サイトリニューアル予告

 といってもまだ未確定要素が大きいのだが,このblogも含めて,”http://na-inet.jp/“以下の内容を全部Movable Type 5 を使ってコントロールし,デザインを簡素化,全面的に更新をRSS経由でお届けできるような仕掛けを入れたいと考えている。本来は,このWebサイトを抱えるサーバをCentOS4からCentOS5に入れ替えと同時に行いたいと考えていたのだが,作業がめんどくさくなる割にメリットがねーなと躊躇しているので,とりあえずWebの方を優先して行おうと決断した次第である。
 何でそんなことをするのか? まず,静的HTMLをしこしこ手直しするのに飽きた,ってことが挙げられる。手打ちHTMLを維持するのも面倒だし,CSSに至っては自分のデザイン能力の無さにあきれているので,人様のものを使っちまおうと思ったのである。ただしディレクトリ構成は維持し,ページ構成もなるべく現行のままで行きたい・・・けど,どこまでできるかなぁ?
 もう一つ,大きい理由は,6月に公開講座の講演を予定していること。ここでWeb 20年の歴史を語るというエラそーなことを担当するので,そのためにワシのページを実験台にして「現代のWebサイトはこんなもんですよー」とサンプル提示したいのである。YouTubeからGoogle Adsenseのお誘いを受けたついでにGoogle Adを貼り付けるためのアカウント申請をしてしまったので,ベタベタあっちこっちという程でなくても広告を貼り付けてみようと思った,ということもある。そーゆー用途にはMT5の広告入りテンプレートを作っておくと便利ですからね。そうそう儲かるというものではないし,せいぜい月々数百円程度ってところだろうから,本格的に銭儲けしようという向きには手間の割に効率が悪すぎるが,一応,Webデザイン特別プログラムを担当している以上,そーゆーめんどくさいサイトを維持するってぇのは自分のスキル維持のためにも必要と考えたのである。お客さんに嫌がられない程度に広告を挿入するセンスってのも大事だしね。
 つーことで,4月~5月にかけてボツボツ作業ができればと考えているが,サボっている仕事が多すぎてこっちに労力を振り向けられるかは分からない。でもまぁ,できなきゃできないで,「昔はワシもこんなことを考えていたんだぜ」程度の話題のネタにはなるから,こうして書き付けておく次第である。

3/9(火) 東京->つくば->柏->掛川・雨後雪

 ひょえ~,疲れた~。おまけに午後からは雪もちらついてきて,どうなることかと思った~。まぁでも,新幹線は数分遅れただけで無事掛川までたどり着いたから,よしとしよう。
 つーことで本日の日程を書いておくと,まずホテルから東大本郷キャンパスに直行して,ワシの(じゃなくてT君の,だが)研究発表をこなす。
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 無視されるかと思ったが,ちゃんと質疑応答があってよかったっす。ま,このテーマの講演もこれで最後だろう。あとはまとめの文書を書かねばならぬ・・・いつになるやら。
 1セッション付きあって,TX経由で筑波大に移動。
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 おとなしく聞いていました・・・ホントだよ。2回質問しただけだし・・・。
 バチが当たったのか,ちょっと相談事も。うーむ・・・どうなりますやら。
 終了後,土浦までバスで出て,JR常磐線経由で柏へ移動し,久々にホワイト餃子を食う。
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 いやぁ,うまかったァ。たまぁ~に食いたくなるのよねぇ。通販で冷凍品を買って自分で焼けばいいのだが,この説明通りに出来る自信がない。油も大量に使うしねぇ。こうして人様に焼いてもらったものを食うことで満足しよう。東京にも幾つかあるようだから,探索しておこうっと。
 ところで東大に来る度に思うのだが,このゴミ箱,壮観である。
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 分別がやたら細かいんだが,部外者にはわかりづらい。もうちっと種類を減らせないのか?
 なんかTwibackrへの送信が失敗している・・・なんで?
 移動で疲れたのでもう寝ます。

3/8(月) 掛川->東京・曇

 どんよりどよどな日。天気予報によると,明日は雨だが,関東地方も山沿いは雪になるようだ。いつものようにジャケット一枚ででかけようとしたが,これはいかんとコートを取りに戻って正解であった。
 出掛けに,せっかく掛川駅構内にできた在来線と新幹線ホームへの連絡通路を使ってみた。階段を取り付けるスペースが無く,上下エレベータを使わねばならないめんどくさい作り。木造駅舎なんぞぶち壊して構わんから,あの狭いホームも含めて全面改装してくれんか?・・・って奴は少数派なんだろうな。ちぇっ。
 そーいや,掛川にもとうとうこんなものが進出してくるのであった。
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 儲かるのかなぁ? まぁ,採算ラインはきちんと計算しているんだろうけど。
 さて,アキバをふらふらしてきたし,資料も一応はできたので内田本でも読みながら寝ます。ちなみに今回は完全自費の有給休暇消化の旅なのである・・・けど,明日発表なのねん。偉い>ワシ 単に研究費を使い果たしたってだけなんだが。

小谷野敦「文学研究という不幸」ベスト新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-584-12264-8, \752
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 だんだんこのblogのぷちめれ,マンガ,数学,コンピュータの本を除けば,内田樹と小谷野敦の著作で埋まりつつある。それも当然で,今の時代,あんまし自分に耳障りの良い言論ばっかり読んでいても,それが真実である気が全くしないのだ。TVを見なくなってしまったのも,時間が取れないこともあるが,一部の報道番組やドキュメンタリーを除けば,何だか庶民派を気取った「生ぬるい癒し」的コメントに満ちていて欺瞞的だと感じ始めたからでもある。国債発行残高は世界一,そのくせ少子高齢化の進展も世界一のスピードで進んでいて,社会システム,とりわけ税金の使い道については縮小均衡を目指さねば日本が持たないという状況なのだから,そうそう癒しばっかり求めていても問題の解決には繋がらないのは当然である。
 その点,ネットの動画コンテンツやニュースサイトの情報,個人blogやTwitterでは,玉石混交なれど,結構真実味のある耳の痛い意見がたくさんあって,こっちを見聞きしていた方がよっぽど面白いし刺激的だ。とりわけ愛読しているのが内田樹と小谷野敦。ウチダの言論が自省的・メタ的な志向を持っているのに対し,コヤノのそれは実証主義的文学研究の延長線上でひたすら現実的・他罰的という,対照的な論者がこの二人なのである。一般にはコヤノの短兵急な批判文の方が耳に痛く感じられるし,それを武器に盛んにあっちこっちの論者に噛み付いては無視されまくっているようだが,人の悪さはウチダの方が数段上,ウチダ的構造主義に基づく怜悧な文は,時に罵倒よりもきっつい絶望に落とし込むこともある。商売のウマさではウチダはコヤノとは格が違うので,絶望の谷に突き落とすのではなく,谷底を見せつつ,向こう側の「希望」にうまくロープを渡してくれるから,読後感は爽やかである。しかし渡った後には「絶望の谷底」があることをワシらいたいけな読者に植えつけてしまうのである。ま,普通はこれを「達観」と呼んでいるようだけど,ね。
 小谷野敦の言説は,「中庸,ときどきラディカル」という著作があるように,現実を見据えた中庸的なものがほとんどで,理想主義的なところには決して流れない。その分,客商売としては最低なところがあって,「もう少し愛想があっても良いじゃないの」と思わないではない。ファンタジックなメタ的思考は皆無で,「証拠はこれとこれとこれだ,なにか文句あるか」という言い回しが多い。本書でもこれでもかこれでもかというぐらい,文学研究者の実名とその有り様を挙げ,「だからぁ,実態はこんなもんなんだって」という愛想のない記述がひたすら続くのだ。これが有名な「小谷野節」なのである。
 しかし,ワシにはこの小谷野節が痛快なのだ。愛想のない文章は,裏を返せば,地に足の着いた懇切丁寧な記述とも言えるし,何より,メタ空間に逃げないところが潔い。例として,読む人が読んだら激怒しそうな記述(P.103~104)を挙げる。

 要するに,文学部は一流大学(注:旧帝大・早慶クラス)にだけあればいいのである。同じく(注:文学研究のための)大学院も一流大学だけにあればいい。もっとも,本当は,二流大学以下の大学に学んで医者になるだのというのは,人命にかかわるだけに問題なのだが,国民全体に行き渡るほどに優秀な頭脳が存在しないのだから,仕方がない。これは高校や中学校の教師もおなじで,もし一流大学卒の人たちだけが中学校や高校で教えていれば,生徒の学力ももっと向上するだろうが,それだけの量の頭脳が存在しないのだから仕方ない。理工学部とかの「実学」は,さほど頭が良くなくても,工程さえ分かればいいので,二流大学でも,まあ意味はある。

 普段から小谷野の文に接しているワシなぞは,いつもの論が出たなと思うだけなのだが,真面目な人であれば口角泡を飛ばして反論してきそうだ。しかし,三流大学出のワシとしては,教師生活16年の経験を踏まえると,この文章は統計的に見て概ね「正しい」と認めざるを得ないのである。怒る気には到底ならず,むしろ,口は悪いが世の真実を淡々と語ってくれているように感じるのだ。
 本書全体で,小谷野は,大学という場に雇用されながら文学研究を行う人間は少数でいいと主張し,過去から現在に到るまで,文学部における人事や論争のゴタゴタを述べ立てる。ワシの乏しい知見では,たとえ実学的な学部でもこの手の議論や出来事はついて回るし,むしろ「実学」と絡むだけにメンドクサイ出来事は文学部より多いんじゃないかという意見も出てきそうだ。
 その意味で,小谷野の個人的な恨みつらみがドライブして出来上がってきた本書は,何故か,「文学」を「工学」でも「理学」でも「農学」でも「医学」でも置き換えたところで,概ね成立してしまう不思議な汎用性を備えている。多分,これは小谷野の実証的な物言いが功を奏しているのだろう。学問の相違はあれ,大学なんてのは人間がゴチャゴチャとより集まって行われる営みの一つに過ぎないのだから,事例をかき集めてみれば共通部分が多いのは当然と言える。従って,本書は,どんな学問であっても「研究という不幸」はついて回るという,ごく当たり前の「中庸」的なことを主張しているに過ぎないのだ。

なかせよしみ「10年目のマチコ」同人誌

[ Comic Zin ] 頒価 \609
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 Comicリュウに掲載された「うっちー3LDK」に興味を持ち,著者初商業単行本「でもくらちゃん」を読んで感想を書き,さて次の作品はいつ掲載されるのか・・・と思っていたら,どうも世の中そう順調にはいかないようで,待てど暮らせど「次」が載らない。
 ちょうどストレスが最高潮に溜まっていたこともあり,鬱憤晴らしにほぼ1年ぶりのコミティア参加を決め,この機会にご本人の同人誌を買いあさってこようと決意,目論見通りに「まるちぷるCAFE」の店頭に並んでいるものを片っ端から購入させていただいた。全部で3冊,「高速ぷるん1」(かわいい「原子炉」が登場。巻末の原子力考察まんがもマル),「なかせよしみのまんがのススメ」(なかせ版「まんが道」。ナルホド,そういう生き方もあるんだと感心),そしてこの「10年目のマチコ」である。どれも面白かったのだが,やっぱりこの「マチコ」が妙な具合にワシにはシンクロしてきたのである。
 表紙を入れてちょうど30ページの短編なのだが,手塚治虫なら火の鳥マチコ編なんて長編に仕立て上げそうな,波乱万丈の物語になっている。ちょっとドジな女の子タイプのメイドロボ「マチコ」は量産直前に交通事故に遭って木っ端微塵,何の間違いか,10年後に廃棄物処理施設でスクラップになっているところで覚醒する・・・というストーリーである。短いお話だからこれ以上は同人誌で確認していただくとして,ワシの感性がシンクロしたのは,お約束的にドカドカ事故に巻き込まれて崩れていく様と,それでも健気に「修繕」しながら動力を維持しようという姿勢である。あんまし短絡的に人生論にしてしまうのはどうかと思うが,このマチコの,ユーモラスに描かれてはいるが健気な姿勢にワシは入れ込んでしまったのである。
 「10年目」というのはマチコが目覚めるまでの時間でもあるが,最初にこのキャラクターが考案されてから10年目,という意味もあるらしい。10年前に描かれた「恋するセルロイド」と,スニーカー誌に掲載されたショートショートマチコシリーズが巻末に納められているが,それらと比較してもやっぱりこの「10年目」の作品の完成度が上であることが分かる。10年かかって熟成した作品・・・う~ん,なんで単行本にするならこの手のSF短編シリーズをまとめなかったんだと,徳間書店・リュウ編集部を小一時間問い詰めたい気分である。
 紙媒体の商業雑誌が軒並み採算割れになる昨今,案外同人誌でコツコツ読者を増やしていく地道な活動をしていた方が,新しい展開が拓ける時代なのかなぁと思わんでもない。しかし,やっぱりワシとしては商業誌でもっと読みたいなぁと,思ってしまうのである。なかなか,徳間書店をはじめとする商業漫画雑誌では大量の読者をグイグイ引っ張ってくる漫画家でないと商売としては困るのかもしれないが,地道だが堅実に読者をつかむタイプのマンガを,それこそロングテールのラインナップの一つとして確保しておくことも必要ではないかと思うのである。
 「まんがのススメ」を読む限り,なかせよしみの挑戦はまだまだ続いていくようだ。今後,商業誌で,も少し長めの作品が継続的に読めるようになることを,読者の一人として祈念する次第である。