12/31(火) 駿府・晴

 これから正月を迎えようというのに,本日の日中の気温は20℃,日本海側には寒気が吹き付けているようなのでフェーン現象かな? 冬とは思えないほど汗ばむ陽気である。

 本日は予告通り,神さんが実家にご帰還あそばされておるので,ワシはひとり者状態。例によって旨煮(左図)は作るものの,今回は年越しソバ兼増煮汁(右図)も合わせて作ることになった。ということで下記のように作成したのである。

 ちなみに,兼用汁は煮込んだ途端に青いネギがクタクタの茶色に変色してしまうので,食う時には地味汁と化すのである。旨煮については,少し濃い目の味付けにしたのでアクセントは着いたかとは思うが,里芋の煮崩れを気にしすぎて硬めになってしまった。お年寄り向きではないかもしれん。明日神さんとこに持っていくので,堅いところは神さんに食ってもらうことにしよう。

 さて,今年は査読論文相当の発表1件単行本1冊出版できたので,額縁ょ〜しながらも,ワシとしてはまぁまぁ仕事の成果が出せた年と言える。問題は来年もこのペースで仕事ができるかどうかだが,この正月はひとり者タイムをプログラミングに費やしているので,多少なりとも足掛かりはできるかなあとは思う。Python本については予定より難航しているものの,一応,章立てはできたし,必要最低限のPythonスクリプトは突っ込めたので,とりあえず2月までに完成度を上げて,3月中には偏微分方程式のところを何とかしたいところ。もうひと頑張りでは済まず,もう3頑張りは必要になると思われるが,ワシの老後を楽しく過ごせるかどうかの試金石でもあるからして,50代のおっさんの踏ん張りどころ,最近前に出てきた腹を引っ込めるためのエクササイズに励みつつ,せいぜい足掻いてみるつもりである。

 ということで,本年最後のご挨拶をして締めることにする。

 2019年は多方面の方々にお世話になりました。来年もよろしくお願い致します。

あと20年で何ができるか?

 四十路を迎えたのを機に生涯家計簿をつけてから,さて定年までの20年で一体何ができるかをつらつら考えてみた。
 体力的能力的に言って,自分の学者活動のピークはあと10年だと思っている。勿論,途中で大病することもなく,○○が●●することもなく,ひとりもののまま大過なくやっていければ,の話であって,そうそう世の中うまく運ばないだろう。しかしまぁ,何かが起こればそれはそれ,その時に軌道修正すればいいのであって,今の時点では最良のシナリオが続くと仮定して考えればいい。その仮定の下では,50歳までのこれから10年間を死ぬほど,場合によっては死んでも構わないぐらいの勢いで仕事をしたいと思っているのである。・・・まあ過労死するほどの体力も精神力もないから,そんな心配は無用だけどさ。あくまで心構えよ,心構え。
 静岡に移ってきてからの10年間の,自分の学者としてのパフォーマンスは,前にも書いた通り,お世辞にも褒められたものではない。せいぜい生存証明をした程度のものであって,数の面でも質の面でもダメダメである。
 しかしそれはある程度は覚悟していたように思う。何せ試行錯誤ばっかりやってきたからだ。Linux conference,応用数理,情報教育まで,ちょっと自分の能力を省みず,手を広げ過ぎたという反省もあるが,まあそれでも弱いながらも自分の「足場」は築けたかなぁと,甘めの自己査定を下している。何せ,並列計算なんてロクにやったこともないのに,PC clusterを組み,MPIを覚えてライブラリを作ってきたんだから,頭の悪いワシにしてはまあよく勉強したかな,と少しは自分を褒めておくよ。
 しかし,同時に自分の限界もよく分かった。これ以上手を広げると収拾がつかないな~,という「壁」の認識はできたので,たぶん,GPGPUや組み込みハードウェア方面には直接手を出すことはないだろう。逆に,も少し数学理論面での勉強は深めていかなきゃいけないなぁと思っているのである。
 それも,せいぜいあと10年が肉体的・時間的に限度だろうと予想している。仮に50過ぎでも体力があるようなら,余禄としてできる仕事をやっていくけど,まあ社会状況的には難しくなるだろうねぇ。大体,能力のない年寄りが出張って喚き立てるのは,社会のためにもよろしくない。せいぜい,自分がやってきた仕事を分かりやすく系統立ててまとめておき,Webでもどこでも開陳して,「皆様のお役に立つものがあればどうぞお持ち下さい」と,無愛想な古本屋のように待ちの商売に徹するのがいい。今も少しはこのWebに自分の少ない成果物を載っけているけど,整理するまでには至っていない。そんな余裕もないしね。だから,50過ぎには本格的に再構成をしようと考えているのである。
 だもんで,あと10年は世間の迷惑も省みず,作ってきた足場を元にできることをやっていくつもりである。つーか,泣いても笑ってもこの10年でやったこと以上のことは絶対にできないのであるからして,50越えてからの最後の10年を楽しむ程度に忙しく過ごすためには,今までの10年間の仕事を越える積み上げが不可欠だ。幸い,しばらくは体力的・経済的・時間的にも何とかなりそうなので,今年・来年と順調に仕事をしていくつもりである。すぐ挫折するかもしれないけど。
 そう考えると,「あと10年」+「余禄としての10年」というのは短いとは全然思えないな。むしろ長いぐらいだ。40歳なんてロートルもいいところだと高校生の頃は思っていたけど,なってみれば,やっとロートルへの足場をつかんだぐらいなんだなぁと感じる。無愛想な古本屋程度の売り物と,抑制された自己主張度合が似合うロートルになるべく,あと20年,できることをできるだけやっていく所存であります。

生涯家計簿をつけてみた

 20年支払いの住宅ローンを組んでから早一年,自分の今までとこれからの収入&支出を整理すべく,Excelで生涯家計簿をつけてみた。40年生きてきた経験に基づき,これから毎月あるはずの収入&支出や,一時的にドカンとかかってくる大規模支出(>10万)を皮算用的に組み入れて,ワシが60歳の定年(65歳の間違いじゃないよ)を迎えるまでどの程度の資産形成ができるかを勘定してみたのである。
 結果。
 ふー,何とか年金が出るまでの5年間は食べていける程度にはなることが判明した。もちろん,今のまま健康で持病もなく親もつつがなく別居して生活し,ワシは永遠に一人で生活するという前提に立てば,の話。どーせこのとーりなんていくはずがないので,まあ思いっきり楽天的な仮定に立脚していればとりあえず人間らしい(ひとりもの生活が人間らしいと言えるならば,だが)文化的な生活が送れるよーだ,というだけである。
 積算根拠となる月々の細かい支出明細をまとめてみたら,まぁこれが質素なこと。もちろん「貧窮シフト」と銘打って食費を絞り込んだりしたから,そのせいでもあるんだけど,ホント,ワシの生活ってば,手取り年収240万で十分やっていける程度のものだったのである。これに住宅ローンその他の遊興費が加わっても+xx万程度。してみれば,ワシの生活水準って,初任給以来ほとんど上がっていないのである。修士出てから入社(入団)したので,当時の手取り分は大体20万円ほどだったのだ。いやぁ~,社会人の生活態度って,ホント,初任給で決まるんじゃないかというぐらい変化なし。困ったモンだっつーか,四十路になっても成長しない奴と言うべきか。もうちっと風俗とか酒とか博打とかにのめり込んでも良かったものを,ぜんっぜん興味が沸かないまま,十数年を過ごしてしまったのである。
 唯一,読書習慣だけは変わらず,以前よりずっと高価な単行本や専門書(洋書ばっか)をバンバン買うようになっている。よって確実に増えたのは本代なのだが,その分,人付き合いを全くしなくなってしまったので,酒代は全然かからない。もともと家で飲む習慣がないし,ワシの一家は正統なモンゴリアンの血を受け継いでいる下戸なので,一人ではアルコールを摂取しようという気が全く起こらないのである。だもんで,飲酒はゼミコンパの年3回程度+α。酒飲まないと,ホント,金かかりません。つーことで,ワシは飲む分を読む方に回すようになった,誠に辛気くさい中年親父なのであります。
 おまけにネットの接続料の安くなったこと。最近はボチボチ高止まりしそうだけど,それでも世界水準からみて,日本の光ファイバー接続料金は段違いに安い。すべてはテカリハゲアントレプレナー親父の無茶苦茶な営業努力のせいであろうが,読書中毒のヒッキー中年男にとって,無尽蔵とも言える活字量がなだれ込んでくるネットの情報を読むだけで十分至福の時間が過ごせるというものである。これでますますリアルなおつきあいが絶えてしまった。いいんだか悪いんだか・・・っていいわなきゃないよな。ま,それでも月々7000円の元は取っているものと確信しております。これなかったら,もう少し人間らしい生活を送れたろうに(言い訳)。
 ということで,つらつらと計算しながら過ごした日曜であった。どーも,こういう計算でもしていないと生きるモチベーションが沸きづらいのがひとりものの厄介なところ。ご家庭のおとーさんにでもなっていれば,自分よか子供や奥さんや奥さんのご両親やらのことも心配せねばならず,とてものことこんなノンビリ計算なんぞしていられず,ガシガシと仕事に邁進されるんでしょうけどねぇ。
 自分の手持ち財産だけが頼りとなり,一人通帳を抱え込む独居老人・・・ってのは「寂しい老人」のプロトタイプなんだろうが,ワシとしては,抱え込むだけの通帳を作っていきたいというのが,偽らざる心境なのでございます。寂しがるのはその後でイーじゃん。
 衣食足りて 寂しさを知る老人となりたい 今日この頃なのでございます。つーか,これって,今の日の本に住む若い奴,共通の念願なんだよなぁ。せいぜい税金支払える奴は支払って,公共の福祉を支えてきたいものである。

テロの時代とささやかな回避策

 年金問題,医療問題で何かと騒がれることの多い厚生労働省の事務次官経験者の自宅で血なまぐさい殺傷事件が2件起きた。まだ事件の背景は全く不明だし,テロかどうかも分からないけど,少なくともこの事件に関して,この被害者達,特に次官OB本人に限りない同情が寄せられているという雰囲気ではないことは断言できる。「テロ許すまじ」という意見が,とりあえずはマスコミの表面では流されているが,さて,結構な数の世間の方々の腹の内は「・・・やっぱり」というところではないのか。もっとハッキリ言えば,溜飲を下げている人間も少なからずいるんじゃないのか?
 ワシ個人としては,次官OBに責任が皆無であったという報道だけは抑制すべきだと考えている。もし今回の事件がモロモロの不祥事に起因するものだとすれば,このような報道は火に油を注ぐようなモノであるし,実際,社会保険庁の長官まで務めておきながら責任がないなどと言えるはずがないのだ。責任はあったがその取らせ方としてテロリズムはよろしくない,ぐらいの言い方をして欲しいモンである。そして是非とも天下りを抑制する実効策を実現させろと論陣を張って頂きたい。テロの抑制には,徹底した取り締まりと同時に,その根幹となっている人々の感情を鎮めるための社会対策が必要であることぐらいは,賢明で高給取りのマスコミ陣の方が知らないはずがないでしょ?
 しかしまぁ,ヘタするとこの先,テロの時代が長く続きそうだな,という気がする。少し前に,ワーキングプアの若者が執筆した「戦争を欲望する」という文章が話題になったが,論の巧拙はともかく,共感する人は多いんじゃないか? 特に就労環境が悪化しつつある若い世代には,この先行きにイヤなことしか待っていない出口のなさそうな状況を脱する唯一の手段を,革命や戦争といった社会の不安定化に求める人も少なからず存在しているのだろう。実際,少子高齢化が進み,国の財政が国債の利払いに押しつぶされそうなこの日本は,全体としてダウンサイジングが進む他無く,その過程でさまざまなひずみが音を立て,よろしくない事件となって現れてくる。原則として,それは嘆息したり八つ当たりしたり自己内省したりして個々人がやり過ごしていく以外,どうしようもないことではある。
 どうしようもないことではある,が,この状況を少しでも良い方向,とは言わないが,更に悪化させることがないようにするには,今から徐々にでも年寄り世代から若い世代へ富を配分する仕組みを構築していくのが,ささやかではあるけどある程度の回避策にはなるとワシは考えている。具体的には消費税率のup,環境税の導入と,ある程度の累進課税の強化(しすぎると橘令みたいな奴が真っ先に逃げ出すから)を行って財源を増やしつつ,子育て支援の充実,高校までの教育費の援助(大学以上はある程度の自由競争を維持した方がいい),職業教育の拡充を行う。まあ民主党が総論では賛成しそうな案な訳だが,自民党でも共産党でもどこでもいいからまずは財源の手当をきちっと言ってから大盤振る舞いをして欲しいというのがワシの一番の願いなのである。そうじゃなきゃ,いくら個人にクーポン配ったって,誰も信用しねーって。そういう意味では選挙前に消費税導入を言い出した大平正芳は偉かったよなぁ。
 とまあ,ワシの政治に対する注文はありきたりのものだ。残りはワシら国民一人一人が行動を起こすことで微力な支援をするよう心がけることで担うしかない。とゆーことで,ワシら個人は,特にワシみたいにまだ仕事がある人間は,自分より若い世代のやることに対していくらかでも金銭的援助をすべきだろう。投資でも良いし,寄付でもいい,お小遣いでもいいし,アルバイトを頼んで対価を払うということでもいい。何でもいいから年寄りの抱え込んでいる金を若い世代に回すこと。これこそ真の米百俵って奴ですな。口先だけの精神的援助ってのは,火に油を注ぐだけだからダメである。
 実際,ちゃんと税金が免除される寄付の仕組みができて,「若者の教育や就労を助けます」と呼びかければ,額はともかくいくらかは集まるモンだと思うのよ,ワシ。数万でも数十万でも数百万でも教育ファンドとか就労ファンドみたいなモンに回れば,例え効果は薄くても希望の光ぐらいは灯せるはずだ。・・・何かマザーテレサみたいなこと言っていてこっぱずかしいけど,そんなこと恥ずかしがっていられないぐらい状況は切迫していると,ワシはホントに心配しているのである。
 なだいなだが相互扶助を言っても自分ら老人が存命中の年金福祉を確保する方便にしか聞こえないし,まー,あと定年まで十年未満になっちゃった連中の浮かれっぷりったら,見ていてホントに(不穏当すぎるので削除)と腸が煮えくりかえる思いがする。嘘でいいから,内心ほくそ笑んでいてもいいから,少なくとも自分より若い世代には「頑張れよ」と言って肩を叩いて欲しいモンである。それが世代を繋いできた人間としての,若い世代への礼儀ってモンだろう。礼儀をわきまえたら,その先に,わずかでもいいから次の世代への「投資」をお願いしたい,というのがワシの願いだ。金額は少ないけど,ワシはもう実践を始めている。その心がけが広まっていくことで,テロの苗床を増やさずに済むはずなのだ。
 普段からロクでもない言動と惰弱な頭脳で世間に迷惑ばっかりかけているワシだが,こと「若い世代への投資」となると途端に真人間になってしまってこーゆー文章を書いてしまう。それはワシ自身がかつて年上の世代から多大な恩恵を受けてきたという思いがあるからだ。ワシが齢40になるまで受けてきたような恩義を,皆さんも次の世代に還元していきましょうよ,と言いたいだけのことなのである。そうすれば,皆貧乏になっても刃物を振り回すことなくそこそこ平和な生活が送れる,とワシは信じているし,そこにしか希望はない,と確信しているのである。

「らき☆すた」への恩返しはテロ対策足り得るか?

 遅ればせながら,株主になった。
 角川グループホールディングス100株。
 最低売買1単位分でしかないが,ワシみたいな一般庶民には結構な金額であった。まあしかし,購入予定だった斜めドラム式洗濯乾燥機の性能に疑問符が出てきた上に,能登半島生活以来15年以上付き合ってきた2層式洗濯機の調子がまだビンビンに良いので買い換える意欲もすっかり失せてしまい,洗濯機買替用にとチマチマと貯金してきたおゼゼが浮いてしまっていたところだったのである。遊ばせてもしゃーない,恩義もあるしな,とばかりに投資へ回すことにした。
 住宅ローンをこの先20年も支払わねばならぬワシのメインバンクの関連証券会社に口座を開き,オンライントレードなぞ仕事の邪魔にしかならないから手続き不要と,電話から売り注文を出した。結果,斜めドラム式洗濯乾燥機に少し付け足すぐらいの金額であっさり成り行き買いができたから,ま,この夏の買い物はこれにて終了ということになったのである。
 何故角川だったのか? それは,昨年ワシが久々にはまったアニメ「らき☆すた」への恩返しに他ならない。何せ,すっかり朝方になっていたワシが深夜に放映しているアニメを見れるはずもなく,ついつい目の前にあるPCを通じてYouTubeに違法アップされているもので視聴を済ませてしまっていたのである。
 ごめんなさい。すいません。著作権を厳格に守るべき,そして守らすべく教育に励むべきものが,違法アップロードされているものをついつい24話分,ひとつ残らずぜぇ~んぶYouTubeで眺めてしまっていたのでした。ここに懺悔の意味を込めて謝罪する次第・・・なわけ,ないだろうっ!
 つーか,もしこのアニメがYouTubeにアップされていなければワシがこれにハマることは絶対になかったのである。その存在を知ったのも,ワシが愛読していた某同人サークルさんの日記経由だったし,そこからYouTubeへの番組主題歌へのリンクが張ってなければ,もろ三十路台オタク崩れ世代をターゲットとしたパロディ満載のそれを知ることもパーペキにありえなかったのである。ワシにとってはYouTubeさまさまなのであり,著作権や広告収入を逸したTV局や制作会社には申し訳ないが,時間に余裕のない社会人にとっては大変ありがたいメディアであった。何せ,毎週最新の放映が終了すると数時間後には必ずそれがアップされているのである。しかも余計なCMなし。便利極まりないとはこのことである。
 もちろん違法は違法。YouTubeでもニコ動でも目に余るものはドンドン削除されていき,らき☆すたについても一部は削除の憂き目にあっている・・・が,どうもそのペースは遅いよな,と感じていた。もちろん削除される端からまた違法アップされるといういたちごっこが続いているってこともあるんだろうが,かなり古くからアップされている,特に画像が若干粗いものはそのまま残っているケースが多く見られたのである。人手をかければ違法アップ動画の削除はそれほど難しいものではないから,どうも意図的に「お目こぼし」していたのではないか・・・との感触を持った。
 で,それが事実であったのは,このニュースとかこのニュースで明らかとなる。ほほう,やっぱり違法は違法・・・だが利用価値もありそう・・・そう冷静に判断する人材がちゃんと角川にはいたのだな・・・と感心させられたのであった。同時期に行われていた文化庁の著作権審議会では現状いやもっと古臭い権利ビジネスの枠組みでしかモノを語らない著作権利者団体の言動にうんざりさせられていたところだったので,この角川の姿勢はワシにとっては一種の清涼剤となったのである。
 ここは一つ,さんざん違法動画をただで見ちゃったことでもあるし,贖罪の意味も込めて角川さんに僅かながらも「おひねり」を投げ込んでおこうか,ということで,今回100株分の投資をさせていただいた次第である。
 今から予告しておくが,この先,世界中で「著作権テロ」が頻発することは間違いない。いや,もっと広く「知的財産権テロ」というべきか。ともかく,権利を持っている者に対して,持たざる者があらゆる手を尽くして権利を踏みにじる行為が,世界中に溢れること間違いない。それも声高に「権利を使ったんならその分金よこせ」と厳しく言いつのる輩に対しては相当過激な反動が襲い掛かってくるであろう。加えて,「無視」という合法的な手段によっても,報復がなされるに違いないのだ。「テロリスト」はこう言うに違いない。「それは一重に,知的財産を形成するために不可欠だった社会環境への配慮と,ちら読みを許すことで得られる広告効果を無視したことによる当然の報復である」,と。そしてこのテロリスト達には,相当数の支持が集まること間違いないのである。
 じゃ,どうすればいいのか?
 テロには飴とムチで臨むしかないことは,もう世の常識である。テロの土壌を無くすべく,ある程度の「お目こぼし」システムを作っておくと同時に,目に余る不正に対しては断固とした態度で取締りを行う。現状に甘んじる限り,この態度をとる他ないであろう。しかし個人的には,もっと「お目こぼし」システムを拡充し,お目こぼしそのものから利益を得る仕組みが取れないもんかと思うのだ。角川がその方向に向かってくれるとユーザとしても株主としても2重に嬉しいのだが,果たしてどうなるか。テロへの不安と,角川への期待の両方を抱えつつ,ワシはこの先の展開を注意深く見守っていきたい・・・あ,一応株価も,ね。