「あとかたの街1」[ Amazon ] ISBN 978-4-06-376999-9, \580+TAX
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「あとかたの街5」[ Amazon ] ISBN 978-4-06-377350-7, \580+TAX
2014年初頭から始まった連載が本年(2015年)半ばに終了,最終の第5巻が出版されて,名古屋空襲を描いた初の長編漫画が完結した。戦後70年を経て第2次世界大戦時の日本を描いた映像作品はボチボチ「時代劇化」しつつある中で,辛うじて肉親からダイレクトに聞き書きできる現時点で描かれた「生の感触」を伝える役割を果たす作品として,図書館に置かれてもおかしくない漫画作品である。まずは完結を喜びたい。
とゆー真面目な意見は他にもたくさん書いている人がいるだろうから,ワシは個人的な「萌え」をここで書きつけておくことにする。
それは本作の第2巻の表紙に描かれた,物資の少ない中で男物のコートを羽織った主人公の女学生・木村あいの姿によって発動されたのだ。ルパン三世の五右衛門バリに「可憐だ・・・」と思ってしまったのである。萌えたのである。
萌えたといえば,同様の胸キュン(死後)を,本年9月に出張で行ったドイツ・ポツダムでも感じたのである。毎日国際会議の会場となっている大学へトラムに乗って通っていたのだが,そこには必ずスカーフを被ったムスリムと思しき少女が乗り込んでくるのである。それを見るとワシはドキがムネムネになったのである。ロリコンかワシは。
いやそうではないのだ。
ワシはどうも「健気(けなげ)」にヤラれてしまうようなのである。自分を取り巻く家族や社会や時代の状況に対して声高に反抗するのではなく,従順に,だが,真摯に向き合っている姿にワシは心底惚れてしまうようなのだ。多分,ある種の合理性を主張している向きが,実は自身の利益の最大化を狙って行動しているだけという事例に普段から多数触れているため,心底ウンザリしているという事情が大きい。きりっと真一文字で口元を結びつつ日常を営む,その姿にワシは涙が出そうになる程感動するたちなのである。ドイツで見たムスリムの子供たちも,本書で描かれている登場人物たち,とりわけ,主人公のあいにも,ワシは共通するきりっとした口元を見たのである。
本書で描かれているあいは,幼少の妹・ときと鶏・クラノスケを手放すことなく,どんな困難があっても家族として行動を共にしようとする。大黒柱である父親がイマイチ頼りないこともあって,日本本土の制空権が完全に失われた後,木村一家は焼夷弾が散らばる中を名古屋市内から岐阜へと疎開。それでも最後まで家族と共に生きていく姿は健気で尊い。全く持って結婚するならこういう娘さんに限るよなぁと,我ながら昭和のおっさんのような感想を抱いてしまうのだが,こういうタイプに弱いんだから仕方なかろう。
してみれば,ドイツで見かけたスカーフほっかむり娘さんたちも,ムスリム家族内の結束の証としての服装をしている訳で,木村一家と同様の健気さが充満しているのも当然なのだ。こういう家族愛とそれを表現する健気さに対する「萌え」感情,誰しも強弱の差はあれど持っているものであるとワシは信じるのであるが如何か? 読者諸氏におかれましては,完結した5巻セットを読破して,戦時中の庶民の大変さを知ると共に,いつの世もどんな地域でも人間社会を成立させてきた最小単位である家族愛に対して胸キュンさせて頂きたいものである。