最期に残すべきは家事

 この4月から平日限定の一人暮らしが始まった。「アカデミックを生業とすると,仕事場に近いところに平日拠点を移すということは珍しいことではない」,とはワシの前任額縁ょ~の言。にしても五十路過ぎて定年も見えてきているというのにワザワザ遠くに行かんでもというご感想はあまり聞かない。どっかのTV番組のタイトルじゃないけど「人生の楽園」は人それぞれ,今まで通り年金暮らしに突入するのもいいけどその前にもうちょっとやり残したことをやっておきたいという煩悩は,大なり小なり初老になれば持つものであろう。ワシの場合,それが行動に繋がり,どういうわけか機会に恵まれたので,定年前の9年間の週5日一人暮らしが決定したという次第である。

 といってもワシの場合,一人暮らしが長かったので,13年ぶりの単身生活もさほど苦でないだろうと高を括っていたが,これがさにあらず。独身時の一人暮らしとは違って,家事労働が結婚生活を通じて心身に染み通ってしまい,しかも神さんの指導もあって知らん間にレベルアップしていたのである。曰く,毎日必ずご飯は炊く(週末にまとめて炊飯→冷凍より格段にコメが旨い),おかずは炭水化物+野菜が基本(野菜を添えないと便通に響く),手作り弁当作成(日の丸ご飯に高菜漬けを添え,おかずは朝食+α,果物も必須),掃除と洗濯(浴室乾燥機使用につき風呂掃除もセット)は交互に毎朝実施・・・とまぁ,いかにこの13年間神さんにおんぶにだっこで生活していたのか,骨身に染みて理解したのである。最初は段取りを決めることができずに家事並列アルゴリズムの最適化どころか至る所ボトルネックが発生,起床から2時間以内で完遂するのも難しかったのだが,ひと月過ぎてようやく1.5時間ほどで終了できるようになってきた。次は最適化を目指して1時間以内に収めたいものである。

 そんなに大変なら手抜きすればいいのに,とは思わんではないが,毎週末に完璧な家事労働の末にビシッと維持できている自宅の様子に触れると,わざわざ月曜日にみすぼらしい一人暮らし場所に戻るのが嫌になること確実であるし,何より平日の生活においても「やらないと居心地の悪い思い」をすることになる・・・より前にスケジュールに家事労働が組み込まれているから,まぁ人様が思うほど大変ではないのだ。何より,そこそこ綺麗な状態で借りることができた所なので,立ち去るまではなるべくこの状態を維持したいという妙な意地(お,ダジャレ)のようなものを持ってしまったのが大きいかな。

 この先どのみち意図しないまでも,一人で暮らす時間ができる可能性はあるわけだし,二人暮らしであっても,家事労働に関しては互いにオールマイティであることが望ましいことは言うまでもない。であれば,自宅の状態を維持管理するレベル感も共有しておけば,不足分は気になった方が勝手に補うことができる。・・・ということは,先日放映された名優・近藤正臣の独り身ドキュメンタリー番組を見て納得したのである。

 近藤正臣は理想とする田舎暮らしを夫人と共に送るべく終の棲家を鄙びた山奥の街に建てた。しかしそれもつかの間,夫人の方が先に亡くなってしまい,近藤は現在やもめ暮らし。しかし夫人と共に建てた家は生前と同じ状態が保たれている。それは本人がぶつくさ言いながらも「こうしていないといられない」感覚を身に着けてしまっており,掃除洗濯は生前と変わらずコマメに実行できているからである。本人は積極的に仕事を取りに行くではなく,世捨て人的なものと述懐しているが,夫婦で執り行ってきた家の環境維持,すなわち家事労働だけは毎日の習慣として自分の進退に刻み込まれているのである。そう,仕事をしなくなっても人生は続く,最期に残るのは家事,なのである。

 ワシより四半世紀以上年長の先達として,これは理想的だなと感じ入った次第。ワシもこの平日限定一人暮らしの機会に家事労働を自分の肉体に叩き込み,体が動くうちはせっせと家の維持管理に努めたいと念願しているのである。運動にもなるし良いことづくめですぜ,旦那。