1/4(火) 掛川・晴

 ああ,新年早々,もたもたしてたら日をまたいでしまった。結構寒い。今日の朝はもっと冷え込むようで,0℃とか。雪がちらつくかな? 乾いていないので二日間,シーツを外に干しっぱなしにしているのだが,そろそろ取り込まないとやばいか。
 いきつけのスポーツクラブ再開。早速汗を流して恐る恐る体重計に乗る・・・ほっ,65kg台で収まっている。年末~正月と,元日を除いて毎日1万歩(約7km)のウォーキングを怠らなかったおかげか。しかしこんだけ歩くと足に軽い筋肉痛が残る。まだスポーツクラブでいろんな器具を渡り歩きながら小刻みに体の各部位を鍛える方が楽である。ウォーキング,恐るべし。
 正月前にさくっとやっつけてしまうはずの,CentOS + OpenMPIによるPC cluster作成の手順書,本日ようやくけりが付いた。ついでにindex.htmlを作って,今まで書いてきた手順書をひとまとめにする。ミスってたらお知らせくださいませ。
 まぁ,ログをそのまま貼り付けているだけだから,おかしい所があるとすれば,余計な操作をしているとか,余計な設定が混じっているとか,コピペミスか,その程度だと思うけど。
 こんな粗雑な文書でも,探すと案外ないんだよね,こーゆー標準的なLinux distributionを使ってMPIクラスタを作るという奴。最近物忘れが激しくなってきたので,書き残しておかないと,いざトラブった時にまごつくのだよなぁ。めんどくさくてもメモるべし。
 UNIXのテキスト,HPCとWeb(PHP5 + SQLite 3)混在のプログラミング演習書にしようと作業を開始する。来年度に間に合うかどうかは微妙で,この後すぐに情報数学基礎のテキスト最終校正作業が入ってくるから,ドガチャカになりそうである。Y博士文書も延び延びになってるし,大師匠からはいろいろご忠告も頂いたので,もう3重にえらいことになりそう。頑張りましょう!
 頑張るべく,今日はもう寝ます。

1/1(土) 掛川・晴

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。


 っつーことで,新年は遠州名物空っ風と共に明けた。太平洋側にこーゆー乾いた空気が運ばれて来る時には,日本海側で湿気を雪と共に散らしてくるというのが定番で,今回も山陰では大雪となっているようだ。してみれば,裏日本が雪雲のブロックの役割を果たしている訳で,ありがたいことである。公共事業には厳しい昨今ではあるが,除雪費用の加算ぐらいは認めても罰は当たらんだろう。
 さて,新年早々,IS03のスクリーンショットを取るべく,こちらのサイトの説明を参照しながら,Windows 7 x64環境でもAndroid SDKを設定してみた。大枠は説明どおりでいいのだが,ワシんとこは全部Windows 7 x64になっているので,少し気をつけないとイカン部分もある。
1. Java SE SDKはWindows 32bit環境のものをインストールしておくこと。x64用のものはデフォルトではAndroid SDKが対応していないようだ。
2. adb.exeコマンドがC:\Program Files (x86)\Android\android-sdk-windows\platform-toolsに入っていて,デフォルトではここを見つけられない模様。しょうがないので,tools\ddms.batの最初(14行目のrem分の下)に

set path=%path%;C:\Program Files (x86)\Android\android-sdk-windows\platform-tools\

を追加。こうしてadb.exeへパスを通してからddms.batを起動すれば,めでたくadbドライバが起動してIS03に接続できる。
is03_dalvik_debug_monitor.png
 で,スクリーンショットを取ってみた。
is03_main_shot.png
 えらいでかいが,画面が小さい割には解像度が高い(640x900)のでこんなもんか。
 コンソールからコマンドを使ってみたいので,AndroidアプリのConnectBotを入れて遊んでみる。
is03_localhost01.png
 うむ,確かにLinuxだわい。Kernel Versionも2.6.29-perfとなっている。基本コマンドはそこそこ入っているようでパスも通っている。
 ファイルシステムはこんな感じ。
is03_filesystem.png
 /data, /sdcard, /systemとあって,Linuxのシステムは/以下全部/systemの下に移動させられているようだ。いろいろ遊ぶと楽しそうなのだが,Androidアプリは基本,Javaで作らなきゃいかんようだし,ネイティブにCPUコードを吐き出させてチューニングっつーことは難しいみたいね。まぁ,リソースが必要なお仕事はCloudに任せちゃうってのがトレンドだから,これでいいのか。
 新年の仕事始めはIS03から,ということでこの辺で。今年はがんばろうっと。
 寝ます。

須藤真澄「ナナナバニ・ガーデン 須藤真澄短編集」講談社

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-375982-2, \838
nananabani_garden.jpg
 ここんとこ,毎年大晦日にご紹介する作品は,ファンタジー漫画と決めている。特に理由があるわけでなく,好きな漫画に少女マンガ系統のファンタジーが多いこと,そしてそれを一年の締めくくりの日に紹介することが相応しいように思えてきた,という程度である。
 「ファンタジー」の定義は人それぞれで,SFチックな妄想から,限りなくノンフィクションに近いものも含まれてしまう。しかしその幅広い定義に共通する「芯」に当たるものに,「「こうあってほしい」という願望が含まれていること」があると,ワシは確信しているのである。それは宗教に通じる,古来から人間が抱き続けてきた根拠なき期待であり,翻ってみれば,思うようにならない現実世界からの逃避願望というものかもしれない。在野の人々の根拠なき希望,無責任な逃避願望を肯定してくれる存在の一つとして「ファンタジー」というジャンルの読み物は今も昔も支持されている(きた)のだとワシは思う。だから「癒し系」という呼び名が登場した時は,「うん,ぴったり!」と広く受け入れられたのだ。
 その意味では,須藤真澄はまごうことなき「ファンタジー」漫画家である。エッセイ漫画を描いても,フィクションを描いても,須藤真澄の作風は微動だにしない。いや,デビュー間もない時期の作品(「マヤ」に収められているよ!)は,大きな揺れが見られ,あの独特の描線「つーてん」(主線が,長く伸ばした水滴のような形の点線になっている)も,試行錯誤の結果生まれてきたもののようだ。しかし一度固まった芸風は,わずかに変化しつつも(つーてんがちょっと間延びしてきた等),そのまま今に至っている。本書に収められた作品は2002年から2010年までの短編であるが,正直,読んだだけではどれが最新作でどれが8年前のものだか全然分からない。掲載誌も,まんがライフオリジナル(竹書房),アフタヌーン(講談社),徳間書店とバラバラであるが,全く変化というものが見られない。つか,須藤真澄という一個人一ジャンルが確固として確立していて,「ますび先生の作品を載せたい」という依頼をしているようにしか思えない。「ますび先生に細かい注文出しても無駄」と思われているのだろうか。いや,多分,「ますび作品」が読みたい読者がいて,それに応えようとしての掲載なのだ。BLを描こうと男女エロ(読んでみたい・・・)を描こうとミステリーを描こうとSFを描こうと,それはすべて須藤真澄ファンタジーになってしまうのである。
 だから,「須藤真澄ファンタジー=ハッピーエンド」というステレオタイプな理解は間違っているのだ。どんなエンディングであれ,ますびファンタジーの作用によって,ハッピーと思わされてしまうのである。それが一番よく分かるのは,飼い猫との別れを描いた名作「ながいながい散歩」であるが,本書でも,最新作「サンドシード」は,結構悲劇的な話にも演出できるだろうに,須藤真澄はそれを決してしない。何故か?
 それこそが須藤真澄を不動の「ファンタジー」作家と屹立させている源泉なのだ。どんな現実であっても,希望に満ちたエンディングに収めてしまう,その「力量」こそが須藤真澄をして20年以上もポツポツと作品を生み続けさせているのだ。その「希望に満ちたエンディング」こそが,「ファンタジー」の確信であり,だからこそ,須藤真澄はファンタジー作家の代表格と言えるのである。
 この年末,気温も財布も寒い一方であるが,まずは飯が食えて生きて年が越せることを「ハッピーエンディング」と考えれば,来年への希望を託す意味でも,本書を読みながら須藤真澄の描く「バニ」に乗ってゆらゆらとこの2010年最後の一日を過ごしてみるのは悪いことではない,と,ワシは思うのである。

2010年,皆様から受けたご恩顧に感謝します。
来年2011年も,よろしくお願い致します。

12/27(月) 東京->掛川(予定)・晴

 昨日から東京に来ている。今回は骨休め+大師匠へのご挨拶。これから神保町をぶらついてからお宅へ伺う予定である。
 ぷちめれ予定,昨年同様完全に的外れ。もう今年も残すところ5日しかない。満州祭りも無理であるからして,お詫びかたがた明日以降ちみっと更新・・・していけたらなぁ(希望的観測)。Twitterではゴチャゴチャ呟いているじゃないと言われそうだが,あれは独り言みたいなもんで,きちんとした文章はblogじゃないと無理。「書きたい意欲」をつぶやくだけで満足させられるほど,ワシの煩悩は惰弱ではないのである。バリバリ書こう,いや書きたい,でも計算もしなきゃなぁ・・・と気ばかり焦る年末はすでにワシの血肉となっているのである。
 昨日は家事をさっと済ませて午後から東京へ。いつもの両国の定宿に到着するも,日曜日で,しかも喧噪の12月場所が終わったばかりとあってとても静か。夜のイルミネーションがきれいであるが,原宿とは異なり,見とれる者は誰もいない。
DSC_0142.JPG
 ・・・にしても夜の風景を撮ろうとするとIS03,ピンボケもいいとこ。設定をいじらなきゃいかんのだろうが,標準設定でももうちっとなんとかならんか。
 せっかくの東京宿泊なので,久々に新宿末広亭の夜席に行く。
DSC_0141.JPG
トリが地味なむかし家今松師匠なせいか,日曜日の夜ということもあってか,客席は4割程度しか埋まっていない。それでも本キートンキーという東京の若手漫才師や,和楽一家のヒヤヒヤものの芸(土瓶を落っことしたのを見たのは初めて),トリの今松師匠の品川心中は楽しめた。うむ,このぐらいのゆるい雰囲気もいいモンである。ギュウギュウづめって好きじゃないんだな,ワシ。
 さて,ボチボチチェックアウトの時間だ。では行ってきまーす。

島本慶「一食100円の幸せ」バジリコ,得能史子「ペリーさんちの、おきらく貧乏ごはん」ぶんか社,

「一食100円の・・・」 [ Amazon ] ISBN 978-4-86238-172-9, \1000
「ペリーさんちの・・・」 [ Amazon ] ISBN 978-4-8211-4301-6, \952
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 年末恒例のぷちめれ祭り・・・と息巻いたのはいいものの,今回はペースが思いっきり乱されて元通りにならず,やっと書く気になったと思ったらもう大晦日。今回は短いものを幾つかご紹介して〆させて頂く。
 つーことで第一弾は,「意外な人が書いた料理レシピ本」2冊。不況不況といわれて久しい日本であるが,この先のばーっと景気が良くなるという見込みはゼロ,むしろ日本国民全員,そーゆー一方向を目指して熱狂するという行為自体を忌避しているような印象がある。秋月りすが指摘するように,20年も不況を続けられる底力こそが,日本の本当の強みなのかもしれない。
 とはいえ,国全体がビンボ臭くなっていることは事実である。デザイン能力だけで糊塗した新規開店のチェーン店の看板は,ちょっと時間が経てばすぐに安っぽい材料で作ったことがバレ,老いも若きも人件費の安い国で生産した衣料品を身にまとっている。こういう状況では,たとえ余裕のある金持ちでもバブルっぽい振る舞いは躊躇してしまうだろう。金持ちであればあるほどパーッと金を使ってもらわないと一国の経済は回らないのだが,横目で隣人の一挙一動を監視して細かいスキャンダルを炙りたてようとする貧乏人根性が蔓延する昨今では,それも難しい。せいぜいコンビニで550円の弁当を買って顕微鏡サイズの満足を得るのが関の山。いい加減,この国の経済をダメにしているのは自分らの行いにあるのだと気が付かないとまずいだろう。
 そんな雰囲気であるから,本来ならバカでスケベな金持ちがド嵌りするはずの風俗業界も不況のあおりをもろに食って,なめだるま親方こと島本慶も,穏当で貧乏人に媚びたエッセイを書くようになってしまったようだ。それがこの「一食100円の幸せ」である。ワシは本書を「一般」新刊コーナーで見つけ,びっくりして10食分もする大枚を払って本書を購入してしまったのである。ええええぇっ,あのなめだるま親方が「作る幸せ,食べる幸せ。」だとぉう! 親方なら「舐める幸せ,突っ込む幸せ。」だろうっ! こっ,こんなの,親方じゃないっ!
 つーことで,プリプリ怒りながら読んだのだが,これがなんと,面白いのだ。風俗ライター業がうまく回らず,こういうエロ抜き穏当エッセイを書くようになっちゃったという「言い訳」はあるのだが,「・・・親方,頭下げながら舌出してるでしょ?」と言いたくなるのはワシの勘ぐりすぎか。いや,やっぱり本書のコンセプトである「1食100円」レシピの紹介は,単なる貧乏自慢・貧窮礼賛とは受け取れないのだ。中年オヤジの無駄な抵抗,そしてスケベ心に満ちている,と言わざるを得ない。レシピの考案から,いしかわじゅんに感心されたイラストによる解説,そして料理にまつわるエッセイの生き生きした表現・・・どれをとっても枯れていない,いや,スケベなエネルギーに満ちている。大体,結構手間暇のかかる料理を100円程度で自炊してしまうということ自体,相当めんどくさい作業であり,「生きる力」に満ちていないと出来ないことである。
 本書は描き下ろしのようであるが,その割には薄味になっておらず,適度にメリハリが効いている構成になっている。なめだるま親方に免疫のない人でも,「あ,ちょっとスケベそうなおじさん」ということが本書の記述からも伺える程度なので,安心してお読みいただきたい。
 さて,次にご紹介するのは,年末も押し詰まったこの時期に刊行された,得能史子の「ペリーさんちの、おきらく貧乏ごはん」だ。得能史子と言えば貧乏,貧乏と言えば得能,というぐらいワシ的には公式が出来上がってしまっている漫画エッセイストなのであるが,本書はその肩書を日々の「料理」を前面に出すことで強化している内容となっている。なめだるま親方の本が,あくまで料理レシピ&作り方主体のレシピ本なのに対し,本書はレシピはつけたしっぽい扱いで,むしろ,いつもの得能スタイルエッセイ漫画のオマケとしてくっついている感じ。料理の作り方はレシピに文章でさらりと書いているだけなので,絵解きの料理本と勘違いすると失望するかもしれない。あくまで得能史子のエッセイ漫画を好む人向けのマニアな一冊なのである。どういう漫画かは以前にもご紹介してるので,そちらを参照されたい。
 タイトルにある「ペリーさん」は,得能の旦那である内気なNew Zealerのこと。とはいえ,旦那のためにせっせと愛妻料理を作る・・・という感じではなく,自分が好きな和食を作りつつ,旦那の好みも勘案して最適化を図る,という程度。よくもまぁこれだけ和食テイストな食事を食わされ続けて飽きないな,と同情してしまうほどだ。たまぁにステーキが食いたいとダダこねたり,グリーンピースをそのまま頬張ったりするぐらいで我慢できること自体が奇跡である。いくら貧乏でも,牛肉ぐらいは食わせてやっても罰は当たるまい。本書の印税が少しでも得能夫婦の懐をあっためる役に立てば幸いである。
 つーことで,2010年に出た,「意外な人が書いた料理レシピ本」2冊,おせちに飽きた正月の暇な時間に読んで,一つ二つお試し頂くと,この貧乏な日本にも豊かな内的幸せが低価格で得られることが実感できる・・・筈である。