久世番子「パレス・メイヂ 1巻」白泉社

[ Amazon ] ISBN 978-4-592-19404-0, \429
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 エッセイ漫画の名手,久世番子が少女漫画「コミックス」を出すとは,時代も変わったものである。別冊花とゆめで連載が始まったと知った時には意外だなぁと少し驚いたのだが,今回単行本として纏まったものを読むと,不思議なほど違和感がない。勿論,ワシがスレッカラシの中年漫画読みであることの影響も大きいのだろうが,本作は至極まっとうな「純粋少女漫画」であると感じたのである。それはいわゆる「王宮もの」(今ワシが勝手に作ったジャンルだ)に分類される「(初期の)パタリロ」や「大奥」が純然たる少女漫画であるのと同様,本作は間違いなく少女の夢・ファンタジーを描く作品となっているからである。


 本作はぱっと見,日本の皇室,時代は明治~昭和初期が舞台の漫画のように見えるが,衣装や宮殿のモデルとして借用しただけの純然たるフィクションである。ワシは昔読んだ四谷シモーヌ大先生のSFファンタジーを思い出してしまったのだが,まぁあれはナ○ズン×ゲ○インというげふんげふん,兎も角,「メイヂ」という語は漠然とした時代感覚を表しているだけで,登場人物は全くの創作である。何せ,「お上」は「帝(みかど)」だし,しかも少女・女帝である。ただ,女帝は一代限りの繋ぎであり,結婚して子孫を残すことが許されていないという境遇は昨今の女帝論争を思い起こさせるものになっている。
 ある意味では気楽,ある意味では不遇なこの少女帝に使えることになった御園(みその)子爵家の純粋ボンボン,公頼(きみより)が本作の主人公で,子爵家の兄(長男)の浪費癖と浮世離れした姉の下で唯一の常識人ということになっている。こういうシチュエーションだけでも少女漫画読みとしては大いに萌える。エロス的要素はこの1巻からは全く読み取れないが,公頼が仄かに思いを寄せるようになった少女帝がほんの少し頬を赤らめるコマなぞは誠にキュートであり,年甲斐もなくわーきゃー言いたくなるのである。ああこの感覚,久しく忘れていたなぁ。
 ワシは勿論,久世番子のエッセイ漫画はコンプリートに集めて読んでいるが,最近のストーリー漫画,大崎梢・原作の「平台がお待ちかね」「配達あかずきん」「サイン会はいかが?」にも楽しませてもらった。エッセイ漫画に比べてストーリー漫画はイマイチ,という評もあるようだが,少なくとも近作に関しては,往々にして失敗することの多い原作物をうまく料理しており,どちらも同程度に面白い,とワシは断言する。
 そして本作に関してはエッセイ漫画より優れていると思える。ミステリー的要素が入ったストーリーに,特徴のある女官達,宮廷の官僚達,近習の同僚,少女帝のペットの犬(可愛いのかこれ)・・・皆,一癖二癖ある魅力あるキャラクターだ。エッセイ的要素の強い「ひねもすハトちゃん」「とげぬきハトちゃん」に関しては本作と同じくストーリー漫画にカテゴライズすべき作品であるが,伝えるべきテーマを中心に据えつつ,周辺に魅力的なキャラ配置と軽妙な演出を加える,という久世漫画の魅力はエッセイ漫画にもストーリー漫画にも共通している。本作に関しては複雑な少女帝を取り巻く環境と人間模様が重層的に物語を紡いでいて,エッセイ漫画を描くために様々な取材をして勉強してきた成果を全部ぶち込んでいるのだなぁと感心させられる。従って,ワシは久世作品に関してはエッセイ漫画でもストーリー漫画でも同質の面白さを感じているのである。
 初期の「パタリロ」や,実在の人物に名前を借りた「大奥」は,権力の中枢に集う「美」(少年・青年)を華麗に描きつつ,面白い物語を語っている。「パレス・メイヂ」はそういうファンタジー的な「美」の要素は,過剰すぎる二作に比べれば少ない方である。しかし本作は見かけの華麗さよりも純粋な「恋」を魅力的に扱っているところが特徴的であり,それが久世の感じる王宮漫画における「美」なのであろう。それがどのように描かれているかは本作を読んでご自身で確認されたい。ワシはこの「恋」がどのような結末を迎えるのか,ハラハラしながら2巻を待つことにするのである。

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