立川談四楼「文字助のはなし」筑摩書房,山本おさむ・宮部嘉光(原作)「父を焼く」小学館

「文字助のはなし」[ Amazon ] ISBN 978-4-480-81868-3, ¥1700 + TAX
「父を焼く」[ Amazon ] ISBN 978-4-09-861503-2, ¥1287

 戸田書店静岡本店が撤退して以来、静岡市中心部に残る大規模書店は丸善・ジュンク堂静岡店しか無くなってしまった。しかもウィークデーには営業時間内に帰宅することはほぼ出来ない上、ここんとこ土日に出勤する行事が多く、今週末は久々に林立する本棚を渉猟することができ、諭吉を一人行方知れずにしてしまった。今回はその中でとても共感できた二冊を取り上げることにする。

 ワシはまごうことなき「凡人」である。
 「凡人」とは何か。その定義は「偉人」が成し得たことを悉く否定すれば事足りる。
 「粘り強く努力を「しない」」、「他人とのコミュニケーションを円滑に保つ努力を「怠る」」、「健康的な食生活を「心がけない」」、「日々情報収集に「努めない」」・・・ほら簡単でしょ。「やればできる」と思い込むことで日々の研鑽をちょっとずつ先延ばしし、イタズラに年を重ねて気がつきゃ定年までカウントダウンの年齢だ。自律的な努力をしないから、たまにやってくる幸運を掴んだとしても維持できない。せいぜい組織内で出世しないまでも自分や家族を養うだけの食い扶持を維持するだけが関の山。これが凡人であり、世の中の過半数はかような凡人によって構成されているのである。
 立川談四楼が描く兄弟子の桂文字助、宮部嘉光原作を山本おさむが無骨に描く飲んだくれの父親、大成できずに周囲に迷惑をかけまくる凡人として終わったこの二人の人生を描いた二冊は、凡人たるワシにこの上ない「納得感」をもたらしてくれた良作なのである。

 まずは桂文字助の方から触れていこう。ワシは立川談四楼師匠のツイートが好きでリストに登録してあるのだが、いつ頃からかこのダメな兄弟子についてのツイートが楽しみになっていたのである。「文字助のはなし」はそれをベースに書き下ろしエッセイとして出版されたものかと思いきや、読んでみると断片的なツイートだけでは追いきれない、ダメさの裏に隠れた事情を活写する記述の方がずっと多く、文字助関連ツイートは刺身のツマ的なアクセントに収まってしまっている。可愛がられていた築地の贔屓筋からも、「名人」と呼ばれた人格者のファンからも、そして妻子からも見放された真の事情は弟弟子からも詳らかにできていないが、結果として自らを反省することなく自己を貫いた結果、晩年にチミッとTVに引っ張り出された以外は、たいして売れない落語家,すなわち「凡人」としてその一生を老人介護施設で終えた。
 それでも,エビデンスには欠けるものの,「替わり目」の旦那の独り言のような推論を含む総括、これが本書の一番の読みどころであり,そこで一応の事情説明らしきものは行われている。よってワシの感想は下記の通りと相成った。

 もう一人の凡人である飲んだくれのDV父を、息子の視点から描いた一冊が「父を焼く」だ。父親を描いた傑作としては谷口ジローの「父の暦」があるが、こちらは実母と離婚した実父とのちょっとミスコミュニケーションを葬儀の場で解消する、穏やかな物語である。何よりこの父親は、親類縁者から信頼される誠実な理髪師として人生を全うした「偉人」なのである。
 山本おさむが無骨に描くこの父親は真反対のダメな「凡人」である。事故により目に障害を負った事は気の毒で同情はするが、子をなすに至った妻に酔っ払って暴力を振るうに至っては全く擁護の余地はない。息子がまともに成長し、鎹としてこの夫婦を繋ぎ止めた結果、親類縁者からはそっぽ向かれつつも別れずに生涯を終えることができたのだから、犯罪者にならずにすんだ凡人であることは間違いない。最期は孤独死して蠅に塗れて発見されたのもムベなるかな、息子が駆けつけて泣いてくれただけでも幸せである。
 それにしても、この読了後に押し寄せてくる納得感を伴うやるせなさは堪らない。読者たるワシの凡人力が感応しているとしか思えない。表紙に描かれた父の顔は腐敗してしまい、漫画本編で描かれる葬儀の場では見られないが、凡人が最期にたどり着いた安寧を表現しているように思える。

 親鸞が唱えるところの「悪人正機」の一端に触れたような気がするこの二冊、凡人としてはもう少しできる努力ぐらいはしておこうかという気にはさせられる一方、まぁこのまま終わってもいいんじゃないという妙な達観も降ってきた。大多数の凡人のサンプルとして、良質な記述と表現を堪能しながら、大いに共感と反省と憐憫を慈しみたい。

呉座勇一「頼朝と義時」講談社現代新書

呉座勇一「頼朝と義時」講談社現代新書

[ Amazon ] ISBN 978-4-06-526105-7, ¥1000+TAX

 昨年(2021年)はTwitterでお騒がせの著者であるが、歴史学の王道を踏み外さず、陰謀論を毛ほども寄せ付けない堅実な書きっぷりは前作と変わらず清々しい一冊である。本年(2022年)のNHK大河ドラマが始まる前に予習しておこうと購入したのだが、大筋は「吾妻鏡」に添いながらも、北条執権寄りな記述が多いことに留意し,批判を忘れない姿勢には凛としたものを感じた。ワシは竹宮惠子の漫画で大体この時代の流れは掴んでいたつもりだが、より深い政治的洞察を盛り込んだ本書の記述はそれを補って余りある。

 平清盛が確立した平氏政権から、源頼朝と北条一族らが打ち立てた鎌倉幕府が成立し、承久の乱を経て朝廷をコントロールできるようになるまでの歴史の流れは、中学校の歴史を学んだ日本人ならば大体頭に入っているはずである。とは言え、通り一遍の年表的な知識以上の人間臭い要素は、平家物語ほか、歴史を土台とした漫画、アニメ、ドラマ、映画、そして本書のようなコンパクトな新書から得るのが普通だろう。ワシの場合、前述した竹宮惠子作品に加えて、「平清盛」のような大河ドラマから共感できるリアルな臭いを吸収し、頭の中の歴史年表に人間的要素を肉付けして現在に至っている。そのせいで、ワシの理解にはリアルな政治的骨格に欠けるところがあり、その点は呉座勇一に随分助けられた。

 例えば、木曾義仲が一時台頭して京都を頼朝より早くに抑えたことについては、元々、以仁王の令旨に呼応した日本各地の武士団、特に源氏系統のグループが個々に活動を始めていて、頼朝はその一派に過ぎず、各グループ間の争いの中で起きたものだというという解説には感心させられた。そういう重要な補助線を随所で引いてくれることで、ワシみたいな政治にウブなオヤジの脳みそにも染み入る記述が可能になったのだろう。

 頼朝から頼家・実朝までの3代で源氏将軍が絶えたことも、北条時政・義時・政子の陰謀とは考え難く、偶然の賜物に過ぎず、むしろ偶然のイベントに対して政治的に無理のない解決策を模索してきた結果であるとのこと。勿論、頼朝亡き後の「鎌倉殿の13人」の中では、未亡人である尼将軍・政子の後ろ盾があった北条一族が有利であったことは間違いないが、源氏将軍を意図的に滅ぼすメリットはない、という解説には唸らされた。実朝暗殺時に、本来であれば側についてた筈の義時がその直前に退いて源仲章に交代したことも偶然で、陰謀の証と考える必要はないと断じている。へぇ〜である。

 本書ではかように陰謀論を徹底して退け、複数の資料や研究者の論考を比較検討しながら、最も学問的に妥当な結論を導き出すという姿勢が貫かれている。勿論、血沸き肉踊る歴史活劇を目指した書物の存在は重要ではあるが、嘘が蔓延するようでは困る。呉座のように、アカデミックな正しさを第一としながらも、歴史が持つ生の面白さを活写できる書き手は貴重であり、今後もSNSなんぞは適当にあしらいながら、長く活躍してもらいたいものである。

幸谷智紀「Python数値計算プログラミング」講談社

紙版 [ Amazon ] ISBN 978-4-06-522735-0, \2400 + TAX
Kindle版 [ Amazon ] \2400 + TAX

Python数値計算プログラミング

 そーです,ワシが講談社刊行の自著に,「白泉社の少女漫画サイコー」と書いた大バカヤローでございます。だってホントのことだからしょうがないじゃん,少女フレンド系でハマれたマンガがなかったんだから(以下小一時間のオタク語り省略)。

 それはともかく,とうとう2021年3月に出た出た出ました長年の便秘に悩んでいた末の脱糞のごとく出ましたよ旦那。前書きにも書いたが,これも偏に編集人の忍耐のシロモノなのである。こちとら,額縁ょ~の第1次任期に完全にかぶってしまい,2年目からはコロナ禍の中での対応を迫られ,おまけに科研費も当たっちまったモンだから査読付き論文の方に注力せねばならず,どーしても精神的にも時間的にも伸ばせる〆切の方を後回しにせざるを得ず,大分お待たせをさせてしまったところ,諦めもせずに待ち続けて頂いた結果,何とか「工学基礎」という極めてニッチなジャンルではあっても「ベストセラー1位」という称号を得たのだから,多少はお返しができなのかなと勝手に悦に入っているのである。まぁ出版社的には第1刷分を売り切らない限りは利益回収ができないのだから,本来は第2刷が出てから成果を誇るべきところ,どーせ初刷売り切り実績が少ないワシとしてはそんなの待っていられないので(2021年5月6日現在,Amazonのみで売り切れ状態であるとはいえ),背後に家事に勤しむ神さんの白い視線を感じつつ,まずは本書に収められなかった雑感をここに書きつけておくことにしたのである。

2021年5月5日Amazon在庫切れの証拠画像

 前書きにも書いた通り,本書は元になる原稿があるにはあった。主として静岡大学で非常勤講師を務めていた時に書き足し書き足ししながら使用していたもので,最近は本学でも使うようになったが,いかんせん近年では古い記述が増えてきたことに気づいてはいたのである。そうなると,本学でも使うようになったMATLABをベースに書き直すかなとツラツラ考えていたものの,あんな高額なライセンス料を取りくさりよってと今一つ好感を持てず,取り掛かれないまま深層学習ブームやってきてPythonが流行りになってきたところ,元原稿を基に当方を突き止めた酔狂な編集者の方が「Pythonを取るかJuliaを取るか」という二択をワシに迫ったのである。後者は権威の方が大阪大学におられるので遠慮することにし,多少は心得のあって何とかなりそう&流行には乗りたいというスケベ心が相まって,本書が出来上がったという次第なのである。

 とはいえ,書き直しの必要性があることは承知していたから,章の最初に掲げた歴史的文献からの引用以外は頭から見直しをかけざるをえず,思いのほか面倒な作業であったことは前書きに書いた通りである。記憶を頼りに具体的な所を書きつけていくと,下記のようになる。

  • 「第3章 Pythonことはじめ」は,もともと特定の言語を想定しての記述ではなかったので,2/3以上は書下ろし。書いてから「あ,if文の記述がなかったな」と気が付いたあたりが迂闊である。ま,プログラミング言語の素養のある人向きの書籍であるし,実装の事例は随所にあるのでそちらを見ながら補って頂きたい。
  • 「第4章 丸め誤差の評価方法と多倍長精度浮動小数点計算」は,多倍長計算の章を丸ごと書き直した。下敷きにしたのはワシの紀要原稿であるが,書籍用としては記述をそのまま使うわけにもいかないず,更にリライトしてある。何せ,数多ある数値計算テキストとの差別化を図るためには丸め誤差と多倍長計算を外すわけにはいかず,とはいえワシの「多倍長精度数値計算」並みの記述を行うわけにもいかず,この長さに収めるのに苦労した。「著者の書き過ぎによる暴走」が起こらなかったのは,本章の記述を前提に紀要原稿を書いておいたおかげであろう。ワシ偉い。
  • 「第6章 基本線形計算」は,計算量・ノルムの解説と,NumPyとSciPyのBLAS機能の説明をマージさせつつ,計算時間とノルム相対誤差をコードを使いながら理解できるようにした。この辺,第4章の技法を使っての検証ができるような演習問題が追加できれば申し分なかったが,サンプルプログラムを弄りながらの手すさびみたいなものになるのでキリがないのでカット。まぁ締め切り間際の強行スケジュールで無理に入れてミスを増やしかねなかったからいいか(と勝手に納得)。
  • 「第8章 連立一次方程式の解法2 ―疎行列と反復法」は本来2章の分量を今の視点でまとめ直した。理論的には疎行列も密行列も違いはないが,計算量の観点からは全く違うものとして実装してあるので,まずは疎行列の解説から入り,今ではあまり見かけないSOR法系統の解説はベクトル反復が可能なJacobi反復法だけにとどめ,CG法とKrylov反復法,前処理のやり方がSciPy.sparseで簡単にできることをスクリプトとSuitSparse Matrix Collectionの実例で示すようにした。ざっくりした紹介になってしまっているのは,この辺りを詳細にやるほどの知見が著者にないせいでもあるが,この辺のまとめをちゃんとやってこなかった数値線形計算研究者らの啓蒙努力の怠慢も問題である。いくつか日本語のまとめっぽい書籍が出ていることは承知しているが「敷居が高ぇな」「門外漢には訳が分からんな」「理屈は分かったからコードにして公開してくれない?」というのが偽らざるワシの感想である。
  • 「第10章 非線形方程式の解法」も2章分まとめ,ニュートン法の説明を中心に据え,代数方程式の解法はコンパニオン行列の固有値問題に帰着でき,NumPy.roots関数で簡単に解けることを示すにとどめた。減次して解くという古典的な方法も好きではあるが,まぁ現代的とはとても言えないので割愛。
  • 「第12章 関数の微分と積分」と,この辺りから便利なパッケージを使うことをお勧めするように軌道変更している。微分についてはAutogradパッケージは外せないし,SciPy.integrateは次の常微分方程式との絡みが出てくるので,使い方を示すのは重要・・・と言いつつ,しっかりと等間隔分割によるニュートン・コーツ公式とガウス型公式の違いは解説しておく必要があるなと,この辺りの記述はそのまま元原稿から流用してある。二重指数積分法の説明に踏み込むと複素積分まで考えないとまずいので,今回は割愛。今の仕事が一段落したら,ロンバーグ積分と組み合わせて面白いことができないかなと夢想しているが,ここに踏み込んだら暴走が始まるので,この判断は良かった(でないと〆切が無限に伸びる)。
  • 「第14章 偏微分方程式の数値解法」は,元原稿にない放物型・双曲型・楕円型PDE全部の実例と解説を付加した。参照した本がいずれも古くて,疎行列ライブラリが存在していない時代のシロモノで,はてさてもう少し効率的なやり方はないものかと,自分なりに咀嚼してスキームを組み立ててスクリプトを作成。疎行列以上にPDEの世界は応用分野が広いので,分野ごとに様々な独自手法が存在し,とてもじゃないが一人ではまとめきれない。ということで,せめて前章の応用としての時間発展問題ぐらいフォローしたかったが時間切れであえなくチョン。詳しい人にはPDEだけでPython本を書いてもらえばいいんじゃないかなと思うが,大規模化のためにはコアの計算部分の並列化と高速化が欠かせず,PythonじゃなくてC/C++によるMPI/OpenMPによる並列化の話になるので,もう「入門書」とは呼べないレベルになること必定である。

・・・とまぁ,このぐらいにしておくが,数値計算に限らず,プログラミングが重要な役割を果たす分野の入門書は時代の流行に合わせて言語やソフトウェアを変えながら新刊本として登場するのが常である。本書も,FORTRAN→MATLAB→BASIC→Pacal→C/C++→Pythonという流れの一つとして出たもので,類書は今後も出続けるであろうから,読者の方々は自分と相性の良いものを選んでいただきたい。本書がその一つとしてどなたかの琴線に触れることができれば,著者としては望外の幸せというものである。

小梅けいと「戦争は女の顔をしていない」1巻,「同」2巻

小梅けいと「戦争は女の顔をしていない」巻,,「同」

1巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-04-912982-3, \1000 + TAX
2巻 [ Amazon ] ISBN 978-4-04-913595-4, \1000 + TAX

 本書の元となる連載が始まったと聞いた時,ワシは「おっ!」と思ったのである。

 ノーベル文学賞を取った原作を「小梅けいと」が描き,監修に「速水螺旋人」が付くというではないか。前者は「くじ引きアンバランス」以来だが,ワシの好きな漫画家だし,後者はここでも何作か紹介したことで分かる通り,身悶えするほどのファンである。正直,原作に関しては関心の埒外であるので,どういう作品かもTVニュース報道以上のことは全く知らなかったが,本年最初に1巻,そして本年末に2巻が出た本作を一気読みし,ワシは久々に原作も紐解いてみようかという気になっている。つまりこれは,このコミカライズ作品がそれだけのパワーを持っている傑作であることの証なのである。つ〜ても原作を未読である故に,以降の記述は純粋に本コミカライズ作品についてのみのものなので,その点は弁えて頂きたい。

 戦争を描いた作品については,ここでも何度か引用しているいしかわじゅんの意見をワシは一つの基準としている。

 いしかわじゅんは「いわゆる反戦漫画とか戦争漫画を」「あまり読まない」と言う。その理由はこうだ。

その多くが,苦しいと描いてしまうからだ。痛いと,辛いと,悲しいと描いてしまうからだ。現実の大きさに甘えて寄りかかり,表現することから逃げてしまっているものが多いからだ。
 大きな事件があって,それを克明に描いていけば物語の形にはなる。傷を負って痛いと描けば,痛みはわかる。愛する人を失って悲しいと描けば,もちろんそれは伝わる。しかし,それは表現ではない。

「秘密の本棚」小学館,P.369

 この基準に照らし,本作はというと,及第点は楽にクリアしていると言える。ボブ・ディランがそうであるように,直接的な戦争を描いた作品ではなく,その周辺から,つまり,戦争というものが主として男同士の殺し合いであることを逆手に取り,女性側,それも実際に志願して戦争に参加した女性兵士の視点から描いた「大祖国戦争」のドキュメンタリーになっているあたり,伊達にノーベル賞をとっていないなと感心させられた。「戦争は女の顔をしていない」とは,まさにこのことを指し示しているタイトルであるのだなと,改めてその言葉選びのセンスにも嘆息してしまう。

 ナチス・ドイツとコミンテルンの親玉たるソビエト連邦(現・ロシア連邦)との,真反対のイデオロギーのぶつかり合いとして,起きるべきして起きてしまった壮絶な総力戦,それが大祖国戦争である。もちろんこれはソ連側の言い方であるが,それだけ激しい祖国愛をぶち込んだ激しいものであったということでもある。本作では巻末にいつものごとく螺旋人の異様に細かいコラム2ページが付録に入っているが,これをきちんと読むとそのあらましがよく分かる。もちろん螺旋人の愛読者たるワシには周知のことではあるが,改めて戦争ってのは,始める時よりも辞め時が難しいモンだなと感じる。まして,男女同権を高らかに宣言した共産党としては,意欲の高い女性を活用しないわけにはいかず,戦闘機の操縦士として,スナイパーとして,看護師として,時には将校の慰み者として,祖国に準じていくのである。総力戦の行き着くところ,講和などという妥協の産物は役に立たない。ヒトラーも追い込まれて米英との交渉を考えたようだが,東西より押し込まれてガソリンを炊き付けとして消えてしまった。ヒトラーの頭を銃で撃ち抜かせた原動力は,ベルリンに突入した赤軍(ソ連軍)を構成した,この女性たちであったこと,間違いないのである。

 一つ一つのエピソードは戦争から帰還した女性兵士からの聞き書きであるが,それ故に具体的で,懐かしさと苦しさと,自分だけが生き残って原作者に語るという罪悪感に満ちている。小梅けいとの白く,それでいて色気のある描線がその内容の真摯さを担保しており,ソ連時代のロシア人の独白は,人種に関わらず突き刺さってくるものばかりである。なるほど,これがノーベル賞かと,改めて感心し,原作に手を出そうという気にもなってくるというものである。

 コロナ禍の最中,引きこもりのついでに,「女の顔をしていない」極限状況に思いを馳せるのも悪くない。この日の本だって,平和ではあるけれど「女の顔をしていない」社会情勢であるという共通点があるのだし。

幸谷智紀・國持良行「情報数学の基礎(第2版)」森北出版

幸谷智紀・國持良行「情報数学の基礎(第2版)」森北出版

[ Amazon ] ISBN 978-4-627-05272-7, \2200+TAX

 さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。引退したク○教授どもが(当時の)若手教員二人に押し付けた新科目「情報数学基礎」のテキスト,紆余曲折あって森北出版社長の目に止まって出版に漕ぎ着け,所属大学以外でもあらびっくりのアラビア石油,テキストとして採用してくれたってんだからありがたいことこの上ない。本学だけでは売り切ることができないところ,5刷まで行ったてんだから僥倖僥倖これ僥倖,「本文二色刷りにして第2版を出しましょう!」と第1版担当編集F氏は宣うたのもこれ自然,著者としてはありがたいことこの上ない。是非もなし,どうぞどうぞと承諾すればコトが済むかと思いきや,「グラフ理論の章を追加して,まえがきからもう一度全面校正をお願いします。ついては第1版から追記・変更・修正するところがあればそれご指摘的下さい」ときたモンだ。クリビツ仰天,何せ著者二人は管理職,と言えば偉そーだが実態は単なる雑用係何でも屋,コロナ禍でしっちゃかめっちゃかのところに新章書き下ろしの上に全ページ校正アリだというから笑っちゃって腰が抜けるところを反射神経的に「いいっすよーやりましょー」と返事しちゃったんだから間抜けというかなんというか。んじゃ下書きよろしくです〜といつものよーに頭脳労働担当著者にぶん投げて,まぁそのうち出来たらワシが手を入れればいいやぁと呑気に構えていたらあっという間に「下書きできました」ときたモンだ。どーせ期限内にはできないだろうと悠々と構えていた所,こうなりゃ仕方ない,全面的に文章入れてリライトして図もたくさん追加して肉体労働担当著者としてでっち上げましたよ超特急で。その後は森北の編集氏とワシらとの間でやれこの題材はコラムじゃなくて本文にしろだの何だの変更しまくって頭からの校正も2回やってどうにかこうにか本日(2020年11月26日(木))販売に漕ぎ着けたという次第。20ページ近く分量増えて読みやすい二色刷りになったのに何故かお値段据え置き2200円(+TAX)! 今日日,容量減らしてお値段据え置きとかフザケタ実質値上げが相次ぐこの日の本で,なんて良心的なんだと涙が出てくるってシロモンなのだ。さあ買った買った買ったぁ!

 ・・・というヤケクソ的な愚痴はともかく,好評頂いたのは著者としてはありがたいコトこの上ないのは事実である。「理工系大学でこの程度?」という批判も覚悟で書いたモノだが,第2版が出たということは,まぁつまり「この程度」のための邦文テキストが存外に存在していなかったという事実が判明してしまったということなのだ。プログラミングやデータベースや情報理論をこれから勉強しなきゃならんのに命題論理も集合も写像も関係も知らんでは困る。いやそれ以前に高校までの数学では何を習ってきたか,計算手法じゃなくて学ぶべきは「概念」であって,記号はその表出に過ぎないということから説き起こす必要がある,というニーズをコンパクトに本文171ページに納めたのが第2版に漕ぎ着けた一番の理由ではないかとワシは睨んでいるのである。

 大体,研究者の書いたものは東海林さだおが言うところの「ドーダ」が多すぎるのである。鹿島茂が定義したこの「ドーダ」=「過剰な自己愛的表出」,早い話が「能力自慢」,まぁオベンキョーを生業とする学者先生の職業病みたいなモンだから仕方のないことではあるが,初年時の学生に対して「ワシらは専門家であるからしてこれだけのことを知っていてこのぐらいの問題は楽勝なのだ「ドーダ」」の山を押し付けることはアカデミックハラスメントにすらなりかねない。申し訳ないが,ワシらがこのテキストを書いた頃には既存の「離散数学」のテキストはかなりの「ドーダ」的な代物であり,「センスがない奴には解けないだろ?」という,良問だが,それ故に捻った演習問題に満ち溢れたモノだったのである。習得できれば何ということもないが,概念の理解と暗記だけでも大変なのに,問題が素直に解けないモノであれば,成績下位者から投げ出してしまうこと間違いない。本学に「情報数学基礎」という必修科目が設定されたのは,ともかく論理・集合・写像・関係という最低限の離散数学用語と記号と概念の習得をして貰わねばこの先がない!,という,主として数学担当の教員による要請によるものなのである。が,サイテーなことにこの科目の必要性を訴えた○ソ教授どもが担当するのイヤがってワシら若手(当時)に押し付け腐ったモンだから,「まぁこんくらいなら大丈夫かな」という内容に落ち着かざるを得ず,「ドーダ」の入れようがなかった,というのが偽らざる真相なのである。

 しかしまぁ,結果的に,中学・高校数学との接続も意識した必要最低限の解説と,素直極まりない演習問題にしたことが,テキストとしては良かったのであろう。実際,数学的センスを必要とする場面が現実にそうそうあるかというと案外そうでもないし,センスなんてモンを発揮する以前に,概念習得がまず先にあって然るべきなのである。一通りの概念を学んだ後でないと,有段者のセンス良さに感心することすらできない。逆に,センスの良さばかり追いかけていると,情報処理における「肉体労働」,つまり「プログラミング」の重要性を軽んじる「評論家バカ」,つまり「眼高手低」の輩に堕してしまう可能性があるのだ。まずは素直に概念習得しましょう,そのための必要最小限のひねっていない問題解いて慣れましょう,それが本書のコンセプトなのである。

 ワシらが目指しているのは,アイディアの有用性を理解する基礎知識の涵養であり,プログラミングテクニックを通じてアイディアを実現する技術の習得であり,そのためには,プログラミングのための概念の修養が重要である。本書はそのための簡易覚え書きであり,それ以上でもそれ以下のものでもない。分量の少なさ,演習問題のストレートさは,概念理解のスピードアップを図るためのものであり,センスの涵養を行いたい向きには,前書きにも書いた通り「もう少しレベルの高い(ドーダが詰まった)「離散数学」のテキスト」や「(純粋ドーダの塊である)情報システム関連の論文」を使った教育を行って頂きたい。その際には本書を露払いとして使用して頂ければ,著者としては「この程度」で書いた甲斐があった訳で,ありがたい限りなのである。