吉村昭「死顔」新潮社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-10-324231-0, \1300

死顔
死顔

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吉村 昭著
新潮社 (2006.11)
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 滋味,という言葉がある。最近の文学界の動向は全く不案内であるが,奇を衒わず,それでいて「説明」ではなく「描写」を深めることによって滋味を引き出しつつ,小説という形態でしか表現できないものを著す,という吉村の執筆態度は,今も昔も,そして未来に渡っても営々として引き継がれて行くに違いないと確信しているのである。このようなオーソドックスな技法は,才能ある書き手が散々試行錯誤した結果にたどり着いたり,最初から不器用を自覚した書き手によって追求されたりするものであるけれど,それ故に,廃れることはないものなのである。吉村は多分,後者の方だろう。不器用を自覚しているからこそ,取材を重ねて史実を重んじる態度を崩さず,かといって司馬遼太郎のように思想の大風呂敷を広げることもしなかったのだ。
 その吉村の遺作小説を集めたのが本書である。もちろん,香典代わりに購入したのであるが,その死に際しての行動が「尊厳死」論争を引き起こしたこともあり,いったいどういう死に様だったのか知りたい,というスケベ根性も手伝っていたことは否定しない。本書の最後には妻である津村節子の「遺作についてー後書きに代えて」も収録されており,ワシのスケベ根性はこれを読むことで収まったのであった。しかし,本書はそのスケベ根性を叩き潰す以上の効果を,ワシの荒んだ精神に与えたのである。
 吉村の短編小説を読むのはこれが最初ではない。完全なフィクションも,伝聞に基づく元ネタが存在するものもあるのだろうが,初めて読んだ短編集には,地味だが,それなりに年齢を重ねた人間には思い当たる,「あれ?」と感じる行動を的確に描写する凄みが漂っていたのである。
 本書に収められている現代が舞台の短編「ひとすじの煙」「二人」「山茶花」「死顔」は,それ以上の凄みを感じた。ショッキングな事件が起こる作品も,淡々と常識的な出来事が連なるだけの作品もあるのだが,どれもこれも読了後には「うーん・・・」と眉間にしわ寄せて考え込まされてしまったのである。これを面白いと感じるか,地味でつまらないと感じるかは,多分人生経験の差によると思われる。芥川賞を貰い損ねたのは多分この地味さによるのだろうが,一定数以上の読者を得て世の尊敬を集めていたことと思うと,今更どーでもいいことではある。無理して派手を装って執筆させられることの多そうな現代の作家にとっては,吉村の存在は救いになっていたのではないだろうか。
 本書で唯一,未発表の歴史短編「クレイスロック号遭難」は,吉村の史実に対する真摯な態度が感じされる,吉村らしい作品である。このような歴史作品を多数執筆していながら,日本社会や歴史に関する思想を語らなかったのは,無論,歴史に対する思想がないわけではなく,下から事実を積み上げること,その営みこそが自らの思想を語ることに繋がっていたと考えるべきであろう。この路線を引き継ぐ地味な作家が,これからも大器晩成的に支持されていくことを願って止まない。
 ご冥福をお祈り致します。