[ Amazon ] ISBN 978-4-480-68899-6, \819
社会人になる一歩手前の学生,高校生,専門学校生,大学生は誰しも一抹の不安を持つものだし,それは学校制度が整っていない時代にあっても若年者が社会制度に組み込まれる直前は「やってやるぞ!」という気負いと「大丈夫かな・・・?」という不安を同時に抱えていたに違いないのである。
自分が大学を卒業する時,大学院を修了する時を振り返っても不安だらけであった。大学を優秀な成績で卒業したのならともかく,何とかギリギリ卒業に必要な単位を揃えた上に,大学院は格下の所を出たわけで,研究生活自体はやりたい放題やって充実はしていたものの,そこを通じて社会的に通用のするスキルを身に着け得たのかと言われると全く自信はない。今から思えば,若年者のスキルとは「未知のことを学習してスキルを習得する能力」なのであって,知識そのものではないのである。大体経験値ゼロの人間の身に着けたスキルなんてのはたかが知れていて,社会が期待するのはその後の「伸びしろ」なのである。日本社会が学歴より「学校歴」,つまり偏差値の高い学校を卒業した若者を重要視するのはそのためである。もちろん「学校歴が高いだけの役立たず」は存在するが,そういう人間の割合,即ち「不良率」は統計的に偏差値と高い相関関係を持つというのは厳然たる事実だろう。その意味ではワシも含めた若年者の不安というのは,迎える側の社会の諸先輩方が我々に対して持つ不安,即ち「自分らの仲間としてちゃんとやってくれるのか?」ということと同じなのである。
不安なのはお互い様という中で,若年者の方が社会に踏み出すための足場を掴むための教育が「キャリア教育」と呼ばれるものである。著者はそれを専門としている研究者であると同時に,社会的な先輩として実際に若年者に相対する教育者でもある。本書はその両面の経験を踏まえて不安を抱える若者に,宣伝文句としての建前の背景にある「キャリア教育の限界」を優しい言葉で語りかけてくれる良書である。従ってタイトルは「キャリア教育(の背景にある世の常識を知らない若者にとっては)ウソ」ということになろう。つーか,キャリアに限らず「教育」というものが,それさえ受ければ素晴らしい人間になれると確実視できる代物ではないという常識を知らずにただ学んでいる若者にとっては,教育というものの「宣伝文句」そのものがウソ,ということになるのかもしれない。教育の一番の効果は「学ぶ姿勢」「学びを通じて会得する学習スキル」であって,知識そのものではない,ということはもう少し広く人口に膾炙していい事実であり,そうなれば「キャリア教育のウソ」なんてタイトルは不要だったろう。
本書全体を通じて「いくらなんでもそのキャリア教育に対する宣伝文句は言い過ぎだろう」ということを中高生でも分かるように縷々説明しているが,ワシが一番胸に応えたのは,いわゆる「低レベル高校」におけるエピソードだ。詳細は書いていないので雰囲気しかわからないのだが,熱心な教員達が,純真な高校生をキャリア教育の煽り文句で煽った結果,自分のできることを超えた希望を持ったまま「夢追い人」としてフリーターになっていく卒業生が続出した,というものである。これはワシ自身にも覚えがあって,自分の能力に見合わない希望を持ったまま就職活動に突入し,次々にお祈りメールを貰って挫折する,というのは大学生でも高校生でも大差ないのである。結局,現在の日本の教育全体が個人の希望を煽るだけ煽り,憎まれ役となる適切な評価機関としての役割を果たしていないことが問題なのである。
本書の存在意義を一言でまとめると,そのような歪を「キャリア教育」という断面から照射しているところにある。キャリア教育を担う一教員として,そして,かつては自身の希望と能力とのマッチングに悩んだ経験者として,ワシは当たり前のことを分かりやすい言葉で解説した本書を全ての若者とキャリア教育の実践者に読んで頂きたいと思っているのである。