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関口知彦・鈴木みそ「マンガ 物理に強くなる」ブルーバックス

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-257605-5, \980

 丸善丸の内本店とか三省堂本店とか八重洲ブックセンターのようなでかい本屋に出かけると,必ず理工系の棚を眺めることにしている。以前はIT関係の棚も見ていたのだが,プログラミング関係の情報は古いものやWebで事足りるので,行かなくなってしまった。だから今は理工系,特に数学関係の所のみを見るようにしている。大学院修士の時から今までずーっと続けている慣習だから,もう15年ほど,定点観測をしているわけだ。
 その結果,次のような変化が見受けられる。ま,あくまで私見ですけどね。
 1.「やさしい」「初心者(初学者)のための」というタイトルが増えた。まだマスマーケットが存在する層に売り込むべく,内容のわかりやすさを競うようになっているらしい。「マンガで読む」ものが増えたのも,そのせいだろう。
 2.微分積分,線型代数の入門書が多いのは相変わらずだが,もっと低レベルの高校数学以下の内容をフォローするものと,統計学(確率も含む)の入門書が格段に増えた。統計については,ExcelやRのように使いやすいツールが登場して当たり前のように大量のデータの解析ができるようになったという環境の変化が寄与しているのだろうが,それ以上に,微積分・線型代数のように計算主体ではなく,統計的「概念」の理解が必須であるという事情が大きいように思われる。計算はソフトでなんぼでもできるけど,計算結果が何を意味しているのかが読みとれないようだと話にならないからね。
 さて1についてだが,こと「マンガで読む」入門書に関しては,概念理解の手助けはできても,他の分野への応用が可能となる,ある程度深い理解を得ることは相当難しいのではないか,と思うのである。
 断っておくが,ワシはいわゆる学習マンガが大好きで,内山安治や篠田ひでおが執筆していた学研のシリーズはほとんど揃えていたし,今でもあさりよしとおの「まんがサイエンス」は愛読している。そのワシの経験から言って,結局,この手のマンガ入門書はワンテーマの概略理解には極めて有効だが,本格的学習には全く使えないもの,と言わざるを得ない,とっかかり以上の効能が望めない代物なのである。
 何故か? それは他の「やさしいなんちゃら」も含めて,優しく語れる部分だけを抜粋して編んだ本であるからであって,そんなもん,ワシに言わせりゃ,それなりに専門教育を受けた,人並みにプレゼン能力のある人間なら誰にでも書ける代物に過ぎないのだ。マンガ入門書にしても,日本の優れたマンガの表現能力と学習マンガのノウハウの蓄積を持ってすれば,どんな内容であれ,読みやすいものに仕上げるのはそれ程難しいことではないだろう。むしろ,原作がヘタレであっても,優れたマンガ家が付けば,よりかみ砕いたネームに仕上げてくれる訳で,制作するのは普通の入門書より楽かもしれない。何にしろ,基本的に,この手の入門書はワンテーマ理解の手助けをしてくれるもの,と割切って楽しむのが吉である。
 残念ながら,この教祖様の5年ぶりの新刊も,その「ワンテーマ理解の手助け」の域を超えていない。少なくとも第7章までは完全にそうだ。古典力学の基本中の基本の解説の域を出ていない。いくら教祖様が「物理は難しくありませんよ」(P.273)と力説しても,「そりゃ難しくないところだけを解説されてもねぇ・・・」と苦笑するほかないのである。なかなか「とんでる力学」のような,一見やさしい語り口ながら,もんのすごく高度なことを解説している本というのは現れないものなのだ。
 ・・・とまぁ,本書から得られる物理知識の「量」だけで言えば,こういう身も蓋もない結論になってしまうのだが,じゃあ本書は物理のとっかかりで躓いている高校生にだけ有用なものなのか,というと,実はそうではなかったりするのだから,教祖様の漫画力はさすがというほかないのである。
 どこが違うのか。それは一通りの解説を終えた後,第8章で起こるキャラクター同士の議論が象徴している。あまり詳しく述べるとネタバレになって教祖様の家計を逼迫させかねないので概略だけにするけど,ここでキャラクター達は第7章まで営々と積み上げてきた学習の「方法」の正否ついての議論を展開するのである。各キャラクターの意見そのものは常識的なもので,この手の議論は昔も今も展開されている手垢の付いたモノであるけれど,このあとの2章で一気に特殊相対性理論のとっかかりへ進んでいくための跳躍版の役割を果たしているのである。従って,この8章以降では,本書が示している知識の内容全体が,壮大な物理学という学問の,ほんの初歩にすぎないということを,著者自身が吐露していると見ることができるのだ。
 本書の見所はもう一つ,物理学をメタ的に見た視点が最初の1,2章に入っていることである。「日常感覚を疑え」「常識を疑え」(P.45)と読者に迫るところは一番迫力があって感心させられた。つい最近も日常感覚「だけ」に基づいたトンデモ相対性理論批判本があったけど,本書がもう少し早く出ていたら,このトンデモ本の著者も恥じ入って出版を取り止めたかもしれない。学問の重要なポイントは不要な「直感」を排除して「正しいスジ道」(P.36)を追い求めることにある,ということを知らしめてくれる本書は,高校生のみならず大人にもお勧めしたくなるものなのである。
 コンピュータが我々の日常生活に完全に溶け込んだ昨今だからこそ,人間に求められるのはそれを使いこなすための知恵である,と,誰でも言う。しかし,その知恵を学習するための書物は,残念ながら大量の入門書が溢れる現状ではあまり多くない。そんな中で,本書は知識レベルでは入門書の粋は出ないが,「知恵」の部分はメタ的に重要なことを教えてくれている貴重なものと言える。前作「マンガ 化学式に強くなる」はおぼこい理系クンに迫る女子高生の恋愛マンガとして楽しめたが,化学入門書としては・・・というところがあったが,今回はお色気ゼロで,純粋に「学習」するためのマンガとしてチャレンジしており,前作よりも売れ行きはともかく内容としては,高校物理の基礎を知るだけでなく,それを学ぶ際の態度も同時に学べる分,よりお勧めできるものとなっている。
 さて,化学,物理と来れば,次はやっぱり生物,ということになるのだろうが,何せ本書は前作から5年かかっての書き下ろしだから,この分では次作が出るのは相当先になること間違いない。それならいっそ,どっかの学習雑誌かマンガ専門誌に連載してもらえないかなぁ,と思う。どーせ部数激減,商売になる単行本のストックとして機能しているのが今の雑誌の状況なのだから,マンガ専門誌でも「マンガ 生命現象に強くなる(仮称)」を掲載する価値は十分にあるだろうし,何せ書いているのが「」の著者だ。ストーリーも面白くなるだろうし,何より定期的に掲載していけば,何年も待たされることなく次作がまとまるに違いない。さてどっか話に乗ってくれませんかねぇ。講談社も,どーせ雑誌の整理をするのなら,この手の学習マンガを掲載するものを作ってくれてもいいように思う。
 いっちょ,やってみませんか?>講談社様

T.Kouya

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