うひょー,様々な予定がみっしり詰まってきて,もう身動きがとれなくなってきたぞぅ。とゆーわけでblog更新は函館帰りまで無理かも。
何だか,世間が高校の必修逃れだの,中学生の自殺だので騒がしいが,今度はとうとう真面目な役職者にまで犠牲者が出た。
ワシはイジメの体験者(中学生時代)であるし,現在一応教職に携わる者であるから,それなりにニュースはウオッチしていたが,どーも,教師や教育委員会に対しての世間の風当たりはかなり強く厳しいな,と感じる。まあ,教師なんて輩は元来そんなに沢山は不要な職業なのだから,少子化の昨今,大規模なリストラがない方が不思議なぐらいである。ワシ自身が遠からぬ将来,路頭に迷うことになったとしてもやむを得ないと思う。
しかしそれにしても,もうちっと冷静な議論が第三者から提起されても良さそうなものだが,あんまし聞かない。そんな頭に血が上った昨今,今朝の「森本毅郎・スタンバイ!」のニューススタンバイ・渡辺恒雄(ナベツネじゃない別人)の意見は貴重なものであった。
世間で事件が起き,怒りががわっと広がる,という事は必要なことだとは思うが,しかしその怒りの矛先は大概,本来向かうべき所とは違う所を突いてしまうものらしい。今度の校長の自殺はその典型例だと思う。
岐阜の中学生の自殺も,報道を見る限りはどのぐらい「いじめ」とやらが深刻だったのがよく分からず,sensitiveな時期の衝動的な行動だった可能性が拭えない。学校の対応が二転三転していることに批判が集中しているようだが,今のところはやむを得ない事情があるように思える。遺族が激高するのは当然であるが,当事者以外の人間はしばらく事態を静かに見守るべきだ。それとも担任や校長が首を吊るまで,電話やメールやFAXを送りつけるのが正義だ,とでも言うのか? 教師がリストラされたり責任を取らされることはあるだろうが,生きる権利ぐらいはあるだろうよ。
Michael Mooreの有名なドキュメンタリー映画,”Bowling for Columbine“は傑作だと思う。Mooreの思想についてはあれこれ批判はあるだろうし,ワシとも相容れないところが多いが,しかし映画の語り口はうまいし,いい所を突いていると感じている。
この映画はColumbine高校の銃乱射事件を扱った作品だが,その中でかの悪名高い(褒め言葉)”South Park“の制作者がインタビューに答えている。学校なんぞは教師が生徒を優等生の枠にはめようとするだけのつまらんところだ,数年我慢して世間に出れば自由になれたのに,と。
現役教師としては失格だろうが,この言葉は,今,いじめられている人全てに贈りたいと思う。
寝ます。