[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-480-06336-6, \740
武田 徹著
筑摩書房 (2006.12)
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本書に関してはぷちめれを書くのを当分控えていようと思っていたのだが,著者本人が自身の掲示板で愚痴っていたので,ちょろっとだけ「途中経過」としての感想を述べさせていただく。
武田が
「猫の額のような自分の庭の広さに合わせてしか考えを遊ばすことが出来ないせいで、書かれているものとは違うものを読んでしまっているとしたら書き手としてはやはり残念だ。自分の尺に合わせて物事を理解してしまう悲しさはぼくも常に打ちのめされていることではあるけど」
と,blog等でなされている本書の批判に対して述べているけど,ワシも含めたそいつらは基本的には
バカ なんであって,もう少し説明すると
頭が悪い つまり
理解力が武田徹に全く追いついていない だけなんだと思う。実際,ワシが本書に付いてきちんとした意見を開陳できるに至るには,少なくともあと2回ほど,メモを取りつつ通読しないと無理だと感じている。従って,武田はネットなんぞを
ググるのはやめ,ワシらのようなバカのたわごとに付き合うことなく次回作の準備に勤しむべきである。そしてワシも含めたバカどもは,もう少し勉強してから本書に対して意見を申し述べるべきである。・・・と言いながら書いちゃうんだけど,それは本書に対する意見ではなくて,自分がどのぐらいバカであるか,頭が悪いか,理解力が足りていないか,という自己反省だと思って欲しい。
本書を読んでいて一貫して気持ち悪さを感じたのは,「公共性」に関する定義が,ワシも含めたバカども分かる形で示されなかったことである。それも第6章「「非国民」のための公共放送」を読んで少しは解消されたものの,比較対象となっているBBCの運営方法等についての予備知識がさっぱりなかったため,武田が理想とする「公共性」の定義を,その具体例や反例も含めて自分なりに整理して把握することができなかったのである。もちろん,参考文献に挙げられている
蓑葉信弘の本でも読めば何とかなるんだろうが,イージーに薄い新書でも読んで楽をしようと考えているワシも含めたバカどもにはちと荷が重い。たぶん流動性も込めて,理想とする「公共性」を追い求めるベクトルの方向にそれが見えてくる,という”GNU is Not Unix”みたいな定義なんだろうが,それもかなり怪しい理解の仕方であろう。だから,「武田の言う理想的な「公共性」って何なんだ?」という問題意識を持って,何度か本書にチャレンジしてみる必要があると感じているのである。
ただ,「NHK問題」というものがかなり根の深い,この「公共性」というものに根ざしたものであり,それ故に議論が錯綜してなんだか訳の分からない方向に流れがちである,というものであることは何となく分かった・・・ような気がする。その問題意識を持たせてくれただけでも,まあ740円の価値はあったかな,と勝手に結論を出しちゃってるんですけど,基本的にバカなんで,このぐらいしか分からなかった,と言うだけのことなんである。営業妨害になりそうな中途半端なものを流しちゃってすいません,武田さん。