谷川史子「くらしのいずみ」ヤングキングコミックス

[ Amazon ] ISBN 978-4-7859-2909-1, ¥543
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 漫画家がデビューする場に居合わせる,ということは僥倖である。ましてや,その漫画家が長期に渡って活躍し,ワシの人生と共に歩んでくれるとなれば,バーチャルではあるが,一種の戦友という存在になる。もちろん相手はそんな一ファンのことなぞ知るはずもないから,当方の思いこみに過ぎないのだが,ワシにとっては特別な存在であることは確かである。谷川史子はそんな数少ない存在の一人なのである。
 彼女のデビューの場は集英社の大メジャー少女まんが雑誌「りぼん」だった。「ちはやふるおくのほそみち」という,初々しい少女が描くにしてはオバサンくさいタイトル(小林信彦の小説からの借用か?)の漫画で,古文教師の兄貴を慕う妹の仄かな愛情を,ちょっと荒っぽく,それでいて繊細なカケアミを多用した絵で描いた,不思議な雰囲気の作品だった。ワシは今でもこのデビュー作を含むこの時代の谷川作品が一番好きである。
 りぼんに限らず,集英社という出版社はメジャー路線の王道を突っ走っているにも関わらず,結構,作家性の強い,マニアックな漫画家にデビューの場を与えることを厭わないところがある。個性もまたメジャーに駆け上がるための強力な武器ではあるから,「面白い」と思わせるものを持った若者にはとりあえずツバを付けておこうということなのかもしれない。夢路行も雑誌は違うが集英社の雑誌「ぶーけ」で育っている。谷川も,りぼんの主軸として大ヒットを飛ばすという程ではないが,そこそこの人気を保ち,コミックスを何冊か出した後,ちょっと迷走気味だった集英社の少女まんが雑誌再編成の中でもまれ,マーガレットやぶーけの後継雑誌などで個性の強い作品を描き続けてきた。そして集英社から他社の雑誌にも活躍の場を広げ,この度,少年画報社というメジャー指向を持っていないわけではないだろうが,ぶっちりぎりのマイナー出版社からコミックスを出すに至ったのである。
 しかし谷川は,どこの雑誌でも,どこのコミックスでも,相変わらずの作品を描き続けている。そしてその頑固職人ぶりはヤングキングコミックスでも変わることはなかったのである。
 谷川史子は,一貫して「幸せなカップルの風景」を描いている。しかし決してワンパターンではない。華やかで初々しい画風なのでみんな同じに見えるかもしれないが,ストーリー構成にはかなり変化が見られる。本書は本人曰く「夫婦者しばり」の短編が7つ収められているが,物語の多様さは読む者を飽きさせることがない。ワシは出張先の名古屋でこれを買って読んだのだが,山のような仕事を抱えているにも関わらず,それらをほったらかして本書に耽溺してしまったのである。いや,確かに現実逃避の一環であることは否定しきれないが,四十路目前のオジサンにつかのまの「幸せ」をもたらしてくれたことは事実なのである。
 ワシが一番ぐっときたのは「4軒目・矢野家」の物語だ。一言でまとめると,奥さんを亡くしたばかりの若い男の回想記なのだが,二人で過ごしてきた幸せな日々の回想がサンドイッチのようにストーリーに挟み込まれている。現実と回想のギャップによって読者の感情をひっつかむ仕組みになっている訳だが,これが職人芸的にうまい。ワシはすっかりやられてしまったのである。
 ヤングキング OURSという雑誌は,間違っても女性をメインターゲットにした雑誌ではないはずだが,永遠の少女(by 石田敦子)・谷川に,どう見ても少女漫画にカテゴライズされる作品を連載させるというのはどういう意図があってのことなんだろう? 犬上すくねという成功事例にあやかったのか,破れかぶれなのか,マイナー出版社の考えることはさっぱり分からない。分からないが,確かなのは,谷川史子という希有な作家に活躍の場を与え,傑作コミックスを出版した,ということだけである。これがヤングキングの行く末にどれほど良い影響を与えるのかは定かではないが,日本の漫画文化に一定の寄与をした,ということだけは間違いのない事実なのである。