7/23(水) 掛川・晴

 お暑うございます。梅雨明け以来,ずーっと暑い日が続いている。こういう時には閉じこもっているに限る。ヒッキー体質のワシにはピッタリな気候ってことですな。
 ままごとみたいなサーチエンジンシステムに検索IF(PHP)を取り付けて,MeCabをかませて自然言語処理に見せかける処理を行っているのだが,Windows環境だと,popen関数を使ってコマンドラインから

echo $keyword | mecab

とやって$keywordに入ってい文字列をMeCabに渡すようにしている。PHPのMeCab用ライブラリは既にあるようだが,まあ今のところ,処理速度にあまり拘っていないのでこの程度で何とかなっている。
 ただ,echoはShift JISしかマトモに扱えないようで,UTF-8を処理するようにしてあるMeCabにUTF-8の$keywordをecho経由で渡すと一部文字化けを起こす(例えば「静岡県袋井市」を渡すと最後の「市」が分割されてしまう)。
 仕方がないので,Win32 binaryのnkfを拾ってきて,$keywordはShift JISに変換しておき

echo $keyword | nkf –utf8 | mecab

と3段構えで渡すようにするとうまくいった。・・・が,いくらなんでも能率が悪すぎるので,いずれは改善が必要となろう。
 明日は一コマ目から試験監督なのでもう寝ます。

色摩力夫「フランコ スペイン現代史の迷路」中公叢書

[ Amazon ] ISBN 4-12-003013-X, \2000
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 そーいや,スペインにフランコという独裁者がいたな,と気が付いたのは,昨年(2007年)のいつだったのか。八重洲ブックセンターでウロウロしている時にはたとひらめき,「フランコ,フランコの評伝はないか」と店内のデータベースを漁ってみたら,ヒットしたのがこの一冊。もはや在庫処分待ちという古ぼけた本の谷間にこれが残っていたのを見つけ,早速購入した。が,その後しばらくをパラパラとはめくるものの読了には至らず,ネチネチとベッドサイドの机に置きっぱなしになっていたのだが,今年(2008年)に入って軽度の鬱状態になり,逃避行動を取る中で本書にチャレンジ,時系列でフランコの事績を描き出した重厚かつ簡潔な記述に引き込まれ,一気果敢に読了してしまったのであった・・・が,ワシのは悩みは深くなるばかりで,ますますフランコという人物が分からなくなってしまったのである。
 ↑を読んでもワシ以外の人間には何が何だかさっぱり経緯がワカランだろうから,以下ではも少しかみ砕いて説明することにする。
 高校で世界史を取ると,今はどうだか知らんが,ワシが高校生の時は第二次大戦終了直後で授業は打ち切りとなっていたものである。従って,授業の終盤で習う第二次世界大戦における枢軸国(ドイツ・イタリア・日本など)と連合国(イギリス・アメリカ・ソ連・中国など)の勢力図は大概頭に残っている。その勢力図には,ユーラシア大陸の西のはじっこ,イベリア半島に,塗り分けされていない空白地帯があった。これがフランコが独裁者として君臨していたスペインである。そしてフランコと言えば,ヨーロッパファシズムの一角を担っていた極悪人ということになっている。・・・ん? ファシストの独裁者の癖に,世界大戦中はドイツ・イタリアに与せず,中立国? どーゆーことなんだろう?
 ・・・というのが,「フランコという独裁者がいたな」と気が付くまでの経緯である。
 しかしこのフランコという人物,どうにも分かりづらいのである。例えば,水木しげる「劇画ヒットラー」(ちくま文庫)には1940年にフランス・スペイン国境近くのエンダヤ(水木著ではアンダイエ(仏語読みかな?))で行われたヒットラーとの会談が描かれている(P.215)。ここでフランコは,(スペイン内線による疲弊のため)スペインは他国と戦争が出来る状態ではないことを述べ,ノラクラとヒットラーからの参戦要求をかわしている。
 が,本書によればこれは事実ではなく,会談後に外相間で取り交わされた議定書は,むしろドイツ・イタリアとの枢軸同盟への参加の意思表示に近いものだったという。また,フランコもこの会談の時期までは,破竹の勢いでフランスを屈服させたドイツに傾いていたようだ。しかし,この会談後にフランコの政治的参謀となったカレロ・ブランコの超合理的な「政策メモ」(この後も度々フランコの政治的指針となる)の指摘により,フランコは枢軸同盟への参加を徹底して引き延ばすようになり,結果として中立国としての立場を維持することに成功した。うーん,独裁者にしては日和見的な態度である。
 日和見といえば,独裁者に駆け上る契機となったスペイン内戦(1936年~39年)への関わりも,本書によればフランコの自発的なものではなかったようである。植民地モロッコで軍事的才能を発揮していた彼を,人民政府に対抗するクーデター首謀者側が引っ張り出した,というのが真相らしい。結果,内線の中で権限を一手に握ったフランコは独裁者としての地位を獲得し,内戦にも勝利してスペイン全土を掌握するに至るのである。うーん,ナポレオンがフランス革命のドサクサで担がれて皇帝になっていく過程とよく似ているよな。結局,乱世の中では洋の東西を問わず,秀でた軍事能力を持つ者に権力が集まっていくものなのであろう。
 フランコの日和見的態度は,大戦後のスペインの地位を高めるのにも大いに役立っている。腹心カレロ・ブランコは大戦後の世界秩序が米ソ冷戦という構造になっていくことを冷徹に見抜き,フランコに提出した政策メモで,亡命した人民政府側の勢力を弾圧したところで,共産主義の招来を恐れる西側各国はスペインを非難こそすれ,実効的な圧力をかけてくることはないから気にするな,と助言する。外交官である著者も「シニカルな文書と見えるが,その洞察力は認めざるを得ない」(P.242)と舌を巻いている。こうしてフランコは独裁的政治を維持しながらも,政権内部では権力闘争のバランスの上に立つ「調停者」としてふるまいながら,スペインに高度成長をもたらすのである(1960年代)。正確に言えば,経済政策に全く疎いフランコが,カレロ・ブランコ率いるテクノクラートの政策を丸飲みしたことによるものらしいが,それを許容する独裁者ってのも度量が広いというのか,単なるボンクラなのか・・・。
 こうして全く楽しくなさそな独裁的権力を維持しながらも,フランコは自分の後釜となる政体を,スペイン内戦前の「王国」に戻すよう計画していたというから,ますますこちらは混乱させられる。千年帝国を夢見たヒトラーとは正反対の現実主義者であったフランコは,カレロ・ブランコの案に従い,徐々にファン・カルロス一世を次期国家元首とすべく体制を整えていくのである。結果,フランコが危篤になるや権力が国王に委譲され,スペイン「王国」が復活したのである。その後は議院内閣制の立憲君主国家へ移行,スペイン内戦時からは想像も出来ない程のスムーズさで独裁国家から脱却したのだから,何というか,見事としか言いようがない。
 こうなると,フランコを単なるファシスト独裁者呼ばわりするのは「何か違う」感じがする。透徹した合理性を愛したという以外,首尾一貫したイデオロギーはなさそうだし,あからさまな抵抗勢力は弾圧しながらも,部分的に選挙を行うなどして民意を確認しながら各勢力間のバランスをとり続け,次の世代へのバトンタッチをスムーズに行うための体制作りに勤しんだのだ。・・・一体全体,何が面白くて独裁者になっていたんだろうと首を傾げてしまう。ホントーに独裁を楽しんだんですか,フランコさん?
 本書の副題は「スペイン現代史の迷路」となっている。これは,フランコの歴史的歩みを学問的にカッチリ押さえて重厚な記述を行った著者をして,フランコ時代をどのように捕らえていいものやら判断が定まらなかったという意味が込められている。いや確かに,独裁的権力を維持しながら合理性を追求するという訳の分からなさは迷路なんてモンじゃない,「迷宮」と言いたくなるほどである。しかし,参謀役カレロ・ブランコと,彼を重用したフランシスコ・フランコのコンビが愛したこの「訳の分からなさ」が,政権を長期に渡って維持する原動力となったことは本書によって明らかになったのである。しかしそれでもなお,フランコという人物がもたらした筈の,この長期独裁政権の根本的原因がどこにあるのかは今持って不明であり,それ故にフランコ時代の位置づけも宙ぶらりんになっているのだ。
 本書は優れた学術書であることは疑いない。にも関わらず,対象が「フランコ」であるが故に,事実関係以外のものが見えてこない。これは一種の「芸術」である。
 そう,本書はフランコ独裁そのものが芸術的な「訳の分からなさ」に彩られたものであることを明確にしたという意味で,貴重な一冊となっているのである。

秋山祐徳太子「天然老人 こんなに楽しい独居生活」アスキー新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-04-867241-2, \752
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 独身生活が長かった噺家・柳家喬太郎の新作落語「いし」には,主人公のひとりものがタオルで顔を拭いた途端,その臭さに気が付いて鼻を曲げる描写がある。「タオルが臭い」というのはズボラなワシにも覚えがあって,そもそもタオルはシャツやパンツのように洗うべきモノと認識していなかったことによる,男性ひとりものの典型的な失敗例なのである。
 もう一つ,家事に疎いひとりものが引き起こす失敗例に,「脱水し終わった洗濯物を脱水槽に入れたまま放置プレイ」というものがある。これは一度やったら二度とやらかすまいと心に誓うほどの悲劇だ。何せ,洗い立ての洗濯物が洗う前より臭くなってしまうからである。しかも,タオルなら一枚だけだが,洗濯物全体が臭気に覆われてしまうのだ。タダでさえ加齢臭が気になるお年頃のワシら中年男が,自らの怠惰によってお気に入りの衣類をアンモニアの固まりにしてしまったのである。臭い男が臭い衣類を着て町中を闊歩する様を思い描いてみたまえ。悲しいどころではない,社会の大迷惑である。奥田民生なのである。
 秋山祐徳太子はこの大迷惑をやらかしたとのことである(P.21~「独身行進曲」)。ただ,単なるギャグネタとしての迷惑話ではない。その時には「臭いシャツ」をきちんと指摘してくれる方々が周りにいて,すぐさま替えのシャツを持ってきてもらってそれに着替えたという,ひとりものをフォローする心暖まる(そうか?)美談になっているところがいい。
 本書は美術家・秋山の短いエッセイ集をまとめたものだが,副題が「こんなに楽しい独居生活」となっている通り,かなりその「独居生活」,つまりひとりもの生活はアッパーである。本人が無理して明るくふるまっているという風ではない。かといって,少ない年金を貰いつつ,都営住宅に住むという生活を卑下して笑い飛ばすという訳でもない。多くの友人知人ご近所さんと真っ当な社会生活を営み,時にはダリコパフォーマンス(本書帯のポーズがそれ)を結婚披露宴で演じたりする,そんな日常をカラッとした筆致で描写しているのだ。だからもちろん,人様に「独居生活」を勧めたりする愚を犯したりはしない。ましてや,独居していないまっとうな家族を非難したり拗ねたりはしていないのだ。今から思えば,かの酒井順子ですら,うまくオブラートに包んで誤魔化してはいるものの,自身が独身であることの自己肯定を語りたい欲望が溢れていたように思える。それに比べると,著者が齢70を超えているせいもあろうが,本書にはそんな自分勝手な主張は皆無である。
 それ故に,巻末の赤瀬川原平との対談を含めて200ページに満たない本書を読了した後の爽快さは際立っている。私は日々こんな「独居生活」をしています,というだけの,シンプルでアッパーな語りをまとめた薄い新書は,鬱々とした日本社会に清涼な空気を運んでくれる扇風機のような存在である。

7/18(金) 掛川->浜松->掛川・雨後晴

 午前中は,梅雨の最後ッ屁のようなシトシト雨。その後,雲は去らず気温だけが上がり,熱帯雨林かと思うような湿度になり,午後になって日が照って更に暑くなる。気分が悪くなりそな一日。明日は涼しくなって欲しいもの。
 どわぁ~,FFTの計算法を解説した後で学生さんから指摘されて気が付いたが,符号間違えたぁ~。逆FFTの解説になってしまっていたのであった・・・ま,アルゴリズムは一緒だから害は少ないがそれにしても・・・と落ち込む。定期試験後にはupしてある資料を直しておこうっと。ああみっともないったらありゃしない~。
 ワシは非常勤講義があったので失礼したが,他の先生方は明日のオープンキャンパスの準備で大わらわだったらしい。ご苦労様でございます・・・って,ワシもPCのセッティング(18台分)ぐらいは学生さんに手伝ってもらって事前にしましたがね。
 もう導入されたから,ばらしてもいいだろう。このPC,某H社と某D社の綱引きが凄くて,発注が完了するまでワシは電話とメールのサンドイッチ状態になってしまったのであった。どうやら対抗馬がHとDだとワシが正直に両者に言ってしまったのがまずかったようで,もう細かく価格調整を何度もやらかしてくれるもんだから,いつまで経っても決まらず,もう勘弁してくれぇ~状態になってしまった。
 何とか最終的にはHに決まったが,それもごく僅かの差。一押しすれば,Dもそれ以下の価格で出してきた可能性もあった。・・・しっかしさすが世界でシェアを食い合っている2大メーカーだけあって,火花が散った営業合戦でありました。ディスプレイが某石川県のPC周辺機器メーカーの老舗(昔,旧労働省補助金関係の電話をかけたら怒られたっけか)になってしまったのが悔やまれるけどね。腐ってもCore2Duo + nVidiaのスリムケースだから,ま,良しとしますか。
 メンドクサイ計算問題を出して,模範解答を作るのに手間取っている自業自得なワシ。今日はもう寝ますぅ。

7/17(木) 掛川・?

 本日は一日中,オープンキャンパスの準備。すんなり終わるかと思ったが甘かった。まあそれでも4年生の助力で何とか乗り切れそうなところまで準備は終わった。後は任せた。
 もー,溜まりに溜まったぷちめれネタを片づけたいのだけれど,書いている暇がない。ともかく明日の講義3連荘と次の日のオープンキャンパス初日を乗り切らないとなぁんにも出来ませぬ。も少しお待ちを(って誰が待っているのか)。
 とりあえず,予定だけでも書いておこう。当てにしないでお待ち下さいませ(だから誰が待っているというのか)。
 長谷川武光・他「工学のための数値計算」数理工学社(もらい物だけど,書くと約束したので。が,まだAmazonにも出版社サイトにも情報なし,売る気ないの?>数理工学社・サイエンス社)
 色摩力夫「フランコ スペイン現代史の迷宮」中公叢書(逃避しながら完読させられちゃった力作)
 阿刀田高「松本清張あらかると」光文社知恵の森文庫(同上。ワシは松本清張のファンじゃないんだけどね)
 秋山祐徳太子「天然老人 こんなに楽しい独居生活」アスキー新書(親会社の株主になったことでもあるし,独身モノとあればとりあえず読む)
 いしいしんじ「三崎日和 いしいしんじのごはん日記2」新潮文庫(愛読シリーズなので即買い,即読)
 あ,内田先生のblog,いつの間にやらコメント機能が切られてしまっている。まあ,本文とはまるっきり関係のない低レベルな議論が起こったりしていたからなぁ。閉じられるのもやむを得まい。
 うちも開設以来,コメントはおろか,トラックバックも受け付けないようにしているが,欲しいと思ったことはないなぁ。onにしてもいいんだけど,何の反応もせずほったらかしにするぐらいならない方が誠実か,とも思うので,当分はブアイソblogとしてぼちぼちやっていきまする。
 あとちょっとなので,もう一頑張りしてから寝ます。