松虫あられ「自転車屋さんの高橋くん」2巻,リイド社

自転車屋さんの高橋くん 2

[ Amazon ] ISBN 978-4-8458-6057-9, \630+TAX

 最近,漫画の好みの偏りが激しくて,甘々なカップル物ばかり読んでいる。複雑な現代社会を人並みに生きていくには,「家族」という最小単位のユニットを構築する必要があり,そのためには互いの信頼と愛情を土台とする二人の成人から成る「カップル」というタネを用意しなければならず,このカップルの関係性を安定的に持続させることが家族形成には不可欠である。そのためには日々勃発する外部刺激に対して対処していかねばならない。「甘々カップル物」というジャンルの読み物はそのための内的動機付け,即ち「断固として互いの結びつきを維持するのだ」という意思表示を「甘々」という,側から見れば「けっ」と言いたくなる一種傍迷惑だが,カップル当事者にとっては必要不可欠なエネルギーの発露の「源泉」を見せつけてくれる教科書なのである。
 ワシが現在読んでいる本作以外の作品では甘々表現がフェチ的セックスだったりするのだが,しかしそれとてもセックスの「源泉」がなくては成立しない。源泉とはつまり日々の外部環境対応の御礼であり,それ故の肉体的奉仕活動なのである。・・・あーもう最近お堅いお役所的文書ばかり読み書きしているから文体が硬くなっていかん,ぶっちゃけて言えば,いざという時に「わぁ素敵」とキュンとさせる白馬の王子様的行動をしてくれた,ということである。これがサラッとできる奴を「イケメン」と言うのである。これは必ずしも男でなくても良く,男女どちらかが時と場合に応じて「イケメン」でありさえすれば良い。イケメンのいないカップルはいずれ破綻することになるので,イケメン成分不足なカップルは互いに「いざという時」のため,日頃から優先順位を間違えずに行動できるよう意識しなくてはならない。銭金が惜しいから,もう少しこのYouTubeを見たいから・・・という理由で相方の危機を見過ごした結果のカップルの破綻,という話は数多存在するのだ。「イケメン」という存在は性別の男女に関係なく,カップルがカップルであり続けるためには必要不可欠な要素なのである。
 その意味で,この「自転車屋さんの高橋くん」はまごうことなくイケメンである。1巻では少し活躍ぶりが大人しかったが,2巻までくると今までの活躍ぶりに加えて,「肉体的奉仕」に対する要求の抑制っぷりが「うは〜,この状況でそこで寸止めか」と,余裕のない童貞歴が長かったワシにとっては憧れる程のカッコ良さなのである。そう,高橋くんは見栄えもさる事ながら,カップルの相方に対する奉仕を自然にやってのける能力を持つが故に「イケメン」であり,御礼としての肉体的奉仕に対しても抑制的に振る舞える,まさに地元密着マイルドヤンキーの鏡と言える存在なのである。
 もっとも,高橋くんは家庭環境の複雑さもあってか,見かけの派手さとは異なり,学校図書館に収められている漫画,マイルドな手塚治虫作品と思しき物を好んで読んでいたという内向的なところも2巻では描かれている。おそらく来年1月に出る3巻では,だんだんしっかりしてきたパン子との愛情が深まると同時進行で,高橋くんの過去が見えてくるのだろう。加えて,強固なカップルが成立するための礎としてのイケメン的行動がどのように絡んでくるのか,その結果を楽しみに,ワシは掲載Web雑誌「トーチ」は読まずに単行本の刊行を待つつもりなのである。

5/30(土) 駿府・曇

 朝方はいい天気かと思っていたら,これを書き出す頃には薄曇に。爽やかな大陸型高気圧が日本列島のど真ん中で頑張っているおかげでカラッとした爽やかな空気が運ばれてきている。押し下げた梅雨前線は来週には盛り上がってくるようなので,本日はこの爽やかな春最終の週末を,南部鉄器のアマビエと共にゆっくり過ごすことにしたい。

鉄の処女ならぬ南部鉄器のアマビエ

 ベランダのささやかな菜園は,パセリが一向に育たない以外は順調である。

 左が2週間前,右が今現在の状態で,ラディッシュは順当かなと思うが,朝顔の育ち方はちょっと度を超えている。蔓が伸びてもいいようにネットは貼ってあるので,どんどん伸びて頂きたい。

 ボチボチ5月が終了するが,今月は色々あった。一番はこのクレジットカード不正使用未遂による iPhone SE購入トラブル。顛末は下記のTweetから辿ると分かる。

 その後,予定通り新しい番号が割り当てられたクレジットカードが到着,諸々カード変更に伴う手続きを行い,iPhone SEが到着してやっと使えるようになった Apple Payの筆頭クレジットカードとして登録できた。やれやれである。
 ところで,新しいSEであるが,全く快適であり,初代SEよりごっつくデカくなった以外は気に入っている。電話としては使えなくなった初代SEはFacetimeの子機として活用しようと職場に持って行ったらポートが塞がっていて全く使えないので,自宅で使うことに。持って歩くこともないので,ほんとに壊れるまで長い付き合いになりそうである。もちろん,今のSEもよろしくお願いしたい。しかしまぁ,移行作業は格段に楽になったなぁ。

 今月の大仕事は「情報数学の基礎」改訂版のための新章書き足しと,「Python数値計算入門(仮)」の第6章,第7章の書き直し。前者は少し長く書きすぎたかとヒヤヒヤしていたが,とりあえずO.K.が出たので初稿待ちとなった。後者は・・・先が長いなぁと感じさせられる作業であった。我ながら若書きの部分はさることながら,今となっては冗長すぎる部分があり,思いっきりカットしたり書き足したりで,一向に固まる気配がない。一番の難所は補間と数値積分のところ。前者はスクリプトを書き足す必要があるし,後者はほとんど解説の必要がないんじゃないかというぐらいなのでカットしちゃおうかなぁと。6月の大仕事はここに集約されそうである。

 ということで,遠隔講義は今後も続くものの,ボチボチ大学院,卒研,実験は開始されつつある昨今,感染状況を伺いながらの綱渡りな日々が始まる梅雨時となりそうである。頑張ります。

5/4(月・祝)駿府・曇

 5月に入って初めての夏日を迎えて以来,日中は半袖で過ごす必要が出てきた。ということで慌てて靴下のみ衣替え。ムシムシするようになる日も近そうである。

 全国の国公市立大学,4月に入って慌てて遠隔講義を行う体制を構築し始めている。色々あって本学は予め収録した録画を流すオンデマンド方式を中心に実施することになった。少人数のゼミや委員会はMicrosoft Teamsでリアルタイムで実施しているが,これはこれでメリットとデメリットがあり,時間割のスケジュール通りに受講しなきゃいけないという点では生活習慣維持には有効だが,講義内容を予め整えていつでも好きな時に見て良いというオンデマンド方式のフレキシブルさも捨て難く,併用しながら受講側の感想と教育的効果を見極める必要がある。何にしろ今の状況では,静岡県の場合,早晩,教育機関の登校制限は緩和される見込みなので,関東圏と名古屋からの感染者流入が起きなければ,平常に戻れそうではある。もう一押し,アマビエ様に祈っておくしかないなぁ。

 つーことで,ワシの場合,4月下旬に調子に乗って一講義は15回分収録を終えて公開してある。受講側のメリットは不明なれど,やってみると色々と分かることがあるなぁと感じる。Jordan標準形の話が入ったのは我ながら強引だなぁとは思うが,ま,趣味なので。

 連休中は「情報数学の基礎」改訂版の新章書き足し。既に骨組みは共著者の先生に作って頂いたので,ワシは蛇足ライターとしてクドイ説明を付け加える役回りである。頑張りましょう。  

4/19(日) 駿府・晴

 今週末の土砂降りで桜はすっかり散り,春めいてきた。日中は日が差すと暑いぐらい。流石にもうヒートテックは要らないかな。にしても,世界の終わりかというぐらいの人出の無さ,いつまで続くのかしらん。8割人出カットで一ヶ月で押さえ込みがなんとかできそうということだが,感染のリスクは残ったままだし,特効薬もワクチンもないわけだから,8割おじさんの思惑通りになったとしても,一気に経済活動解禁ということにはなりそうにない。今年度いっぱいは不自由な生活は覚悟せんといかんかなぁ。

静岡銀行・呉服町支店のギャラリーにアマビエ登場

 コロナ騒ぎが全世界的に広がって,日本全土が緊急警戒地域となり,本学も全面的にオンライン講義を行うことになった。今週水曜日からは基本,Microsoft Streamで動画配信講義が行われる。リアルタイム配信も考えたが,回線容量的に心配な上,トラブったときの対処や教員や受講生の慣れが必要なことを考えると,予め録画したものをリリーするのが良いだろうという判断である。
 おかげで,準備を前倒しする必要があり,額縁ょ〜としての職務分に加えて自分の講義も2〜3週まとめて収録した。凝りすぎると時間がかかり過ぎる上に,視聴する学生の負担も増えるので,サラッと作ったつもりだが,はてさてどういうことになるやら。我ながらアドリブが好きなので,かっちり固まった講義スタイルは好きではないのだが,この際そんなことは言っていられないから,毎年のペースを思い出しながら無観客講義を続けるのみである。今週から少なくとも5月いっぱいは,シーンと静まり返ったキャンパスに収録する声のみが響くのだろうなぁ。まぁこれを良い機会として自分の講義内容を見直すとするか。

 つーことで,Python数値計算入門の見直しどころではなくなってしまったが,これから講義収録しつつ,直しをしていきまする。

 風呂入って英気を養うべく寝ます。

工藤美代子「サザエさんと長谷川町子」幻冬舎新書

工藤美代子「サザエさんと長谷川町子」幻冬舎新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-344-98584-1, \840 + TAX

 いやいやいや,久々に一気読み,面白かった。「月刊Hanada」に連載されたルポルタージュというから,コッテコテのバカ右翼,とはいかなくても,やっぱそれなりに偏っているんだろうと疑っていたが全くの杞憂であった。長谷川町子のエッセイマンガ,三女・長谷川洋子のエッセイを読んでも靴下痛痒だった所がクリアに調査されており,全部ではないが主要な「長谷川家の謎」のあらましはほぼ掴めた。つーことで,「長谷川家上京時の台所事情」「サザエさん朝日新聞移籍前の不可解な連載・休載の繰り返し」「数々の著作権裁判」「長女・長谷川毬子・町子と洋子との決裂」「長谷川町子と毬子の死」,そして本書冒頭には「長谷川町子遺骨盗難事件の顛末」が述べられている。もちろん,プライベートな三姉妹+母親で構成された結束の固い一家のこと,全てが詳らかになるわけではないが,ワシの下世話な知識欲は大方満たされたのだから,幻冬舎新書のページ水増し用としか思えない,ページ上部マージンの不自然な長さには目を瞑ってやろうというものである。

 ベテランノンフィクション作家として手堅い仕事を続けている著者であるが,保守政治家の評伝については興味が持てず,ワシがきちんと読んだのは本作が初めてである。筆力はさすがで一気呵成に読めたのは当然としても,小泉純一郎の姉とコンタクトが取れたり(花田編集長のツテか?),最晩年に近い長谷川家の内情に詳しい人物から話を聞いたりして,内容の信憑性に疑問が所が無いでは無いが,不自然なこじつけ的推理は皆無で,ははぁなるほどねぇとワシは読みながら感心しっぱなしであった。

 今よりずっと苛烈な女性蔑視的社会状況の中,父親を早くに亡くし,未亡人となった母親と三姉妹が戦争を挟んでの激動の時代を生き抜いてきたのである。尋常でない程の硬い血縁的結束があってこその,町子の「サザエさん」の成功があった訳で,莫大な収入があろうがなかろうが,自分が作ったキャラクターを無断で使用するなどということを許すことは,女性蔑視時代の昭和日本を爆進してきた長谷川家にはあり得ない選択であったのだろう。それ以上に,おしとやかな日本女性を表面的には見せていた町子の性格がかなり激しいものであることも本書には幼少期からの証拠と共に述べられており,社会的成功も数々の告発も,通底にはこの負けん気の強さ故のものであることが理解できるようになっている。

 最晩年に三姉妹が仲違いした真の理由は不明であるが,これについては当事者二人が亡くなっている以上,永遠の謎であろう。著者によれば「莫大な財産の相続」に起因すると読めるが,これについても存命の当事者が語らない以上,分からないとしか言いようがない。実は長谷川洋子の著作を読んだワシも「本当かそれ?」と疑っていたから,工藤の疑問は当然である。しかしまぁ,そのぐらいが本件については限界であろう。ワシら長谷川町子愛好者は,長谷川町子美術館,そして今度開設した長谷川町子記念館の財源になったことを寿げばいいのである。

 暴かれたくないプライベートが記述された本書に対して毬子・町子はあの世で大激怒していることであろうが,「サザエさん」(描線・風俗の変遷が凄い)や「いじわるばあさん」(孤独感の描写が良い),そして現在のエッセイマンガの元祖である「サザエさんうちあけ話」「サザエさん旅あるき」が現在に至るも面白く読める不朽の名作であることに水を差すものではなく,読了後はむしろ益々畏敬の念を持つに違いない。本書では作品論にあまり踏み込んでいない所が個人的には物足りないが,より深く長谷川一家のあらましを知りたい向きには必読の一冊であり,世間に抗いながらキャリアを重ねて生きていくことの尊さに打ち震えること間違いないのである。