Pet Shop Boys, “Pop Art” [Import]

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[ Amazon ]
 CCCDにばっかり係煩っても仕方がない。少しはCDの内容に触れないといけませんな。
 これは1985年の”West and Girls”から,2003年の”Miracles”と”Flamboyant”までのPSBヒット曲を集めた,所謂ベスト版である。曲リストは上記Amazonへのリンクを辿って頂くと見ることができる。もちろん公式サイトでも確認できる。
 某浜松のCDショップにて「まだやっていた」というPopが張り出されているぐらいだから,もう20周年になるのかな。いやぁ,長い長い。しかもれっきとしたチャカポコテクノで,今も活動中ってのが凄い。この息の長さは,コアなファン層が老化しつつも確実に存在し,コンスタントにセールスを維持していることの証でもある。もちろん,ワシも老化しつつある極東在住ファンの一人である。
 で,全35曲,通して聞いてみて,改めて思ったのは,PSBの全てはちょっともの悲しいテクノ音とNeilのオタッキーなVocalにあるんだってこと。アレンジにかなりの幅があっても,この二つが混入していることでPSBというハンコを付いていることになり,まごうことなきPSBの曲になってしまっているのである。・・・これを書きつつ,ちょうど流れてきたのが近作の”I Get Along”である。テクノ色の薄い,心地よいエレキが全体を覆うこの曲でも,NeilのVocalがほのかなテクノ色を感じさせてくれるのである。
 個人的には,最新作の”Flamboyant”がいい。老成でもないマンネリでもない,でも挑戦しすぎて枠を外れていない活動ぶりが知れ,曲調も相まってほっとする一曲である。・・・とか言っているうちに”Rent”だぁ~。体が自然に揺れる~のでこの辺で失礼します。

筒井光春「うつと自殺」集英社新書

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-08-720239-9, \660
 中高年の自殺が減る気配を見せない。ようやっと景気が一息つこうという時勢になってきたが,じゃあこれからは減るのか?となるとかなり疑問だ。あまりに不況期間が長かったため,各個人の仕事能力をシビアに見極める風潮が定着してしまった。何らかの理由で,「出来ない奴」という烙印を押されてしまえば最後,新卒者なら就職は難しくなり,既に社員となっているベテランでも,あの手この手で退職に追い込まれる。こうなってしまうと,ある程度は「出来る奴」と思われている人々も恐れおののき,我先にと能力合戦に突入していくことになる。しかも,定年まで続くロングスパンの競争である。この競争に勝つ・・・には至らないまでも,脱落することなく戦線内に踏みとどまるためには,自己管理能力が不可欠である。勉学に励むとかスポーツクラブに通い詰めるとか,そーゆー現時点の能力を高めることよりも,いかにこのストレスフルな社会で精神の安定を保つことができるか,ということが何より大切である。どーも,抜きん出た勝者って人達と見ていると,勉強が抜群に出来たとかスポーツ万能であったとかという以前に,精神的なタフさを生まれつき保持していたか,あるいは人生のどこかで獲得したか,どちらかではないかと思えるのだ。もちろん,単なる憎まれっ子ではダメで,プラスαの能力があってこその「勝ち」ではあるんだけど,それがない「憎まれっ子」であっても,長生きだけはするんじゃないかと思える。
 ちょうどとあるワシと同年配の若手作家が自殺したという報道があって,そんなことをつらつらと考えていたところで本書が首尾良く出版され,こうしてワシの手に収まっているのである。
 著者は「心療内科」の専門家(権威かどうかは知らない)であって,既に何冊か著作もあるようだ。そのせいか,なだいなだ並に読みやすい文章であり,寝床でうつらうつらしながら読んでいたら数日で読破できてしまった。内容を一言で言うと,中高年以上の自殺の原因には,かなりの割合で「うつ病」,あるいはそれが疑われるケースが存在するので,「うつ病」とはなにか,どのような症状なのか,どのように治療するのか,どんな場合にうつ病になるのか,といったことを世間に知ってもらい,適切な予防と治療を行ってもらおうというものである(長いぞ)。ふーん,うつ病って薬で治るんだ,ってのが一番感心したところ。すぐに回復するという訳ではなさそうだが,適切な治療を受ければ回復するってことを知っただけでも660円の価値はあったな。
 不満が残るとすれば,まあこれは厚みに制限のある新書に望むのは酷かも知れないが,もちっと社会的な考察が欲しかったかな,という点であろうか。本書P.23に自殺者の年代別(1960年と2000年)比較のグラフというのがあって,このデータを見ると,1960年には自殺者の男女比率が57%(男) : 43%(女)なのに対し,2000年には71% : 28%となっている。どーも,この不況のプレッシャーは男に偏っているようだ。この辺の解説が欲しかったかなー,というのは無い物ねだりというものかしらん?
 専門家が書いただけあって,うつ病は特殊は病気ではなく,誰にでも,特にマジメ人間に起こりやすい疾患であること,その病気のメカニズムと治療法については「なーるほど」と納得できる記述がなされている。ワシのようなズボラ人間には無縁かも知れないが,周囲でもうつ病になってしまった知人をちらほら見かける昨今,この病気に対する耐性を付けておくためにも一読をお勧めする。

酒井順子「負け犬の遠吠え」講談社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-06-212118-2, \1400
 この日記でも既に言及しているし,目下ベストセラー路線まっしぐらの本を今更紹介してもねぇ・・・と躊躇していたら,「東京人」5月号にて鹿島茂が,短いページ数ながら本書を「今更ながら」「面白かったので」紹介していた。別段それが悔しいとかいうのではなく,殆ど本書のあらすじ紹介みたいなその書評を読み,「オスの負け犬」である不肖・この私めは,負け犬としての義憤に駆られたのである。所詮,鹿島先生はオスの勝ち犬であるから,勝ち犬には描き得なかったであろう本書の価値をもっと賞賛しておく必要がある,と判断したのである。
 そもそも,オスの負け犬本と呼ぶべきものは昔から存在した。ワシはぼちぼち負け犬として一生を送る可能性が高まってきた三十路前半から,この手の負け犬本をボチボチ漁ってきたし,手本とすべき先輩の負け犬を見つけては生きる糧としてきたのである。ここでは先輩の「オスの」負け犬についての言及はせず,オスの負け犬本だけを紹介しておこう。
 負け犬の先駆者と言えば,海老原武「新・シングルライフ」である。これより以前に元祖「シングルライフ」という本を上梓しているらしいが,あいにく未見である。本書は「歩く裏切り者」津野海太郎曰く,「戦うひとり者」というぐらい,先鋭的な負け犬の主張を込めた思想書(おおげさ?)である。独身者であるが故の,世間からの攻撃・圧力・同情に対して果敢に反論を試みている。そして,世間になるべくご迷惑をおかけしない独身者としての生き方を提示して,本書を締めくくっている。負け犬たるワシをして,勇気づけられることの多い本なのだが,その海老原をして「自分は状況シングルからそのまま今日まで来てしまった」と告白している。つまり,独身者たる身分は自ら力強く選択したのではなく,なし崩し的に今日まで来てしまった,というのである。これは「結婚できるならした方がよい」という世間一般の常識を肯定しているのであって,自らの生き方をよしとはしていないのである。つまり,「自分はオスの負け犬である」ことをちゃんと認めているのである。酒井の前に,先駆的な本書があったことはもっと広く知られてよいように思う。
 勿論,海老原の本は「オスの負け犬本」(しかも大分年上)であるから,メスの負け犬にとっては物足りない面もあったろう。しかし,メスの負け犬は酒井も含めた「女性作家」を探せば,いやぁ,もぉ,酒井が指摘するようにマスコミ業界同様,負け犬だらけであって,ちょっと挙げただけでも大先輩には森茉莉(バツイチだけど)を筆頭に,群ようこ,中野翠,岸本葉子・・・と評論家を名乗る人を含めれば枚挙に暇がない。しかし,彼女らにはあまり「負け」という意識がないようで,本書のように「世間的には負け負け負け・・・」と切々(飄々?)と敗北ぶりや愚痴を述べまとめたものは殆ど存在しなかったのではなかろうか?少子化に歯止めがかからず,いよいよ移民政策まで叫ばれるようになった昨今,お国に協力する気持ちはなきにしもあらずなのに,世の中,オタ夫やダメ夫やブス夫やダレ夫ばっかり氾濫して私らのような負け犬には飛びついてくれない・・・という女性陣から観た真実を述べた本書は,満を持して登場したと言ってよい。何たって,帯の文句が「嫁がず/産まず,/この齢に。」である。「ああっ,この本は私のことを書いているっ」とギクリとした方は相当数,いるのではないか?
 単純に考えてみれば,人間は雄と雌が存在して,それは生殖のためにあるのだから,雄と雌はくっついているのが自然な姿なのである。そして,自然界の生存競争は自らのDNAを残すことが出来るか否かで勝ち負けが決定するのである。であるならば,くっついていない雄も雌も,生存競争から脱落した「負け犬」に他ならない。自ら「負け」を選択したかどうかは,本人のプライドに関係するだけであって,自然界から見れば負けは負け。さっさとその事実を認識し,遅まきながら「勝ち」を目指すか,「負け」を認めて子ども以外の価値を創造すべく,仕事に邁進するか,どちらかを選択しなければならないのである。このような酒井の主張は極めて明快だ。本書が,メスだけでなく,オスにも,そして勝ち犬にも読者を広げていったのは,このような単純かつ合理的な主張が,酒井の円熟した筆力によってユーモアにまで昇華している為であろう。もう,負け犬連中は涙を流しながら「こっ,これって私(俺)だよ~」と叫び,勝ち犬連中は「負け犬ってそうなんだよな~」と勝者の余裕を持って本書を楽しむことが出来る。ワシが義憤を駆られたのは,鹿島先生の書評にこの「勝者の余裕」を感じたからに他ならないのである。ぐぞぅ~。
 と言う訳で,本書に触発されたオスの負け犬どもは,さっさと海老原先生の「新・シングルライフ」も読むように。酒井ばっかりよい目にあってはイケナイ。よいな。

日本IBM「グリッド・コンピューティングとは何か」ソフトバンク

[ BK1 | Amazon(まだ在庫なし) ] ISBN 4-7973-2339-6, \2400
 昨日(2004,3/25)八重洲ブックセンター本店に入ったら,コンピュータ書籍コーナーの所に専用の台が備え付けられ,本書がドドーンと積んであったので買ってしまった。そのすぐ後にGGF報告会に行こうって輩が,こんなもん買ってどーするよ・・・と思いはしたものの,何分,よーわからんのですわ,正直言って。この手のまとまった資料本が出てくれるのは,大変ありがたかったのである(情けない)。
 こちとら,HPC研究会の末席を汚しているから,それなりに話を聴く機会はあるものの,Gridっつーもんの実物を拝んだ訳ではなく,触ったこともないから,Gridがらみの研究報告があっても,「はあそーですか」という以外,さしたる感想はないのである。判ったよーな気がしなかったのである。まあ,The Internet上にセキュリティやら認証やらのAPIを備えたミドルウェアが出来ているのであろうというぐらいのイメージしか持っていなかった。
 で,本書を読めば,そーゆー漠然としたGrid像をもっと明瞭なものに出来るのか? と言えば,それはやっぱり無理だったのだ(泣)。しかも,GGF報告会では,本書P.169のコラムにあるWS-RF(Resource Framework)がOGSIの次を担うということになってしまったようなのである。詳細は,グリッド協議会の会員になって,中田氏のプレゼン資料参照して下され。いやぁ,日本語文字コードと言い,ISOと言い,IEEEと言い,標準化作業ってほんとに複雑怪奇な代物ですなぁ。・・・つまり,Gridを活用した具体的事例集とか,最新情報までばっちりフォローした完璧な資料集とか,そーゆーものではないのだ,本書は。かなり誠実にGridが成立するまでの歴史概略や,Globus Toolkit 2/3の解説とそれに必要なCAやらWebやらXMLやらの周辺技術解説,インストール方法等がコンパクトにまとめられていて有用であるには違いないのだが,ワシみたいな小規模PC Clusterしか使ったことがないバカタレにとっては,これでGridを分かれと言われても,うーん,難しいのであります。やっぱり具体的事例の解説がほしいなぁ。URIだけ示されても追いかけるのは大変であります。
 一応,素人向けの書籍に仕上がってはいるが,分散処理とか並列処理とか,TCP/IPに疎い人には,ここで用いられている概念理解が相当困難じゃないのかしらん? 著者らの努力によって,現時点ではかなり良い出来のGrid解説書になってはいるが,Gridを成立させているのは確固とした独自技術の固まりではなく,The Internetの上で培われて来た標準化技術,しかも激烈な競争を勝ち抜いてきたde facto Standardも含んだ寄せ集めである。もし本書の半ばで読了を諦めても,それは著者らの責任ではない。Gridというものを,シチめんどくさい内部技術をぜーんぶすっ飛ばして,ごく簡潔に提示する言語がまだ確立していないためなのである。逆に,ここで提示されている要素技術に親しんでいるIT技術者なら,付録のGlobus Toolkitのインストール方法を参考にして,Gridらしきものをでっち上げて楽しむことができよう。
 ・・・で,ワシと言えば,GGFの報告会を拝聴し,Globus Toolkit 4.xが出るまで様子見を決め込むことにしたのである(ぉい)。

西原理恵子「毎日かあさん カニ母編」毎日新聞社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-620-77054-X, \838
 ご本人のサイトからリンクが張ってあったので,毎日新聞連載のこの作品はチラチラと読ませて貰っていた。今回,その一年と2ヶ月分がまとまったと予告があったので,早速購入したという次第。
 子供を産んだ女性の漫画家は皆,育児マンガを描く。これは日本の漫画文化が根付きつつある証左である。内田春菊が自らの繁殖家庭(変換ミスに非ず)を赤裸々に書くかと思えば,青沼貴子はぽよぽよする怪獣としての息子の日常を描き,アニメ化までされてはた迷惑な子どものキンキラ声をお茶の間に届けるという暴挙に荷担した。・・・と,もう固有名詞を挙げればキリがないほど,多くの漫画家が子どもをネタにしている。少女漫画に続き,育児マンガも女性によって確立したジャンルと言える。他にも,自分のペット自慢をしまくるネコマンガ・トリマンガ等があるが,こちらはグレたり離婚したり犯罪を犯したりというスリルに欠ける分,ものすごく甘々で,大量に食すると胸焼けがするという欠点がある。やはり,人間が一番である。特に,責任を放棄した負け犬にとっては。
 で,サイバラと言えばどうなるか。まあ,息子がバカで(男は大概バカである),娘が上手く(今の世は女が珍重される),元々母性溢れたサイバラの営む家庭はかなり平凡に見える。離婚というスパイスもない訳ではないが,今時,身近でこれだけ別れた事例を見せられると,もうスパイスにもならない。むしろ,離婚後もちゃんと定期的に夫と面談している辺りに,サイバラの土着的常識人ぶりを観る思いがする。
 と言う訳で,ギャグも面白いし,シンミリさせる所もいつも通りではあるが,読了感はいつにも増してホノボノである。重松清が最近のサイバラを評して,優しい物語が増えてきたような気がする,と書いていたが,まあねぇ,子供を持って優しくなれないようではdomestic violenceまっしぐらでございましょう。サイバラがかように優しくなった,その理由を本書ではたっぷりと語ってくれている。負け犬としては,やはり「育児真理教は強かった」と思わざるを得ない。ぐぞ。