以前,友人から「Blogとはどういうことを書けばいいのか?」という質問を受け,次のように答えた。
1.自己満足が基本。他人がそれを読んで面白がったり怒ったりするのは全て余禄。
2.システム的には,デザイン感覚のないワシみたいな奴でも,読みやすい版組みにしてくれる所が一番の売り。HTMLを書かなくて済むのも楽。
3.トラックバックやコメント機能については使っていないので特段意見はなし。
大分偏っている上,3に至ってはBlog一番の利点を活用してないことになり,Blog利用者としては下の下,と言われても仕方のない所がある。しかし,この原則に従い,Web日記からBlogへ移行して,今年(2005年)の8月で3年目を迎えるのである。「更新が命」とはWeb全般に言えることであるが,それだけではダメで
4.年単位で更新をし続けること
これができなければ,それはとてもBlogの名に値しない。何事にも飽きっぽいワシが,Web日記も含めると6年も「更新」は続けているのだから,人様から何と言われようと,この原則は「正しい」のである。逆に言えば,4の原則を守るべく1~3の原則は定められるべきなのであり,続けることが出来ればBlogのポリシーは何であれ正当化されるのである。
ん? Web上に公開するんだから,「人様に読んでもらう記事を書く」という原則も必要なんじゃないかって?
ふん,しゃらくさい。
もし,本当に誰かに読んで欲しいんだったら,それは個人ページに書くんじゃなくて,企業や組織が運営しているもっと大規模なWebサイトか,別のメディア(書籍,雑誌,TV, ラジオ・・・)に売り込むべきである。まず自分以外の信頼できる第三者に目を通してもらい,大人数が読むであろう場所にその記事が掲載される,そのぐらいのシステムと場が不可欠である。
個人Blogはそういう場ではない。もし貴方が世間的に有名人であるか,ホリエモン並みのお金持ちであるならば別だが,そうでない一介の市井人の作るBlogのアクセス数は,外的要因がなければそう増えるものではない。ちなみにワシのBlog(ここね)の一ヶ月のアクセス数は2264(2005年2月分)である。3年続けた結果がこれであるから,始めたばかりのBlogはもっと悲惨なアクセス数となることは間違いない。読んでいるのも,偶然ググってみたら辿りついたとか,Web Robot,貴方を見知っているごく少数の知人,というのが関の山である。個人Blogにおいて,不特定多数の人に読んでもらいたいという欲求を満たすことは期待できないと思い知るべきであろう。
読んでもらえないような文章を長く書く意味はあるのかって?
・・・あのね,その質問に対しての回答は,質問そのものをちょっと改変すれば事足りるのよ。
長く書き続けた文章には何がしかの「意味」が宿る,のだよ。分かるかね?
そりゃぁ意味の通じない文字コードのカタマリでは無理だが,少なくとも書いた本人に理解できる内容であれば,自分用のメモとしては「意味がある」と言え,もしかしたら他にも「意味がある」と感じてもらえる人がいるかもしれない。それでは不十分だ,もっと多数の人に認められたいと思うのであれば,前述したように,それに相応しい場を求めて自分を売り込めばよろしいのである。そんなことをしなくても,書いた本人が理解できる文章を書きつづけるその行為自体には,「意味が宿る」のである。少なくともワシ自身にとって,このBlogは誠に意味深い内容になっている,ということは断言できる。
故に,Blogは書き続けること,そのことが一番の肝要なことなのである。ワシにとっては書きつづけるためのモチベーションは「自己満足」にあったのである。
ということで,この「About Blog」というカテゴリの記事は,気が向いたときにBlogについての私論をそこはかとなく書き綴っていく予定である。春休み企画みたいなものなので,10回程度で完結する筈である。完結しなかったら「飽きたんだな」と思って頂ければ幸いである。このお気楽さも個人Blogならでは,である。
3/21(月・祝) 秘密・晴
毎日,朝と晩に温泉に浸かる生活を送っている。いいだろー。これは,朝風呂の後,飯を食おうとしたら食堂が一杯で席がなく,空いたら連絡するのでしばらく部屋で待っていてくれ,と宿の人に言われたため,その待ち時間を利用して書いている。まだかー,腹減った~。
昨日は友人と待ち合わせの上,N山S寺を見学し,ついでにうなぎを食してこようという計画だったが,友人の携帯にいくら電話しても繋がらなかったため,一人で観光して,著名なK豊・・・の隣の店で一人でうなぎを食って帰って来た。
宿に帰ってメールを読むと「いつ来るんだ?」と友人から問い合わせ。「何言ってんだボケェ,何十回電話かけたと思ってるんじゃワレェ」と返事をしたらようやく先方から電話が入り,携帯の使えないエリアにいるということであった。K東のC県でもそんな地域があるのか? まあ,ともかく改めて飯でも食おうということで,本日夕方にF橋で落ち合うことになった。ヤレヤレ,である。
あ,呼ばれたので,朝飯食ってきます。
食ってきました。
とはいえ,仕事も持ってきているので,そちらもきちんをやらねばならない。さて,未読大王(面倒なので「メール」は略)の分は,遅れたが品質は・・・ダメダメである。どうやったらexploitationが「外挿」になるんだ? そもそもイマドキは「補外」だろうっ! あー,何言っているんだかわからん直訳調っ!・・・ちょっと前半を見ただけで真っ赤になってしまった。何が三日で仕上がる完成度だっ! 本来なら最終校正は年長者の役割だろっ! ・・・とめげていても仕方がないので,バリバリ直しを入れていくのであった。
3/19(土) 掛川->秘密・晴
予定通り,骨休めのつもりが骨休めにならない仕事付きの休暇を送るために某温泉に来ている。ネットが使い放題なのはありがたいと言うべきか,もう慢性の連続ネット猿状態に陥ってしまっていると言うべきなのか。旅の友Let’s Note R3はともかく,外付け光ドライブまで担いできたのはやりすぎではないのか。何のための休暇なのか(以下加算無限個の愚痴略)。
これから学部時代の恩師の退官記念パーティーに参加する。その後2次会の予定。門限がある宿なので,果たして帰りつけるかどうか不明。○○公園あたりで野宿する羽目になるかも。
では行ってきます。
堀田善衛「ミシェル 城館の人」第一部~第三部 集英社文庫
第一部 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-08-747749-5, \838
第二部 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-08-747759-2, \838
第三部 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-08-747772-X, \838
古典を読め,とはよく言われることであり,実際読むべきである,とは思う。古典とは,その後それを追う著作がいっぱい出て,「何でこんなに言及されるのか?」と不思議に感じたときに紐解かれる,いわば著作の源泉なのである。そーゆー代物は読みたいとは思うが,例えば「たけくらべ」を読もうとしても,文語調に慣れていないヘタレな現代一般人の多くは読了できないだろう。短いこの作品にしてからこの体たらくであるから,源氏物語なぞは,まあ無理である。せいぜい,瀬戸内寂聴や円地文子の現代語訳を通じてオリジナルの息吹を感じる程度が関の山である。
更に問題なのは,文語もさることながら,その古典が執筆された際の時代背景についての知識が必要になることである。実は,ワシは名前を出していながら白状するが,源氏物語は現代語訳や大和和紀「あさきゆめみし」すら読んだことはない。もちろん,学校教育でちらりとその抜粋を見かけたことはあるが,光源氏なる人物がいかような女遍歴を辿ったのか,ということはさっぱり分からなかった。おぼろげながらも筋を知ったのは,川原泉「笑うミカエル」を読んでからである。おかげでワシの光源氏像はエラく偏ったものとなってしまっている。
とまぁ,読みたくても読めないのが,ワシにとっての古典である。どーせオリジナルを読めないならさ,いっそマンガでもダイジェストでも小説でもいーじゃん,と安易な開き直り状態に陥ってしまっているのである。
というわけで,「ミシェル 城館の人」である。ミシェル,とはMichael de Montaigne,つまり「随想録」を著したモンテーニュのことである。皮肉もあり,鋭い文明批評あり,何より相対主義的な思想書と褒めちぎられることの多いこの古典は,しかし白水社の全訳は2186ページ・・・もうそれを聞いただけで読む気が失せる分厚さである。せいぜい同じ出版社から出ている新選本の方を読むのが精一杯である。しかしそれとても,それが執筆された時代背景を知っているのと知らないのとでは,やっぱり読み方が変わってくるのではないだろうか。現代にも通じる,かなり普遍的な「エセー」であるとは言え,それが16世紀の宗教改革の嵐が吹き荒れていた頃に,政治的に重要な役割を果たしながら,一人城館に篭ってこれを書いていた,ということが分かってくると,より一層,古典としての凄みが理解できそうではないか。しかも,ミシェルさんは,領主としてあまりよい働きをしたとは言えず,父親には溺愛されてラテン語の早期教育まで受けさせられたが,母親とはあまりうまくいかず,しかも妻は寝取られる,というプライベートまで明かされてしまうと,だからこそこれが書けたのかな・・・と変な納得をしてしまう。そーゆー,ミシェルさんに関する様々な政治的・家庭的な事柄も,「エセー」からの豊富な(ちょっと重複は多くてくどい感じはあるけど)引用も含めて時系列的に述べられている本書は,言葉は悪いが「馬鹿でも読める随想録」と言える。ワシはこの3部作を読了して,すっかりモンテーニュが,随想録が分かった気になってしまった。
しかし,本書は小説としての筋の通し方も見事である。最終的にモンテーニュが到達したもの,それに向かって収斂していくまでの流れが,歴史的ドラマの要素も加わって,結構ドキドキできたのである。相手に合わせるだけの相対主義は思想とは呼べない・・・モンテーニュがたどり着いたのはそんなものではなく,自分の内面を徹底的に見つめることで築くことの出来た「思想」であると,堀田は言う。果たしてワシみたいな文学的素養のない人間にそれが正しく理解できているかどうかは怪しいが,どーも,小林よしりん的な「絶対主義」よりは,ずっと相対的な「構造主義」の方が肌に合うよな,と感じつつあるワシとしては,ミシェルさんに近しい感情を勝手に覚えてしまっているのである。
3/18(金) 掛川->名古屋->掛川・晴
昨日は雨だった。途中,暖かい空気が流れてきたようで,冷気を溜め込んでいた我が職場の廊下は水浸しとなっていた。冷たい飲み物の入ったガラスのコップに水がつくのと同じ理屈である。しかし滑って転んで死んでしまっては元も子もないので,慎重に歩かねばならないのが面倒である。
どーにか学外設置サーバが動作する。iptablesは細かい指定が出来るのが売りだが,どーもうまく指定できていないようである。今のところはえいやっとセキュリティ的には甘くしてあるのだが,さて休暇明けにはどうなっていることやら。トップページが書き換わっていたりして。
さて本日は名古屋で某御大の退官記念講演会,明日はワシの学部時代の恩師の退官記念パーティである。その後はのんびり休暇を楽しむ予定が,サーバの構築に時間が掛かって,肝心の翻訳最終チェック作業がぜんぜん捗っていない。従って,仕事道具一式をかついでホテルに向かわねばならない。嗚呼。それもこれもメール未読大王が(以下略)。
ということで,行ってきまーす。
ただいま。定年退官記念講演会というのは,話には聞いていたが出席するのは,実は初めて。なかなかいい雰囲気で行われていた。その後,八事のホテルに移動してパーティ。2次会が開かれたので1時間ほどお付き合いして帰宅した。
明日も退官記念パーティ。その前にあれこれ雑務を片付けねば。仕事も持っていかねば。それもこれも(以下略)。
寝ます。