余り早い時間に寝ると,このように丑三つ時に目が覚めてしまうのであった。時間がもったいないと,こーゆーものを書いてしまうのは正に貧乏性なのであるな。
国公立大学の入試は全科目を網羅的に課すものになりそうだという記事(朝日新聞)。良いことではあるが,「学力低下論争」を受けての右習え的対応ってのは日本的だなあとは感じる。
昨日の高校生向け実験講座を担当して,つくづく,小中高でのComputer literacy教育の成果を思い知らされた。勿論,家庭でも普通にPCを使い,普段も携帯で連絡を取り合っている,という状況も手伝ってはいるだろうが,Windows likeのGUIの基本操作とワープロ程度のアプリ,BrowserやMUAはもう当たり前に使いこなしてくれる。ご高齢の方の入門講座を担当した経験からすれば,もう楽チンで仕方がない。若いって素晴らしいよな。数年前(今もか?)に,「インターネット時代のなんちゃら」ってタイトルの学術系入門書が流行ったが,もうすっかり日本の若年層にはThe Internetは定着しているのであった。どの程度意識しているかは不明であるけれど。
学力低下が事実であることは既に立証済みであるが,この論争において明らかになったことの一つに,問題としている「学力」があくまで従来型のものである,ということが挙げられる。この議論が数学者グループの問題提起から始まったこともあって,特に数学における計算力低下が著しいことが指摘されているが,んなもん,わしなんぞとっくにダメになっている。大学生になってまで九九の暗唱をさせるような馬鹿な問題設定はさすがになくなったと思うが,MathematicaもMuPADもあるんだし,今や電卓機能を持っていない携帯なぞ皆無だ。筆算能力が高いことは望ましいが,大学生になってまで,それにこだわるのもどんなもんか。
それよか,如何に便利な数学ソフトを使いこなしてより高度な問題にチャレンジできるか,そっちをもっと重要視すべきではないか。そこを教えるノウハウが十分備わっておらず,唯々諾々と従来型の手計算ベースの講義を続ける「言い訳」として「学力低下」論者となっている者が,少なからずいるのではないか? どーも,そーゆーふーにやぶにらみしたくなるんだよなあ。
「学力低下」に疑義を呈する人の代表的な意見として,ユビキタスにコンピュータが存在している状況下において必要は「学力」とは何か?それが変化しているが故の「学力低下」なのではないか,というものがある。手計算能力や漢字の書き取り能力ってのはその最たるものである。んなものは低下しても構わないから,今,手元にあるコンピュータでもThe Internetでも何でもイイから全部使いこなした上で,何をどう使いこなして何が出来るのか,それを見極められるのがこれから本当に必要な「学力」である。
そしてそれを教えることは極めて難しい。・・・と,なーんだ,まだまだ教師のやることっていっぱいあるじゃない。頑張んなきゃ。
で,関連で思い出したのだが,Mathematica 5が出たんですな。しかし,”Newly Released Mathematica 5 Outperforms Dedicated Numerical Systems”・・・ねぇ。数値計算屋としてはとっても食指をそそられない文句ですな。LAPACKやATLASなら,ネイティブに呼び出した方がよっぽどマシ。MathematicaのUIはさすがに金がかかっているだけあって大したものだが,本質的なアルゴリズムの改良に繋がっていないソフトに,貴重なおゼゼを払う気にはなれませんなぁ。
それに,教育機関への値引率の高いことには驚く。それだけ,単体では売れていないのかなあ・・・とやぶにらみ。