映画「素敵なダイナマイトスキャンダル」

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 原作は読んでいたし,原作者・末井昭の警察との珍妙かつ熾烈なやり取りを描いた南伸坊「さる業界の人々」も読んでいたので,その辺のリアルな時代的描写を期待して見に行った。その辺は期待通りであったが,映画全体のトーンは,予告編の軽い調子とは真逆,冒頭から不穏な空気を漂わせる。明るいバブルのサブカルブームを描きつつも,その立役者の一人である末井昭の通底にある退廃性を最後の最後まで,セリフではなく映像で描き切っている。ワシにとって,良い意味で期待を半分裏切ってくれた傑作であったが,一緒に見に行った神さんは大分映画にあてられたらしく,狂気に満ちた芸術性が嫌いな常識人には向いていない映画であるらしい。

 原作については,カラッとした文章で衝撃的な母親の爆死について述べており,あまり深刻なものを感じさせないものであるが,どうやら監督はそう考えていなかったようで,末井昭の狂気の情念の根本をこの事件の凄惨さに求めている。そう,お気楽なバブル映画を期待していた向きはのっけから浮ぎられて沈鬱な気分にさせられる。論理的な物言いのできない朴訥な父親の存在が,輪をかけて重く苦しい青年前期を形成しており,後年のエロ・サブカル雑誌の編集長として大ヒットをかっ飛ばす原動力となったというのが本映画で監督が示した回答なのであろう。

 近年は暇で寂しい人間が増えたせいか,やたらに倫理性とか左右イデオロギーに基づく道徳を解く向きが多いようだが,世の面白い活動は訳の分からない狂的人間が発する情念に支えられているものである。本作はそのような狂的人間の面白さを表面的に示しつつ,狂気の根本にあるものを観客に刷り込ませる。その象徴は汚れて曇った眼鏡のレンズであり,そのような見えづらい眼鏡で日々を過ごす警察官,キャバクラの店長,そして父親なのだが,それは他ならぬワシら自身でもあり,昨今の小うるさい道徳主義者もそのような曇ったレンズから世を眺めているに過ぎないのだ。末井昭の生き方は透明でうその混じりけのない純粋無垢の狂気に貫かれており,狂気の情念が輩出した面白いコンテンツの出所を同時に見せる本作は,間違いなくフェリーニ的な傑作であると言えるのである。