横田増生「潜入ルポ アマゾン・ドット・コム」朝日文庫

[ Amazon ] ISBN 978-4-02-261684-5, \880
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 下世話なタイトルだなぁ・・・というのが本書を文庫新刊コーナーで見たときの第一印象である。きっとグローバルスタンダード許すまじ,派遣労働者搾取ハンターイとゆー聞き飽きたスローガンで終わるのであろうと思いつつ,生まれつき下世話なワシはいそいそと本書をレジに運び,この正月に読み始めたのである。で,一気呵成。ゲスな好奇心もある程度は満足させてくれるが,それよりも,予想外に客観的データの裏付けがしっかりなされた論考が多くて,う~む,さすがアメリカ仕込みのジャーナリズム作法を身に付けた著者だけのことはある,と感心させられる。
 毎週ほぼ欠かさず視聴しているvideonews.com主宰の神保哲生曰く,ジャーナリストの基本は「一歩前へ」だそうで,この「一歩前」の意味は,著者・横田増生がディズニーランドにほど近いAmazon.comの物流センターで,一アルバイトとして「潜入ルポ」したことはもちろん,もっと深いAmazonの売上高の調査等,客観情勢の「分析」も含んでいる。文学的修飾詞が少なく,イデオロギー的ドグマ臭も皆無である本書は,「一歩前へ」踏み込んだジャーナリストの成果物としてはもってこいのお手本教材なのでは,と思えてくる。
 ちょろっとネットを検索してみれば分かるが,Amazonの物流センターの様子は結構あちこちから発信されている。もちろん匿名情報だし,信頼性については疑問符が付くような自己擁護的物言いが多いが,その中でもVIPのこれは,回答者が分かりやすく的確に短い受け答えをしていて感心させられた。で,本書の記述と比べながらざっと読んでみたが,センターの規模は売り上げに比例して大きくなっているようだが,基本的に派遣労働者によって支えられている職場であり,冷暖房なしで立ちっぱなし,とはいえ無体で過酷な労働かというとそうとも言えない,という点は著者が潜入した2003年末~2004年とあまり変わっていないようである。人の入れ替わりが激しい,ということは褒められた話ではないが,誰でも来る者拒まずで受け入れ,短期で働きぶりを見た上でこまめに労働契約を結びなおす,という点ではコスト削減に忙しい昨今の日本の労働環境とさほど変わらないとも言える。
 本書の記述で何より面白いのは,冷暖房のない職場にぶーぶー言いながらも資料集めにAmazonを使いまくる著者の矛盾的姿勢だ。とにかくAmazonぐらい顧客サービスが徹底している通販も珍しいのである。
 ワシの経験を紹介しよう。Amazon立ち上がってまだ日本法人もなかった20世紀末,注文したものと違う洋書が送られてきたことがあった。早速メールで問い合わせると,お知らせいただきありがとうございます,返送は結構ですので,ご不要ならばどっかの図書館に寄付して下さい,という返事が来て感動した覚えがある。まぁ返送してもらうよりは正しい注文品を再度送った方がコスト的に安いってことなんだろうが,横田が本書で指摘する通り,かつての日本の書店の態度の悪さ,発注のめんどくささ・不正確さに比較すると天と地の差があるなぁと思ったものである。以来,ワシは毎月なにがしかの商品をAmazonに発注するようになったが,今のところトラブルにあった経験はない。本書に記述はないが,Amazonに日本進出を決意させた理由は,送料が高いにもかかわらず洋書の注文が日本から大量に来た,ということも大きかったようである。こんだけサービスが良いんだから,横田に限らず,書籍資料が必須な商売でAmazonを利用したことのない人間は皆無であろう。
 著者は言う(P.101)。

 私はその後も,何人もの(注:同じAmazonの物流センターで働く)アルバイトに「これまでアマゾンで買い物をしたことはあるか」と事あるごとに尋ねてみたが,「買ったことがある」と答えたアルバイトは一人もいなかった。
 (中略)
 つまり,センターを這いずり回るようにして本を探す人と,自宅のパソコンから本を注文する人とは違う人たちなのだ。アマゾンの安くて迅速なサービスを享受する人と,それを可能にするために労働力を提供している人たちとは,ある意味別な階層に属している。
 以後,私の心の中には,職場としてはこの上ない嫌悪感を抱きながらも,一方利用者としてはその便利さゆえにアマゾンに惹きつけらていくという相反する気持ちが奇妙に同居していく。
 そしていつまでもその気持ちに,居心地の悪さを感じていた。

 本書読了後,ワシは何の躊躇もなくアマゾンに発注できなくなっている(でもしちゃうけど)。その時の気分は,全く上記の通りである。
 Amazon創業者のペゾスが目指した顧客第一主義は正しい,コスト削減努力も正しいし,正社員登用という餌も冷暖房もない物流センターの環境に希望はないにしろ非人道的というほど過酷であるとも言い切れない。しかしAmazonが躍進した結果,解説で北尾トロが指摘するように,書籍販売の業界は,古本も含めて「緩やかな自殺」をしているような有様である。
 誰が悪い,という話ではないことは確かだ。本書は「一歩前へ」進んで調査した結果を提示し,多分,ワシらに処方箋を見つけさせるという,「一歩前へ」進むための思考回路を開いてくれたのである。

1/4(火) 掛川・晴

 ああ,新年早々,もたもたしてたら日をまたいでしまった。結構寒い。今日の朝はもっと冷え込むようで,0℃とか。雪がちらつくかな? 乾いていないので二日間,シーツを外に干しっぱなしにしているのだが,そろそろ取り込まないとやばいか。
 いきつけのスポーツクラブ再開。早速汗を流して恐る恐る体重計に乗る・・・ほっ,65kg台で収まっている。年末~正月と,元日を除いて毎日1万歩(約7km)のウォーキングを怠らなかったおかげか。しかしこんだけ歩くと足に軽い筋肉痛が残る。まだスポーツクラブでいろんな器具を渡り歩きながら小刻みに体の各部位を鍛える方が楽である。ウォーキング,恐るべし。
 正月前にさくっとやっつけてしまうはずの,CentOS + OpenMPIによるPC cluster作成の手順書,本日ようやくけりが付いた。ついでにindex.htmlを作って,今まで書いてきた手順書をひとまとめにする。ミスってたらお知らせくださいませ。
 まぁ,ログをそのまま貼り付けているだけだから,おかしい所があるとすれば,余計な操作をしているとか,余計な設定が混じっているとか,コピペミスか,その程度だと思うけど。
 こんな粗雑な文書でも,探すと案外ないんだよね,こーゆー標準的なLinux distributionを使ってMPIクラスタを作るという奴。最近物忘れが激しくなってきたので,書き残しておかないと,いざトラブった時にまごつくのだよなぁ。めんどくさくてもメモるべし。
 UNIXのテキスト,HPCとWeb(PHP5 + SQLite 3)混在のプログラミング演習書にしようと作業を開始する。来年度に間に合うかどうかは微妙で,この後すぐに情報数学基礎のテキスト最終校正作業が入ってくるから,ドガチャカになりそうである。Y博士文書も延び延びになってるし,大師匠からはいろいろご忠告も頂いたので,もう3重にえらいことになりそう。頑張りましょう!
 頑張るべく,今日はもう寝ます。

1/1(土) 掛川・晴

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。


 っつーことで,新年は遠州名物空っ風と共に明けた。太平洋側にこーゆー乾いた空気が運ばれて来る時には,日本海側で湿気を雪と共に散らしてくるというのが定番で,今回も山陰では大雪となっているようだ。してみれば,裏日本が雪雲のブロックの役割を果たしている訳で,ありがたいことである。公共事業には厳しい昨今ではあるが,除雪費用の加算ぐらいは認めても罰は当たらんだろう。
 さて,新年早々,IS03のスクリーンショットを取るべく,こちらのサイトの説明を参照しながら,Windows 7 x64環境でもAndroid SDKを設定してみた。大枠は説明どおりでいいのだが,ワシんとこは全部Windows 7 x64になっているので,少し気をつけないとイカン部分もある。
1. Java SE SDKはWindows 32bit環境のものをインストールしておくこと。x64用のものはデフォルトではAndroid SDKが対応していないようだ。
2. adb.exeコマンドがC:\Program Files (x86)\Android\android-sdk-windows\platform-toolsに入っていて,デフォルトではここを見つけられない模様。しょうがないので,tools\ddms.batの最初(14行目のrem分の下)に

set path=%path%;C:\Program Files (x86)\Android\android-sdk-windows\platform-tools\

を追加。こうしてadb.exeへパスを通してからddms.batを起動すれば,めでたくadbドライバが起動してIS03に接続できる。
is03_dalvik_debug_monitor.png
 で,スクリーンショットを取ってみた。
is03_main_shot.png
 えらいでかいが,画面が小さい割には解像度が高い(640x900)のでこんなもんか。
 コンソールからコマンドを使ってみたいので,AndroidアプリのConnectBotを入れて遊んでみる。
is03_localhost01.png
 うむ,確かにLinuxだわい。Kernel Versionも2.6.29-perfとなっている。基本コマンドはそこそこ入っているようでパスも通っている。
 ファイルシステムはこんな感じ。
is03_filesystem.png
 /data, /sdcard, /systemとあって,Linuxのシステムは/以下全部/systemの下に移動させられているようだ。いろいろ遊ぶと楽しそうなのだが,Androidアプリは基本,Javaで作らなきゃいかんようだし,ネイティブにCPUコードを吐き出させてチューニングっつーことは難しいみたいね。まぁ,リソースが必要なお仕事はCloudに任せちゃうってのがトレンドだから,これでいいのか。
 新年の仕事始めはIS03から,ということでこの辺で。今年はがんばろうっと。
 寝ます。

須藤真澄「ナナナバニ・ガーデン 須藤真澄短編集」講談社

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-375982-2, \838
nananabani_garden.jpg
 ここんとこ,毎年大晦日にご紹介する作品は,ファンタジー漫画と決めている。特に理由があるわけでなく,好きな漫画に少女マンガ系統のファンタジーが多いこと,そしてそれを一年の締めくくりの日に紹介することが相応しいように思えてきた,という程度である。
 「ファンタジー」の定義は人それぞれで,SFチックな妄想から,限りなくノンフィクションに近いものも含まれてしまう。しかしその幅広い定義に共通する「芯」に当たるものに,「「こうあってほしい」という願望が含まれていること」があると,ワシは確信しているのである。それは宗教に通じる,古来から人間が抱き続けてきた根拠なき期待であり,翻ってみれば,思うようにならない現実世界からの逃避願望というものかもしれない。在野の人々の根拠なき希望,無責任な逃避願望を肯定してくれる存在の一つとして「ファンタジー」というジャンルの読み物は今も昔も支持されている(きた)のだとワシは思う。だから「癒し系」という呼び名が登場した時は,「うん,ぴったり!」と広く受け入れられたのだ。
 その意味では,須藤真澄はまごうことなき「ファンタジー」漫画家である。エッセイ漫画を描いても,フィクションを描いても,須藤真澄の作風は微動だにしない。いや,デビュー間もない時期の作品(「マヤ」に収められているよ!)は,大きな揺れが見られ,あの独特の描線「つーてん」(主線が,長く伸ばした水滴のような形の点線になっている)も,試行錯誤の結果生まれてきたもののようだ。しかし一度固まった芸風は,わずかに変化しつつも(つーてんがちょっと間延びしてきた等),そのまま今に至っている。本書に収められた作品は2002年から2010年までの短編であるが,正直,読んだだけではどれが最新作でどれが8年前のものだか全然分からない。掲載誌も,まんがライフオリジナル(竹書房),アフタヌーン(講談社),徳間書店とバラバラであるが,全く変化というものが見られない。つか,須藤真澄という一個人一ジャンルが確固として確立していて,「ますび先生の作品を載せたい」という依頼をしているようにしか思えない。「ますび先生に細かい注文出しても無駄」と思われているのだろうか。いや,多分,「ますび作品」が読みたい読者がいて,それに応えようとしての掲載なのだ。BLを描こうと男女エロ(読んでみたい・・・)を描こうとミステリーを描こうとSFを描こうと,それはすべて須藤真澄ファンタジーになってしまうのである。
 だから,「須藤真澄ファンタジー=ハッピーエンド」というステレオタイプな理解は間違っているのだ。どんなエンディングであれ,ますびファンタジーの作用によって,ハッピーと思わされてしまうのである。それが一番よく分かるのは,飼い猫との別れを描いた名作「ながいながい散歩」であるが,本書でも,最新作「サンドシード」は,結構悲劇的な話にも演出できるだろうに,須藤真澄はそれを決してしない。何故か?
 それこそが須藤真澄を不動の「ファンタジー」作家と屹立させている源泉なのだ。どんな現実であっても,希望に満ちたエンディングに収めてしまう,その「力量」こそが須藤真澄をして20年以上もポツポツと作品を生み続けさせているのだ。その「希望に満ちたエンディング」こそが,「ファンタジー」の確信であり,だからこそ,須藤真澄はファンタジー作家の代表格と言えるのである。
 この年末,気温も財布も寒い一方であるが,まずは飯が食えて生きて年が越せることを「ハッピーエンディング」と考えれば,来年への希望を託す意味でも,本書を読みながら須藤真澄の描く「バニ」に乗ってゆらゆらとこの2010年最後の一日を過ごしてみるのは悪いことではない,と,ワシは思うのである。

2010年,皆様から受けたご恩顧に感謝します。
来年2011年も,よろしくお願い致します。

12/27(月) 東京->掛川(予定)・晴

 昨日から東京に来ている。今回は骨休め+大師匠へのご挨拶。これから神保町をぶらついてからお宅へ伺う予定である。
 ぷちめれ予定,昨年同様完全に的外れ。もう今年も残すところ5日しかない。満州祭りも無理であるからして,お詫びかたがた明日以降ちみっと更新・・・していけたらなぁ(希望的観測)。Twitterではゴチャゴチャ呟いているじゃないと言われそうだが,あれは独り言みたいなもんで,きちんとした文章はblogじゃないと無理。「書きたい意欲」をつぶやくだけで満足させられるほど,ワシの煩悩は惰弱ではないのである。バリバリ書こう,いや書きたい,でも計算もしなきゃなぁ・・・と気ばかり焦る年末はすでにワシの血肉となっているのである。
 昨日は家事をさっと済ませて午後から東京へ。いつもの両国の定宿に到着するも,日曜日で,しかも喧噪の12月場所が終わったばかりとあってとても静か。夜のイルミネーションがきれいであるが,原宿とは異なり,見とれる者は誰もいない。
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 ・・・にしても夜の風景を撮ろうとするとIS03,ピンボケもいいとこ。設定をいじらなきゃいかんのだろうが,標準設定でももうちっとなんとかならんか。
 せっかくの東京宿泊なので,久々に新宿末広亭の夜席に行く。
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トリが地味なむかし家今松師匠なせいか,日曜日の夜ということもあってか,客席は4割程度しか埋まっていない。それでも本キートンキーという東京の若手漫才師や,和楽一家のヒヤヒヤものの芸(土瓶を落っことしたのを見たのは初めて),トリの今松師匠の品川心中は楽しめた。うむ,このぐらいのゆるい雰囲気もいいモンである。ギュウギュウづめって好きじゃないんだな,ワシ。
 さて,ボチボチチェックアウトの時間だ。では行ってきまーす。