12/29(木) 掛川・晴

 快晴だが風は全くない,冬には珍しい穏やかな天気。この時とばかりに布団を干す。明日も快晴のようなら,もう一組の布団も干さなきゃ。
 昨日は寝室の床を埋め尽くした本だの雑誌だのをまとめただけで疲れ果て,その後はずっとおうちクラスタ構築に費やす。Fedora Coreになってから数値計算ライブラリやMPI関連のソフトウェアの充実がすごい。LAMLapackScalapackatlasまで全部”yum install ほにゃらら”でインストールできてしまう。ワシのBNCpackもLAMで問題なく動作することを確認し,ベンチマークのための下準備を行う。・・・うーむ,やっぱりAMDは良いな,但しCPUだけだが。GbEは,最高性能こそIntel 955Xに匹敵するものの,通信が安定しない。実際,GbEだけでなく,nForce4の他の機能でも問題が多いようだ。この辺りに企業体力の違いが現れている。次のDual Core CPUのリリースではIntelがAMDを凌駕するかもしれないな。
 LAMは使い勝手が優れているんだなぁと感心。学生さん向けにはこれを使ったほうがいいかな?
 今日はお掃除の神様が少しだけ手助けをして下さったようで,台所の上だけは午前中に終了した。これから溜まりに溜まった本の収納場所を作るべく,カラーボックスを買いに行く予定。んでは。
 ただいま。予定通りカラーボックスを3つ買い込み,ギチギチだった既存の書棚に空間を確保する。お掃除はごみの取りまとめと風呂掃除を行って本日分を終了。明日は洗濯と掃除機がけ,不燃粗大ごみの取りまとめの予定。これで掃除は全て終了となる予定であるが,はてさて。
 一年ぶりにカセットコンロを持ち出して,ささやかな水炊き。薄味だが,これが一番うまい。ゼミの忘年会ではチゲ鍋が出て,思いの外うまかった。が,家でやるとなると躊躇してしまう。後始末が面倒だし。で,いつもの水炊きになってしまうのである。正月明けまでにあと2回はやっておきたいな。どーせこの時期しかできないんだし。
 風呂入って,ぷちめれ書いてから寝ます。

白井恵理子「STOP劉備くん!」メディアファクトリー

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-8401-1337-8, \514

STOP!劉備くん! 1
白井 恵理子
メディアファクトリー (2005.11)
通常2-3日以内に発送します。

 ワシは自分の意思が薄い人間が大嫌いである。もちろん,意思がありすぎる人間も嫌いであるが,意思がないよりはマシである。世の中,自分の思い通りにならないことが多いのは当然であるが,時間と暇と住む場所さえ確保できているのであれば,自分次第でどうにでもなることも多少は残っている。自己表現という奴はその代表的なものであって,文章を書いたり漫画を描いたりアニメを作ったり(これはちと大変だが)することは,自分の意思さえしっかりしていれば何とでもなるものである。それが商売となると売れなかったり酷評されたりと,思い通りに金銭を得,評価されることは難しいが,表現を捨てるかどうかは自分次第である。
 本書のウダウダしたあとがきを読んでいて猛烈に腹が立ってきたのは,著者の愚痴っぽさもさることながら,コツコツと積み上げ高めてきた表現能力をしょーもない理由で捨ててしまったことを知ったからである。もちろん,白井は白井なりに熟慮の結果なのであろうが,本書を編む土台となった角川あすかコミックス版3冊(1991年刊, 1994年刊, 1997年刊),及び希望コミックス版三冊(「GOGO玄徳くん!!」 2001年刊, 2002年10月刊, 2002年11月刊)を後生大事に抱えていた愛読者としては,「漫画家を辞めただぁ,ふざけんな!」と憤ってしまうのである。
 申し訳ないが,デビュー当時の白井の絵は見られたものではなかったと記憶する。人物はゆがんでおり,シリアスものとなればどーにも不恰好で,人には薦められたものの,あすかコミックスから刊行されていた黒の李氷シリーズなどはどーにも読む気になれなかった。しかし,絵が下手,ということはギャグ漫画にはむしろプラスに転化する。とり・みきが言うように,絵が多少ゆがんでいたとしても,それがギャグの勢いを生かすことに繋がったりする。4コマではあるが,この「STOP!劉備くん」シリーズは,時事ネタをうまく三国志のキャラクターに嵌め込んで,しょーもないネタを笑える漫画に昇華させることに成功している。未だに復刻を望む読者が多く,それ故に今回新たに新作も加えて編みなおされたのは,白井の才能が一定のレベルに達しているという証である。
 しかし,このシリーズをちまちまと続けつつも,白井は表現のレベルを更に上げていったのである。その成果は1997年に刊行された「賢治と水晶機関車」(あすかコミックスDX)に結実した。ワシは書店でこれを新刊書のコーナーで見かけて手に取り,どれだけ下手か(我ながらヒドイ)を確認しようとしたのであるが,一見して驚愕し,迷わずレジに持っていったのである。
 書名から分かるとおり,これはは宮沢賢治の物語世界を下敷きにした短編を収録したものであるが,宮沢賢治の原作をなぞったものではない。主人公には中学生の宮沢賢治と友人の銀茂を据えた,賢治テイストではあるがオリジナルの物語である。この作品の絵のレベルは,デビュー当時のへたっぴぃなものと比べると,とてつもなく上がっている。勿論,絵に加えて物語の構成も優れたものになっている。ワシは「STOP!劉備くん」とは異なる世界を展開させつつある白井に驚愕したのであった。
 その白井がだよ,体調が悪いならともかく,回復しつつあるというのに筆を折って看護師になるだとか,そのために予備校に通って楽しかったとか,面接を受けたけど(本人曰く)年のせいで落っこちたとか,ウダウダウダウダ・・・と本書のあとがきに書いているじゃねーかよ。
 ふざけるんじゃない!
 ワシは期待していたのだ。
 「STOP!劉備くん」の続編が出るのを。「賢治と水晶機関車」で見せた表現能力の更なる高みを。その期待を裏切られたのである。一読者の勝手な言い分ではあるが,勝手なので勝手に言わせてもらう。まだまだワシは待っているのである。
 本書はごく一部を除き,ほとんどが既刊の6冊の編みなおしである(おかげで絵柄がまちまち)が,待ち続けてくたびれ果てた読者としては,ないよりマシ,ではある。故に,ワシは名古屋にて迷わず本書をレジに持って行ったのである。これは期待を込めたエールである。
 白井は,また描きはじめるようである。しかし油断はならない。またいつ筆を投げるやもしれぬ。そうならないよう,メディアファクトリーから今後刊行される白井の単行本は,どんなに絵が下手な作品であっても,買い続けねばならないのである。怨念を込めてワシは買ってやる。
 白井よ,今度こそ漫画家人生を全うしてくれまいか。

12/28(水) 掛川・快晴

 朝方寒く,太陽が昇ってくると室内や車内は一気に初夏の陽気となる。何とかならんかこの気温差。
 今年の正月こそ筑前煮(実家では「うま煮」と称しているもの)を食すべく,まずは出しの取り方から学びなおすことにする。ふむふむ,昆布は水の状態から入れて沸騰する直前に取り出す,と。削り節は昆布と交代でさっとぶっこんですぐに取り出す,か。早速予習を兼ねてやってみる。おお,なかなか上品な味わい。では今日の昼飯はかけ蕎麦にしようと,取ったばかりのだし汁を使って蕎麦汁を作る。しょうゆとみりんと日本酒を同量,薄味に仕上げてみる。・・・まあ上品な味にはなったな。これに砂糖をちょっと加えると,いつも使用している桃屋のたれになるのだが,甘くない方が好みなのでこれで蕎麦汁完成とする。残った蕎麦汁で大根を炊く。風呂吹き大根というにはちょっと色がつきすぎかな。ま,うまそうだからいいか。
 買ったまま積んであったDVDを消火する作業にかかる。・・・ううむ,なかなか味わい深いものもあるな。今週のレビューで全部紹介しちまおう。
 今日は料理と掃除三昧と行くことにしよう。それが終わったら温泉に行ってゆっくりする予定。では。

12/27(火) 掛川->浜松->掛川・晴

 ピーカン晴れ。日本海側の大雪がいかに凄いかという証でもある。とうとう特急列車まで脱線する始末。札幌の実家を出て以来,日本海側にいたのは6年だけだが,もう雪のある生活はしたくない。年中夏タイヤを履きっぱなしで良い生活は人間を自堕落にさせるのである。
 午前中は学科会議。久々に演説をしてしまい,満場のため息を誘う。次年度は臨時に(ホントか?)統計解析を担当することが決定。3年生相手なので,Excel操作は・・・大丈夫だろうなぁ? 無事12時には終了するが,今日は有給休暇を取っていたのを急遽出席したのである。ワシの休みを返せぇ戻せぇ~。
 午後からは久々に浜松までドライブ。浜松市野のJUSCOで昼飯を食い,買い逃していたShakatakを買う。ついでに付近のカーマと接客日本一を未だに目指しているらしいPCショップにて,目覚まし時計と安物GbE Switchを買う。帰りはまだ残っているハイウェイカードを消費すべく,磐田I.C.から東名を使って帰宅。まだ千円近く残っているな。今度は静岡市方面に出撃してみるか。
 帰宅後,睡魔に襲われてこれも久々の昼寝をし,目が覚めたら午後7時。買ってきたばかりのShakatakをかけつつ,つらつらとこのblogを書いているという次第。
 ぼちぼち寝ます。あ,風呂入ってからね。

美濃部美津子「三人噺 志ん生・馬生・志ん朝」文春文庫

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-16-767966-3, \505

三人噺
三人噺

posted with 簡単リンクくん at 2005.12.26
美濃部 美津子著
文芸春秋 (2005.11)
この本は現在お取り扱いできません。

 一人暮らしを長く続けているせいなのか,単純に年のせいなのか,「家族の情愛」みたいなことを語ったエッセイや小説を読むと涙腺が緩んでしまう。下手なTVドラマではそんなことはないのだが,ドキュメンタリーなどでそのようなシーンがあるともう涙と鼻水でグショグショになってしまう。みっともないことであるが,このような感情があることで,不心得者であるワシでも人並みな人生を送れているのであろう。故に,「家族の情愛」に反応するこの感情は,一種の安全弁としての役割を果たしているのである。これがなくなれば,年端もいかない子供や足腰の弱い老人に平気で暴力を振うような人間になるに違いない。そうならないよう,人生の安全弁を点検するために時々は「家族」を扱った読み物に触れることは必要である。
 本書はそのような目的にジャストフィットした,いや,しすぎたエッセイである。ワシはもう涙ボロボロ,胸の奥底を刺激されつつ本書を読了したのであった。
 著者は,古今亭志ん生の娘さんである。故に,十代目馬生,三代目志ん朝のお姉さんでもある。本書はこの3人についての思い出話であるが,破天荒な人生を送った志ん生についての記述が一番多い。志ん生についてのエピソードは今でも噺家の枕に登場するが,肉親から直接聞かされると妙に切なく感じてしまう。
 例えばこんな話がある。著者が子供の頃は貧乏のどん底にあったが,糟糠の妻であった美濃部りんは,正月と盆には必ず新しい着物を子供にあつらえていた。しかしそれも,次の年には箪笥から消えてしまう。「お父さん(志ん生)が持ってっちゃうのよ,質屋に。」(p.45)
 また,第二次大戦末期に東京が空襲に晒されるようになると,「お父さんは,あてになんない」体たらくである。「何しろ空襲警報が「ウーッ」って鳴ろうもんなら,一目散で逃げ出すんですよ。」 挙句の果てに,「迷子になっちゃう。だから,あたしたちが後を追っかけて,捕まえなきゃならないんですよ。これが空襲のときの日課。」(p.70) ・・・結果,志ん生は円生と共に満州へ慰問,というか逃げ出すことになる。
 今だったら間違いなく即離婚となるであろう情けなさであるが,それがかえって家族の団結を深める方向に作用しているところが泣けてくるのである。もし志ん生が本業の落語においてもさほど目立つ力量を持っていなかったとしても,この家族は最後まで幸せに暮らすことができたであろうと思えてくる。
 すべてが壮大な母性に包まれて語られるせいか,ところどころ笑えるエピソードが出て来ても,チクチク胸の奥を刺激してくる。したがって,泣ける話になってくると,もうたまらない。生きている間好きだったウナギを絶ち続けていた志ん朝をしのぶため,陰膳を頼むところなぞもう堪らなく悲しい。「今なら心おくなく食べられるだろうと思ったの。」(p.154) ・・・と書いていても泣けてくる。
 ああ,わかった。どうやらワシはオバサンの母性という奴に,めっぽう弱いらしい。それに加えて家族愛。こりゃダメの2乗だわ。安全弁の点検・・・のためだけには,ちっと刺激が強かった。しくりん。