
[ Amazon ] ISBN 978-4-33-4105501, \2500+TAX
いやぁ,さすが小林よしりん健在なり。情念と狂気がない交ぜになった濃すぎる精神世界を,ホラーとミステリー仕立てにして一気呵成に読ませてくれる。一度中断した作品だけに,さてどうだろうと危惧したのだが,しつっこくねちっこく本作の再開と完結を願っていた一読者であるからして,言った以上は責任があると2500円+TAXを支払って紙本を購入したのだが,満足満足。正直言ってどこから再開したのかも分からないほどストーリー仕立てが見事であり,土俗的書き込みの濃厚さも,加齢による衰えを感じさせない程である。300ページを超える厚みでありながら,読了後のたらふく感この上なく,五十路半ばで疲れたなぁ・・・などと言ってたら罰が当たると背筋が伸びる思いである。
小林よしのりと言えば「ゴーマニズム宣言」略して「ゴー宣」で一世を風靡した大家であるが,ワシ世代はやっぱり「東大一直線」と「東大快進撃」の作者としての記憶が強い。「おぼっちゃまくん」は世代が違いすぎるし,正直言ってギャグ作家としては盛りを過ぎてからの作品だったから,横眼で眺めた以上のものではない。「ゴー宣」でドはまりして「戦争論」に打ちのめされたのは20代半ばだったから,よしりんのごく初期と中堅以上になってからの読者の一人がワシなのである。
とはいえ,さすがにコロナ禍での反ワクチン的言動には付いて行けず,「よしりん辻説法」もごく初期のみ付き合っただけで,そのあとはちょっと辛いなと感じて以来は遠ざかっていた。ただ,情念で突っ走る勉強ぶりと健筆ぶりはさすがだなぁと感心してはいたのである。とはいえ,一度中断した「夫婦の絆」の再開は,今の路線とは遠すぎて無理だろうなと半ばあきらめていただけに,本作の完結と出版は意外過ぎる僥倖であった。あったのだが・・・正直言って,ベテラン作家がかつて全盛期だったころの作品をリバイバルすると失望させられることが多く,本作についても「怖いもの見たさ」というスケベ心があったことは否定しがたい。しかしそこは小林よしりん,スタッフの力を借りたとはいえ,古希過ぎても内に秘める破壊衝動をしっかりと紙面に焼き付ける力量は健在だったのだ。
本作は不思議な美男とブスの定常的な夫婦生活から始まる。なぜこのハンサムと人並外れた不細工がくっついたのか,という昭和的感性からくる常識に反する疑問を,悲惨すぎて奇想天外なキャラクターたちのバックグラウンドをストーリー展開と共に明かすことによって明らかにし,最後は・・・おっと,ネタバレはここまでとし,一言だけ言うなら,広げまくった主張とキャラたちの因果全てにきちんと落とし前をつけた結末になっている・・・ということだけはワシが保証するのである。ということで,躊躇していた神さんには一読を勧めているのだが,読んでくれるのやら? 曰く「表紙が怖い」そうで,その点はちょっとマーケティング的に損しているかもなぁ。
本作を読了して思い出したのが,つかこうへいの「熱海殺人事件」である。ワシは原作ではなく,仲代達也・風間杜夫・志穂美悦子・竹田高利が出演した映画版しか見ていないのだが,基本コメディでありながら,不細工とかハンサムとか,当時の表面的な昭和的価値観をひっくり返す情念の絡み合いが濃厚な展開に魅了されたものである。
よしりんの本作も,SFファンタジー的要素が強いとはいえ,基本は安定した夫婦関係というものの根底には情念の絡み合いと一定の諦念という土台があることを見せつける点では共通するものを感じる。今時のエンターテインメント,ある程度年季の入った読者に深い印象を植え付けるには,常識を揺さぶる主張を投げつけることが不可欠で,その点は,世俗にまみれつつも絶叫しつづけてきたよしりんのベテランぶりがいかんなく発揮されている。
いやね,とにかく読んでいくと「不細工」とされた主人公がどんどん可愛く愛おしくなっていくこと間違いなく,つまりこれは「ベストカップル」というものの一形態に落ち着くまでの,よしりんゴー宣的主張の一環なのかなと,古い読者はしみじみ感じ入ってしまうのである。さてワシも仕事しよっと。