[ Amazon ] ISBN 978-4-253-23150-3, \552
カラスヤサトシが結婚した,というニュースはこの単行本の発行を伝えるコミックナタリーの記事で知った。ほー,と感心すると共に,ワシもすっかり他の読者と共に「カラスヤサトシに乗せられていた」ことを知って苦笑してしまったのである。大体,メジャー誌に連載を持っている漫画家の語る「自分のダメさ加減」が,客観的には全く当てにならない事は福満しげゆきの件で思い知らされていたにも関わらず,手玉に取られてしまっていたのだ。それだけカラスヤのマンガテクが素晴らしく,脱力的な絵がまんまと実像を覆い隠していたということを立証したわけだ。
その証拠に,ワシは本書を,書き下ろしの前書きと,出来ちゃった結婚に至る顛末を描いた153ページ以降しか読んでいないのである。それ以外のページは拾い読み程度しかしていない。色々と合コンだの見合いだのを繰り返しているようだが,その辺については全然興味が湧かないのである。「結構あっさり出会ってさくっとデートして同棲になだれ込んで出来ちゃったんだな」ということが分かった段階でワシの目的は果たされたのである。
しかし,改めてカラスヤが結婚に至るまでの一連の流れを見ていくと,出会いから同棲までは「勢い」だが,そこから妊娠に至る過程は,直接的には描かれていないものの,結構慎重に事を運んだような感じがするのである。この娘なら「出来ちゃっても良い」という判断を,同棲のどこかの時点ではしていたようなのだ。もう四十路近い,世間ズレした漫画家が家族計画しない筈がない。日本のエッセイマンガの伝統である,「ダメな私を笑って下さい」芸はカラスヤの作風そのものと言えるが,だからといってその「計算高い」ところは,付き合いの長い読者そろそろ見抜いてあげなければ,ねぇ。
マンガに語り尽くされていないところは,巻末の吉田豪・宇多丸・カラスヤの鼎談で一部触れられている。宇多丸が,結婚までの助走期間としてお試し同棲しているのはさすが早稲田出のラッパーは賢いな,と感心させられた。やっぱり結婚とは生活そのものなのであるから,恋人が共同で日々の生活を営めるか,ということが最重要の「見極めポイント」なのである。
果たしてカラスヤが同棲中に「見極め」をしていたかどうか,そしてそれが正しかったのかどうかは現時点で定かではない。しかし既に子育てエッセイマンガを連載始めているあたり,自分の見極めの正しさを自分で固定化する作業に入っているのである。多分,下世話な興味でこの先のカラスヤと付き合ったとしても,それを満足させる出来事は起こらないに違いない。それこそがカラスヤサトシという漫画家の老獪さと世間とのコミュニケーション力の高さの証拠物件なのである。
福満しげゆき「僕の小規模な生活 6巻」講談社
[ Amazon ] ISBN 978-4-06-376185-6, \667
愛妻とのあまあま結婚生活という意味では,「うちの妻ってどうでしょう 4巻」の方がタイトル的には相応しい。しかし個人的に面白いと感じているのはこちらの方だし,福満しげゆきという人物を知るにも「回想編」が納められている「僕の小規模な生活」が良い。つーことで,今回はこっちを取り上げる事にする。
福満しげゆき作品と作者についての情報は,吉田豪のインタビューこぼれ話(キラ☆キラ 2012年3月8日(木))で良くまとまっている。全くテンションの高い吉田豪の話芸は素晴らしいなぁと感心してしまうが,福満しげゆきという漫画家に感じていた「普遍性」についてもほぼ確信が持てた。ポッドキャストが消える前に是非一度聞いて頂きたい。
福満はガロでデビューしたマイナー漫画家で,その名前はフリースタイルの「このマンガが凄い!」で初めて知った。一応ちらっと読んでみたが,正直,当時の作品のガロっぽい「読みづらさ」が気になって単行本としては買わずじまい。ちゃんと読み始めたのはメジャー誌で連載が始まったこの作品から。で,今も双葉社の「僕の妻ってどうでしょう」と共に愛読中なのである。
本作についての印象は今に至るも第1巻で述べたものと変わらない。吉田豪のポッドキャストでも,いろいろな対象にジェラ心を持ちつつも,その一つ上のメタな視点を失っていないことが述べられている。客観的に自身の感情を面白く表現できているのはそれ故である。いくら過去の自分が劣等感で苦しんでいて,それがメジャー2誌で連載を持つようになっても変わらないとは言え,人並み程度,いやそれ以上の収入(はどうかしら?)と社会認知を得るようになった福満に,妙なシンパシーを覚えてしまうのは,「まんまと釣られている」としか言いようがない。本作に描かれている感情を取り除いて,過去の歩みを年表形式で並べてみれば,福満はかなりの努力家であり,それ故に現在のステータスがある,ということは分かりそうなものである。
大体,デビュー前から今の奥様と同棲を始め,いろいろといざこざはありつつも第2子まで授かるに至るというプライベート生活の充実さを考えれば,どう考えてもコミュニケーション障害を持った草食系男子とは真反対の「モテ男」である。第5巻から続いていた「回想編」では,思いを寄せていた結構かわいい女友達の話が語られており,過剰な自意識を除けば,ごく普通レベルのの女性遍歴(本人曰く「生挿入」はないとは言え)は持っていた訳で,つくづくエッセイマンガというものは「語り口」で全てが決まっちゃうのであるなぁと思い知らされるのである。もしこの「過剰な自意識」の現れである饒舌な「汗」と「ナレーション」がなければ,面白くも何ともない平凡人の日常マンガに陥っていたこと間違いないのである。つまり,マンガテクを除いた福満は普遍的な現代人の一人に過ぎないのだ。
大体,「僕の妻ってどうでしょう」なんてタイトルのマンガを書いちゃうぐらいだから,福満家はまごうことなき順風満帆な愛妻一家でしかない。奥さんは可愛く描かれるし,愛し方は「依存的」ですらあって,家庭内の波風も持ち前のコミュニケーション能力で巧みに回避したり内部解消させている。逆に言えば,悩み多き凡百のもてない男どもが福満に寄せる「共感」は幻想でしかなく,むしろグローバルスタンダード化した「自助努力」の見本として屹立しているのが福満しげゆきという漫画家なのだ。最近ようやく普通に「家庭」なるものを持ったワシとしては,家庭円満のハウツー集として活用できるという点を高く評価したいぐらいである。
ワシも早く福満のように妻に依存的愛情を注ぎたいと考えているが,その点,もう少し若いウチに結婚しておけば良かったかなぁとは感じている。溢れる性欲と世間的認知度の低さとの間で煩悶する若い時期こそ,深く相手に依存する関係が構築されるのであろう。その時期の事は本作の初期でたっぷり語られているので,もし最新単行本のこの薄さに憤りを持った方は,1巻から順番に読んで頂きたい。そうすれば,この価格にしてこの薄さはまぁ許容できる範囲内に収まっている事を知るであろう。福満家の今後の生活を支えるためにも,是非清き印税を新刊書店で捧げて頂きたい。糸井重里の名コピーが言うように「家庭円満は世界の願い」なのだから。
夢路行「スウィートホーム」秋田書店
[ Amazon ] ISBN 978-4-253-12086-9, \667
結婚とは生活そのものであり,恋愛とは違う,ということは前回の記事にも書いたが,それは別段ワシのオリジナルな意見ではなく,古今東西,色んな人が色んなところで述べている「常識」である。だから,恋愛がなくても結婚はできる。むしろ,恋愛なんぞは不要,日常生活を維持するためにしなければならない「義務」だけを果たしていれば結婚生活は持続できる,という意見も正しい。
正しいが,21世紀の日の本を生きるワシらにとっては,恋愛なしの結婚はほぼあり得ず,恋愛における「甘さ」をそのまま結婚「生活」に持ち込こむことが理想的であり,更に欲を言えば,一生どちらかが死ぬまでその甘さを維持することが望ましい・・・ということもまた別の「常識」として定着しているのである。この古くからの「常識」と,21世紀になって根付いてしまった新しい「常識」のぶつかり合いが現代の結婚生活における不幸を招いているのである。
では不幸だからどちらの常識に一方的に肩入れするのがいいのか?・・・というと,そんなことはない。最終的には夫婦の判断次第であるが,比重の偏りはあれ,両者を取り入れて「最適化」を図るのが賢明な日本人夫婦と言えよう。
夢路行,という漫画家はこの「最適化」を図るプロセスを,彼女自身の一番の持ち味であるファンタジー手法にまぶして一冊の単行本にまとめたのである。それがこの「スウィートホーム」である。長期連載中の「あの山越えて」20巻と同時に発売された本作は,三十路以降でそこそこ世間ズレ・恋愛ズレした大人の,夢路行という漫画家を知らない読者にこそ相応しい。
母親が亡くなって男やもめになった父親と同居するOL・美保の家に,九州男子のような我が儘で女癖の悪い(という程でもないかな?)兄が,二人の子供を連れて舞い戻ってくる,というのが本作のシチュエーションである。全く今時家事の一つも出来ないようなバカ男と結婚していた奥さんも奥さんだと思うが,そんなところに惚れる女が結構いる,というあたりが人間社会の不思議なところ。つまりは恋愛は「非合理的」なものを多く含み,その延長上に結婚しちゃったが最後,トラブルが待っているのは必定なのだ。そんな必定の果ての男のコブ付き出戻り,騒動が起きないはずがないのである。
本作の見所は,トラブルメーカーの兄がそんなに非常識な奴ではなく,世間的には「いるいる」というタイプの男として描かれている所である。読みながらワシは同性として共感するところも結構あった。生活にだらしない所はあまり感心しないが(子供の世話ぐらいしろよ!),だらしなさが醸し出す「可愛げ」がフェロモンとなって男性的魅力に繋がっているという描き方はさすがデビュー30周年を迎えるベテランだけの事はある。
そんなダメ兄と子供二人,そして父親の世話を一手に引き受けてしまう主人公・美保には,ワシの一押し夢路行作品「蒼天をみる想い」の主人公,しゃっきりした女医・エルカに共通する社会常識に裏打ちされた芯の強さが感じられ,ワシはこーゆー所に惚れるのである。そーゆー嗜好の結果,ワシは今の神さんと所帯を持つに至ったわけで,してみれば,芯の強さが魅力になるってのは,今の時代,どっちかってぇと女性側の強みなのかも,と感じてしまう。このダメ兄の奥さんであるさや香さんには,その芯の強さが希薄である,という所と対照的だ。さや香さんが昔,社会的に反抗的なワルだった時期がある,という設定も結構世間では良く聞く話である。まぁ不良なんてのはナイーブな人間が若いエネルギーに任せて駄々捏ねた結果の産物だからねぇ。そんな細々した設定の積み重ねと構成の妙が,世間ズレした読者にも満足感を覚えさせてくれるのであろう。
ふわふわしたファンタジーでありながら,随所に社会経験と漫画家経験に裏打ちされた熟練芸を堪能させてくれる本作,夢路行未見の大人の読者には入門書として相応しい一冊である。
志摩時緒「あまあま」白泉社
[ Amazon ] ISBN 978-4-592-71039-4, \762
神さんが米をとぐ音を聞きながらこれを書いている。そーいや,一人暮らしの時には自分で何もかもやっていたから,家事を誰かに任せるつつ,自分は好きな事をやっているというシチュエーションは高校時代以来だなー・・・感慨深い。なるほどなぁ,結婚ってのは生活とイコールなんだなぁと,ごく当たり前の事を実感として理解しつつある昨今なのである。
だから,というわけではないけれど,恋愛結婚がごく普通のことになってしまった昨今では,子供ができたりしない限りはいきなり籍を入れたりせず,結婚「生活」の助走期間としてお試し同棲する,というのは至極合理的な行動と言える。恋愛をおやつに例えれば,結婚は三度三度の食事ということになる。おやつとしては美味しくても食事としては成立しない,それが恋愛の恋愛たる本質であって,だからこそ長続きしないのが普通なのであろう。
その恋愛の本質,つまり「あまあま」の所をピックアップして作品化したのが本作なのである。のっけから分かりやすいタイトルの漫画であるが,あまあま漫画祭りのスタートを飾る作品としてはこれ以上のモノはない。ストレートすぎるタイトルではあるが,しかし内実はしごく良く練られた恋愛対照(対称でもなく対象でもない)漫画なのである。
表紙の二人のメガネカップルがメインキャラクターのこの漫画,単純に甘いだけの高校生カップルの物語かと思うと,実はその通りなのである。つーても,その「見せ方」は結構感心させられるのだ。アイスに醤油をかけて更に甘く感じさせる,つまり,正反対のカップルを対比させて甘さを更に増幅させる,というのではなく,アイスにクリームをかけてしまうのだ。甘いものに別種の甘さを加える,というところがワシの第一のおすすめポイントなのである。
一番甘いのはメインキャラクターのメガネカップル・祐司と美咲であることは間違いない。この二人は「早咲き」であり,特に美咲の方が肉欲に溢れており,祐司を早々に「食って」しまったらしい。本作の第二のポイントはこの肉欲の高まり具合と,肉欲そのものを描かない「ずらし」にある。基本は定型的な四コマ漫画の体裁をとるが,所々で非定型のコマになるページが挟まる描き方をしている。その縛りの緩慢具合がまたいい味を醸し出しているのだ。
そしてもう一つ加わる甘さ,それは早々に「出来ちゃった」祐司・美咲とは対照的に,これから告ってジワジワとタイミングを計りながら初々しく近接していく清純派カップル(未満かな?)高梨君と神崎さんである。会ったなりいきなり祐司を押し倒してしまう美咲とは真逆で,高梨君は手をつなぐ事も満足に出来ないチェリーボーイである。この甘酸っぱいところが,濃厚だが単純に甘い祐司・美咲とは別の味わいを出していて,その両方がモザイク状に絡む「構成」がいいのである。それ故,ダブルカップルによる「あま」+「あま」を描いている,という意味のタイトルなのかなぁとワシは勝手に思い込んでいるのである。
そーいやワシは学生時代には肉感的な恋愛とは無縁で,せいぜい高梨君の二歩手前程度で終わっていたなぁ,と,別種の「甘酸っぱさ」を感じてしまったのは,ま,個人的なことなのでこのぐらいにしておいてやらぁ!(誰に向かって言っているのやら)
しりあがり寿「あの日からのマンガ」エンターブレイン
[ Amazon ] ISBN 978-4-04-727474-7, \650
今年は何はさておき,東日本大震災と福島第一原発事故しかなかったという印象である。静岡県西部の揺れは大したことなく,体感的には震度2程度だった。しかしなかなか揺れが収まらない・・・なんか変だなぁ,などと職場の廊下で少し立ち話をしていたのを覚えている。その後,時間の経過とともに報道が盛んとなり,津波,原発,液状化の被害が段々と分かってきてからは,もう頭を抱えるしかない,ということになってしまった。直接地震と津波の被害を受けなかったワシら東海以西の西日本住民としては,特に原発事故の酷さと後遺症の深さに慄然とさせられた一年であった。
では今年(2011年)は悲惨な大震災を除くと何もなかったか,というとそーでもない。かなり静岡限定ではあるが,今年はしりあがり寿をフィーバーする行事が,ゆるゆると開催され続けたのであった。ワシも知らなかったが,連れ合いに引っ張られて幾つかのやる気のない(?)展示物の見学にお付き合いしてきたのである。ことに,「しりあがり寿歴史館(笑)」は見応えがあった。ま,単なる汚い大学自体の下宿を現物で再現した部屋だったのだが,ワシよりちょうど10年上の世代,バブル前のビンボ臭い大学生の生活ぶりに親しみを覚えたものである。しかし,見物人は,週末にも関わらずワシら以外はゼロ。郷土の有名人(連れ合い談)なのにねぇと,少し寂しい気分になったが,イヤ待て,しりあがり寿のファンは東京に偏在しているせいだろうとワシは推理したのである。朝日新聞の夕刊で「地球防衛家のヒトビト」が連載されているとはいえ,大衆的な人気を得るに至っていないというのが今のしりあがり寿のステータスなのであろう。
本書「あの日のマンガ」は,3.11以来描かれた,震災がらみのマンガを集めたコンパクトな作品集である。今年を象徴するマンガとして,様々なところで評価されているから,しりあがり寿の愛読者でない人にも結構読まれているのではないか。「地球防衛家」に加えて,マニアックなマンガ雑誌・コミックビームに掲載されたストーリーマンガ,小説宝石連載の「川下り双子のオヤジ」,TV Bros.掲載の一コママンガ「はなくそ時評」等をごた混ぜに収録しており,その連載媒体の幅広さに驚くとともに,しりあがりマンガの「振り幅の大きさ」を思い知らせてくれる作品集となっている。
「振り幅の広さ」を言い換えると,芸術的困惑を覚えてしまい,感動の焦点を絞れない,ということを意味する。まぁ地球防衛家の4コマはまだスンナリ面白く読めるのだが,双子オヤジに登場する「ゲンパツ」という名の危険で四角い女とか,「希望」(←実際は×印)という,何とも素直に感動できない作品とか・・・困惑してしまうものがあるかと思いきや,「海辺の村」「震える街」というシリーズ,最後の「そらとみず」のように,ストレートに感動できる作品まで,振り幅が大きいとしか形容のしようが無いほどバラエティに富んでいるのである。この「振り幅の大きさ」がしりあがりの芸術的才能の大きさを示していると同時に,大衆的な人気に「壁」を作っている原因なのではないかと思えるのである。・・・ま,しりあがりにしてみれば,壁になっていようがいまいが,やりたいことをやり描きたいことを描くだけ,ということなんだろうが,その壁のせいで,郷土の星として静岡の有志が企画した展覧会がガランとしてしまうのはちと寂しいのである。
とまれ,震災を描いた感動漫画集,と一言で纏めきれない幅広さが,すれっからしのマンガ読みには支持されたことは間違いない。逆に,本書を読んで戸惑った,しりあがり慣れしていない読者の方は,とてもいい「芸術的経験」をしたと言えるのではないか。それはしりあがりのデビュー作「エレキな春」以来付き合ってきたワシら年寄りにはもはや新鮮に味わうことの出来ない質の感情なのだから。