[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-10-129551-4, \438
東海村のJCOで日本初,いや世界でも初めてという臨界事故が1999年9月30日AM10:30に発生した。事件のあらましは,例えばWikipediaの記事を参照されたい。
事故直後に作業に当たっていた3人が被爆し,そのうちの1人が事故から83日目に,もう1人が211日目に死亡した。本書は,前者の治療描いたNHKのドキュメンタリー番組を作り上げた取材班が著したものである。
この事故については,ワシが静岡に移った直後に起こった事件だったので,発生直後の報道はよく覚えている。政府も非常事態体制で臨んでいたし,チェレンコフ光を発した沈殿槽の臨界状態を停止させるために,政府から派遣された学者がJCO職員に被爆覚悟の作業を行わせたことも後の報道で知った。この辺りの事情の是非についての詳細は承知していないが,その後,直接この事故の原因となる作業を行っていた3人が治療を受けているということ,そのうち2人が重傷ということを聞いたときには,正直,どう反応して良いのか困惑したものである。本書のP.53の記述を読むまでは,どのようにこの83日後に死亡した方に対して「同情」していいものか,全く分からなかった。
はっきり言って,この事故は,この3人の作業によって引き起こされたものである。臨界事故が発生しかねない作業を命じたJCOの会社としての責任は当然第一に考えられるべきものだが,この作業がなければ,そしてそれが「臨界」に達することがなければこの事件もなかったのだ。つまりは「加害者イコール被害者」という図式が成立しているのである。この83日後に亡くなった方は「(事故が起きた)転換試験棟での作業は今回が初めてだった。上司の指示に従って作業を進め,臨界に達する可能性については,まったく知らされていなかった」(P.53)ために,このような事態を招いた,ということを読まされていなければ,ワシは本書を読了することは多分,できなかったろう。しかしそれでもワシの胸の内のモヤモヤは解消していないのだ。
本書の記述の大部分は,この亡くなった方の,まさしくタイトルにある通り,強烈な放射線障害によって「朽ちていく」様と,治療に当たった東大病院の医療チームの苦闘ぶりに割かれている。多細胞生物の生命現象を支える部分が破壊されて,どう移植治療や外国の専門家の助力を仰ごうにも,救いようのない事態が続発して,まことに痛ましく無惨である。それを伝えることが番組と本書の狙いであり,この目的を果たすことが出来ていることは十分認める。
認めるのだが,その上で,やっぱりワシの頭の中の「割り切れなさ」は残っているのだ。それを解消するには当然,事故調査委員会の報告書を紐解く必要があるのだろうし,いずれは読んでみたいとは思っている。
しかし,高濃度のウラン化合物を扱っている会社で,しかも臨界事故を起こしかねない作業手順が易々と実行されてしまい,それを「知らなかった」ために従順に会社の指示に従った,という事態はやはり問題である。今更言っても詮無いことだが,この時点で「何かがおかしい」という疑問が作業員に湧いていれば,事故は防げた可能性もあるのだ。放射能に関する知識がもう少し与えられていれば,防げないまでも,異議申し立てぐらいはできた可能性はあるのだ。
死者を鞭打つような文章になってしまったが,「朽ちていった命」について考えるならば,このような事態を草の根レベルで防ぐための方策,上から与えられるものではなく,自己を守るための知識を広く染み渡らせるための具体的な方法論が議論されなければ意味がない。どうしてもグローバルスタンダードという奴は,「お人好し」を食い物にしてのさばっていく傾向があり,しかも最悪の場合,知識がないばかりに人のいい人間を加害者に仕立ててしまうこともあり得るのだ。この臨界事故はまさにその典型例であり,本書はその「同情を躊躇させる被害者」を描いた,優れたジャーナリズムの力量を見せつけてくれる良書である。