1/1 (金・祝) 駿府・晴

駿府城方面から年明け初の富士山

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。

 年越しの後は、ガースカ寝て、雑煮食べて、神さんのご実家で寿司をご馳走になり、年賀状の返事を書いたら投函し、リングフィットアドベンチャーで汗を流して風呂入ってぐっすり寝られたら良いなぁ。まぁ、人生このぐらいの幸せが良い。

 今年もボツボツやっていきます。

12/31(木) 駿府・晴

 シベリア方面からの寒波来襲につき,ピーカン晴れな静岡。富士山は程よく冠雪しており,明日は良い初日の出が拝めそうである。良きかな。

 一方,コロナウイルスは活発に東京23区で猛威を奮っており,本日とうとう1300人に到達。飲食店の時短要請も掛け声だけでは効き目なく,罰則付きのコロナウイルス特別対策措置法は1月下旬になるということだから,これからセンター入試が始まるというのに大混乱ぶりが目に浮かぶようである。クラスタ潰しでは対処できない状況なんだろうな。冗談抜きで,関所がつくられるやも知れぬ。

 昨日で年越しの準備を前倒しで進めていたので,うま煮は準備O.K.,懸案だった自宅書斎の床置き本も一掃できた。

 段ボール7箱は年明けにBook Offに差し出す予定。二束三文だが,まぁ引き取ってくれればそれで良い。これ以外にも同人誌の山を5つほど古紙回収に出した。メルカリや駿河屋にでも出せばそれなりに収益は出そうだが,面倒だしなぁ。ま,歳も歳だし,腰を痛めそうな重いものはなるべく減らして定年を迎えたいものである。

 ということで,年越しはまったり年越し蕎麦を食ってリングフィットアドベンチャーでカロリー消費して校正も手がけて寝る予定。早くワクチン出回って大手を振って東京に遊びに行きたいものである。オリンピック後になるかなぁ。秋口か。それまでは生き延びていたいものである。

 本年も多数の皆様にお世話になりました。
 来年もよろしくお願い致します。

 では良い年越しを。

小梅けいと「戦争は女の顔をしていない」1巻,「同」2巻

小梅けいと「戦争は女の顔をしていない」巻,,「同」

1巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-04-912982-3, \1000 + TAX
2巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-04-913595-4, \1000 + TAX

 本書の元となる連載が始まったと聞いた時,ワシは「おっ!」と思ったのである。

 ノーベル文学賞を取った原作を「小梅けいと」が描き,監修に「速水螺旋人」が付くというではないか。前者は「くじ引きアンバランス」以来だが,ワシの好きな漫画家だし,後者はここでも何作か紹介したことで分かる通り,身悶えするほどのファンである。正直,原作に関しては関心の埒外であるので,どういう作品かもTVニュース報道以上のことは全く知らなかったが,本年最初に1巻,そして本年末に2巻が出た本作を一気読みし,ワシは久々に原作も紐解いてみようかという気になっている。つまりこれは,このコミカライズ作品がそれだけのパワーを持っている傑作であることの証なのである。つ〜ても原作を未読である故に,以降の記述は純粋に本コミカライズ作品についてのみのものなので,その点は弁えて頂きたい。

 戦争を描いた作品については,ここでも何度か引用しているいしかわじゅんの意見をワシは一つの基準としている。

 いしかわじゅんは「いわゆる反戦漫画とか戦争漫画を」「あまり読まない」と言う。その理由はこうだ。

その多くが,苦しいと描いてしまうからだ。痛いと,辛いと,悲しいと描いてしまうからだ。現実の大きさに甘えて寄りかかり,表現することから逃げてしまっているものが多いからだ。
 大きな事件があって,それを克明に描いていけば物語の形にはなる。傷を負って痛いと描けば,痛みはわかる。愛する人を失って悲しいと描けば,もちろんそれは伝わる。しかし,それは表現ではない。

「秘密の本棚」小学館,P.369

 この基準に照らし,本作はというと,及第点は楽にクリアしていると言える。ボブ・ディランがそうであるように,直接的な戦争を描いた作品ではなく,その周辺から,つまり,戦争というものが主として男同士の殺し合いであることを逆手に取り,女性側,それも実際に志願して戦争に参加した女性兵士の視点から描いた「大祖国戦争」のドキュメンタリーになっているあたり,伊達にノーベル賞をとっていないなと感心させられた。「戦争は女の顔をしていない」とは,まさにこのことを指し示しているタイトルであるのだなと,改めてその言葉選びのセンスにも嘆息してしまう。

 ナチス・ドイツとコミンテルンの親玉たるソビエト連邦(現・ロシア連邦)との,真反対のイデオロギーのぶつかり合いとして,起きるべきして起きてしまった壮絶な総力戦,それが大祖国戦争である。もちろんこれはソ連側の言い方であるが,それだけ激しい祖国愛をぶち込んだ激しいものであったということでもある。本作では巻末にいつものごとく螺旋人の異様に細かいコラム2ページが付録に入っているが,これをきちんと読むとそのあらましがよく分かる。もちろん螺旋人の愛読者たるワシには周知のことではあるが,改めて戦争ってのは,始める時よりも辞め時が難しいモンだなと感じる。まして,男女同権を高らかに宣言した共産党としては,意欲の高い女性を活用しないわけにはいかず,戦闘機の操縦士として,スナイパーとして,看護師として,時には将校の慰み者として,祖国に準じていくのである。総力戦の行き着くところ,講和などという妥協の産物は役に立たない。ヒトラーも追い込まれて米英との交渉を考えたようだが,東西より押し込まれてガソリンを炊き付けとして消えてしまった。ヒトラーの頭を銃で撃ち抜かせた原動力は,ベルリンに突入した赤軍(ソ連軍)を構成した,この女性たちであったこと,間違いないのである。

 一つ一つのエピソードは戦争から帰還した女性兵士からの聞き書きであるが,それ故に具体的で,懐かしさと苦しさと,自分だけが生き残って原作者に語るという罪悪感に満ちている。小梅けいとの白く,それでいて色気のある描線がその内容の真摯さを担保しており,ソ連時代のロシア人の独白は,人種に関わらず突き刺さってくるものばかりである。なるほど,これがノーベル賞かと,改めて感心し,原作に手を出そうという気にもなってくるというものである。

 コロナ禍の最中,引きこもりのついでに,「女の顔をしていない」極限状況に思いを馳せるのも悪くない。この日の本だって,平和ではあるけれど「女の顔をしていない」社会情勢であるという共通点があるのだし。

12/20(日) 駿府・晴

 先週から急激に寒気がシベリアから降りてきたらしく,平年並の寒さになってきた。日本海側はドカ雪に見舞われて関越自動車道が通行止めになり,自衛隊にお出まし願うという有様。コロナ大流行に陥った旭川や大阪でも自衛隊に助けを求める状況で,かなり末期的な感がある。ワクチン接種は来年から少しずつ開始されるようで,夏までにはだいぶ良くなるかなとは思うが,それもこれも東京オリンピックのためと思うと,何だかやるせない気分になるのは気のせいかしらん。何かとこの手の公共事業でしか金の使い道が見つからないという老齢化社会日本を象徴しているように思えて仕方ないんだよなぁ。

 何とかシコシコ間に合わせて「Python数値計算入門(仮)」,入稿しましたよ全く。PEP8に合わせてソースの書式変更が一番面倒くさい上に不毛っぽくてイヤんになってきたが,関数定義の後は2行明けという規則のおかげで行数は稼げるという,著者にとってのメリットはある訳で,痛し痒しかな。何にしろ,次週には第一校が到着するとのことで,正月は暇を見ながら校正作業に勤しむことになる。全く,額縁よ〜なのによー働くなワシ。しかしこれで当面本を書くこともなさそうだし,プログラミングに勤しむことにしよう。

 とゆーことで,何とか「AVX2によるマルチコンポーネント型多倍長精度行列乗算の高速化」が形になってきた。

まぁ先達のある研究なので二番煎じ的ではあるけれど,Strassenとの組み合わせて最高速を目指すというところは売りになるかと。第一校が到着するまでには日本語の下書きは終わらせて,ヘボ英語DraftのArxiv登録は済ませてたいところ。どーなりますことやら。そろそろ線形計算の飽きてきたんで,直接法と疎行列の実装終わったらいよいよアレに着手したい。夏休み以降の課題なんだろうけどねぇ。

 つーことで,次年度の実験講座向けの資料の作成,大体材料は揃った。

 Flaskで計算させようという実験資料

 どーせ全部は終わらないので,これに追加する形でDeep Learningに繋げるような内容にして,卒研ネタにできればいいかなと。要素技術の追求は個人的には面白いし,定年後もやりたいお仕事ではあるんだけど,若い世代にそれを押し付けるのは老害もいいところ。やりたい向きが自発的に取り組むのはいいけど,総合的な技術の積み重ねの小山に登らせる経験なしで盲目的に下積み的テクニック習得に時間を使わせるのは教育機関としてはよろしくない。ま,FlaskでMVCの習得をさせてPythonにも慣れて貰うというのは一応その方向ではあるので許してもらえるかなと。

SIRモデルで,平均感染期間2週間(14日,左図)と3.5日にして計算したものを題材の一つとした。やっぱり感染者数(オレンジの線)が違うんだなと再認識。

 さて,コロナ禍でドタバタの本年もあと2週間,今週末で職場も仕事納めに入る。今年末はぷちめれ祭りする暇もなさそうなので,数冊,現実逃避がてら紹介することにしようっと。

 山下達郎の朗々としたクリスマスソングを聞きながらの,穏やかな日曜日でございました。ひと段落済んだらまたなんか書こうっと。

幸谷智紀・國持良行「情報数学の基礎(第2版)」森北出版

幸谷智紀・國持良行「情報数学の基礎(第2版)」森北出版

[ Amazon ] ISBN 978-4-627-05272-7, \2200+TAX

 さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。引退したク○教授どもが(当時の)若手教員二人に押し付けた新科目「情報数学基礎」のテキスト,紆余曲折あって森北出版社長の目に止まって出版に漕ぎ着け,所属大学以外でもあらびっくりのアラビア石油,テキストとして採用してくれたってんだからありがたいことこの上ない。本学だけでは売り切ることができないところ,5刷まで行ったてんだから僥倖僥倖これ僥倖,「本文二色刷りにして第2版を出しましょう!」と第1版担当編集F氏は宣うたのもこれ自然,著者としてはありがたいことこの上ない。是非もなし,どうぞどうぞと承諾すればコトが済むかと思いきや,「グラフ理論の章を追加して,まえがきからもう一度全面校正をお願いします。ついては第1版から追記・変更・修正するところがあればそれご指摘的下さい」ときたモンだ。クリビツ仰天,何せ著者二人は管理職,と言えば偉そーだが実態は単なる雑用係何でも屋,コロナ禍でしっちゃかめっちゃかのところに新章書き下ろしの上に全ページ校正アリだというから笑っちゃって腰が抜けるところを反射神経的に「いいっすよーやりましょー」と返事しちゃったんだから間抜けというかなんというか。んじゃ下書きよろしくです〜といつものよーに頭脳労働担当著者にぶん投げて,まぁそのうち出来たらワシが手を入れればいいやぁと呑気に構えていたらあっという間に「下書きできました」ときたモンだ。どーせ期限内にはできないだろうと悠々と構えていた所,こうなりゃ仕方ない,全面的に文章入れてリライトして図もたくさん追加して肉体労働担当著者としてでっち上げましたよ超特急で。その後は森北の編集氏とワシらとの間でやれこの題材はコラムじゃなくて本文にしろだの何だの変更しまくって頭からの校正も2回やってどうにかこうにか本日(2020年11月26日(木))販売に漕ぎ着けたという次第。20ページ近く分量増えて読みやすい二色刷りになったのに何故かお値段据え置き2200円(+TAX)! 今日日,容量減らしてお値段据え置きとかフザケタ実質値上げが相次ぐこの日の本で,なんて良心的なんだと涙が出てくるってシロモンなのだ。さあ買った買った買ったぁ!

 ・・・というヤケクソ的な愚痴はともかく,好評頂いたのは著者としてはありがたいコトこの上ないのは事実である。「理工系大学でこの程度?」という批判も覚悟で書いたモノだが,第2版が出たということは,まぁつまり「この程度」のための邦文テキストが存外に存在していなかったという事実が判明してしまったということなのだ。プログラミングやデータベースや情報理論をこれから勉強しなきゃならんのに命題論理も集合も写像も関係も知らんでは困る。いやそれ以前に高校までの数学では何を習ってきたか,計算手法じゃなくて学ぶべきは「概念」であって,記号はその表出に過ぎないということから説き起こす必要がある,というニーズをコンパクトに本文171ページに納めたのが第2版に漕ぎ着けた一番の理由ではないかとワシは睨んでいるのである。

 大体,研究者の書いたものは東海林さだおが言うところの「ドーダ」が多すぎるのである。鹿島茂が定義したこの「ドーダ」=「過剰な自己愛的表出」,早い話が「能力自慢」,まぁオベンキョーを生業とする学者先生の職業病みたいなモンだから仕方のないことではあるが,初年時の学生に対して「ワシらは専門家であるからしてこれだけのことを知っていてこのぐらいの問題は楽勝なのだ「ドーダ」」の山を押し付けることはアカデミックハラスメントにすらなりかねない。申し訳ないが,ワシらがこのテキストを書いた頃には既存の「離散数学」のテキストはかなりの「ドーダ」的な代物であり,「センスがない奴には解けないだろ?」という,良問だが,それ故に捻った演習問題に満ち溢れたモノだったのである。習得できれば何ということもないが,概念の理解と暗記だけでも大変なのに,問題が素直に解けないモノであれば,成績下位者から投げ出してしまうこと間違いない。本学に「情報数学基礎」という必修科目が設定されたのは,ともかく論理・集合・写像・関係という最低限の離散数学用語と記号と概念の習得をして貰わねばこの先がない!,という,主として数学担当の教員による要請によるものなのである。が,サイテーなことにこの科目の必要性を訴えた○ソ教授どもが担当するのイヤがってワシら若手(当時)に押し付け腐ったモンだから,「まぁこんくらいなら大丈夫かな」という内容に落ち着かざるを得ず,「ドーダ」の入れようがなかった,というのが偽らざる真相なのである。

 しかしまぁ,結果的に,中学・高校数学との接続も意識した必要最低限の解説と,素直極まりない演習問題にしたことが,テキストとしては良かったのであろう。実際,数学的センスを必要とする場面が現実にそうそうあるかというと案外そうでもないし,センスなんてモンを発揮する以前に,概念習得がまず先にあって然るべきなのである。一通りの概念を学んだ後でないと,有段者のセンス良さに感心することすらできない。逆に,センスの良さばかり追いかけていると,情報処理における「肉体労働」,つまり「プログラミング」の重要性を軽んじる「評論家バカ」,つまり「眼高手低」の輩に堕してしまう可能性があるのだ。まずは素直に概念習得しましょう,そのための必要最小限のひねっていない問題解いて慣れましょう,それが本書のコンセプトなのである。

 ワシらが目指しているのは,アイディアの有用性を理解する基礎知識の涵養であり,プログラミングテクニックを通じてアイディアを実現する技術の習得であり,そのためには,プログラミングのための概念の修養が重要である。本書はそのための簡易覚え書きであり,それ以上でもそれ以下のものでもない。分量の少なさ,演習問題のストレートさは,概念理解のスピードアップを図るためのものであり,センスの涵養を行いたい向きには,前書きにも書いた通り「もう少しレベルの高い(ドーダが詰まった)「離散数学」のテキスト」や「(純粋ドーダの塊である)情報システム関連の論文」を使った教育を行って頂きたい。その際には本書を露払いとして使用して頂ければ,著者としては「この程度」で書いた甲斐があった訳で,ありがたい限りなのである。