12/1(日) 駿府・晴

 師走初日である。一気に寒くなって秋をすっ飛ばして冬になった感。富士山がきれいな季節になってしまったのである。

 「多倍長精度数値計算」,Amazonの順位を見る限り「LAPACK/BLAS入門」程度には売れているらしい。せいぜい初刷分のコストを吸収できる程度には在庫が捌けてほしいものである。黒字になって困ることはないからなぁ。高いけどよろしくお願い申し上げます。
 そーいや,早速誤字脱字のご指摘があったので,慌てて正誤表を追加した。こーゆー時にはやっぱりGitHubにサポート情報一切合切置いておくのは良い判断である。出版社が潰れてもファイルが残るというところが良い。いずれワシのサイトの情報は全部GitHub,ResearchGate,Researchmapに集約しておくことになるので,定年カウントダウンになったらボチボチやっておくことにしよう。

 「決算!忠臣蔵」を神さんと映画の日の本日見に行った。吉本興業バックアップ映画なので,そこそこ楽しめたが,クライマックスの討ち入りシーンがないというのはどーにも肩透かし感が拭えない。溝口健二の「元禄忠臣蔵」でも見るとするかな。大河ドラマでは「峠の群像」の伊丹十三,「元禄繚乱」の石坂浩二,いずれも良い殺されっぷりであった。ワシはあれが見たいのである。

 Python数値計算入門,とりあえず連立一次方程式の4章分の手前まで完成。問題はこの先で,LAPACK/BLASベースのSciPyを使う以上はせいぜい密行列用(scipy.linalg)と疎行列用(scipy.sparse.linalg)の2章にまとめてしまうのがスマートだと考えている。行列の固有値はその応用編という感じ。無駄に分厚くなるよりは,線型計算はカジュアルにお気楽に使いつつ,パフォーマンスと精度には気をつけてねという記述になれば良いかと。今月中にはここを何とかして一気に後半部分の下書きは完成させたいなぁ。

 ということであと一月頑張りましょうぞ。

幸谷智紀「多倍長精度数値計算」森北出版

幸谷智紀「多倍長精度数値計算」森北出版

[ Amazon ] ISBN 978-4-627-85491-8, \4200 + TAX

 いやぁ長かった長かった。本来なら昨年のうちに発売されているはずのものが,「可能な限り厚く書け」という方針に変更され,巻末のGNU MP(抜粋),MPFR(完璧),__float128(完璧)のリファレンスまで付録に付くことになってしまったからさぁ大変,シコシコ作業してどーにかこーにか248ページの,ワシの単著としては最大のページ数を誇るテキストが出来上がってしまったのである。担当編集者が途中交代したりして「こりゃ出ないかな?」などと疑心暗鬼になりつつも何とか今日の晴れの日を迎えたのだからとりあえずは良しとしよう。表紙のプログラムが本文で使っているC, C++プログラムとは似ても似つかぬものになっているなどと無粋なことをいう奴は嫌いなので無視することにして,ワシはこの分厚くてド高いテキストをしみじみ眺めて悦に入っているところなのである。

 そう,本書は高価である。税抜き4200円! 吉野家の牛丼並を10杯食える値段になってしまった理由はただ一つ,特殊過ぎて売れそうにないからである。・・・んなことは分かっている,だからペラい「LAPACK/BLAS入門」程度でいいんじゃないかという提案もしていたのだが,「あれじゃペラ過ぎて演習書としては物足りない」とぬかす向きがあったらしく,「どのみち売れないんだから,そんなら分厚くしてくれ」ということになった由。開き直った結果の高額書籍なのである。つーことで,長い数字並べてヘラヘラ楽しめる,そう,「π 円周率1,000,000桁表」などをお持ちの方に置かれましては是非とも座右に置かれることをお勧めしておく。何を隠そう,ワシも本書を座右にたくさん置いているのであるからして(当たり前だ),数字マニアにおかれましては,スクラッチからプログラミングする非効率さも知っておかれては如何かと思う次第なのである。

 そう,今時,多倍長計算,即ち,標準的な整数型(int, long)や実数型(float, double)を越える桁数の計算を四則演算レベルから作成するなどということは止めた方がいいのである。趣味で作るならご自由であるが,それにしても,GNU MP(GMP)やMPFR, QDといった高速かつ機能豊富なオープンソース多倍長演算ライブラリがタダで自由に使えるご時世に,それらの機能を一顧だにせずに唯我独尊的なプログラミングをすることは労力の無駄,車輪の再々発明よりたちが悪い暴挙と言わざるを得ない。本書はこれらのライブラリの解説と関数一覧(QDは初めてかしらん?),CやC++のプログラミング例を豊富に取り揃えて,あまつさえ,手間のかかるベンチマークテストまでやってお示ししているのであるから,買えとは言わないけれど(買ってくれると嬉しいけれど),スクラッチから多倍長精度プログラミングをやろうという方は一通り目通ししておくべきであると断言しておく。まぁ,Webの世界には既にこれらのライブラリをベースとした,MPACKみたいな高速計算ライブラリも多数あるので,そちらを見てもらうのも良いが,高度過ぎる複雑なライブラリを見るより,単純なCやC++テンプレート例を読んだ方が取り掛かりには良いのではないか・・・どうかは皆様で判断して頂きたい。ま,当面売り切れる本ではないので,多倍長数値計算をする必要が出てきたら,ちらとでも眺めて頂ければ幸いである。

 

11/2(土) 駿府・晴

 朝晩は薄手のコートが必要になるが、日中は夏日が続く。地球温暖化もここまでくると不安になってくるなぁ。冬が暑くある以上に夏の酷暑っぷりがどこまでエスカレートするやら。凍死する可能性は限りなく低いが,エアコン故障による熱中症死は大いにありそうである。

 自宅のMacBook Air 2011モデル,ボチボチ買い替えたいなぁと思っていたところに,macOS Catalinaが出たので,AirPlay displayをやってみたくなったのである。で,10月末日にApple経由でAir 2019を注文,本日それが届いた。

 ということで,神さんの冷たい視線を感じつつ,家事の合間にセッティングを行ったのだが,思ったより使い勝手が良くならないなぁと,大枚払った割にはガッカリしているのである。以下雑感。

  • キーボードの打鍵感がイマイチである。「ポコポコ」という音がするのはまだ許すとしても,2011モデルより安っぽいタッチが気に食わない。
  • ストレージの速度が思っていたより遅い。OSのクリーンインストールすると応答性が良くなるという解説ページもあったがメンドくさい。まぁ一番ストレージを読み書きするアプリのインストール作業さえ終えてしまえば,応答性の悪さを感じる機会は激減するのだけれども。
  • Retinaディスプレイの解像度の高さは易々として,13インチでは宝の持ち腐れっぽい。

 それでも全体的には8年前モデルよりは使い勝手が良くはなったので,とりあえずこれでよしとする。あと10年は使い続けたいなぁ。

 寝ます。

Python数値計算入門まえがきの下書き

 次年度の「数値解析1」のテキストを新たに作る予定なので,「まえがき」っぽいものを書いてみた。ろくすっぽ書いてもいないくせに完成稿を目の前にしたかのような文章を書くのは自分にプレッシャーをかけるためである。年内には下書き終了,完成は来年2月の予定だが,さてどうなることやら。


 本書はPython 3のNumPyおよびSciPyを利用することを前提に,数値計算の基本を解説したテキストである。浮動小数点演算の基礎から,偏微分方程式の数値解法まで,Pythonスクリプトを動かしながら理解するというコンセプトで執筆したつもりだが,果たしてその目的が達成できているかどうか,その判断は読者に委ねたい。
 ベースとなっているのは「ソフトウェアとしての数値計算」(https://na-inet.jp/nasoft/)で,2009年までに積み上げてきた講義資料に基づく公開Web教材である。完成以来10年経つと,さすがに記述が古びてくるので,書き足すなり書き直すなりする必要を感じていたところ,奇特な方から「Python本を書きませんか?」というお誘いがあり,自分としても近年最も勢いのある動的言語を本格的に使ってみたい欲求があったので,ホイホイと誘いに乗って古い講義ノートの虫干し作業がてら,書き出し始めたのである。
 実は著者の勤めている大学ではMATLABという,高価だが信頼性の高い数値計算ソフトウェアのサイトライセンスを導入しており,ここ数年はExcelとMATLABを使いながら講義を行っていた。しかし,MATLABのライセンスは卒業すると消滅してしまう。何より,高価なソフトウェアの癖に更に銭を取られる有料パッケージが存在していたりするのが気にくわない。Pythonならば基本,著名なパッケージは無料で使える。これは大きい。
 何より,PythonではDeep Learning用のTensorFlowやPyTorchすら無料で使えるのだし,これらの下支えとしてNumPyやSciPy,Autograd等の基本数値計算パッケージが存在している。今の時代向きの「ソフトウェアとしての数値計算」はこれらの基本数値計算パッケージを前提として語るべきであろう。
 ということで書き出したのはいいのだが,内容的に古い所があり過ぎて,全面改稿したりバッサリ削除した章が続出し,当初の予定通りにはなかなか進まなかった。著者の個人的な事情もあり,遅れに遅れて何とか次年度のテキスト印刷期限に間に合ったという次第である。それでも,不慣れな言語に四苦八苦しながら,良く出来た数値計算パッケージと戯れるのは楽しい作業であり,関数を呼び出すだけで面倒な処理がスイスイできるようになったのを体験するにつけ,時代は進んでいるなぁと,スクラッチから自分の数値計算ライブラリを構築してきた年寄としては感慨深い。その分,数値計算の初心者にとっては敷居が高いと感じるかもしれないが,折角先人が積み上げてきたソフトウェアの上に立つことができている状況を楽しむためには,その高みに親しむことも必要であると,あえて手加減せずに具体的な問題を提示してみたのである。実際に動かせるスクリプトを目の前に突き出しているのだから,大いにチャレンジして頂きたいものである。

春日太一(聴き手・構成)「黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄」文藝春秋

春日太一(聴き手・構成)「黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄」文藝春秋

[ Amazon ] ISBN 978-4-16-391108-3, ¥1900 + TAX

 いやぁ,他ならぬ春日太一の著作だし期待外れになることはない,とは思っていたけれど,書店で手にとって驚いたのはその分厚さ。本文419ページ! もちろん,全く映画ファンではない一般ピーポーであるワシでも「奥山和由」という名前は知っていたし,著者がまえがきで述べているように,その電撃的な松竹からの解任劇についても,TVや新聞を通じての報道はワシもリアルタイムで見聞きはしていたが,そこに至るまでの狂気的な映画への奉仕者・プロデューサーとしての仕事っぷりがこれほど凄まじいものだとは,想像の範囲を超えていたのである。分厚いことは分厚いが,その熱量と読みやすさに当てられて,即位礼の儀を横目に一日で読んでしまったぜよ。しかしまぁ,解任される直前に自分から辞めることを考えていたというのは本書を通じて初めて知り,そこまで思い悩むまでの入れ込み具合が放逐される原因なんだろうなぁと,奥山の主観に満ち溢れた本書の記述を通じてボンヤリ浮かんでくるあたりが,聴き手・構成を通じてしっかり春日太一の著作になっているという証にもなっているのである。

 ワシは大変下世話な性格なので,成功者の自慢話より挫折経験者の失敗談の方を好む。組織に馴染めず辞めてしまったり,放逐されたりした経験が自分にとって一番身になる知識だと感じているのである。奥山和由という人の絶頂期,バブルの勃興期から崩壊して失われた数十年に入りかけのプロデュースした映画の本数は60本を超えているが,直接見た映画は少ないにもかかわらず,恐らくはTVを通じてだろうが,そのタイトルは結構覚えている。TV番組にも露出するし,派手なプロデューサーだなという印象は持っていたが,その分,世間,というより松竹という古い体質を持つ大会社内部からの風当たりは相当強かったようで,アゲンストの風に向かいながらグングン上昇していく凧のような存在だったのだろう。才能はあってもそれ以上に癖の強い映画監督や俳優と議論したり宥めすかしたりしつつ,身内からの足の引っ張り合いにも揉まれながら,それらのゴタゴタをエネルギーに変換して疾走する様は凄まじいの一言に尽きる。語りっぷりに熱がこもっているのはもちろんだが,どのぐらい春日の手が入って整理されているのかは定かではないけれど,かなり映画に対する審美眼が一貫していて,作品の善し悪しを客観的に評価しているし,それでいて興行師としての仕事もおろそかにしておらず,ヒットを飛ばすことでしか,やりたい仕事ができないということも「ハチ公物語」の大当たりを通じて学んでいる。ワシはこういう体験を通じての学習というものしか信用していないので,毀誉褒貶はあるにしても,この奥山和由の経験談はかなりワシ自身の身になるものになると確信しているのである。

 ・・・という本書の語りの面白さはピカイチで申し分ないけれど,ワシの下衆根性は奥山の松竹放逐の原因にやっぱり興味があり,その辺りをズバリ知りたい向きには不満が残るのかなぁと感じる。奥山当人はあまりに変わらない松竹の体質に嫌気が差して放逐される前に辞めることも考えていたようだが,さて額面通り取っていいものかどうか。組織人として生きていれば,辞めたいと考えることは当然ありがちではあるし,父親が最初から重役として,最後は社長として君臨している会社で,自分も重役として引き立てられている立場であったことを考えると,その立場を生かしての活躍ができているメリットも大いにあったわけで,何となく言い訳めいているとも感じる。しかしその点を追求することは本書の目的ではない。組織人であれば,放逐する方もされる方もそれぞれ言い分があり,片方が一方的に悪いというキレイな話にはならないということも承知していることである。そんなことより,奥山という稀代のプロデューサーの持つ危うさと熱量,そしてその疾走してきた歩みを本人に語らせることで生きた日本の映画史を読者に提示することにあり,映画のプロデュース業というものの過酷さと面白さが生み出すダイナミズムを体感させることにある。ワシはすっかり本書に当てられ,この浮かれた休日に熱くなってしまったのである。