Revolution OS(DVD)

 [ NowonDVD.net ] \3900
 GNU ProjectからLinux, Open Source Movementの関係者のインタビューをまとめたドキュメンタリー。Proprietary陣営への直接インタビューはなく,公平性を重んじる向きにはちと不満なところがあろうが,これだけの重要人物の肉声による証言はそれだけで貴重であり,買っておいて損はないDVDである。個人的にはこれと同じスタンスでThe Internet創世期のドキュメントがあれば申し分ない。どちらもお互いに絡んでいる所がたくさんあるので,大きな歴史のうねりを知るには必要な情報なのである。
 ドキュメント中,StallmanがGNU Hurdについて,Linuxよりデビューが遅れた理由を説明する下りがあったりして,それなりにGNU/Linuxの歴史は知っているつもりでも,これは新発見だった。発売元がマイナーレーベルだけに,これがリリースされたことすら知らない人も多かろうが,Open Sourceに興味を持つ向きにはお勧めしておきたい佳作である。

9/3(水) 掛川・?

 夕食を壱番館のカレーで手早く済ませて帰宅したら睡魔が襲ってきて,そのままバタンキュー。目が覚めたらまだ日が変わる前であった。仕方がないのでこうして日記を付けているという次第。
 それにしても昨日は暑かった。関東以西は秋雨前線を押し上げた蒸し暑い暖気の影響で残暑がきつく,静岡でも30度を優に超えた。
 そんな日に,実験講座で使用するために一旦ばらしたCS-PCCLUSTERを再度組み立てようと,PCの移動を敢行したものだから,暑いの何のって。黒い無地Tシャツを着ていたので,作業終了後にクーラーに当たって涼んでいたら汗が乾いて白い塩がふき出てきてしまった。
 と言う訳で,CS-PCCLUSTERのBefore/After。
cs-pccluster.png
 やっぱりPC Clusterはラックに収まっているべきものであるな。
 ちなみに,Test runの後,最初に繋いだ8port Repeater Hubは16portのSwitching Hubに変更された。並列DKA法でガンガン回していたら,数十分後に必ず一台のNIS/NFS接続が切れてしまうのである。MPIとNIS/NFSとを同じIP net上で使うというズボラなことをやっていた報いであろうか。で,取り替えて様子を見ているという次第である。
 PC Watchのソニー副社長のロングインタビュー。GridとCell computingの話が出てくる。まだ実験段階であるだけに抽象的な言い回しが多くなっているが,ビジネスとしてそーゆー話が出てくる時代になったのだな,と感慨深い。
 思えば,CPUが登場し,hippieが大型計算機のantiとしてのPersonal Computerを作り出し,downsizingが進み,アーキテクチャがPC/AT compatibleへと収斂していきつつ,Webをkiller applicationとしてThe Internetが全世界に普及して,IT革命を謳歌した途端にITバブルが弾けて今に至る訳だが,この間,高々30年足らずである。修士時代,混雑するS-810をちょろっと触っていた程度のわしが,並列分散処理を手かげることになるとは夢にも思わなかったが,それもこのような時代の変遷の影響を受けてのことである。
 以前,東大を定年退官されたI先生が講演の中で「一体いつになったら計算機の環境はfixするのか」と半ば呆れて慨嘆されていたが,わしはそれを聞いて,あの元気なI先生に「老い」の影を見ると共に,「変化する環境と共にあるのが『応用』的学問じゃないのか」と,少し反発する気持ちを持ったのである。

9/1(月) 掛川・曇

 何だか蒸し暑くて目が覚めてしまった。9月に入ったというのに,残暑は根強く残っているようである。
 今日は防災の日。駿河湾で大地震が発生,という想定で防災訓練が行われるようだ。全く当事者としては胃に良くない設定である。緊急時連絡カードなるものも常時携帯するように配布されており,わしがどっかで何かの下敷きになったりしていなければ,いざその時には職場に駆けつけ,カードに書いてある連絡先に電話をし,生存が確認できるようにしておかねばいけないらしい。自身はもういつきてもおかしくない状況だそうだが,具体的な日時の予測は難しいから,全く待たされる方はもどかしい。早く来ないかな(違う?)。
 今日は雑用に追われる一日であった。午後からは企業の方が来訪されて,研究話。SCOの訴訟があってから,Linuxがらみのビジネスからは一端手を引いたということであった。それなりに効果はある訳ね。ヤクザのミカジメ料みたいなもんを請求しているらしいが,はてさて判決はいかばかりか。
 注文していた”Revolution OS”が届いたので,作業をしながら流してみる。音楽のセンスがイイし,インタビューしている人選もナイスである。詳細はちゃんと見てからここに書くことにしよう。
 で,それを見つつ思いついたのだ。Open Sourceのビジネスってのは技術的には高いレベルを要求されるのだなあってね。
 結城浩さんが書かれた固有IDのシンプルシナリオ流に単純化して,例を示してみる。
(1) 企業Aはプログラマaにあるシステムを発注する。
(2) プログラマaは,Open Sourceのパッケージαにコードを付け加えて改良し,パッケージα’として完成させて,企業Aに納品する。
(3) プログラマaはパッケージα’をOpen Source Communityにて公開する。
(4) Open Source Communityから別のプログラマbがパッケージα’を入手する。
(5) プログラマbは「私はプログラマbより安い費用でパッケージα’をメンテナンスできる」と,企業Aに自らを売り込む。
 まあ実際には人が作ったものをその人以上に理解して改良できるかと言えば難しいことが多いだろうし,そんなズーズーしいことを平気で実行できる厚顔無恥な輩は少ないだろうから,(5)のようなことはあまりないと言える。んでも
(5)’ パッケージα’をサポートしてくれるプログラマを捜している企業Bが,ツテを辿ってプログラマbに依頼する。
もしくは
(5)’’ プログラマBが,パッケージα’をサポートできる旨,それを求めていた企業Bに自らを売り込む。
ことは枚挙に暇がないし,そーゆー繋がりを通じて,Open Sourceが広がったという側面は見逃せない。
 ソースが公開されているってことは,それをサポートする上で,言い逃れが出来ないってことにもなる。勿論土台となるパッケージの出来が悪ければ改良にも限界はあるが,そうでなければ,不具合が直せないのはソースを読み解く力がないか,サボっているためにそれを回避する手段を見いだしていない,ということになる。しかも,ユーザ数は多いから,モタモタしていては自分以外の人間がさらなる改良を施してしまう可能性が高い。Proprietaryであれば,バイナリだけをユーザに渡し,自分の能力の及ぶ限りにおいて,差分パッチをリリースしていけばいい。勿論,あまりにヒドイ不具合があればそのうちライバルが出現して来る可能性は出てくるけど。
 してみれば,Open Sourceのビジネスモデルでは,技術スキルが不可欠要素となり,言い訳の効かない世界であると言える。うーん・・・。

8/31(日) 掛川・?

 疲れが出たのか,一日中,自宅でぼーっとして過ごす。「凡宰伝」を読んだ以外は,知的活動を全く行わず,洗濯したり自炊したりと生活臭漂う行動で時間を潰す。ちぇーっ,今日で一気に紀要原稿を上げる予定だったのに。ま,時間を取ってボチボチ仕上げましょう。
 さーって,今週はFIT2003用の資料作りと,査読論文のデータ作成に邁進するぞー。暫く論文書いてなかったからなあ,ここで一気に二本目が掲載されれば,昨年,本年と二年分の空白を埋めることが出来る。昔,「年に一本はコンスタントに査読論文が出来ないとねぇ」とY博士に言われたことがずーっと頭の隅に引っかかっていて,それが自分の仕事量の目標になっているのである。で,この目標が達成できていないと,どーにも気持ちが悪いのである。その状態がここ二年ほど続いていたから,鬱積するものがあって今一気に解消しようとしているのである。・・・ま,掲載されるかどーかはワカランけどね,まずは書かないと話にならない。頑張りまっしょう。
 本日で8月も終わり。今年の夏はどこへ行ってしまったのか。外からは鈴虫の声が聞こえてくる。

岡田斗司夫「恋愛自由市場宣言!」ぶんか社

 [ BK1 | Amazon ] ISBN 4-8211-0842-9, \1500
 「オンリーユーフォーエバー症候群」から脱却し,「恋愛自由市場」に目覚めた人向けのケーススタディ(第一部 江川達也・大槻ケンジ・森永卓郎・倉田真由美との対談),理論とQ&A(第二部)を語り下ろしたオタキングの新刊。晦渋な記述もなく,200ページを越える分量がありながらあっさり読めた。
 ・・・んが,しかし,どーもなあ,ホントに著者はマジメに本気で「恋愛自由市場」を信じているのかどうか,かなり疑問に感じてしまうのである。
 例えば,男性に対するQ&Aの中で,ギャルゲー好きの童貞オタク男性が,女性に縁がないことを嘆いているものがあるが,それに対する著者の答えは,「同世代の女子大生たちの間では,たしかに価値が低い」が「平均年齢45歳の熟女軍団のなかに行けば,23歳というだけで,あなたの市場価値は急上昇」するというものである。・・・まあ事実と言えば事実かも知れないが,同世代の女性に相手にされない悩みに対するマジメな回答とは言い難い。それならいっそ「救いようがないから諦めなさい」といってくれた方がまだすっきりする。私なら「数は少ないが,貴方のようなキモイオタクでも相手にしてくれる,美人ではないかもしれないが同じくオタクな女性をしかるべき場所で見つけ,恋愛のスキルを高めなさい」ぐらいのアドバイスはする。
 第一部の対談は,著名人の恋愛観が読めるので価値はある。が,それ以降の記述には,人生を左右しかねない「恋愛自由市場」という大命題を扱っていながら軽薄さが感じられ,「あんた一体どこまで本気で語っているの?」という疑念が晴れなかった。大体著者自身,形式上は離婚していながら,実質的には普通の家庭をきちんと営んでおり,ラブ度もセックス度もそれほど高くなさそうである。そーゆー「普通の人」が「恋愛自由市場」を語るってのは,どーも,自身の経験が薄い分,軽くなっちゃうのではないか。それを埋め合わせるため,第一部でどちらの度数の高そうな著名人を引っ張り出しているのだろう。しかしこれも,実際は江川達也を除いてそれ程でもないようで,成功しているとは言い難い。
 ・・・とまあ,徹頭徹尾批判的なことを書いちゃっているが,それは多分,わし自身が恋愛なるものに興味がない,ということが原因だろう。わしはそれ程ワーカホリックではないが,それでも女性から「仕事と私とどっちが大事?」と迫られれば,迷わず「仕事」と答える(つーか,そう答えてしまったのだ,実際(笑))。まあねぇ,著者のように「恋愛」でメシが食えるなら兎も角,わしみたいな一市民は「仕事」しなければ日干しになってしまい,恋愛どころではないのである。勿論,その代償として,ある日アパートの一室で腐乱死体となって発見される末路を辿るぐらいのことは覚悟している。それがイヤで,ツマやコドモに看取られて安らかに死にたいと念願し,そのために「恋愛」に走ろうという向きには・・・まあ,本書はまるっきり向いていないな。むしろ,そーゆー人が努力して結婚した結果,うまくいかずに別れてしまった,その原因は何だろう・・・と考える時の手引きとして読むべきものである。
 中島らもは恋愛を,避けようのない病に例えていたが,わしの見る限り,恋愛をするにも才能が必要で,それがある者だけが病にかかることができる。そして罹患した者が純愛至上主義に毒されたあげくの果てに「恋愛自由市場」・・・ですか。わしみたいな恋愛不自由者にとっては,「楽しいこともあるんだろうけど,しんどそうな世界ですなあ」と嘆息するしかない。さて,仕事でもしますか。