ありま猛「あだち勉物語1巻~6巻(完結)」小学館

[ Amazon ] 1巻 ISBN978-4-09-850652-1, \1000+TAX
[ Amazon ] 6巻 ISBN 978-4-09-853516-3, \1364+TAX

 令和になって6年も過ぎ,昭和の豪快さがハラスメントやコンプライアンス違反として糾弾されるようになって久しい。当たり前のことではあるが,50過ぎの男どもが持つ美学としての気質は「昭和の遺物」として,懐かしく思われることはあれ,今やすっかり「不適切な事象」として若いZ世代からウザがられる代物に成り下がったのである。

 ということで,この「あたち勉」という,大漫画家・あだち充の不詳の兄として一部では著名な「昭和の屑」を懐かしくホノボノとした筆致で描いた作品が本作である。いや「屑」は言い過ぎかもしれないが,本人はそう呼ばれて草葉の陰で案外喜んでいるかもという気がする。なんせ本人,かなりの駄目さ加減を自覚しており,高邁な弟からは「漫画の才能は俺よりある」「けど根気が(ない)」と評されているそのままの漫画家崩れ,昭和の屑なのである。
 ただし,屑は屑なりの「かわいげ」があり,これが所謂「昭和の豪快さ」の持つ魔力でもある。酒でダメになる赤塚不二夫に現役ギリギリの最末期まで付き合いつつ,自身も56歳という若さでこの世を去る。どう見たって移り気な本能に従って不摂生な生活をしてきたことが原因であろうが,それは漫画家として大成できなかったことを恥じるが如く生き急ぎした結果のようにも思えるのだ。本書はそんな昭和の屑を主人公に,赤塚不二夫とあだち充,そして作者であるありま猛という,世代も個性も異なる3人の漫画家の人生を絡めた,昭和の黙示録のような漫画作品なのである。

 今やX(旧Twitter)には,現役バリバリのZ世代から疎まれつつ,時間だけは自由にできることをいいことに昭和の屑共が跋扈している。口だけは達者で一見切れ味は鋭いが根拠に乏しいコメントを,ちょっと目立つアカウントめがけて投げつけてはウザがられた挙句に訴訟沙汰になって賠償金支払いもバックレる馬鹿どもだらけだ。現実社会でも,いわゆる出世ロードから外れたクソ昭和親父がガキのように役に立たない教条を述べ立てては会議を混乱させようと無駄な労力をつぎ込んでいる。周囲は慣れたモンで,ああまたかと思うこともなく,けたたましいが意味のないクマゼミの鳴き声と同じ扱いで受け流すだけだ。現実はかくも昭和の屑に冷たい。
 この作品で描かれる「あだち勉」も,天才弟のネームバリューに依存しながら,かつての赤塚プロのアシスタント仲間が次々とプロデビューし,着々とキャリアを積み重ねていくのを横目に,仕事が減って酒に依存せざるを得なくなった赤塚不二夫と共に昼間から管をまく「昭和の屑仲間」として人生を謳歌していくのだ。・・・いや,そこには幾ばくかのちゃんと含羞があり,漫画家としては大成できなかった自分の失敗を自覚しているのだ。そこが一種の「かわいげ」になり,少々の迷惑も打ち消すことができ,多くの仲間との交流を司ることができたのである。この微妙なニュアンスを込めた人間力を描写するにあたり,ありま猛の直接の師匠である古谷三敏の,簡素な線で読者に想像力を掻き立てる抜群の構成力が生かされている。多分,天才弟では省略しすぎて説明が不足するだろうし,赤塚不二夫ではそもそもドラマが描けないだろう。ありま猛でしか,この「あだち勉」という「昭和の屑」を題材とした長編漫画をものにすることはできなかったのである。

 まぁ巻末の天才弟のコメントにもあるように,こんなホノボノとしたエピソードだけのきれいごとでは済まない諸々はあるのだろうが,それはそれ,これはこれ,なのである。我々は,あだち勉を囲む3人の漫画家も含めた「昭和時代の漫画」として本作を純粋に楽しめばいいのである。死人はこれ以上迷惑とかけることはもうないのだから。