「こどものじかん 13巻」[ Amazon ] ISBN 978-4-575-84246-3, \600
「こどものじかん ほうかご」[ Amazon ] ISBN 978-4-575-84247-0, \600
私屋カヲルについては一度は言及しておく必要があると思っていたのであるが,ついぞ述べる機会を逸していた。それは面白い近作を見逃し続けていた(あまり面白くない凡作は読んだ)という理由による。ここはやはりここ一番のヒット作である「こどものじかん」を読むしかないな,と思っていたところで最新刊・最終巻が発売されたので,一気に読んだのである。で・・・さすがだなぁ,と思うと同時に,これをやり玉に挙げて児童ポルノ法案に漫画・アニメ表現規制も盛り込もうという向きは少し考え直した方がいいのではないかと助言したくなったのである。
ということを書くと,お前は表現規制派なのかと言われそうだが,個人的には逆であるつもりだ。ただ両者の間のブリッジはもう少し広くして,規制したい方々の「嫌悪感」と,規制したことによる弊害,いやそれ以前に,規制することの「非合理性」についてガチで議論を深めてほしいと願っている。ま,ガチガチの規制派・規制反対派の方々にとってはどっちつかずのコウモリ野郎ということになるのだろうが,それはそれで正しい認識である。ワシはコティさんよろしく,世間の風向きというものにも一定の合理性は認める人間なので,どっちに転ぶのか,その原因たる社会的背景の方を注視していたいのである。
で,私屋カヲルである。デビュー時にはダッサイ絵だなぁと一顧だにしなかった漫画家が,気が付くと萌え萌えの画風となり,あれよあれよという間に「こどものじかん」で大ヒットを飛ばすまでに成長するなどとは露程も思わなかった。ワシは全く見る目のない一読者であるなぁと今大いに反省しているのである。
いつぞや,Twitter上では結城焔と私屋カヲルとのバトル(という程でもなかったが)が話題になった。第三者が読めば,私屋の本作が「あざといエロ釣り」であり,それ故に結城作品も載っている掲載雑誌が一般書店に流れづらく,結果として売れていない,という批判が発端となったバトルである。これをつらつら読むと,結城の最初の発言は相当言いがかりである。では振り返って私屋カヲルの本作が「あざといエロ釣り」ではないのかと言われれば,大方の人々は肯定せざるを得ないのではないかと思うのである。断言すると,ストーリーではなく絵面の表面だけ見れば,「あざといエロ釣り」という表現は当たっているのである。そしてここからが重要な論点になるのだが,では「あざといエロ釣り」というものが誰にでも描けるのか,そして大多数が認める「あざといエロ」というものに対して同じく大多数が納得する合理性を伴った規制というものが可能なのかどうか,折角本作という成人漫画規制の枠外の「具体例」があるのだから,大いに議論してほしいと思っているのである。そしてその議論の結果,ジャパンクールにおける「あざといエロ」の重要度が認識されるのではないかとワシは考えているのである。
本作の主人公・九重は,担任の教師・青木に恋する小6生だ。それだけならいいのだが,その好意の寄せ方は相当エロく,直接的なものである。この辺りが一部のお固い向きから憤激を買うんだろうが,そこを私屋は「都条例をクリア」する表現で,最大限の効果を得るべく描いているのである。この辺の見せるテクニックは非常に巧みで,萌えの極地のような絵柄と名人芸レベルに達した構成で読者を引きつける。「あざとい」と形容するのがピッタリだ。そしてこのあざとさが,都条例をクリアしているにも関わらず,憤激を買う原因になっている。これに規制の網をかぶせようとすると,もっとぼんやりとしたシチュエーションを規定せねばならず,現在問題なしと見られている他作品への影響が大きすぎるということになる。そこがまた規制派の方々のイライラを募らせている原因なのかなぁと想像するのである。
本作がエロいというのは正しいが,それがエロいのは基準をクリアした表現の巧みさに起因するものであって,私屋カヲルと同レベルの表現力がなければ成し得ない。それ故に本作を規制のターゲットとするのは問題が多すぎる,というのがワシの意見である。大体,ストーリー的には面白く真面目な性教育読本とも解釈できる内容になっているんだし。
・・・しかし規制派の意見にはあまり合理性がないとはいえ,政治的動向によっては「ぼんやりしたシチュエーション」での規制がかかり,最低でも現状以上に厳しいゾーニングを余儀なくされるかもしれない。そうなれば本作も同時発売された「こどものじかん ほうかご」も成人向け作品にカテゴライズされてしまう可能性がある。
だが,私屋カヲルの成り上がりっぷりを見る限り,どんな規制がかかろうと,そういうものはラクラクと踏み越えてしまうだろう。エロ抜きであっても面白いストーリー展開という武器を,私屋はすっかり自家薬籠中のものとしているのだ。規制を逆手に取った漫画作品を生み出して読者の支持を得ること間違いないのである。
森達也「死刑」角川文庫
[ Amazon ] ISBN 978-4-04-100881-2, ¥705
森達也の本を読むのは初めてである。聖人君子のようでもあり,人生に疲れたオッサンのようでもある風采の上がらないジャーナリスト(ドキュメンタリー監督と言うべきかな)は,メディアに現れた時には朴訥な口調で分かったような分からないような要領の得ない議論を口にする。しかしその内容に疑うところはあまりなく,むしろ,正論とされる多種多様な意見を誠実にまとめあげた結果,本人なりにはアウフヘーベンしたものがあの「要領の得ない議論的意見」なんだろうと推察する。
本書もそんな著者の誠実さが現れまくった一冊である。しかし,読み終えてからは,著者のやけにきっぱりとした態度表明とは別に,とてもメンドクサイものを読者であるワシに押し付けたのである。そういうものを嫌う向きにはお勧めしない一冊だ。
本書を端的に物語る著者の言葉を以下に紹介しておこう(P.249)。
死刑をめぐるロードムービー。まだ取材を始める前に鈴木久仁子(注・担当編集者)から本のイメージを訊ねられたとき,僕はそう答えたことがある。ならばあらゆる場所に行かねばならない。そこで僕は様々な人に出会い,様々な死刑を目撃する。
実際,本書では,死刑をテーマとした作品を描いた漫画家,死刑執行所を持つ拘置所の所長,死刑廃止を求める国会議員,かつて死刑囚だった人,死刑の場に立ち会った検事・教誨師・拘置所員,死刑判決を求めている被害者家族,死刑判決を求めない被害者家族,かつて死刑廃止を主張していたジャーナリスト,そして死刑判決を受けるかもしれない被告人を弁護する弁護士とコミュニケーションを重ねていく。重ねすぎて目眩がしてくるぐらいだ。そしてその濃密な情報交換の積み重ねを,ワシら読者は風采の上がらぬオッサンと共に追体験していくのである。テーマは一つ,「あなたは死刑存続(存置)を望みますか?」である。
よくある死刑存続の主張,死刑廃止の主張を押し付けるようなことを,森は絶対に行わない。あくまで態度は「あなたの意見はどうですか?」である。インタビューした相手に対しても,ワシら読者に対しても。それ故に,よくある自己主張の賛成を求めるだけの書物とは違うモノをワシらに突きつけ,メンドクサイものを残していくのだ。「あなたの意見はどうですか?」,と。
国際的な趨勢と,学術的な知見をふまえる限り,死刑存続派の理論的主張はほぼ成立しない。しかしそれでも本書に登場するかなり多くの,しかも実際に死刑に向き合わざるを得なかった死刑廃止派のジャーナリストや人権派弁護士ですら,死刑廃止を主張できなくなっているという現実を本書は突きつけている。「(死刑廃止の)理屈はその通り,だが・・・」と語尾が濁り,割り切れないものを抱えて葛藤している様は,本書を読み終えた,死刑存続を望む多数の読者にも同じことを要求してくるのである。
「死刑」という重苦しいテーマにも関わらず,森達也の筆は読者の視線を引きつけてやまない。それは淡々と事実を綴る誠実なドキュメンタリーを撮り続けてきた著者の誠実さと作家としての力量の所以であろう。死刑に賛成でも反対でも,真剣に議論したいのであれば,その議論の俯瞰図を知るべく,本書は最良の一冊となること間違いないのである。
(原作)ダ・ヴィンチ・恐山,(漫画)嘘空まこと「輝きジョシ子さん。」竹書房
[ Amazon ] ISBN 978-4-8124-8185-1, \648
久々に声を上げて笑える4コマ漫画に出会って,ワシは非常に気分がイイのである。本書を買ったのはもちろん「ダ・ヴィンチ・恐山」の名前を表紙に見たからであるが,読んでみたら,それ以上にこの恐山の後輩であるジョシ子さんのキャラが素晴らしく,面白かった。それは当然,漫画化に際して素敵なキャラデザインと演出を授けた嘘空(うそから)まことの力量があってのことである。原作ものは往々にして失敗する事が多いが,本作に関しては原作者のネタと漫画家がジャストフィットした,ベストな人選であったこと間違いないのである。
ダ・ヴィンチ・恐山の名前を知ったのは,たしかこの第4回ギャグ漫画家バトルで優勝したという記事を読んでからである。へ~,そういう新人が出たのか,どういう人なんだろうな・・・と興味を持ったのが最初である。以来,そのTweetを追いかける・・・ということもなく,たまぁに見かける程度のお付き合いをしてきたのである。多分,Tweet内容がワシにはハイブロウ過ぎてついていけないギャグに溢れていた,ということであろう。なんとなくフォローすることもなく,Retweetされたものを読む程度のお付き合いをしてきたのである。
だもんで,この後輩女性「ジョシ子さん」のことがTwitterに乗って流れていることは全く知らなかった。本書に収められているジョシ子さんがらみのTweetを読む限り,ギャグのレベルが下に降りてきている分,親しみやすいものになっている。後輩女性を客観的に観察している(かどうかは知らないが,そういうシチュエーションを形成していることは確か)というものになっていることが大きいのだろう。それを見つけて原作(ネタ)とし,漫画化にあたっては最適な人選をしたこの担当編集者の慧眼が本書を生み出したのである。
本作に描かれるジョシ子さんはとても天然な腐女子,もとい「輝き系女子」であるが,造形がキュートであり,素っ頓狂な言動がその可愛さを増幅している。傍らでその言動に悩まされつつもTwitterで逐一報告するイケメンな先輩・恐山はまるでワシがイメージする,バカにはわからないギャグをかます切れ者,というものとは真逆の一般ピーポーだ。このキャラ付けがジョシ子さんと際立出せる一助をなしており,それを描写する不安定かつ繊細な嘘空まことの画風が,凡百のホノボノ漫画と一線を画す原動力となっている。一段下に降りたセンスの良い観察ギャグネタと,その周辺部分を補った描写を添えつつ分かりやすく見栄え良く見せるマンガテクニックの,幸せな出会いが本書を傑作足らしめているのである。
どうやら本作はこれで完結しているようだが,恐山とジョシ子がくっついておもろい夫婦になってくれれば,一生ものの大河エッセイギャグ漫画が読めるのである。ぜひともこの二人には無理矢理にでもくっついていただき,俺等読者を面白がらせるだけのギャグモルモット人生を送ってほしいものである。
片桐孝洋「スパコンプログラミング入門 並列処理とMPIの学習」東京大学出版
[ Amazon ] ISBN 978-4-13-062453-4, \3200
まず最初に,本書はワシが自腹で(研究費でなしに私費で)買ったものであることを宣言しておくのである。そんなこと何の関係があるかといぶかる向きもあろうが,実は本書,著者から紹介メールを頂いていたのである。教科書として使う予定があるなら献本してくれるとのことであった。しかしどー考えても,うちの職場においては教科書として使うことは難しい(理由は後述)。参考書としてならもちろん筆頭に挙げられるのであるが。・・・ということを返信メールでいちいち書いていては先方も困る(つか,嫌がらせである)であろうということで,まずはここで「いちいち書いて」おき,メールではここの記事へのリンクを書いておき,これを短くまとめたものを添えておこうと考えた次第なのである。
まず,著者はHPC(高性能計算)に携わって長い第一人者であり,本書はその研究経験と,学部・大学院,そして外部向けのセミナーにおける数多くの教育経験に基づいた有用な記述に富んでいることを,「自腹で買った」ワシは断言するのである。いやほら,献本してもらっちゃうとどーしても手加減してしまう可能性もあるし,自らの懐から取り出した3200円+税で買ったって事実は,前言が嘘偽りない正直な感想であることの証左なのである。
実は最初,本書は通り一遍の「MPI入門書」だと思っていた。実際,入門書として使えるようになっているし,網羅的なハンドブックではなく,必要最小限のMPI関数だけ紹介している点,初学者には優しい作りにはなっている。
しかし,「優しい」ということと「易しい」ということは発音は同じでも意味が全然違うのである。その意味で,本書はうちの職場ではちと教科書としては「難しい」内容を多く含んでいる。
「難しい」という意味は二つあり,一つは内容,もう一つが環境の問題である。
内容に関しては,線型計算,行列ベクトル積,行列積,LU分解の並列化という実践的で,理工系初年度の数学知識と,アルゴリズムを考える能力の二つを要求していることが挙げられる。いや,それが本筋であることは当たり前なのだが,噛み応えがある内容だけに,半期でLU分解の並列化まで辿り着くのはちと難しいかな,とワシには思えるのだ。ことにMPI以前に線型代数の基礎知識が怪しい学生を相手にする場合,ドロップアウトを極力避けるためにまずサンプルプログラムから提示し,動かしながらデータの動きを具体的に追っていくという手順が必要になる。ということで,ワシは自分でテキストを書いてしまっている。大体このやり方を取らないとうちではちと厳しいかな,というのがワシの教育的経験からくる判断なのである。本書の場合,オーソドックスに並列化方針を概念的に説明した後,それを実装する課題が来る。そのやり方,当然ワシもやっているのだけれど,このあたりで躓く学生が多数出る,という場合はフォローをせねばならない。この辺のさじ加減を踏まえたうえでテキストを書かねばならないので,正統的な本書はうちではちと厳しいかな,と。
もう一つは環境の問題。今のうちの職場のPCクラスタでは,ぜいぜいGbE程度で結線するぐらいが関の山で,InfinibandとかDIMMnetとか10GbEで結合したマシンなんて用意できない。10年前ならCPUの能力も低く,シングルコアが普通であったので,GbEでつないでも,いや100BASE-Tでもそこそこ性能は出たのだが,今のようにマルチコアCPUがふつーで,マルチGPUも珍しくない,という計算ノード能力の向上が達成されてしまったら,GbEなんてNFSぐらいでしか使いようがない。とても本書でぶん回しているような線型計算の通信負荷には耐えられないどころかボトルネックになってしまう。そうなると,MPIを使って並列化したところで性能向上どころか性能低下の実験にしかならないのである。まぁ東大のFX10クラスのマシンがぶん回せる環境が提供できるなら,本書の有難味も体験できるのだが,うちの職場では現状ムリ,ということになる。せいぜいマルチコアCPUマシン1台内部で模擬的にMPIを触ってみる,というぐらいが関の山だ。Linuxが使えるならOpenMPIはタダでyumなりaptなりで引っ張ってこれるので,お好きな向きはコンシューマデスクトップマシンでMPIクラスタを組んでみるのもいい経験になるかもしれない。但し,通信性能が如何に重要かを身をもって経験することになるのだが(ワシみたいに)。
しかし,本書には,MPIのみならずプログラムの並列化を行うに際して常に当てはまる経験的記述が豊富であり,環境的には厳しくても,噛み応えのある内容をしっかり身に着けたい向きには有用な教科書となることは間違いない。付録CDに,本書で解説されているプログラムが収録されているのもgoodだ。CDじゃなくてWeb配布にして販売価格を安くしてくれたらbestだったが。
是非ともビンボくさいGbEクラスタでドンくらいの性能が出るのか,PCに囲まれたオタクにはチャレンジしてもらいたいものである。ちなみにワシは本書のLU分解の並列化を卒研ネタにしようと考えている。
相原コージ「下ネタで考える学問」双葉社
[ Amazon ] ISBN 978-4-575-94380-1, \857
相原コージのギャグ作品を単行本で読むのは久しぶりだ。バブル時代の出世作「コージ苑」以来である。その後,シリアス(?)ストーリー「ムジナ」や「真・異種格闘大戦」,異能の狂人(褒め言葉です)竹熊健太郎とタッグを組んだ「サルでも描ける漫画教室」は完読はしていないので,ワシは相原の良い読者ではない。が,どれを読んでも多分,ワシの相原感は揺るがないと思われるので,この機会にこの北海道出身の不器用な漫画家についての印象を語っておくことにするのである。
そう,相原コージは不器用な漫画家である。ここで言う「不器用」は良い意味ではない。ハッキリ言って,自分でも言っている通り絵はヘタクソだし,ギャグの引き出しも多くはない。本作は「下ネタで考える」と銘打っているが,基本的に相原ギャグの多くは下ネタ,しかも情けない性的由来のものが多い。間違ってもお国が推薦する「ジャパンクール」の一作とはなり得ないのである。
しかしこの不器用さこそが相原最大の武器であり,長所でもある。というより,不器用さをとことん突き詰めて武器にしてしまったところが相原コージという漫画家の特質の一つと言えよう。ワシはそれをセンス,とは言いたくない。乗り越え方が無骨,真面目一辺倒でとてもそーゆー洒落た言い回しが似合わないのだ。「泥臭い努力家」,それが相原コージの不器用さを更に際立たせ,読者の目を他に逸らさない理由となっているのである。
相原のギャグはベタである。下ネタ由来のベタベタなものだ。しかし下品と断言するには少し躊躇してしまう。それは軽みがあるからだ。下手だが鋭角的な描線でさらりと描かれた人物は基本的に軽い。ベタギャグを一生懸命やっている,しかしそれが嫌味にならず,さりとて爆笑までは行かなくともクスリとしたユーモアに昇華しているのは,偏に軽みのある描写を真摯に行っているからであろう。「ムジナ」や「真・異種格闘大戦」のようなストーリー物でも,ワシが読んだ限りでは本作と何ら変わらない印象を受けた。ギャグ作品同様の真摯さで書き込みを行い,薀蓄を惜しげもなくぶち込んでモザイク状に作品中に散りばめるのである。勉強した知識や技術そのままに取り込んだ相原作品は,それ故に何故か不思議な魅力を発酵させてしまうのである。
本作のように,アカデミックな学問を取り込んだ漫画としてワシが最高の一冊と考えているのが,いしいひさいちの「現代思想の遭難者たち」である。いしいの知性とセンスが,哲学者の思想の本質を丸め込んで自身のギャグをより高次な次元に高め,読者を普通に笑わせてくれるという稀有な作品である。それに比べれば相原コージの無骨さは明らかだ。学んだ知識を真面目に下ネタを題材として語っており,それ故に本書はかなり普通に学問入門書として使えるものになってしまっている。例えば,「26時限目・論理学」は,命題論理と述語論理の基本事項がそのまま語られており,下ネタ題材の使い方が学問的に正確なのだ。しかしこれは「センスのあるギャグ」とは言えず,やはり漫画作品としては無骨な印象を受ける。そしてそこが相原コージ作品たる所以なのである。
しかし久々に本作で相原漫画に触れ,ワシが一番感動したのは,相変わらず包茎ペニスとセックスネタの多いこと。やはり本人のレゾンデートルとギャグ漫画家としての立ち位置を決めたネタだからなのだろう。日本人男性の8割が該当するってところがまた別の「共感」を呼んでしまうからこその画業30周年・・・なのかしらん?