津野海太郎「ジェローム・ロビンスが死んだ なぜ彼は密告者になったのか?」小学館文庫

[ Amazon ] ISBN 978-4-09-408660-7, \657
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 書店の平台に本書が出ているのを見た時にはちょっと感動してしまったのである。小学館文庫ってのは,ワシにとって永らく初版絶版オンパレード文庫だったのだ。殆ど買うに値しないエンターテインメントや時事ネタ本しか出ないモノだと思っていたら,最近は「パイプの煙」リイシューを出したりして,流石に少しは反省したのか,はたまた行き詰まったあげくの苦肉の策なのか,少しは資料的価値のあるモノを出すようになっていたのだな,と気がついたのである。
 で,本書だ。津野海太郎の単行本を文庫化するなんて,筑摩書房以外ではあり得ないと決めつけていたのである。それが小学館文庫とは,なかなかやるな,小学館にも目利きはいるのだと感服したのである。ワシが即レジに本書を持って行ったのは言うまでもない。しかも,読み始めたら一気一気,あっという間に読み終えてしまった,いや読み終わらされたのである(変な日本語)。ちょっといやな気分が残るのかなぁ~,という一縷の危惧もあったが,それはナシ。爽快,とは行かないけれど,「人間社会ってこうだよな」と胃の腑に落ちる名解説を受けた感じなのである。
 高校時代に少し風変わりの社会の先生がいて,目から鱗が落ちるようなことを教えてくれたモノである。その先生が,日本国憲法制定時のドキュメント再現ドラマを見せてくれた時,「GHQの将校達はインテリで,その頃のインテリはみな社会主義思想に嵌まっていた」という解説をしてくれた。その時は特に気にせず聞き流していたのだが,本書でジェローム・ロビンスがアメリカ共産党活動に関わったということを知って,なるほど,共産主義ってのはロシア革命以来,全世界を巻き込んだ一大潮流思想だったのだなぁと改めて思い知らされたのである。
 本書のタイトルである「密告者」とは,戦後アメリカに吹き荒れたアンチ共産主義運動,マカーシズムの果てに行われた「赤狩り(Red Purge)」において,共産主義者の仲間を公表した人間であることを意味する。アメリカ議会下院の非米活動委員会主導で開催された公聴会において,ハリウッドの著名振り付け師・ジェローム・ロビンスは8人,共産党時代の仲間の名前を挙げている。彼が行った「密告」は公開の場で行われており,特に法的な拘束力があるわけではないが,時代の圧力がアメリカ社会を覆っていた時代に共産主義者のレッテルを貼られることは,即,社会的地位を失うことになる。流行に敏感なインテリ揃いのハリウッド著名人は格好の赤狩りのターゲットとされ,一番有名な密告者・エリア・カザンが名指しした俳優は仕事から干されてしまう。ロビンスが挙げた者も同様の憂き目に遭い,ロビンス自身もカザンと同じく「密告者」として,死ぬまで不名誉なカテゴライズから逃れることは出来なかった。友人を売ったのだから当然・・・という断を,しかし,津野はそうやすやすとは下さない。ここからが本書の面白いところなのだ。
 津野は証言台に立ったロビンスの証言が「軽すぎる」といぶかしむ。底には何か理由があるのではないか・・・津野の調査活動が始まるのだ。つーても,資料を渉猟するのがメインなんだけどね。赤狩りについては張本人のマッカーシーが没落して以来,民主主義国家アメリカの汚点として分厚い資料が残されているし,ロビンスの自伝も刊行されているようだ。資料には事欠かない時代になったってのはありがたいことだが,じゃぁそれを全部読めるのかというと,一般大衆にそんな時間は無いのである。そこに津野のような知性と力量の両方を備えた書き手が必要となる所以なのだ。
 結果として,ロビンスが一時期関わったアメリカ共産党の活動状況やそれが可能だったニューディール時代の雰囲気,そしてロビンスを初めとするアーティストが活躍できる場を提供したWPA(Work Projects Association),そしてその反動としての非米活動委員会の成り立ちまで,アメリカ合衆国の戦後史が,マイノリティーだったロビンスの成り上がりぶりとともに,怒濤のごとく語られることになるのだ。ワシが高校時代に聞きかじった知識が,本書の説得力ある文章によって歴史の潮流に触れる糸口になったことを実感したのである。
 ロビンス自身にとって,もちろん「密告者」というレッテルは決して良いモノではないが,しかし,本人は密告後も活発な芸能活動を展開し,20世紀末に天寿を全うした。カザンと比べても随分幸せな生涯を送ることが出来たのは,二重のマイノリティー(意味は本書で確認してね)を抱えてロビンス自身が煩悶し続けたことを周囲の仲間達がよく知っていた,ということも手伝っていたらしい。そしてそのことがまた「密告者」たらざるを得なかった原因だった・・・となると,石持てぶつける気力も失せるというモノである。
 しかしまぁ,人間社会って奴はつくづく不合理なモノを含めたダイナミックなファシズム的圧力,社会運動を内包したガイアだなぁ,とため息が出てくる。本書を読了して得られるのはある種の諦観,そしてまたマイノリティという存在を出来るだけ許容しようという僅かな希望なのだ。どちらが欠けてもワシらの社会は成り立たず,そしてその社会を生きようという気分にもならない。チャンドラーじゃないけれど,「タフでなければ生きられない,やさしくなければ生きる資格がない」,それがワシら人間社会のありようなのである。折角のクリスマス,ロビンスの「踊る大紐育」のように浮かれるだけじゃなく,津野の本を通じて少しは内実のある思索に耽ってみるのは如何?

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