鷲田小彌太「学者の値打ち」ちくま新書

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-480-06180-0, \720
 タイトルや内容よりも著者に興味があったので買ったようなもんである。よくもまああれだけ旺盛に著作を,しかもかなり売れるものを書けるなあと感心していた所だったのである。まだ若いんだろうなと思っていたら,著者紹介を見て還暦を超えていることを知る。うーむ,光陰矢の如し。ってこっちも年を食っているんだけどさ。
 内容は著者の知る限りの人文系の学者・ジャーナリスト・編集者・在野の研究者を取り上げて,その仕事を論評するというもの。各章の最後に,「研究者として」「教育者として」「人格」「業績」の4項目をA~Dまでの4段階評価付けして,「学者総合として」の評価を算出(?)している表を添付してある。ワシは論評されている人たちの著作も業績も全然知らないので,その評価の確かさを云々する立場にはない。が,そういう評価を下すなら,もうちっと各項目の評価の根拠を詳しく書いてほしかったなとは感じる。でもまあ,それをやっちゃうとあまりにも定型的な内容になってしまうから,著者としては書いていてもつまらなく思うかもしれないなあ。
 まえがきに「理系の学者を評価する能力は,私にはない」(P.12)とある通り,今西錦司以外の自然科学系・工学系の研究者は取り上げられていない。しかし,本書で指摘されていることは専門的なことは除くと殆ど常識論なので,「学者の値打ち」を判断する指標としては理系文系問わず,結構使えるものが多い。逆にワシなんぞが読むと「当たり前」のことが多くて,ちょっと退屈である。
 むしろ,知の大衆化が進んで学問がどんどんビジネス化しているという状況分析に対して,うーんなるほどと感心させられる。還暦過ぎてちゃんと流動化する現在に目を向けているあたり,さすが多産「だけ」の人ではないのである。

内田春菊「私たちは繁殖しているレッド」角川書店

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-04-344427-3, \590
 主人公である漫画家(春菊本人ではないことになっているらしい)が第三子を出産して育てる日常を描いたエッセイ風フィクション(ということになっているらしい)マンガ。
 いやー,あんなにいらやしくっていかがわしかった春菊マンガが,こんなに無害で日常的でフツーに読めるようになっちゃうとはなあ。こっちが老けたせいか,作者・・・じゃない主人公が親としてのキャリアを積んだせいか。まあ,両方なんだろうな。
 ところで,父親になるには「ちょんまげ」が必須の技なんだろうか・・・うーん,すいません,自信がありません(何の?)

二ノ宮知子「平成よっぱらい研究所 完全版」祥伝社コミックス文庫

[ bk1 | Amazon ] ISBN4-396-38013-5, \571
 名著の誉れ高い本書ゆえ,内容はご存知の方が多いと思われる。文庫化されてすでに一年数ヶ月経過しており,ワシが購入したのは第6刷である。売れているようで何より。
 購入したのは新宿紀伊国屋本店であったが,何が驚いたかって,表紙のインパクトの凄さったらない。表紙だけでなく,裏表紙も,折り返しの部分も,有象無象の酔っ払い女共の醜態さらした馬鹿面によって埋め尽くされている。最近は男女問わず身づくろいの技術が向上し,目の覚めるようなブサイクをついぞ見かけることはなくなっていたが,そーか,そいつらはアルコールの力を借りて居酒屋に表出するよーになっていたのだな。・・・と納得したのはいいのだが,ワシはブックカバーを断ったことを,帰りの新幹線の車中で本書を読みながらつくづく後悔したのであった。しかし,多少の羞恥心を弾き飛ばすほど,二ノ宮描く酔っ払い連中の凄まじさは面白かったのである。
 アルコールに対する耐性は遺伝によって決定されるため,酔っ払いの家系には酔っ払いが,下戸の家系には下戸が多く生産される。前者は二ノ宮,後者はワシである。見合いの席で「鬼殺し」を御銚子50本注文してしまう剛毅な二ノ宮家とは正反対に,Kouya家の,特に男共は典型的なモンゴリアンで,全く飲めないわけではないが,すこぶるアルコールには弱く,ウーロン茶で飲み会に付き合い,高い会費を支払う羽目になる。そーゆー情けない下戸一族の者としては,本書で描かれる酒飲み連中は本当に羨ましく,世知辛い日本社会をうまくわたる為には「酒好き」という特性こそ必要不可欠なスキルであると再認識させられる。
 文庫化にあたり,表題作の後日談にあたるエッセイ漫画も収録されている。そっかー,よっぱらい研究所長もめでたく勝ち犬になったかー。それもこれも,居酒屋で馬鹿になっちゃったおかげであろうと,冗談も嫌味も抜きで,そう思うのであります。

遠藤淑子「空のむこう」白泉社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-592-13298-X, \571
 最近,注目している書評コラムがある。Asahi.comで毎週金曜日に更新されるコラム,「松尾慈子の漫画偏愛主義」だ。性別は異なるが,世代が近いせいか,取り上げる作品がみょーにワシの好みと一致する。文章もテンパっていて面白いし,何より余計な知識や引用なしの潔い「私はこれが好きなのよ」パワーが全開しているところが良い。あんまし反響がなさそうなのが気の毒なのだが,もっと話題になって良いコラムだろう。がんばれ負け犬(ォイ)。
 そこでちょろっと名前が登場する漫画家,遠藤淑子の作品を取り上げることにする。出版されたのが今年の初頭だから,まだ店頭では入手可能である。しかし,松尾さんがおっしゃっているように,単行本が出たのが数年ぶりという寡作ぶりで,本書も1997年から2001年までの作品群をまとめたものである。うーん,何があったのだろう・・・。ま,ともかく本は出たので,あまり詮索しないことにする。
 遠藤はデビューからこの方ずーっとコメディを書き続けてきた作家である。今でも基本的にその路線は変わっていないのだが,次第に「ヒューマン」という形容詞が冠せられる作品が多くなっていった。個人的にはちょっとありきたりすぎるかな・・・と思うことが多く,取り立てて好きな作家ではなかったのである。大体,ヒューマニズムでまとめられる作品の多くは,大衆から嫌われることを恐れて逃げているように感じられるのだ。普段,あれこれと世間の制約から枠をハメられて思うように動けないもどかしさを感じている一般人の一人としては,せめてエンターテインメントぐらいは,少なくとも表面的には制約から逃れてスカーっとさせてくれるものを楽しみたいのである。これで少しは絵柄が派手であればまた別の楽しみ方が出来るのであるが,遠藤の絵は,申し訳ないがデビュー以来,殆ど変化がない(ように見える),地味なもので,ストーリーまで手堅くまとめられてしまっては・・・うーん・・・なのである。
 しかし,人にはどうしても動かせないもの,変えられないものがあって,他人からどうこう言われても,どうしようもない性質というものがある。無理に変えようとすれば,体や精神に変調を来して寝込んでしまうことだってある。遠藤の軌跡を振り返ってみると,ちょっとゆるめのコメディ路線,しかも最後はヒューマン風味,という作風は,どうにも変えようのない代物だったのであろう。そのままずーっと描き続け,近年はボチボチやってます・・・という状況になったのもむべなるかな,という気がする。
 それ故に,段々とヒューマン路線が深化していった面がある。本書の表題作である「空のむこう」と「スノウ」は,最初雑誌で読んだ時にはそれ程でもなかったのに,今このトシになって読み返すと,随分と「泣ける」話になっていることに改めて気が付かされた。何故か?
 この2話は,西洋風ファンタジーと時代劇という異なる背景の作品であるが,主人公の境遇がよく似ているのである。「空のむこう」では原因・治療法とも不明の病が間欠的に流行する国の若い王,「スノウ」では二つの強国に挟まれた弱小国の若い領主である。前者は古い慣習に従って幼なじみの恋人を「生ける人柱」にしてしまい,後者では,好きになった雪女(?)と駆け落ちすることもできず,時の勢いを得た一方の強国から滅ぼされてしまう。・・・と,ストーリーを書いてしまうと何らカタルシスの得られない,淡々としたマンガのように感じられるだろうが,そのような状況に至る理由をきちんと面白く語ってくれているのである。詳細は本書を読んで確認してもらうとして,最終的に納得したのは,この二話の主人公の,状況に対して全く何の解決策も持てない無力さ,なのである。これが世間に対して無知な頃には分からなかったんだよなあ。今なら,「あーもー全くうざってぇ」とは内心思いながらも,限られた資源と状況を考えて,出来ること出来ないことを冷静に判断できる。そーゆーお年頃になって,初めて感動できるタイプの作品なのである。それが,最後に遠藤お得意のヒューマンでまとめられてしまっては,もう,こりゃオジサンもオバサンも涙腺がつい緩んでしまうのは仕方のないことでしょう。あーあ。
 ということで,人生そろそろアキラメ感が漂う今日この頃の方には,ちょっと身につまされて,最後にほろっと来る作品もよいではないかな,と思う,オジサンお勧めのマンガなのであります。松尾オバサンともども推薦しておきませう。

小林信彦「出会いがしらのハッピー・デイズ」文春文庫

[ Amazon | BK1 ] ISBN 4-16-725614-2, \524
 現在も週刊文春にて連載が続行中のコラム「人生は五十一から」の第三弾,2000年分をまとめて文庫化したものである。
 相変わらず,偏屈江戸っ子下町っ子ジジイぶりが絶好調で,ファンとしては大変嬉しい。特に近年の政治については居ても立ってもいられないらしく,激しく罵倒しまくっている。とはいえ,そこはやっぱり著者の人柄が出てしまうらしく,あえて全てを物語らず,舌足らずにぷつんと打ち切ってしまう。こちらはもう慣れたモンだから,別段どうとも思わないが,所見の読者は「あれあれ?」と戸惑うのではないかな。
 著者から見れば若いワシは,今の小泉政権については基本的に支持しており,昔の首相よりは大分マシという印象を持っている。従って,著者の意見には首をかしげるところが多いのだが,「そういう人もいるのだな」ぐらいにしか感じないのは,口汚く罵れない上品さ故なんだろう。
 エンターテイメントの目配りの良さについては,ちょっと衰えたところもみられないではないが,基本的には変わらない。伊東四朗・Clint Eastwood・USAのEntertainment贔屓はそのままである。昔話が多くなってきたのは,自分が語っておかなければならないという使命感が強くなってきたせいだろうか。個人的はそちらの方が為になるし,面白いのでありがたいのだが。
 久々の一気読み。こういう「含み」の多い文章は,通り一遍のわかりやすさを求める現在の風潮には反しているが,それだけに貴重である。まだまだ頑張って,更なる愚痴が出ることを期待して止まない。