[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-7580-5108-9, \552
今年の最後を飾る本は何にしようかな~,やっぱりゆとり教育批判への嫌味かなぁ,それとも好きなマンガで締めるか・・・と10秒ほど考えて後者にしたのであった。やっぱり楽しいのがいいよね。
イマドキ,全集が出る漫画家というのはかなり限られる。手塚治虫並のネームバリューがあって,なおかつコンテンポラリーな作家はもはや24年組ぐらいじゃないのか。人気作家が難しいとすれば,コアなマニアを捕まえている作家しかいないが,それなりにマスを持たないといくらなんでもペイするだけの販売部数すら稼げないだろう。夢路行はそのあたりのボーダーラインに乗っている数少ない作家(何せ「初版絶版作家」を続けて20年である)であり,しかもかなりのベテランでちゃんとコンテンポラリー・・・というより,今の方がかえってメジャーではないかといういうぐらいの大器晩成なお方である。この機会を逃して全集を出す機会はない・・・と弱小出版社たる一賽舎の社長が思ったかどうかは知らないが,とにかく全25巻を目指して現在出版中である。2ヶ月に一度,3冊づつ発売されるのだが,出す度に取り扱い書店が少なくなっているような気がするのはファンの心配しすぎであろうか? 何はともあれ,やっと半分出たところである。全集完結まで潰れるな,一賽舎!
という訳で本書である。12冊もある全集の中から何故これをとりあげるかとゆーと,現在秋田書店の雑誌にて連載中の「あの山越えて」の設定とよく似ているからである。まず主人公は学校の先生(「あの山越えて」では小学校の,本書は中学校の)であり,ド田舎(山奥と離島)が舞台での恋愛もの(夫婦でも恋愛しているよーにしか見えない>「あの山越えて」)というところも共通している。しかしやっぱり本書の方がストーリーとしては短い分まとまりが良く,主人公の境遇に著者の体験が生かされていると見えて人物に厚みがあると思えるのである。「あの山・・・」を人から薦められて「ちょっとたりー」と感じた人にはぜひ本書の方をお勧めする。著者が五島列島育ちということもあって,やっぱり海の自然の描写,特に海岸の小さな穴掘り温泉のリアリティは,そんじょそこらのイマドキの都会育ちの作家には描けないだろう。
この主人公については,全集を続けて読んでいると「あ,あの入鹿さん・・・」と気がつく(著者もセルフパロディと言っているが)という楽しみもある。最近,夢路行を知った方は是非とも本書を読んで,気に入ったら最寄の書店で全集を全部予約して頂きたい。そうすることで取り扱い書店が増えることが期待される。営業力が皆無なんではないかと思われる一賽舎が全集完結まで潰れないためには,それしか方法はないと思いつめる,今日この頃なのである。
たかぎなおこ「ひとりぐらしも5年目」メディアファクトリー
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-8401-0842-0, \980
あー・・・やっと今日も2コマ連続講義が終わったぁ~。んっとに3時間もぶっ通しで喋ると疲れるよなぁ,さーて,あとは家に帰って飯食って寝るだけ・・・あ,帰りの電車で読む本がねーなぁ。谷島屋で何かかるーく読めるやっすい本でも買っておくか・・・(新刊書の棚をウロウロしつつ)・・・うーん,いいのがないなぁ,こんな時に難しそうな新書読んでも車中で寝ちまって静岡まで行っちゃいそうだしな,イラストエッセイ的なもんでも・・・こーゆー時に限って内田春菊も西原理恵子も既に読んじゃっているんだよな・・・うーん,これは(たかぎなおこの「150cmライフ」を手に取りつつ)気にはなっているんだが,高校生が書き飛ばしたのか?つー絵だよな,まあ時間つぶしが出来ればいいのだし,まずは著者のことがよく分かるこっち(「ひとりぐらしも5年目」と交換する)にしてみるか。じゃ,これ下さい。
(静岡行き普通電車車中にて)・・・んっとにこの区間の東海道線って本数が少なくてやーねー。今日は何とか座れたからいいけどさ。さってと,読んでみるか。全くあっさりした絵だよなぁ。さくらももこに似ているけど,あそこまで捻くれてないところが180°違うな。そーいや,清水のちびまるこちゃんワールド,全然人が入ってなかったなぁ。可愛げがないんだよな,さくらももこの絵には。あれでユーモアセンスがなかったら単なる嫌味なおばさんエッセイだぜ。ワシはそっちの方が好きなんだが。
しかしこれは・・・ストレートっつーか,すっきりしすぎとゆーか,(P.84を読みつつ)・・・う・・・いくら実家が近くなればいいとはいえ,「どこでもドアが欲しい」「ノーベル賞の田中さんお願いします」だぁ?ぶぶっ。ホントにこの人三十路かぁ? ある意味,すげぇ,かも。
(「女一人の丼飯屋」を読みつつ)・・・うーむ確かに吉野家の味噌汁はインスタントっぽいよなぁ。松屋は割りと好みなんだが,この人はあんまし好きじゃないのだな・・・てんやは上品ではあるが,あんまし脂っこいのはどーも・・・しかしこの人,何だかんだ言ってもよく一人で飯屋に入るなぁ。東京暮らしの特権かな。
(「いつものスーパーでお買い物」を読みつつ)・・・そうそう,一人暮らしも慣れてくると,コンビ二よかスーパーの方が便利なんだよな。特に自炊が板についてくると,新鮮な材料が安く手に入らないと困るんだよね。でもあんまし惣菜類は買わないかぁ。飯と味噌汁は常時作り置きしてあるし・・・おっ,このトマトスープはヒットかも。ぜひ作ってみねば。
(電車,掛川に到着)・・・おっ,ちょうど「夢見る引越し 理想の間取り」を見ている所で・・・(てくてく改札口を通りながら)・・・絵は簡素だが,このストレートな表現は太田垣晴子の方に似ているな。そのうち雑誌を作ったりしたりして。読後感も良いし,丼飯屋に対する率直な感想もナイス。へろへろな絵なのに一本筋が通っていると見た。
よーし,「150cmライフ」も挑戦してみるかな。(自宅に帰ってWebをサーチして)なにっ,もう続編が出ているのか。さすが負け犬パワーはすごいのぉ。応援しようではないか。うん。
路上観察学会「中山道 俳句でぶらぶら」太田出版
[ Bk1 | Amazon ] ISBN 4-87233-851-0, \1500
国の財政事情がこれだけ借金漬けとなり,地方自治体も殆どが火の車,将来の少子高齢化社会に備え,いくら福祉や教育に力を注ごうにも金がなければ話にならぬ。それもこれも全ては要らぬ公共事業に金を注ぎ過ぎ,土建屋だけが儲けるようになってしまったからである。これ以上,インフラ整備のための公共事業は不要である。静岡空港しかり,第二東名自動車道しかり,神戸空港しかり,である。能登空港?・・・な,何事も例外はあるっ。
(気を取り直して)しかるにっ,本書は国土交通省関東地方整備局,同東京国道工事事務所,同大宮国道工事事務所,同高崎工事事務所,同長野国道工事事務所,同多治見工事事務所,同岐阜国道工事事務所,同飯田国道工事事務所が主催もしくは後援に付いたシンポジウムのための「調査事業」として実施された中山道の路上観察を元に執筆されたもので,これこそっ,税金の無駄遣いの確たる証拠であるっ。なぜ全国の行政オンブズマンたちが本書を焚書にせぬばかりか,本書に多数掲載されている道路調査には全く役に立っていない写真とコメントと俳句を見てへらへら笑っているだけなのか,ワシには全く解せないのである。
人の顔に似ているとはいえ単なる鉄板のへっこみ(P.54)が,「不要」とだけ書かれた安っぽい玄関チャイム(P.34)が,干からびて立てかけられた箱庭(P.121)が,一体何の調査結果だというのか,国土交通省はきちんとアカウンタビリティを果たすべきであろう。確かに横川で発見されたという横顔に見える家(P.67)には爆笑させられたが,一体全体どうして道路事務所の後援を得て,このようなものを見つけるような輩に由緒正しき中山道を徘徊させて俳諧させる意味があったというのであろうか。わしにはさっぱり分からない。分かったのは誰もこのような暴挙を責めたりせず,タダ笑っているだけだということだ。しかも呆れたことに,「奥の細道 俳句でてくてく」という類書が2,200円で既に出版されているということである。このような税金の無駄遣いを,ブンカだのゲージュツだのセンスだのという一言で許していいのであろうかっ! 日本の財政状況を悪化させている原因の一つとして,本書をここに提示する次第である。笑いながら怒る初期竹中直人を演じられて一石二鳥である。
西原理恵子「上京ものがたり」小学館
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-09-179274-X, \781
昨日,仕事帰りに立ち寄った三省堂名古屋駅支店で新刊出たてほやほやのこれを,何の思考も挟まず条件反射で手に取ってレジへ持っていったのであった。
帰りの新幹線でこれを読む。
うっ・・・。泣きはしなかったが,ワシもサイバラも伊藤理佐が定義するところの「田舎を捨てた人間」であり(「ハチの子リサちゃん」は必読),しかも「みっともない青春はらくちんであっとゆう間で」過ごしてしまった「何でもないただ者」であった者として,共感なんて生易しいものではないドキドキ感を持って,最後まで一気に読み切ってしまった。ここここっ,ここには昔のワシが描かれているぅ~(絶叫)。
「私がちょっとでもきれいに楽しそうに見えるように,ずっと気にしてビールを飲んだ。」若者が,ある転機を経て,「あんたが つまんないからわるいんだよ。」「このくやしいの,今度上手にかいてごらんよ。」と内心嘯く,バリッとした稼ぎ人になるまでの,そのような時期を過ごした三十路過ぎの人間にはキリキリと刺しこんでくるような物語を,とくとご賞味して頂きたい。仕事で疲れた後で読むと,そりゃぁもぉ,元気になります。なりますとも,ええ。
なったもん,ワシ。
糸井重里「ほぼ日刊イトイ新聞の本」講談社文庫
[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-06-274901-7, \590
いやぁ,Webってのは長く続けてこそ価値のあるものなんだなぁ,と思わずにはいられない。その理由は二つある。
まず,本書は単行本が発行されたときに購読しているものである,ということだ。証拠はこれね。ノグッチーの新書の紹介記事だが,最後の方では単行本版「ほぼ日刊イトイ新聞の本」についても言及している。単行本が文庫化されるまで自分のこのサイトが続いていることに,我ながら感動しているのである。
この頃ワシは「インターネット論」なる講義を担当していて,そのネタ探しにいろんな本を漁っていた。その一環に,毎日チェックしていたほぼ日のサイトの主催者の書いたモノも読んだというわけである。で,「人気のあるサイトにはちゃんとした理由がある」という当たり前のことを知ったのである。自分もWebサイトを持っていたので,出来うる範囲でコツコツやっていこうと認識を新たにしたのもこの頃だっけか。以来二年経って,ほぼ日もワシも変わった点・変わらなかった点がそれぞれあるものの,まだお互い存続していることに深い感慨を覚える。
もう一つは,本書の最後に付加された第八章「その後の『ほぼ日』」の内容を,うんうん,と頷きながら読めることである。この「頷き」は,不満も満足も感じ付き合ってきたほぼ日の読者としての視点と,この二年間をそれなりに頑張って生きてきた現役労働者としての視点と,その両方に起因するものである。特に後者が重要だ。イトイは当然ワシのことなど知っているわけはなく,こちらの一方的な共感に過ぎないのだが,この世に生まれてきて,社会的に多少とも責任ある立場にあれば,常に上を目指すベクトルを抱えていなければならない。そーゆーベクトルの持つポテンシャルは,とてつもなく面白い毎日をもたらすとともに,深い疲労も時折運んでくるという,二律背反的な側面を持つ。休日や仕事の合間に訪れる休息の時間に,ついため息が出てしまうことも増えてくる。そーゆー毎日を重ねて二年。繰り返しになるが,やっぱり「お互いよくやってきたよなぁ」と言いたくなってしまうのである。あ,いや,もちろんワシの仕事量なんて,イトイに比べれば微々たるモンですけどね。Webサイトのアクセス数もほぼ日の1/10000しかないが,それはやっぱり仕事量の差でございましょう。
という訳で,「自分のWebサイトを持ち,長く維持してきた者」として,「ポテンシャルを保持しなければならない,日々の糧を得る仕事を持つ社会人」として,共感を覚えずにはいられない本書は,単行本ともどもワシにとっての宝物なのである。