2/23(金) 掛川・雨後晴

 労咳,じゃなかった,老害に悩まされる。以後,給料泥棒と呼んで差し上げる予定。
 ふー,論文査読,何とか終了。
 ざっと眺めた時にはあっさり条件付き採録かな,と思っていたが,じっくり読み始めてみると・・・なんだこりゃ,ベンチマークの条件がさっぱりワカラン,日本語が変(人のこたぁ言えないが),と疑問続出。見栄えに厳しい人なら,「顔洗って出直してこい」と言いそうである。結論は有用そうだったので,あれこれ条件を付けまくった報告書をまとめたが,うーん,どこまで信用していいんだかワカランなぁ。名前を言えば,この業界では知らぬ人のない先生のところの院生さんらしき人のものだが,あの先生はきちんと論文指導しているのかねぇ。まあ,懇切丁寧に指導すりゃいいってもんでもないけどさぁ,ものには限度ってモンがあるぞ。これなら,rejectしちゃったけど,前の論文の方がまだ内容は理解しやすかったな。
 ま,書くものは書いたので,後は編集委員さんにお任せしました。
 ベアボーンキットで,Dual displayが出来るものが見あたらないなー,と思っていたら,やっと登場したようだ。今職場でメインに使っているP4マシンはボチボチ動作が怪しいので交換したいと思っていたのだが,19inch LCDを2連装している環境はそのままにしておきたい上に,排気音もガタイも小さな筐体にして,こじんまりとまとめたいという希望にかなうマシンがなかなか見つからなかったのである。価格も手ごろだし,次年度予算で早速買いましょうぞ。
 この記事にある”Google OS”ってのは,与太話にしてはリアリティありすぎ。MacOSになるのかLinuxになるのかは不明なれど,アプリケーションで商売するようになるみたいだから,OSに手を出したとしても不思議ではない。日本でも技術者を募集しているし,この先どんなことをしでかしてくれるのやら。
 さて,明日は朝からドタバタと用事があるので,さっさと寝ます。

2/21(水) 掛川・?

 模擬面接終了。就職活動前に,面接の指導をしようという趣旨で始めたものだが,うーん・・・ま,頑張ってくれたまえ>3年生諸君
 あ,GSL 1.9がリリースされた。機能追加は,
 ・非対称行列の固有値ソルバ
 ・B-Spline
 ・Mathieu関数(定義はこちら)
か。あとは殆どbug fixらしい。
 マニュアルの日本語版は出来たけど,ワシの大して中身のないページググると一番上に来るのはどーゆーわけなんだか。そのせいか,ワシのWebページの中でもかなりのヒット数がある。
 個人的には,もうちっとTutorial的なもんが欲しいという気がするので,3月以降にちょっと手がけてみるつもりである。ま,期待しないで待っていて頂きたい(どういう日本語なんだか)。
 ところで,どなたかこの方のご質問に答えてはくれないのだろうか?
 大方, CDを買ってくれい,ということなんだろうけど,ちと高いよな。
 さて,せっぱ詰まったあれこれを何とかしなければ・・・と,うだうだしているうちに,風呂を沸かしていたのをすっかり忘れ,沸騰させてしまったりするのである。
 冷やして入れるようになったら風呂に入って寝ます。

えみこ山「懐疑は踊る 3」ディアプラスコミックス

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-403-66140-8, \580

懐疑は踊る 3
懐疑は踊る 3

posted with 簡単リンクくん at 2007. 2.19
えみこ山
新書館 (2006.5)
通常2-3日以内に発送します。

 どうもこの先きちんとしたぷちめれを(「きちんとした」もんあったのかという突っ込みは聞かないぞ)書くのが難しくなりそうな感じなので,この際,お蔵出しを兼ねて,昔から愛読している作家の作品を紹介することにしたい。
 その第一弾としてご紹介するのが,えみこ山である。「えみこさん」ではなく「えみこやま」と発音する。昔風の言い方をすれば,典型的なやおい作家,ということになるのだが,今やBLとか耽美とかモーホー(古いか)という,区分があるんだかないんだかワケワカのジャンルが勃興しているから,もはやかつての「やおい」という単語が持っていた雰囲気を伝えられる時代ではなくなっているのかも知れない。「やおい」で通じるような方々は既にオジサン・オバサンと呼ばれる歳になっている筈だ。
 「やおい」に関しては,例えば三崎さんの記事とか,Comic新現実 Vol.4の佐々木悦子「やおいの起源概論」を参照して頂きたいが,思いっきり簡単かつ乱暴に言うと,「美少年( or 美青年)がいい雰囲気になってあーだこーだする」,主として女性作家によるフィクションであり,1970年代後半から商業作品・同人誌上を席巻,今のBLというジャンルを形成する原動力となった一大ムーブメントでもあった。
 その中で,同人誌から商業誌へとデビューしていくものも多く,メジャーどころとしては坂田靖子から始まってCLAMPまで多数挙げられる。えみこ山も小説担当のくりこ姫と合同でサークル「えみくり」を主催し,かなりの人気サークルになったが,商業誌デビューは1990年代に入ってからと,かなり大器晩成的にデビューした漫画家である。
 ワシとえみこ山の初邂逅はほぼ商業誌デビューの時期と同じである。ただ,初めて手に取ったのは,えみくり発行の同人誌で,くりこ姫の方がメインの旅行記「中国トラベルトラベリング」であった。これはまだ手元にあるので,写真を貼り付けておく。
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 この中にえみこ山もカットや短いエッセイマンガを寄稿している。
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 確か本書は即売会の会場ではなく(壁際サークルで近寄るのも憚られたと記憶する),金沢のブック宮丸で入手した筈である。就職早々,能登半島のど真ん中へ左遷されて腐っていたこともあって,給料はたいて様々な少女漫画を買い漁っていた時期があり,その頃に購入したものと思われる。ワシが持っているのは1992年の奥付がある奴だが,着任したのがちょうどその年であった。
 で,すぐに嵌った,という訳ではない。くりこ姫のエッセイはそれなりに面白かったが,入れ込むほどのこともなく,えみこ山の絵に好感は持ったものの,ストーリー仕立てのきちんとした作品ではなかったため,これも追っかけるほどには至らなかった。ファンになったのは,新書館で単行本が出る前に,アンソロジーとしてまとめられて商業ルートに乗ったものを読んでからだと思う。それでも通販をしてまで手に入れたいという程ではなかったので,しばらくは疎遠になったものの,1996年に新書館から初単行本「抱きしめたい」(現在は品切らしい)が出て,商業単行本のみであるが,追っかけとなったという次第である。
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 以来,ずーっとえみこ山の単行本が出るたびにgetしているのだが,あんまり人に勧める気にはならないのだ。何故かといえば,これはあとり珪子の作品にも共通しているのだが,「ヌルい癒し系」でカテゴライズされそうな感じがしているからである。まあ,えみこ山当人も「男の子同志で悩みもせずにラブラブ」(「ごくふつうの恋」1巻あとがき)する作品だと言っているぐらいだから,そのように一括りにされたとしても怒りはしないと思うが,愛読者からすると,それだけでは済まされない魅力を全く無視した暴論であると言わざるを得ないのである。
 大体,「ヌルい」作品ばかりかというと,そうではないのだ。最近の商業作品にはその傾向が顕著だが,同人誌に載せた作品群には結構感情を揺さぶられるものが見られる。例えば新書館刊行の第二弾作品集「月光オルゴール」に収められた表題作は,ゲイカップルにおける家族愛をテーマとした大河ドラマっぽい作りの大作だし(羅川真里茂の「ニューヨーク・ニューヨーク」より短いけど),続く第三弾の「約束の地」は「泣けるやおいマンガ」の筆頭だと思う。絵の雰囲気が1970年代風の,まだ基礎がしっかりしていない黎明期の少女漫画っぽいものであるので,精密な描写を伴うべき場面はかなり弱いものになってしまうが,物語全体に漂う雰囲気は坂田靖子によく似ていて,「空気」を伝えるには適しているものである。
 たぶん,えみこ山は正統的な少女漫画,それも「やおい」が成立する以前から培われてきた「時代の空気」を会得していて,それが自分の生理とぴったり一致しているが故に,そこから外れるような作品を描くつもりは全くないのだと思う。この頑固さは夢路行にも共通していて,彼女の場合は商業的に干されていた時期においても,同人誌で全く商業作品と変わらぬテイストの作品を描き続けていたぐらいである。同じやおい市場から登場したCLAMPとはその点全く異なっている。これはどっちが良い悪いの問題ではなく,プロとしての資質と姿勢の違いであって,CLAMPのようにふるまえば必ず売れるという保証もないし,えみこ山や夢路行のようにしていればメジャーになれない,という訳でもない。
 ・・・なんだけど,このえみこ山の「成長のなさ」加減は,もう何というか,呆れるという他ない。これは褒め言葉でもあると同時に,もうちっと新機軸を出してくれないかなぁ,という希望でもある。本作は売れない絵描きのチョンガーとその2人の息子たちが主人公の長編「懐疑は踊る」の最終巻であるが,ミステリーの香りを漂わせているにも関わらず,その謎解きの部分がよく分からないまま終わってしまっているのである。その香りは独特の雰囲気にマッチしていていいのだが,描写力(説明力)の欠如がワシのようなオジサンうるさ方には残念に思われるのである。
 長く活躍を続ける作家に対しては,「昔の方が良かった」という意見が必ず出るものである。しかし,「マンネリ」を続けるにはそこに芸がなければならず,商業作品である限り,エンターテインメントとして成立するためには変化をつけ,退屈になってはいけないのだ。えみこ山の場合,その点がちょっと気がかりではあるが,このオールドテイストは日本漫画界の天然記念物として保存しておくべきものであるとも思うのだ。「変わって欲しい」ものと「変わって欲しくない」ものを同時にかなえることの難しさをつくづく思い知らされる,アンビバレンツな感情を引き起こす貴重な作家,それがワシにとってのえみこ山,なのである。

2/17(土) 掛川・曇

 昨日は実験室の大掃除とPC clusterの移設作業を,3年生・4年生にやってもらった。12台のマシンが入っている手作りラックごと,5階から4階へ移設するというかなりしんどい作業ではあったが,何とか終了。夜は慰労会。これで4年生主体の行事は全て終了。3年生は次週の模擬面接が残っている。頑張りましょうね。
 本日は溜まっていた用事をあれこれ済ませる。まず,ニッセイのオバチャンUさんから血液検査を受けるように頼まれていたので(生命保険の切り替え時の書類審査に引っかかったのだ),朝8時30分に近所のE外科胃腸科医院へ。無愛想な初老の医者であったが,ワシの人間ドックの数値をじっくり見た後,脂肪肝がGPT値を押し上げているだけで病気ではないが,節制しなければいい数値にはならないぞ,と的確なアドバイスをくれる。まあ病気というレベルではないらしく一安心。ただ,昨日の慰労会で飲んだ酒の影響を考慮して,次週一週間は節制し(卵ダメ,乳製品ダメ,洋菓子ダメ,精進料理並の食事をせよとのこと),運動もしてから出直すことになった。
 ニッセイのオバチャン来週もまた苦渋の休日出勤となったが,よろしくお願い致します。
 次はプライベートな事柄の郵便物を出し,「じてんしゃ日記」に触発されて(三日坊主の可能性高し)一番安い折りたたみ自転車を購入,ちょろっと近所を乗り回して,大学卒業以来ご無沙汰だった感覚を取り戻そうと無駄な努力をする。いやー,おっかないの何のって。こりゃ当分フラフラ運転が続きそうである。
 で,先週からの懸案だった,トイレの止水弁の取り替え作業を今やって貰っているところである。かなり古い(20年前?)ものなので部品がなく,様々なパーツをとっかえひっかえしながら修理する必要があるそうで,まだ20分ほどかかるという。風呂釜も点火させるだけでも一苦労するし,トイレも含めて水回りを総取っ替えしてもらいたいもんだが,まー無理だろうな。
 あ,終わったそうである。おお,驚異的にしっかり水が止まるようになったぞ。修理代は不動産屋が持つそうなので一安心。ありあとやんした。
 さて次は口座引き落としになっている種々の料金をS銀行へ移動させる手続きである。まずはauから。ではサービスショップへ行ってきます。

マンション購入記・・・承前

 「ひとりものの部屋はなにに似ているか? 棺桶に似ていると私は思う。」
 津野海太郎「歩くひとりもの」から
 マンションを買うことにした。もちろん,現時点では,私ひとりで住む予定である。
 独身女性は,ある程度の金が貯まるとマンションを購入する,らしい。何かの統計に基づいた意見というわけではなく,なーんとなくそういうものだと思われているようだ。
 性別は異なるとはいえ,同じ立場にある私にはその気持ち,わからんではない。わからんではないが,その行為は自分用の「棺桶」を買うのと同じように,他人,特にひとりものでない者からは見られてしまうということを,どの程度自覚しているものやら,甚だ疑問である。
 「今度マンション買うんだ!」
 「ひとりなのに? へぇ・・・」
 この「・・・」にはとてつもない同情と憐憫と冷笑が混在したものであることを,ひとりものはきちんと認識しておかねばならない。
 つまり,同情とは「ひとりで寂しいからそんなところに金をかけるしか楽しみがないんだなぁ」というものであり,憐憫とは「誰にも看取られずにそんなところで死んで腐っていくんだなぁ」というものであり,冷笑とは「高い棺桶に入るんだなぁ」というものである。
 そういう厳しい世間様の目というものを意識した上で,それでもなお,ある程度年月を経たひとりものは,金の目処さえつけば,家を買ってしまうことになるのである。たとえ賃貸に住み続けているひとりものでも,「そろそろ買わなきゃいけないのかなぁ・・・」と考える時期が必ずやってくるのである。
 理由は2つある。
 一つは経済的なものである。資産運用,というと大げさだが,年金の行く末が心配な昨今,年齢に比例してある程度は資産を積み上げておく必要はあるのだから,額の多少はあれ,誰しも自分の資産の運用についても考えておかねばならない。そして,資産運用の基本は,まずリスク分散である。株や国債などの証券,現金(預貯金),不動産等にそれなりの資産を割り振って,インフレやデフレの影響を極力少なくする。つーても,たかが知れているが,やんないよりはましだろう。そして,どうせ不動産に投資するなら,ついでに自分の居場所の確保も出来ることが望ましい。
 二つ目の理由は,切実なものである。不動産屋の立場になれば仕方のないことではあるが,どうせアパートの部屋を貸すなら,信用のおける若い日本人を優先したいという心理が働くため,年と共に部屋が借りづらくなるのだ。それでもまだは組織に属して働いているうちは,何とかなるのだ。辞めた途端,手のひらを返したように塩をまかれてしまうことになる。私の大師匠もひとりものであるが,定年になる数年前に,現在も住んでいるマンションの部屋を買い取っていた。「年寄りには部屋を貸してくれないのよ,それで仕方なく」ということであった。また,関川夏央も中年を過ぎてからマンションを買った。これも理由は同じらしい。
 そうこう考えていくと,「ぼちぼち私も・・・」と思っても仕方がないと納得して貰えるであろう。だめ? まだ三十路後半だから早いって? 
 ま,そうかもしれない。でもどうせそのうち買わなきゃならないものなら,今の時期に体験しておくのも悪くはないかと,思ってしまったのである。
 実は数年前にも,良い物件があって,モデルルームを見学しに行ったことがあるが,その時には金銭面の折り合いがつかず断念したのだ。今回は,その時よりは経済的にマシになっており,前回の雪辱を果たせるよな,ということもあって,えいやっと決断したのである。
 決断しても,「棺桶」という言葉が引っかかっている。ひとりものにとっては,何千万の物件だろうと,所詮は棺桶。だけど,棺桶がなければ火葬場にも持って行けないじゃないか。つまり,されど棺桶。
 所詮は棺桶,されど棺桶。
 同じ桶なら踊らにゃそんそん。
 そっか,踊ってみたかったんだなぁ,私。
 マンションを買いたい,と思った本当の理由は,たぶん,そーゆーことなんだろう。