9/9(火) 掛川・?

 うひぃ~,な~んにも進んでないよ~>夏休みで完了を予定していた仕事
 頑張らなきゃ~・・・と言っているだけで進まないのであった。
 という怠惰なワシに天からの鉄槌が下ったのか,このサイトを置いている仮想サーバが丸ごとダウンした。証拠品↓→障害報告
serverdown20080909.png
 昨年10月も同じ状態になったのよねぇ・・・また「あいつ」のせいか,と思うとイヤンなる。こんな面倒な店子は早く追い出しちまえよ,と思うが,まー難しいんだろうな。そんなことよかこちら側がサッサとSuite Pro V2に移行すべきなんだよなぁ。10月にえいやっと申し込んでしまおうか・・・と思案中。
 風呂入って寝ます。

9/8(月) 掛川・晴

 夏休みに休日出勤が増えたせいで,帳尻あわせの休日が増えて困る。本日も実はお休みだったのだ。ま,皆さん出勤されてましたけど。ついでに仕事まで頼まれちゃったですけど。いいんですよ,ええ,どうせひとりものですし。ええ,全く関係ありませんけど,言ってみたかっただけなんですよ,拗ねてますよ,いじけてますよ,ええ。・・・何か?
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 ↑職場の裏山。あーきのゆうひぃ~のぉ~,てぇ~るぅ~や~まぁ~もぉ~みぃ~じぃ~・・・という雰囲気じゃないね。まだ夏真っ盛りって感じの気温とセミの合唱。もっともセミの種類が変わってますけどね。8月に比べれば静かになったよなぁ。
 ああ・・・円天関係の人だったのか(朝日新聞)。まー,金と肩書きをバーター取引した報い,などとは言わないけれど,KOのセンセーの肩書きを与えるんなら「身体検査」はしっかりやっておく必要はあらぁね。うん。
 何を言いたいのかよく分からない社説(読売新聞)。あ,Google 10周年にかまけただけか。注意深く「ググれ」と言っているようだが,よっぽど書くことがないらしい。ネタ切れ?
 個人的には,とりあえず何か調べ物をする時にはググってほしいんだけどね。ググりもしない超めんどくさがりのアホが多すぎるってばさ。考えるのはその先だよ,うん。
 「理系クン」売れ行き好調なようで何より。第2巻,楽しみにしています。やっぱり絵の魅力が,近年のエッセイマンガの中ではダントツに高いんだよねぇ~。
 ちなみにこの記事,早速検索可能になってます。へー,Googleでトップページ(2008-09-08時点)なのはいつものことだけど,Yahoo! Japanでもトップページ(2008-09-08時点)に出たのって初めてじゃないのかな?
 風呂入る前に,もう一頑張りします。

高世えり子「理系クン」文藝春秋

[ Amazon ] ISBN 978-4-16-370510-1, \1000
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 本書を読みながら,ワシは推理していたのである。表紙に登場する二人のカップルが通っていた大学はW大かKO大か?・・・と。「分散処理記述言語のランタイムを作っていた」(P.17)とか「ベンチャー」「FreeBSD」という(P.32)という言葉からして,どーも雰囲気としてはKOっぽい,というのがワシの一応の結論なのだが,違っていたらごめんなさい。しかし分散処理記述言語って華々しい成功を収めたモンが少ないよな,結局今でもMPIとかPthreadとか良くてOpenMP,ヘタすりゃ今でもソケットライブラリレベルからシコシコ書くしかないんだからメンドっくせぇ~・・・はっ,イカンイカン,ついついワシも「理系的妄想」に填り込んでしまった。本書はそーゆー「妄想くん」,イマドキの恋愛テクニカルタームで言うところの「草食系男子」を彼氏に選んだ文系女性の「未知との遭遇」を描いた傑作エッセイマンガなのであるからして,ここは一つ,ぐっと理系専門用語を使うのを抑えて内容の紹介に努めることにしたい。
 作者の高世えり子を知ったのは創作系同人イベントの草分け,コミティアのWebに掲載されたエッセイマンガである。一目見て,これはプロ級だなぁと思っていたのだが,やっぱりプチコミでデビューされていた方だとWeb経由で判明した。コミティアの新人発掘能力の凄さを改めて思い知らされたわけだが,まだデビューから日が浅いので,単行本が出るのは随分先なんだろうなぁ~と思っていたところ,本書が8月に出版されると知り,先頃ようやく入手できた次第である。しかし,デビューした小学館とは別の,しかもマンガではコミックビンゴの蹉跌以来,殆ど新刊を出してこなかった文藝春秋から出たという経緯がよく分からない。ご存じの方教えて下さい。
 それはともかく,本書は目出度く旦那様となられた「理系男子」との恋愛記録であると同時に,大学入学まで接することのなかった人種の有り様を学んでいく「学習マンガ」でもあるのだ。しかし・・・いや,齢40にもなれば分かってはいるものの,ワシらのようなタイプの「理系クン」がそれほどまでに特殊な,そして世の失笑を誘う特性を持っているとは,若い頃には想像もしなかったのである。世の女性方には伏してお詫び申し上げる次第である。しかし,近頃は「草食系男子」なる存在が認知されつつあるようなので,その一類型として寛容に扱って頂ければ,それなりに日本社会の維持と,女性方の幸福な(?)夫婦生活の構築にはお役に立つに違いないのである。だから・・・オールド「理系クン」であるワシとしては,是非とも本書が世の女性達の啓蒙書として広く流布されることを願わずにはいられないのだ。
 「理系クン」の特性については,既に「プログラマの妻たち」(ビレッジセンター)や,マイコミ「理系のための恋愛論」である程度認知されていると思うのだが,おもしろおかしく描いてくれる著者の実体験エッセイマンガは恐らく本書が初めてだろう。しかもハッピーエンド。よって,世のオクテな理系クン達には朗報・・・とすんなりいけば,ラッキーだ。しかし逆に,世にはびこる女性たちの持つ共同幻想を打ち砕いてしまい,理系クンから手を引いてしまう結果になりはしないか?・・・という,一抹の不安を拭えないのだ。
 帯の文句にある「理系クンは浮気をしない」云々の格言は,本書に挟まれる「理系クン観察レポート」から抜粋されたモノであるが,宣伝文句としてはしゃーないとはいえ,いいとこだけをより抜きすぎているきらいがある。実はもっと沢山のネガティブな特徴を高世は見抜いているのだ。曰く,
 ・「女性の欲しいモノが分からない」(P.85)
 ・「女性への免疫がない」(同)
 ・「いつも忙しい」(P.130)
 ・「メールが事務的」(P.151)
等々。これらは全て実際に高世が経験し,本書に描いたマンガから得られたものであり,ワシから見ても,ただ一項目を除けば,正しいものばかりである。もちろん,女性と接することでこれらの欠点を補正できる奴も皆無ではないが,大部分は修正できないまま人生を終えることになるのだ。これはつまり,そういう人格を育んでしまう学問的な特性があるからとも言えるが,ワシが見る限り,高世が挙げた37の項目に当てはまる人間的素地がもともと備わっていた奴が「理系クン」になる,という方が正しいように思われるのだ。
 だから! ここは世の女性達に声を大にして言いたいのだ。「理系クン」を根本的に矯正することは不可能であり,こーゆー輩と人生を共にしようというのなら,高世が辿り着いた一種の「諦念」が不可欠である,と。あとり硅子が作品を通じて発していた,あの重要な観念を持たねば,理系クンとのお付き合いはできないが,しかしその引き替えとして,平穏無事な家庭を長期に渡って(恐らくは「死が二人を分かつまで」)維持することが可能となるのである。ここの所をきちんと読み取って貰えれば,女性の「私に奉仕してくれる一方の男」なる共同幻想を砕いてくれる共に,理系クンの価値を認識して貰えるはずである。諸刃の剣だが,ワシは後者の効能を期待したい。
 惚れた振られたを繰り返す波瀾万丈の人生を選択するのもアリなんだろうが,恋愛期間中からDVに走る男にとっつかまる危険を冒すことが果たしていいことなのかどうか。どーも酒井順子はそれが原因で「負け犬」になってしまったようなのだが,人生のどこかで「理系クン」っぽい男を,「宇宙人」などと毛嫌いせずに諦念を持って受け入れていればあんなベストセラーを書くハメ(?)にならず,平穏無事な人生を送れたろうにと思うのである。反面,高世は,もともと理系クンを受け入れる性格的素地があったとは言え,彼とのつき合いを通じて理系クンを学習し,早々と二十台でゴールインした上に,その学習成果をネタとして咀嚼し,魅力的な絵で本書を書き下ろすことに成功したのだ。ワシとしては更にこれが「負け犬の遠吠え」並に売れることで,理系クンを含む「草食系男子」の価値を喧伝する効果が高まることを期待するのである。
 ちなみに,ワシが「違うな」と感じた理系クンの特徴の一つは
 ・「自分の分野の専門用語を説明しないで一般人に使う」(P.39)
である。まあ若いうちにはそーゆー奴も中にはいるんだろうが,専門外の人たちへのプレゼン能力が求められる昨今では,それなりにかみ砕いた説明をしなければならない機会は増えているので,難解なテクニカルタームは極力回避するように訓練されている筈だ。高世が面食らったP.26~27の理系クンの解説,実はかなり「かみ砕いた説明」になっているので,この辺誤解なきように。更に言えば,それを心がけているこの理系クンことN島さんは,かなりコミュニケーション能力が高い方なのだ。その辺りも,世の女性達には誤解なきように願いたい。典型的な理系クンは,有能な奴ほど,もっと「とっつきづらい」人間だったりするのである。

9/6(土) 掛川・?

 メモ2題。書いておかないと忘れるんだよねぇ~。
1.MuPAD Pro,MathWorks(Matlabメーカ)に吸収される!
 MuPADユーザには全員メールが届いたようだが,現時点で判明している情報はこれで全部。本家には何の記事も上がっていない。
 いや~,M$と提携するとか,それなりに頑張ってはいたのだが,やはり単体の商売としてはきつかったのか。しかし今更ど高いMatlabを買うのもなぁ。ボチボチフリーで頑張るソルーションを提示せねば,「計算は高い金を出してMatlab/Mathematica/Mapleでやるもの」という大変よろしくないイメージを世間に流布させてしまいかねないぞ。うーん,個人的に肩入れしていただけに残念なニュースであった。MuPAD文書は・・・そろそろゴミ箱に葬るべきか?
2.太田垣晴子さん,ご結婚!
 報告が少しずつblogに上がっているようであるが・・・うーん,正直言って

ウラヤマシイ

のである。でもここは私心を抑えて「おめでとうございます」と言っておこう(抑えてないって)。しっかし,over 40の結婚って増えてきたなぁ。・・・我慢も限度ってことかしらん? ワシも
お付き合いしてくれる中年女性の方,募集中

と表明しておこう(効果があるかどうかはともかく)。
 今日はもう寝ます。

Webがメインメディアになる日

 うは~,ここのサイトへのアクセスが一本調子に増えている↓
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 このアクセス集計データをよく見ると,来訪者数は増えておらず,「延べ」のアクセス数が増えているということが分かる。つまりは「お得意様」がチマチマとマメに来ているってことらしい。実は昨年夏までの傾向では減っていく一方だったのだ。それから一転,過去最高のアクセスを更新し続けるまでの好調ぶり・・・正直言って更新はここのblogを除けば頻繁じゃないし,今どき手打ちのトップページを何年も掲げているという「骨董Web」であるし,ワシ自身は無名の人間であるし,職場も(以下検閲削除)なので,この好調ぶりは外部的な要因によるものという他ない。
 Webのアクセスログを眺めたことのある方なら,「ホントに人間が見に来ているの? Robotじゃないの?」と思われるだろう。確かにこのサイトを開設して暫くは殆どWeb robot,特にGoogleが多かったし,今でも1/3ぐらいはRobotによるものという感じである。しかし昨年からのアクセス数の伸びは明らかに人間の来訪者数が増えたために起っているのである。
 たとえばこれは2008年8月,先月分のアクセス数トップ30URIリストである。ここのblogへのアクセスが多いのははてなのブクマ等で定期的にチェックされているせいであるが,一番特徴的なのは,最後の30位に特定のBlogエントリが登場していることである。
na-inet-jp200809-top30-last6uris.PNG
 実はこれ,この書評の著者名でググると最初の一ページ目に登場するのだ。なぜトップに登場するのか,理由は不明だが,結構知名度の高いマンガ家さんなのに,真面目に言及した記事が少ないというところが大きいと思われる。他にもちょっとマイナー系の方々の記事はググると結構上位に登場したりするので,トップ30には出てこないけど,アクセス数の「底上げ」には寄与しているらしいのである。
 ・・・とまぁ,自分のサイトに「微風」が来ましたよ,という報告なのだが,これ,実は結構な「台風」襲来の影響なのではないか,とワシは思っているのである。結論から言えば,「台風」とは,既存メディア,特に広告収入から成立してきたTVや雑誌というメディアからWebへの広告出稿大移動のことで,様々な方々がその台風襲来「予想」を述べていたことが現実になったかな,とワシは感じているのである。
 紙媒体や電波メディアが退潮しているって指摘は,実はInternetが普及する前,パソコン通信の時代から言われていたことで,まったく新しくない。しかし実際に部数減が起き,大手出版社も本腰入れて経営への影響を考えるようになった,ということは,例えば竹熊健太郎さんのまとめ記事(「いろいろもう死んでいる」「いろいろもう死んでいる<雑誌編>」に詳しいが,21世紀に入ってからの動きである。
 今年は日本も含めて世界全体の景気が下向きになっているようだが,景気悪化→広告収入減とは単純に結びつくことはない。むしろ,売り上げを伸ばす手段として広告を派手に打つ動きが活発化するので,効果が上がりそうな所をシビアに見極めるクライアントが増えるということはあっても,広告出稿自体が減るかどうか,疑問である。今起こっているのはこの,広告出稿先を「シビアに見極める」というクライアントの増加と,不景気に伴うコスト削減圧力がもたらすメディア(媒体)の絞り込みという二つの要因が絡み合っていると言える。
 メディアの絞り込みとは,端的に言えば,紙媒体&TVからPC,そしてケータイへというムーブメントである。雑誌や新聞のように,嵩張るばかりで読むところの少ない,そしてごみ収集システムがめんどくさくなって始末に困るものを一般家庭が維持しようと思う訳がない。TVだって,夜七時のゴールデンタイムにゆっくりTVの前に座って晩酌・・・なんてできる稼ぎ手が今,どれほどいるというのか? 録画したとしても,確実にCMはすっとばして観るし,大体は見もせずに消去するのがオチである。HDDレコーダーになって,CM飛ばしも消去も簡単にできるようになり,リアルタイム放映されるTV番組の効能は確実に落ちている。
 何より,収入が減っている上に物価高の昨今,生活にかかるコストを減らさねばならない。となれば,ケータイは手放せない,PCも不可欠・・・となれば,紙媒体とTVが削減対象物となってくる。TVを家庭から排除するのは躊躇するけど,どーせ地デジ化で今のTVはチューナーなしでは使えなくなるので,その時には雪崩を打って排除の動きが,「TVの買い替えをしない」という消極的活動のせいで,活発化するかもしれない。
 ケータイの方も,すっかりPCの機能の代替物として着々と地力をつけつつある。ワシはAUのユーザだが,メール機能(AU One)の実態はGoogleのGMailであるし,トップページの検索はGoogleが提供している。ワシのサイトへの来訪者も,EZ Web経由の方々が増えている。Full Browserをサポートするケータイが増えているから,閲覧にはさほど困らないようだ。ま,ワシのサイトは文字しかないし。iPhone 3Gの登場で,ますますPCは不要なもの,ビジネスやオタクの道具となり下がる可能性が高い。しかし,Webは・・・ますますメディアとしての地位を固めつつあるのだ。不景気の結果として。
 日本のInternet回線網は,若ハゲ親父の恫喝をきっかけとして,NTTの資本力&技術力を基盤に世界的にも稀有な品質と安さを誇るものになった。結果,既存メディアはコスト的にも太刀打ちできないものに成り下がってしまい,現実には広告減という動きに苛まれている。いつまでも続くものではないとはいえ,メインメディアの地位は確実にWebへと移りつつあるのだ。知りたい情報はググって求め,まとまった情報が欲しいときにのみ,薄い新書を手に取る(かもしれない)。日本におけるWeb 2.0がこのような形で定着したのが世界的な現象の先取りなのか,独自の進化を遂げた「ガラパゴス化」に過ぎないのかはまだ分からないが,少なくともその動きを捕えることができるところまでワシのサイトが運営できたことはちょっと誇っていかかな,と思っているのである。・・・あ,これからもしぶとく続けますんで,またごひいきによろしゅーに>お得意様