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いしかわじゅん「ファイアーキング・カフェ」光文社

[ Amazon ] ISBN 978-4-334-92710-3, \1600

 出張先の福岡,ブックスタジオ博多駅店にて一冊だけ棚に刺さっていたものを購入,仕事が終わって帰宅するために乗り込んだ新幹線のぞみ62号車中で読了した。
 本書は沖縄・那覇に集った,いわくありげな本土人(やまとんちゅ)の人生のごく一部を切り取って描写した6編の短編をまとめた連作集である。南国の高温多湿な空気の中にいるとだんだん脳細胞がぼや~っと弛緩してくるものだが,読了後のワシもその例に漏れず,「あ~,そ~,ゆ~,ことも,あるよねぇ~」と寝惚けた感想しか言えなくなってしまった。イカンイカンと空気を払い,あらためて6編の,6人の主人公たちの人生の断面を振り返ってみると,世間的にはありふれた出来事でありながら,個人が社会に向き合うためには不可避である「切り傷」を積み重ねていくというイタイものであることに気がつく。その切られた痛みを読者に声高に訴えるのではなく,淡々と南国の大気に乗せて告げていくという著者・いしかわじゅんの静かな筆致は,ギャグの至高を目指して一度破綻し,「まぶやー」を落とし,叙情的な画風に落ち着いていった体験がもたらしたものなのだと,ワシは勝手に結論づけている。
 沖縄という地域についてのワシの知識はかなり限定的で,数え上げてみると三つしかない。
 一つは,わしの前の職場で得た豆知識。前職は現・厚生労働省管轄の独立行政法人に在籍していた時のものだ。短期大学校という位置づけの職場だったので,毎年度,全国の校長を集めて卒業生の就職率を報告・講評するという会議があったらしい。組織柄,職安とタッグを組んでの就職活動を展開するものだから,大体90%を超える数字が報告されるわけだが,沖縄だけは,確か40%以上も低い数値になっていて,苦言を呈される役回りになっていた。しかし,沖縄担当の校長曰く,沖縄県内ではこれでも相当高い数値であり,お褒めの言葉まで貰っているのに,全国の集まりでは必ず怒られてしまう,とおカンムリであったそうな。それを聞いてワシは,沖縄って独特なんだなぁ~と感心したものである。
 二つ目は,小林よしりんの「ゴーマニズム宣言・沖縄論」を読んで得たもの。大ベストセラーかと思いきや,数あるゴー宣シリーズの中でも全国的な売上はさほどでもなく,沖縄県内でのセールスが凄いと,よしりん自身が言っていた。全くもったいない,普天間問題がヒートアップした今こそもっと読まれてもいい作品だとワシは思う。ことに,この中で描かれていた沖縄の左翼的空気,そしてもっと驚くのはその同調圧力の物凄さ。この二つはもっと知られるべき情報だ。ひめゆりの塔とか米軍基地問題などの一般的な知識は広く知られるようになっているが,沖縄という独特の「地域性」がこれ程とは,ワシも本書を読むまで全く知らなかった。
 三つ目は,宮台真司の言説。ほとんどビデオニュースのマル激を通じてのものだが,今回の普天間基地移設問題では最初から辺野古沖への移設しか解はない,と明言していたのが宮台だった。日本の防衛システムと駐留米軍の位置づけの重要性,自民党政権での交渉過程における試行錯誤,そして沖縄独自の地縁と経済との複雑な関係性,この3点を考えると辺野古沖という唯一解しか存在しないと言い,実際,鳩山政権では,たぶん良心的な熟慮と試行錯誤の挙句,その通りの結論に至ってしまった。それを補強する情報は守谷・元防衛事務次官が出演したマル激から得ることができる。
 以上,この3つしか,ワシの沖縄についての知識はない。だから,ここには生身の沖縄情報が欠落しているのだ。「沖縄論」でも宮台の言説にも,実はもっとディープな,根本敬的カルチャー情報が背後にあるはずなのだが,直接的に語られることはあまりない。「因果鉄道の旅」じゃあるまいし,特定個人名をモロに書かれても平然と日本社会を生きていける人物は一握りだ。プライバシーに関わる個人情報,その生き様を語れば語るほど,それは生の沖縄を知る重要な手がかりにはなっても,その個人が沖縄という地域で生活してくのは困難になるだろう。結局,知りたければそこに住むしかない。長く住んで徘徊して人々と交流して,太陽がジリジリと照りつける空気の中で生の知識を収集しないと,たぶん,真の沖縄を知ることはできないのだろう。
 本書はフィクションであり,地名と登場人物以外の固有名詞は架空のものだ。そこで起こった数々の出来事もたぶん殆どモデルなしの創作だろう。
 しかし,リアルなのだ。ワシは南国の大気を感じながら,感心していたのだ。感心しながら,数少ない沖縄に関する3つの知識の断片がズルズルと繋がっていく快感を覚えていたのだ。それぐらい,川島トオルのミニ出版社での「苦闘」も,カフェマーケットでバイトする涼子ちゃんの「ふるまい」も,ダリアちゃんの「家庭」も,ハニー&ミルクちゃんの「職場」も,ワシの知識を補間するには十分な程,リアルだったのだ。大いなる誤解かもしれないが,ワシは本書で「那覇支店」を構えたいしかわじゅんからリアルディープな沖縄を教わったと思っている。そしてこのリアルさが「南国の大気」の正体だったのだ。
 リアルな沖縄の空気にまぶした,人生における「切り傷」を描いた本書は,漫画家・いしかわじゅんが実在する固有名詞に託した細かな描写に支えられて,独特な叙情的作品としてここに結実した。売れ行きはさほどでもないだろうが,南国文学の傑作,池澤夏樹「マシアス・ギリの失脚」と共に,バーチャルに熱帯の空気を感じられる作品としてワシは大いにお勧めしたいと強く思っているのである。

T.Kouya

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