(原作)内田百閒・(漫画)一條裕子「阿房列車 1号」IKKIコミックス

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-179036-1, \1000
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 内田百閒のこましゃくれたエッセイ口調と,一條裕子のひねたユーモアが醸し出す独特の雰囲気がこれほどマッチするとは思わなかった。百閒と一條に両者に共通するのは「上品さ」であるけれど,本書を読むと,一條裕子のオリジナル作品と見まごうばかりの自然なコマ運びで,下手くそな原作ものにありがちの引っかかりが全くない。それでいて,百閒エッセイの全体の方向性は踏襲しているように思えるのである。これは両者のセンスだけでなく,やはり根底に流れる「上品さ」,つまりは百閒と一條が共に持つ,上質なインテリジェンスと心優しさがあったればこそなのであろう。一條に百閒作品を描かせるというアイディアをもたらした編集者(かどうかは定かでないけど)の慧眼に,ワシは唸ってしまったのである。
 一條裕子の作品はこの上なく上品だ。「ギャグマンガ」とは言いたくない。キザな言い方だが,「エスプリの効いたユーモア漫画」なのである。本人の意識はどうか知らないが,頭で構築したギャグではなく,本人の体質からにじみ出たユーモア感覚で作品を描いているように思えるのだ。頭を使っているのは作品の構成であって,ページ数にかっちり納める無駄のないコマ運びは,とり・みきに並ぶ「理数系」作家と呼ぶべき見事さである。両人がさすらいの編集人・吉田保(フリースタイル)のお気に入りリストに入れられ,雑誌(実際はムック扱いだが)で競演しているのも必然的な成り行きだったのだろう。
 一條作品のもう一つの特徴は,余白と白さを生かしたセンスあふれる画面構成であろう。書き込まれた絵やアップは少なく,リズムと空白で読ませる。遠景から描かれた極めて客観的な視点の絵は,デッサンがきっちりした「うまい絵」に分類されるものであるが,空白とのバランスも見事で,こんだけ高度なことをやらかした漫画がしょうもない(褒めてます)ことを延々と語っているのだから,うーん,追随するのは難しい作家であることは間違いない。
 内田百閒の作品を読んだことはないので,ワシが抱くイメージは,黒澤明の映画「まあだだよ」で得たものしかない。まあそれほど間違いはないだろうと勝手に結論づけるとして,その印象を一言で言うと,「心底善人のくせに,それをストレートに表現することに含羞を覚えるインテリ」というものである。本書巻末には「特別阿房列車」の冒頭部分が抜粋されているが,それだけ読んでいても,論理的な文章でありながら,感情の発露がありつつ,訳の分からん理屈でたたみ込むという芸当が見て取れる。師匠・漱石譲りのところが大きいように思えるが,ワシは文芸評論家ではないのでその辺の推理は得意な人にお任せするとして,この抜粋部分と一條のコミカライズ部分とを比較すると,一條の構成力の見事さが読み取れるのだ。それを紹介しよう。
 文章,特にエッセイは,全体の方向性さえ示されれば(場合によっては「方向なんぞ定めない」という方向性(?)でも可),枝葉部分はどうとでもできる。デコラティブにもできるし,極力シンプルにすることもできるし,全体の方向性に棹さしてもいい。百閒の文章は感情の発露で飾り付けを行っているように思え,そこの部分が上質なユーモアを醸し出す手助けをしている。
 しかし,一條は枝葉部分をすべてそぎ落としているのである。たとえば「阿房列車」の意味を述べた文章,戦後になって一等車が復活したことを述べた段落,大阪駅内に無駄遣いをしそうな店が連なっていることを述べた文章をカットし,大阪行きの列車を決めるまでのグタグタした思考行きつ戻りつする様子に絞って描写を行っている。全体の方向性とは関係のない飾り付けをスパスパと枝払いし,漫画としての分かりやすさを重視した構成にしているのである。それで十分,というか,そうすることで,一條裕子の持つユーモアセンスが生かせているのだから,名人芸としか言いようがない。
 本書で指摘しておかねばいけないのは,もう一つある。それは一條裕子のチャレンジだ。見開きにドンと据えられた「見せ場」。ごった返す東京駅のホーム,驟雨に煙る富士岡駅の風景,友釣りで引き上げられた鮎が空中を舞う夏の球磨川・・・,一條裕子の卓抜な画力と画面構成力が光るシンプルだが感動的な絵が,読者の目を釘付けにする見せ場を作っている。今までのユーモアものにはなかった,ベタだがワシら大衆に分かりやく感動できる見開きページは,間違いなく,一條のチャレンジ精神が生み出したものだ。紀行エッセイを紀行マンガに変換する「意味」を,一條はこの見開きを描くことで見いだしたのであろう。
 ワシは鉄っちゃんではないので,本書に掲載されている,百閒乗車の列車編成表は全く分からないのだが,見る人が見れば,凝った本だなぁと感動するものなのであろう。編成表といい,箱入りの古風な装丁といい,チャレンジングな見開きページといい,分りやすく面白いマンガ構成といい,本書全体が懲りまくっているのは間違いない。掲載誌はメジャー版元・小学館にはあるまじき低部数なんだそうであるが,個性が際立つ作家を集めた雑誌をまとめて読むのは難しく,むしろこうして単行本という形でばら売りしてもらった方が,コアなマンガ読みでない読者にはありがたい。実際,本書は普通のマンガ読みな人にも楽しんでもらえる,「普通に面白い」ように一條が百閒を「翻訳」してくれているのだから,ちょっと高めの定価ではあるけれど,それだけの価値があると断言できる。マニアックなのは本の作りだけであって,内容は決してそうでないだけに,もうちっと一條裕子をたくさんの方々の手にとってもらいやすいよう,凝らない体裁のコスト安な本ににしても良かったのではないか,と,その点だけはちょっと残念に思っているのである。

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