高千穂遙・一本木蛮「じてんしゃ日記」早川書房

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-15-208774-9, \1000

じてんしゃ日記
じてんしゃ日記

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高千穂 遥著 / 一本木 蛮著
早川書房 (2006.11)
通常24時間以内に発送します。

 ここんとこ真面目に仕事に励んでいるためか,腹回りの芳醇さは目を見張るほどである。・・・いやゴマカシはよそう。そうだよ,太ったんだよ,典型的なメタボリック症候群,つまり内臓脂肪が溜まって成人病予備軍になっちまったんだよチクショー。ダイエットをしたいなと思いつつ,ストレスを散らすための間食が止められず,しかも酒もタバコもやらないので,食うことでしか発散できないのだ。このままでは恐らく,平均寿命はおろか,定年退職前に複数の生活習慣病に侵されて死んでしまうに違いない。恐らく日本の学術研究にとってはワシなんぞ早死にしたところで何の痛痒もないばかりか,かえって厄介払いができて清々するのであろうが,そんなことはワシにとってはどーでもいい。別段,100歳まで生きたいとは思わないが,仕事があるうちは目一杯やるだけやって,糸井重里が常々言っているように「ああ面白かった~」と言って定年退職の日を迎えたいと念願しているのである。従って,せめて運動ぐらいは続けたいと,ろくに通えていないスポーツクラブの会費を払い続けているのだが・・・やっぱりこれじゃダメだよなぁ。
 SF作家・高千穂遙も同様の悩みを抱えていたそうである。まあ座業している時間の長い職種であれば誰しもメタボリ体型になるのは避けられないことではあるが,「運動しなきゃ・・・でも仕事しないとおまんまの食い上げだ」とズルズル現状を引きずっていられるのもせいぜい40代後半まで,それを過ぎると老化現象とのダブルパンチで死がずいぃいっと近づいてくることになる。高千穂先生は体の不調を訴えて医者に行ったところ,中年諸氏なら誰しも思い当たる警句を大量に頂いて帰ってくることになったが,それを身に染みて痛感させられたのは,同年輩・同業種の知人の死や入院がぽつぽつ聞こえてくるようになったからだそうである。そりゃそうだ。三十路後半のワシだって,同級生の腹回りの見事さにわが身のそれを思い知らされたりしているんだからな。
 で,誰しもそうであるように,高千穂先生,様々なダイエット法や健康法に取り組んでみるものの,なかなか長続きしない。水泳やスポーツクラブは通うのが面倒になるし,せいぜい散歩に毛が生えた程度のウォーキングが性に合うということが判明したぐらいだそうな。いや,それでも立派。ワシなんぞ,電車+徒歩通勤すら面倒で続けられず,デブった腹を抱えながら自動車通勤が止められないのだから,既にこの時点で高千穂先生に負けている。
 ともかく,自宅玄関前からすぐに修練が始まり,しかも自分の体に負担のかからない運動で,外の景色を眺めながらできる運動であれば続けられる,ということを高千穂先生は発見したのだ。その結果,自転車漕ぎにたどり着き,修練の結果,知人から「えっ,なに,ガン?」と言われるぐらいの劇ヤセを達成し,現在も体脂肪率一ケタ台の体型を維持するまでになったのである。
 本書はその経緯と,ツーリングのための薀蓄が詰まった,一本木蛮との共著によるエッセイ漫画である。一本木蛮も高千穂パパに誘われて(だまくらかされて?),ツーリング仲間として巻き込てしまったので,漫画そのものは大部分,一本木主導で構成されたもののようだ。従って,エッセイ漫画の構成は自然なもので,ガチガチの原作をそのままなぞったものでは全くない。一本木蛮と言えば本人のコスプレの方が漫画作品より有名なぐらいであろうが,漫画家としての力量は高千穂が言うようにかなりのものであり,しかも女性的な色気とかわいらしさを兼ね備えた魅力的な絵も手伝って,情報のみっちり詰まった作品であるにも拘らず,スムーズに読むことができる作品に仕上がっている。
 あの吾妻ひでおをして,「じてんしゃに乗りたくなった」と言わしめるほど,読者を乗せられるパワーを秘めた本作品であるが,残念ながら,早川という健康やスポーツとは縁のなさそうな出版社から出されたこともあってか,あまり配本数は期待できそうになく,田舎の小さな本屋で見かけることは多分ない。従って,ワシみたいな田舎暮らしの人間が購入するとすれば,高千穂のWebページに張ってあるオンライン書店を頼ることになる。本書を読む限り,一本木蛮は「じてんしゃ日記」第二段に意欲を燃やしているらしいから,その念願を達成させるべく,あなたがSF者であろうとなかろうと,自分がメタボリ男(女も可)でなくても近くにかようなデブがいれば,本書を薦めて頂きたいものである。

12/28(木) 掛川・曇

 なーんかすっきりしない薄曇りの年末。今年は典型的な暖冬なんだそうで,内地のスキー場は雪が積もらず大変らしい。って,ここ十数年来,ウィンタースポーツとは縁のない生活を送っているので,ワシにとってはすっかり他人事であるが。実家に1.8mのスキー板と28cmの靴がホコリの中に埋もれているはずなので,やる気になればすぐに出来るのだが,もうそんな気分になることはなさそうである。大体,そんな長い板,流行遅れもいいところだもんな。
 昨日は東京。富士山がとてもきれい。この時期は空気も澄んで,一年で一番キレイに青空に映えている。
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 大師匠の所へ暮れのご挨拶に行くついでに,丸の内丸善で樋口一葉と数人の野口英世が行方知れずとなる。これで年内に欲しかった新刊は全て買い揃えた。問題はいつ読むかなのだが・・・ま,おいおいに。
 クリスマスが済むとあっという間に正月準備が進むようで,OAZOの入り口にはもう門松が飾ってあった。
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 そーいや,一人暮らし初めて以来,松飾りなんてしたことないよなぁ。伝統的日本人から遠のくばかりである。
 本日はもらい損ねた宅配便の到着を待って,年越しのための買い出しに出かける予定。もう浜松に行く気力もないので,掛川市内の行きつけのスーパーで済ませることになりそう。あ,インクジェットプリンタのインクも尽き果てていたな。買っておこう。それが終わったら,残り二日分のぷちめれを書かなきゃ。どーれにしようっかなぁ。
 ボチボチ過ごします。

高室弓生「ニタイとキナナ」青林工藝舎

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-88379-230-7, \1600

ニタイとキナナ
ニタイとキナナ

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高室 弓生著
青林工芸舎 (2006.11)
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 かつて「トムプラス」という雑誌があった。・・・という話は今更なので止めおくが,まあとにかく,やる気のない諦めきった漫画雑誌というものがあれほどみっともない代物に落ちぶれ果てるのか,と思い知らせてくれた反面教師であった。しかし,それでもきちんと廃刊(休刊とは言っていたけれど・・・ね)まで読者として付き合ったのは,あまりメジャーではないが,優れた漫画家に自分の個性を存分に生かした作品を執筆させていたからである。ここでいう「優れた漫画家」とは,作家性の強い・・・いや,もとい,あくの強い,一目見て「これは××が描いた作品だ」と分かる作品しか描かない漫画家のことを指す。横山光輝しかり,手塚治虫しかり,樹並ちひろしかり,夢路行しかり,竜巻竜次しかり,みなもと太郎しかり・・・キリがないのでこの辺で止めておくが,つまりは尾羽打ち枯らしたとはいえ,トムプラスでしか読めない作家の作品が多かったのである。その中にひと際個性的な漫画家がいて,それがつまり高室弓生なのである。
 という話は実は本書の解説にみなもと太郎大先生が書いておられたりする。ただ,ワシ自身はみなもと先生の漫画は好きだが,文章はイマイチピリッとしないのであまり好みではない。みなもと先生は大変苦労人であるので,大変周囲に気を使われる方であり,他人の攻撃や揚げ足取りというものとは全く縁がない。それは大変にオトナの態度であるのだが,こと批評となれば,そればっかりでは読む側としては退屈である。時に辛辣であっても,自分が感じたことはストレートに文章化して欲しいと思ってしまう。本書の解説も,文字数制限のせいかもしれないが,見方が大局的過ぎて,高室の魅力を語るには迫力不足といわざるを得ないのである。そこでワシが非力をわきまえず,高室作品の持つ素晴らしさを,時にはきつい言葉も交えつつ,解説してみたいと思う。
 高室は「縄文漫画家」と呼ばれているらしい。本作品以前にも「縄文物語」という絶版になった作品が存在しており,本書の舞台もそこと同じ場所,但し時代が異なる,という設定だそうな。
 では,高室は縄文世界を描くだけの専業作家なのか,というとちょっと違うような気がするのだ。
 もちろん,本書の主人公は,縄文時代のデランヌ村(現在の岩手県の山中)に住む,ふつーの若夫婦であり,一言で言えば,本書の帯にある通り「縄文ホームコメディ」なのであるけれど,「縄文」が付加されていなければ成立しないような,特殊な環境の特殊な夫婦の愛情を描いたものではないのだ。もし本作品に近い漫画を一つ選べといわれたら,ワシは迷わず池田さとみの「適齢期の歩き方」を指名する。舞台こそ現代の夫婦ものであるけれど,
 ・激しい恋愛のもつれの末ではなく,普通にお付き合いして普通に結婚して普通の夫婦生活を送っている
 ・旦那は組織に属して働いており,左翼に言わせれば「従順な政府の奴隷」であるけれど,普通に働くのがが一番という価値観を持っている
という,これだけ書くと「そんな普通人の生活のどこが面白い」と言われそうであるが,ワシみたいなフツーの常識人(笑うなよ)にとっては,他人様の生活を覗いている感じがして,とても楽しく読めるのである。
 確かに高室は縄文の生活をかなり学術的にも正確に描くし,それが好きでやっているのだろうが,それはあくまで漫画世界の環境の話であって,ドラマそのものは普遍的な,つまりは現代の我々の常識に照らして,なんら不思議のないものに仕上がっているのである。従って,縄文世界に全くなじみのなかったワシでも,連載中からすんなり入り込めたし,今回久々に単行本にまとまったものを再読してみても,全く違和感を覚えなかった。いやむしろ,寂しい中年独身男にとっては,普段意識していない寂寥感をいやと言うほど味あわされて,一人布団で歯噛みしていたぐらいである(大げさな)。
 高室の絵は,汗と油で湿った人間の肉のヒダをやわらかく描くという,一昔前の男性エロ漫画の画風でありながら,画面構成は少女マンガの手法が目立つという,かなり特異なものである。真正面アップの多用や,コマぶち抜きで全身を描く手法はまさしく少女マンガベースのものであるのに,線のタッチは1970年代の劇画調というのは,読者を限定しかねない面もあるのだが,逆に言えば,そのような画風だからこそ,縄文世界,ことに三内丸山遺跡に代表される,稲作が普遍化する以前の古代東北地方の芳醇さを楽しげに教えてくれるのである。みなもと先生が「あなたしか描けない世界」というのはまさにこのことであって,商業的にはとっつきは悪いかもしれないが,描き続ければ一定数の読者を掴んで離さない力量は間違いなくある。幸いにして,今でも漫画家業は続けておられるようで一安心であるが,あまり熱心に高室を追いかけていない怠惰なワシとしては,はやくもっと日のあたる場所に出てきてくれないかなぁ,と本書を抱えてぼんやり念願しているのだ。

吉村昭「死顔」新潮社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-10-324231-0, \1300

死顔
死顔

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吉村 昭著
新潮社 (2006.11)
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 滋味,という言葉がある。最近の文学界の動向は全く不案内であるが,奇を衒わず,それでいて「説明」ではなく「描写」を深めることによって滋味を引き出しつつ,小説という形態でしか表現できないものを著す,という吉村の執筆態度は,今も昔も,そして未来に渡っても営々として引き継がれて行くに違いないと確信しているのである。このようなオーソドックスな技法は,才能ある書き手が散々試行錯誤した結果にたどり着いたり,最初から不器用を自覚した書き手によって追求されたりするものであるけれど,それ故に,廃れることはないものなのである。吉村は多分,後者の方だろう。不器用を自覚しているからこそ,取材を重ねて史実を重んじる態度を崩さず,かといって司馬遼太郎のように思想の大風呂敷を広げることもしなかったのだ。
 その吉村の遺作小説を集めたのが本書である。もちろん,香典代わりに購入したのであるが,その死に際しての行動が「尊厳死」論争を引き起こしたこともあり,いったいどういう死に様だったのか知りたい,というスケベ根性も手伝っていたことは否定しない。本書の最後には妻である津村節子の「遺作についてー後書きに代えて」も収録されており,ワシのスケベ根性はこれを読むことで収まったのであった。しかし,本書はそのスケベ根性を叩き潰す以上の効果を,ワシの荒んだ精神に与えたのである。
 吉村の短編小説を読むのはこれが最初ではない。完全なフィクションも,伝聞に基づく元ネタが存在するものもあるのだろうが,初めて読んだ短編集には,地味だが,それなりに年齢を重ねた人間には思い当たる,「あれ?」と感じる行動を的確に描写する凄みが漂っていたのである。
 本書に収められている現代が舞台の短編「ひとすじの煙」「二人」「山茶花」「死顔」は,それ以上の凄みを感じた。ショッキングな事件が起こる作品も,淡々と常識的な出来事が連なるだけの作品もあるのだが,どれもこれも読了後には「うーん・・・」と眉間にしわ寄せて考え込まされてしまったのである。これを面白いと感じるか,地味でつまらないと感じるかは,多分人生経験の差によると思われる。芥川賞を貰い損ねたのは多分この地味さによるのだろうが,一定数以上の読者を得て世の尊敬を集めていたことと思うと,今更どーでもいいことではある。無理して派手を装って執筆させられることの多そうな現代の作家にとっては,吉村の存在は救いになっていたのではないだろうか。
 本書で唯一,未発表の歴史短編「クレイスロック号遭難」は,吉村の史実に対する真摯な態度が感じされる,吉村らしい作品である。このような歴史作品を多数執筆していながら,日本社会や歴史に関する思想を語らなかったのは,無論,歴史に対する思想がないわけではなく,下から事実を積み上げること,その営みこそが自らの思想を語ることに繋がっていたと考えるべきであろう。この路線を引き継ぐ地味な作家が,これからも大器晩成的に支持されていくことを願って止まない。
 ご冥福をお祈り致します。

12/26(火) 掛川・雨

 台風並みに発達した低気圧が太平洋沿いを進んでいるようで,生ぬるい風と土砂降りが続く。明日は東京行きなのだが,新幹線の運行に支障が出るかしらん?
 仕事納めだが,午前中会議,午後卒論チェック。卒論進まず,正月に勝負を賭けることになりそうな感じ。頑張りましょう>卒研生の皆様
 帰宅途中に地元の温泉に寄って骨休めをし,スーパーでカレーの材料とルーを買って帰宅,夕食に久々の自家製カレーを作って食う。うまかったので,お代わりしたら腹一杯になり,うつらうつら状態で仕事にならず。何とかでかい次数の計算を流すことはできたが,細かい作業はとても出来そうにない。続きは明後日以降となりそうだ。何とか論文にまとめたいんだけどなぁ。無理かなぁ。
 眠いので寝ます。