1/13(火) 掛川・?

 夜になって,冷え込みがきつくなってきた。やっと本格的な冬か・・・とはいえ,こちらの冬は,せいぜい10℃を切るかどうかという程度の甘っちょろいものでしかない。
 出口の見えない議論をさんざんやったので,口直しに解決しやすい問題に取りかかる。ということで,翻訳は一息ついて,cs-pccsluter2のためのVine2.6r3いじりをチマチマと行う。アチラと立てればコチラが立たず。一昔前ならば「動けばいいや」と気楽に済ましていたところが,一年近くもPC clusterにかかり切りになってしまって経験値を積んだ分,素通りできなくなってしまった。ということで,現在までに経験した問題を列挙する。

  • GbEの不安定さ・・・PingとFTPでベンチマークを行ったところ,前者ではどうやら600Mbps程度のThroughputは得られている。しかし,100BASEでは80Mbpsを楽々確保している上,速度は安定している。反面,GbEはパケットが小さいと100BASEにすら劣る有様で,FTPに至っては,殆どGbEの優位性を示せない。Switching Hub,CSA Intel Kenai, driverのどれに問題があるのやら,さっぱりワカランわい。最高性能の6割程度で我慢すべきモノなんだろうか?
  • Vine2.6r3のファイル周り・・・きっちり10^9 bytesのファイルをローカルHDD(SATA 80GB)内でcpすると,最初6分以上もかかっていた。/sbin/hdparm -t すると,3MB/secしか出ていない。あれぇ,これは変だと,Fedora Core 1を突っ込んだ寄付マシンで試すと,数年前の20GB ATAにもかかわらず,1分程度で終了する。結局,kernelを2.4.24にしてみたらあっさり解決し,40秒程で終了するようになった。これだと/sbin/hdparm -tの結果,55MB/secとほぼ一致する。やれやれ・・・はいいのだが,結局原因が何だったのかは分からずじまい。FedoraもVineもkernel 2.4.22系列なんだがなあ・・・。
  • GCCが古いっ・・・2.95系列だったので,gcc-3.3.2を突っ込む。面倒なので,prefix=/usrで上書き。RPM取ってくるとか,自分でつくるとか,apt-getするとか,もうちっとスマートな方法も考えたが,面倒なので思考停止することにした。g77が入っていないと,LAMって./configureできないのね。mpich派だったので知りませんでした。勉強になったわい。kernelコンパイルは,gcc-3.3.2でも問題ない模様。
  • printerは・・・USB接続のLBP-1420なのだが,LIPS IV(ベクター)であっさりおっけ。簡単になったよのう・・・でもフォントが汚い。買ってくるか,Windowsのを流用しちゃおうか(ライセンスはあるのよ),思案中。

つーことで,Cluster構築の直接の支障になりそうな事柄は以上で出尽くした感がある。あとはアプリとWeb Clusterの問題があるが,ま,なんとかなるっしょ。しかし,こうやってあれこれ苦労してみると(大したモンではないが),SCoreって偉大だよなあ。VineでもSCoreできるみたいだが,今回は面倒なのでなし。OpenPBS入れて一応マルチユーザ化はしたいのだが,所詮バッチだからな・・・大型計算機時代に逆戻りした感がある。
 ではお休みなさい。

1/11(日) 掛川・?

 もう天気何ぞを気にしていられない。翻訳作業,1/2を過ぎたが2/3はなかなか見えない。明日にはけりを付けて,是非とも2/3の線をクリアしたい。
 新大河ドラマ「新撰組!(タイトルは新「選」組なんだよな)」」を見ていたら,はた迷惑なベルがなる。いつもなら居留守を使うところが,つい翻訳作業が順調な余り,気分よく返事をしてしまったのが運のつきであった。ドアを開ければ実直そうなNHKの集配員様が・・・ああっ,これにて,一人暮らしを開始してから約17年間の受信料未払い記録が途切れることにぃ~。
 これを恐れて今までBSアンテナは設置していなかったのだが,良い機会なので導入することにする。地上波デジタルまでのつなぎだが,完全切り替えは2011年からだそうなので,ま,いいや。CSは気が向いたら加入しようっと。DVD & HDD レコーダはどうしよっかなあ・・・いや,翻訳翻訳,と。

1/10(土) 掛川・?

 ちと填ってしまって,自宅に戻ったのは今朝の5時。一眠りして,昼頃に出勤,cs-pccluster2構築のため,GbEとFast Etherとの速度比較を行う。さすがに安物Hubを使っているとはいえ,GbEは早い。但し,ヘタレな自作ケーブル何ぞを使っているとトラブルが頻発する。・・・またちょっと填る。まとまったらまたここで公開する予定。GbEを使ったPC Clusterって今時珍しくも何ともないが,比較参照できるまとまった資料はそんなにないのである。研究会で発表する程のものではないから,当然であるが。
 Linux distは何にしようかと迷ったのだが,学生実験用に日本語環境を整える必要があって,結局Vine2.6r3になる。Fedoraも悪くはないのだが,defaultがUTF-8では支障ありすぎ。変更も可能なようであるが,そーゆーつまらんことに労力を費やしたくない。某企業から借りている(んだよなぁ)マシンにはFedoraを突っ込んだが,これは研究用だからいいのである。
 でも翻訳は佳境に入った。明日明後日でわし担当の分2/3は終了予定。追い込みだー頑張るぞー。同時並行でJeLAの原稿なんぞまで書いちまって,わしって勤勉(今までサボっていただけだ)。最も,内容に関してはあまり褒められたモノではないが。
 synchronize_start, synchronize_endなる機能を思いつく。お披露目はFIT2004かなぁ。SACSISには間に合いそうもないし,間に合わせようと思うと翻訳が間に合わなくなり,査読(1/15まで)も間に合わなくなる。・・・ああ,もうドンだけのスケジュールがparallelに走っているのやら,考えるだに恐ろしい。その原因が全て自分の怠惰にあるというのが,もっと恐ろしい(ぉい)。

1/9(金) 掛川・?

 昨日は,某企業から持ち込まれた
microgrape6.jpg
と,学生実験用に購入した液晶ディスプレイ
dualdisp.jpg
にかかりきり。・・・翻訳頑張りまーす。

1/8(木) 掛川・晴

 昨日は講義とゼミで疲れ果て,BNCpackをちみっと弄った他には何もせず。今日は翻訳頑張りマース。
 サイバラさんの「できるかなV3」を読み返していて(あっ,もう逃避しているっ),何かデジャヴ感が漂うなあ,と思っていたら,先ほど原因が判明した。このホステス編,めぞん一刻の後半で五代君がバイトしていたキャバレーの託児所を思い出させるのである。あの当時は「へー,水商売は福利厚生がしっかりしているんだ」ぐらいにしか思っていなかったのだが,今回サイバラさんの,対象に寄って寄って寄り切った体験漫画によってそれが裏付けられたことになる。全く,この世で一番強いのは,子供を産んで育てているオカンだよなあ。
 逃避ついでにもう一つ。PC Watchの元麻布さんの記事中,PCI Expressについて触れたところで,新商品出始めの時期に遭遇しやすい不具合について,「こうしたトラブルを体験するというのも,第1世代の製品を購入するユーザーの特権(?)」と書いている。これは思い当たるところが多い指摘である。わしは徹底して安定性重視なので,PCパーツについてはそーゆー体験をしたことはないが,新しいモノに飛びつく方ではある。おかげで1990年代後半にはTCP/IPとThe Internetに填った訳だが,あの当時は面白かった。北陸のSINET Hubが設置されていた金沢大学の集合ルータ室にも入れたし(TAを設置したのである),日本国内のサイトに接続するにもRouting経路がUSAまで往復していたなんてこともあった。DNSのSecondaryを同じ組織内で立ち上げるという馬鹿なこともしたし,Sendmailの設定をあれこれ弄くることもやった(これは今でも続く)。今から考えれば,トラブルの宝庫であったのだが,当時はもうドタバタと追いまくられていて,自分の思慮の浅さが原因で仕事を増やしているということに思い至らなかった。日本のThe Internetバブル直前の時代ならではの「初期不良」にまつわるトラブルも経験させて貰った。
 そーゆー身につまされる経験を経て現在に至るのであるが,自分の為になったことが多い反面,経験からしか「学習」できない自分のバカさ加減も大いに自覚させられた。利口な人とは理屈から先の見通しをきちんと立てられるレベル以上の能力を持っている人のことである。よって,経験を経ずとも未熟さから来るトラブルをそこそこ回避できる。バカとはこれができず,失敗からしか学ぶことができない。しかし,バカはバカなりの楽しさというのも確かにあって,利口な人が踏み出せない一歩を,体力に任せて踏み抜き転げ落ちる経験を経ることによって,「転落の痛み」を事前に予測できるようになるのである。致命傷にならない程度の転落であると判断できれば,その失敗をすることによって得る「成果」との最適化を図り,得になる失敗かどうかの予測はできるようになる。・・・と,このレベルまでたどり着き,なおかつ失敗をスマートに処理することが出来る技術が身に付けば,もうバカは卒業である。わたしゃまだまだ,もっと小失敗を重ねてバカの技術を磨かねばならない。
 しかし,考えてみれば,世の中バカの方がずっと数が多い訳で,それ故に叱り役兼道案内役である教師なる人間がいるところの学校で物事を習う習慣が廃れないでいる。教師だって人間であるからバカが多い訳だが,そうすると「バカがバカを教えてバカがさらにバカになる」という批判が出そうだが,前述の通り,バカはバカなりの経験を積んでいるはずなので(逆にいうと,バカは経験を積まなくてはいけないのである),それを教えることが出来る。これはこれで,立派ではないかもしれないが,「教育」にはなり得ているのである。大失敗しかねないバカを,小失敗程度に留めることが出来るバカにすることは,バカでもなんとかなる,筈である(ちょっと自信なし)。
 こんだけ長く言って,何を言いたいのかと問われれば,わし程度のバカでもそれなりに存在価値があるのだという,単なる自己弁護なのである。お粗末様でした。