感できた二冊を取り上げることにする。

 ワシはまごうことなき「凡人」である。
 「凡人」とは何か。その定義は「偉人」が成し得たことを悉く否定すれば事足りる。
 「粘り強く努力を「しない」」、「他人とのコミュニケーションを円滑に保つ努力を「怠る」」、「健康的な食生活を「心がけない」」、「日々情報収集に「努めない」」・・・ほら簡単でしょ。「やればできる」と思い込むことで日々の研鑽をちょっとずつ先延ばしし、イタズラに年を重ねて気がつきゃ定年までカウントダウンの年齢だ。自律的な努力をしないから、たまにやってくる幸運を掴んだとしても維持できない。せいぜい組織内で出世しないまでも自分や家族を養うだけの食い扶持を維持するだけが関の山。これが凡人であり、世の中の過半数はかような凡人によって構成されているのである。
 立川談四楼が描く兄弟子の桂文字助、宮部嘉光原作を山本おさむが無骨に描く飲んだくれの父親、大成できずに周囲に迷惑をかけまくる凡人として終わったこの二人の人生を描いた二冊は、凡人たるワシにこの上ない「納得感」をもたらしてくれた良作なのである。

 まずは桂文字助の方から触れていこう。ワシは立川談四楼師匠のツイートが好きでリストに登録してあるのだが、いつ頃からかこのダメな兄弟子についてのツイートが楽しみになっていたのである。「文字助のはなし」はそれをベースに書き下ろしエッセイとして出版されたものかと思いきや、読んでみると断片的なツイートだけでは追いきれない、ダメさの裏に隠れた事情を活写する記述の方がずっと多く、文字助関連ツイートは刺身のツマ的なアクセントに収まってしまっている。可愛がられていた築地の贔屓筋からも、「名人」と呼ばれた人格者のファンからも、そして妻子からも見放された真の事情は弟弟子からも詳らかにできていないが、結果として自らを反省することなく自己を貫いた結果、晩年にチミッとTVに引っ張り出された以外は、たいして売れない落語家,すなわち「凡人」としてその一生を老人介護施設で終えた。
 それでも,エビデンスには欠けるものの,「替わり目」の旦那の独り言のような推論を含む総括、これが本書の一番の読みどころであり,そこで一応の事情説明らしきものは行われている。よってワシの感想は下記の通りと相成った。

 もう一人の凡人である飲んだくれのDV父を、息子の視点から描いた一冊が「父を焼く」だ。父親を描いた傑作としては谷口ジローの「父の暦」があるが、こちらは実母と離婚した実父とのちょっとミスコミュニケーションを葬儀の場で解消する、穏やかな物語である。何よりこの父親は、親類縁者から信頼される誠実な理髪師として人生を全うした「偉人」なのである。
 山本おさむが無骨に描くこの父親は真反対のダメな「凡人」である。事故により目に障害を負った事は気の毒で同情はするが、子をなすに至った妻に酔っ払って暴力を振るうに至っては全く擁護の余地はない。息子がまともに成長し、鎹としてこの夫婦を繋ぎ止めた結果、親類縁者からはそっぽ向かれつつも別れずに生涯を終えることができたのだから、犯罪者にならずにすんだ凡人であることは間違いない。最期は孤独死して蠅に塗れて発見されたのもムベなるかな、息子が駆けつけて泣いてくれただけでも幸せである。
 それにしても、この読了後に押し寄せてくる納得感を伴うやるせなさは堪らない。読者たるワシの凡人力が感応しているとしか思えない。表紙に描かれた父の顔は腐敗してしまい、漫画本編で描かれる葬儀の場では見られないが、凡人が最期にたどり着いた安寧を表現しているように思える。

 親鸞が唱えるところの「悪人正機」の一端に触れたような気がするこの二冊、凡人としてはもう少しできる努力ぐらいはしておこうかという気にはさせられる一方、まぁこのまま終わってもいいんじゃないという妙な達観も降ってきた。大多数の凡人のサンプルとして、良質な記述と表現を堪能しながら、大いに共感と反省と憐憫を慈しみたい。

9/25(日) 駿府・晴

台風一過のピーカン晴れ。朝方は少し曇っていたが、午前中にはすっかり青空が広がっていた。台風14号、勢力はさほど強く無かったが、猛烈な雨を静岡県内にもたらし、9月の平均雨量の1.4倍もの豪雨を1日で伊豆・駿州・遠州にもたらしたモンだから県内のあちこちで土砂崩れやら洪水やらが頻発。送電線を支える山が崩れて静岡市中心部は昨日午前2時から停電。復旧まで十二時間を要した。経緯は以下のTweetの通りである。

静岡市停電による影響を愚痴った一連のTweet

幸い、マンションの非常用電源が唸りを上げて必要最小限の電力を供給してくれたおかげで、水道とエレベーター一機は使用でき、トイレが使えたのはありがたかったな。武蔵小杉のタワマンや福島第1原発みたいに非常用電源のある地下室に水が流れ込んで来なかったのは不幸中の幸いであった。

つーことで、本日は電気のありがたさを噛み締めながら、清水区の神さんの実家にミネラルウォーターを箱買いして運び込むことになったのである。清水区は伝統的に興津川から上水道を引いており、そこに流木やら岩石が雪崩れ込んで全区で断水になったとのこと。これも幸いなことに、神さんの実家の地区は少量ながらも水道が使えており、シャワーも使えたし洗濯もできたとのこと。それでも明日は清水区の小中学校は休校だそうで、まぁ無理もない。神さんは明日の会社がどうなってるか心配しておるが、行ってみるまでは様子が分からんわな。

ワシは明日は神戸出張だが、新幹線は昨日には復旧してたし、本日も平常運転のようなので、まあ大丈夫であろう。せいぜい富嶽の近くてくっちゃべってくるつもり。見学ツアーでもあるモンだとばっかり思って申し込んだのに何にもないんだもんな〜。つまらんっ、お前の話はつまらんっ!と言われんようにせいぜい頑張ろう。

水道と電気が使えるありがたさを噛み締めながら風呂入って寝ます。

9/8(木) 駿府→袋井→札幌・雨後曇

 台風11号が沖縄あたりで迷走し始めた時には慌てたが,一足先に日本海を駆け抜けて温帯低気圧になってくれたのは幸い。おかげで丸々二年ぶりの公共交通機関を使った出張が無事敢行できた。次の台風12号が来るのは駿府に戻ってからのようで,よほどの天変地異がなければ12日には駿府に戻れるはず。天気の神様偉い。

 コロナウイルスワクチン3回目接種が進んだところで行動制限をかけることはしないと政府は最初から決め込んでいたらしく,第7波が7月下旬から8月にかけて襲ってきたところで「各自治体は頑張ってね」モード。できれば9月から始まるオミクロン株対応のワクチン接種が進んでから代替的にGoToキャンペーンを張りたいんだろうけど,それ以前に,もう感染したところで後遺症は残っても死にはしない病気になった以上は「自助努力で頑張れ」,それより社会を正常化して経済回さにゃいかんというのが全日本国民の願いとばかりに「何もしない」という意思が固いことはよく分かった。ま,結果的に,コロナウイルス感染のカジュアル化が進展しつつあり,欧米各国より一足遅かったけど和流の「Withコロナ」生活が絶賛定着中。今年は別々にやるけど,来年からはインフルエンザ・コロナウイルス向けの混合ワクチンが出回り,年1回の予防接種に組み込まれるんだろうな。何にせよ,「コロナ禍」というムードは薄れつつある。

 ということで丸々2年ぶりですよあーた,飛行機乗ったの。当初は張り切って対面正常化モードの〇SIAM年会を北海道でやりますよと宣言したのもつかの間,第7波が来た途端に腰砕けで完全オンラインで実施となったものの,あまりの弱腰に参加予定者からのクレームが来たせいなのか,「会場は確保しておくから来たければ来れば?何の用意もしてないけど」というセミハイブリッド形式で実施と相成った。講演は全部Zoomでやるけど会場があるならまぁ出かけるかと,2年ぶりにうきうきと富士山静岡空港からANA便で新千歳空港に向かっており,現在はWiFiが外と繋がらない環境で無聊を慰めつつ日記の下書きを書いている訳である。あ,でもやっぱり新しい職場のWindows 11マシン環境は使いやすくていいな。Dynabookだし。前年までのF通のは,軽いのはいいとしてキーボードの感触がイマイチなのと,スリープ後の復帰でトラブることがままあってちょっと嫌ンなっていたのだが,特注でSSD 512GBにしてもらったDynabook Portage 30XLは,打ちやすいキーボードの感覚やタイピングの応答性が抜群である。その点F通は(以下略)。まぁ感性の違いではあるのだけれど。

 おっと,あと45分で新千歳到着という時にようやっと機内サービスとWiFi接続ができたぞ。以降はWordPressで続きを書こう。

 ・・・ということでここからはさくらインターネットに移行してご機嫌なNew MinervaのWordPressからお伝えしております。

 それにつけても,情報処理学会HPC研究会の,「意地でも対面メインで研究集会はやるんですよ」的姿勢は強いよな。9月下旬の第186回目は理研@神戸でやるんだが,第7波襲来におびえた訳でもなかろうが,2日分の講演数に達せず1日に詰め込んで実施することになったが故に(?),「講演者は全員現地集合,聴講者はリモート参加も可」という直接参加者優先のハイブリッド形式になった。前回185回目は講演者・参加者とも現地参加かリモート参加を選べたのだが,ワシ以外の大部分の講演者は直接参加しちゃったことを受けてのことなのかぁと想像。何にせよ,ワシも含めて皆さんどっか出かけたくてしゃーないのですよ。ということで,札幌から無事戻って来れれば今月下旬に神戸行きとなるわけで,富岳見学会があるものとの期待は裏切られたけど,建物の写真だけでも撮って手土産にしたいものである。

 ぼちぼち着陸態勢に入るのでいったんここで。墜落したらこれが最後のblog更新になるのかしらん。遺書代わりに公開しておくことにしよう。