S.P. ネルセット/G. ヴァンナー/E. ハイラー・著,三井斌友・監訳,「常微分方程式の数値解法I 基礎編」シュプリンガー・ジャパン

[ Amazon, Springer ] ISBN 978-4-431-10002-7. \6500
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 大雑把なところは速報編に書いたので,もう少し詳しいことをこちらの方でお知らせする。ただし,何分ワシ自身が翻訳者の一人なので,内輪褒めっぽい内容になるのは致し方ないことである。その分割り引いて読んで頂ければ幸いである。
 本書は「Solving Ordinary Differential Equations I」の日本語訳である。原著のタイトルをそのまま翻訳すると「常微分方程式を解く」あるいは「常微分方程式の解法」となるが,第一章を除いては全て常微分方程式の離散解法についての詳細な解説なので,訳者間の意見を総合した結果,「数値解法」を冠した本書のタイトルに落ち着いたという次第である。
 藤原正彦と言えば今や保守派のベストセラー作家として知られる存在となってしまったが,本職は純粋数学者で,自身では二流どころの学者と言っているが,かなりの国際派数学者と見ていい。その藤原は,主に数学者の世界について,「一流どころの学者が,二流の学者の書いた論文を全て読みこなして咀嚼しまとめ上げて,グループ全体の面倒を見ている」というような(手元に本がないのでワシのうろ覚えの要約であることをお断りしておく)ことを書いている。しかしこれは「論文はふつー英語で書くでしょ?」という学界では共通の傾向であり,ワシが属している(たぶん)数値解析・数値計算の世界でも事情は変わらない。一流どころのパワーあふれる一握りの研究者が,英語で記述された論文を常にWatchし,片っ端からその業績を自家薬籠中のものにしていくと共に,自身でもバリバリと理論を構築し,コードを書き,数値実験を行って論文を湯水の如き勢いで生産していくのである。
 本書は常微分方程式の数値解法の分野では,一流どころの3人が集結して執筆した,帯の文句にある通り(背表紙),まさに「百科事典」的な内容の専門書である。本書と同様のタイトルの本は何冊か出版されており,日本でも監訳者が書いたものが入門書としては存在するが,それらがほぼ例外なく引用しているのが本書なのである。他人の論文からの引用はもちろん,著者らが直接関わった論文の内容もドカドカと隙間なく盛り込まれているので,1980年代までの文献調査はまず本書と本書の巻末に掲載された文献リスト(日本語ひらがな読みによるソート済み!)に当たった方が楽だろうというぐらいだ。それだけ体力も能力も備わったお三方,特にハイラーヴァンナーの力量の凄さが示されているのが本書なのである。
 理工系の教養・専門課程では今でもプログラミング実習も兼ねて数値解析・数値計算の講義がなされているが,そこでは大体最後辺りで常微分方程式の数値解法について触れられることになっている。Euler法,Runge-Kutta法,多段階法辺りが定番であろうが,もう少し凝り性の教師であれば,補外法についても触れるかもしれない。
 本書ではそれらについて,「完璧な理論体系」だけではなく,それらを実際の問題に適用して得た計算時間vs.誤差のグラフ,実装に当たって考え得る工夫の数々も網羅的に記述してある。
 例えば,Runge-Kutta法だと,これが陰的解法となれば,積分区間を離散的に区切った小区間を一つ一つ進むごとに非線型方程式を解く必要が出てくる。これをそのままNewton法で実行したのでは計算時間がかかってしまう。そこで,必要な時にのみJacobi行列の計算を行い,不必要な時には準Newton法を適用するという工夫を,普通の研究者なら当然思いつくだろう。
 本書では更に,そのNewton反復計算そのものを軽くするための工夫についても述べている。具体的に言えば,Jacobi行列をHessenberg行列に変換し,ゼロ成分を構造的に増やして計算量を減らすのである。こう述べれば「ワシにもできるわい」という人も多かろうが,実際に適用する際には,Newton法・準Newton法のJacobi行列計算のタイミングに合わせて行わねばならず,実際に計算時間を減らすことができるレベルのコードを書くためには相当の数学的かつプログラミング的センスが必要となるのである。まあ,簡単だと思う向きは実際にやってみると良い。どんだけ大変な作業か,よーく分かると思うから。・・・つーか,ここに書いたワシの解説の本質がちゃんと伝わっていれば,の話なのだが。
 この一例でも分かる通り,原著者には理論を構築するだけではなく,実装レベルまで見通したセンスと,実装そのものもやり遂げるだけの「力業」が備わっているのである。この凄さが日本の読者に伝われば,ワシら翻訳者冥利に尽きるというものである。
 ちなみに,本書の解説に使用されたコードは原著者らのWebページ(主としてハイラーの方)で公開されているが,現在はTest Setを集めたWebサービスが本格的に展開されているので,そちらにあるものを使うのがいいだろう。本書ではこのTest Setについての記述がなかったので,ここで補足しておく次第である。
 ・・・とまぁ,本書の内容については賞賛の一言に尽きるのだが,実際に翻訳に携わったワシも含む訳者及び監訳者は相当苦労させられた。特に監訳者については,言っちゃ悪いが,「この程度」の翻訳料では相当な赤字だろうと思われる(まだ直接聞いてないけど多分そう)。ほとんどボランティアかと思えるような献身的な努力(原著者とのe-mail及び直接のコンタクト)に加えて,特にワシが担当した第2章の前半部の抜本的な訳文の修正作業や,全世界にまたがる研究者の発音(全部カタカナになっている!)のチェックと訳語の統一作業,フランス語・ドイツ語・英語の引用部分やその真意の注釈など,本文作成に必要な全ての仕事を一人でこなしたのである。一体この仕事量の何処が「監訳」なのか,クビを傾げる程だ。世間一般では「監訳」ってのは,手下に付いた訳者の仕事にけちを付けるか,「良きに計らえ」と言うだけのモンだと思われているし,実際その程度の,いやその程度のこともしない輩ばかりである。しかし,本書に関してはワシが書いた通りの超人的な働きぶりであったことは,ここできちんと書いておこう。
 そして,最後にワシの仕事についても触れておこう(の割には長くなった)。ワシの「訳文の」担当は先に書いた通り第2章の前半だが,それ以外に,監訳者が原著者から受け取った原書の元ファイルをLaTeXに「翻訳」する作業も担当したのである。
 どういう意味かって? 本書でもちらりと監訳者が書いているが,原著の元ファイル,実は

Plain TeX

だったのである。pTeXではない。LaTeXでは当然ない。TeXのprimitive「だけ」で記述されたものだったのである。しかも,一ページごとに「活版」してあるという体裁であり,図版は全て原著者によるPostscriptファイルを「埋め込んだ」ものであり,更にその上にTeXの活字をかぶせてある,というものであった。
 どういうことか? つまり,原著のファイルは体裁(改行の指定まで!),図版の位置,ページ番号,文献の引用番号,索引に至るまで全て「手打ち」し,「ここで改ページ!」ってなことまで指定した,完全に1ページごとの「活版」なのである。

TeX使っている意味ないやんけ!

と叫びたくなるのは当然であろう。ワシの「LaTeXへの翻訳作業」が,本来の「翻訳作業」とは別に必要不可欠だったのは言うまでもない。
 さすがに監訳者も原著者にはLaTeXの使用を勧めたようだが,時既に遅し,という奴で,これだけ膨大な「力業的活版工」のファイルを作ってしまった後では,今更LaTeXにする必要性を感じなかったに違いない。執筆当時はLaTeXがまだ産声を上げた直後だったという事情も考慮する必要がある。しかしふつーは時代の流れに合わせて構造化されたLaTeXに移行していくモンである。それをせず,あくまでPlain TeXに固執して「活版」としてのクオリティを保ち続けた原著者の頑固職人的力量も感じさせるファイルであったことは,ワシが保証する次第である。
 つーことで,ワシもまたかなりの無茶な作業で,pLaTeXでエラーが出ない程度のファイルを全章分作成し,必要最小限のマクロを組んで,担当する訳者にファイルと図版を配布して,「以降の作業は全部担当訳者が頑張って下さい!」と,甚だ無責任な仕事をムリヤリ終えたのである。ワシの無責任仕事に付き合わされた(第2巻分のファイル作成)豊田高専にいらっしゃる江崎先生には,深くお詫びする次第である。加えて,中途半端なLaTeXファイルに格闘された他の翻訳者の方々についても,お詫びしなければならない。どーもすいませんでした。
 で,本書については,多分,製版業者の方の仕事だと思うが,本文の組み方についてはかなりの改善がなされていて感心させられた。・・・が,ワシの無責任仕事の一部がやっぱり残っている箇所があり,そこを見つけるたびにワシは「アチャー」と苦虫を潰す仕儀となってしまった。まあ言わなきゃ気が付かないかな,という程度ではあるのだが,やっぱり忸怩たる思いは残る。といっても,あの当時の力量ではまあ仕方がなかったかな,と開き直る気分も,多少は・・・ある。でもまぁミスはミス,もし,それらしき箇所を見つけた方は「幸谷の無責任仕事がここにも!」とお怒り頂いてご勘弁をお願いしたいのであります。だってできちゃったもんは仕方ないじゃん。ぶー。
 ともあれ,TeXの製版についてはそこそこの出来ではあるものの,内容については折り紙付きである。常微分方程式を使ってシミュレーションをしようという方には,TeX Bookのような座右の書として(褒めてないかな?この言い方)入手されておいても損はない。何せ,原著よりも格安なんだから,買わない手はない。万単位で売れるような,そんな子供だましの数学入門書などではないから,今買っておかないと,あっという間に絶版であろう。第2巻の翻訳は来年早々には出るはずだが,見つけたら2冊揃えて即買い! ですぜ,ダンナ。

[速報] S.P. ネルセット/G. ヴァンナー/E. ハイラー「常微分方程式の数値解法I 基礎編」シュプリンガー東京

[Springer ]
 や〜,ぷちめれ始めて・・・何年だ? 今回初めてワシが関わった本をご紹介することになるのだが,何かキンチョーするね。とりあえず,思いついたことをボチボチつづっていくことにしよう。しかし,ん〜,まだAmazonでは扱っていないようなので,出版元のページにのみリンクを張っておくことにする。実は現物もまだ届いていないので,写真は届き次第掲載します。
 つーことでようやく出ました! 6500円! 高い? バカモン! 原書はコレだ↓ 値段をよく見ろ!!

 不思議だ,何故原書が18000円もするのに,手間をかけた翻訳の方が6500円で出てしまうのか,ワシはこの経済の不思議に首をかしげるばかりだ。
 それはともかく,値段だけでも超お買い得であることがお分かりかと思うが,他にもいいことがある。
 1.世界広しといえども,本書(と原書)ほど,常微分方程式の数値解法について網羅的に,しかも「数値解法の」理論をがっちり書いたものはない。TeX使いは読まずともTeX Bookを手元に置くように,常微分方程式を数値的に解くことを仕事とする人間も本書を同様に揃えておくべきものなのである・・・って偉そうだが,役に立つことは保証いたします,ええ。
 2.KOUYAのような輩を引っ張り込んで翻訳なんてさせて大丈夫か?・・・といぶかる向きも多かろうが,いいやご心配には及ばない。監訳者がほぼ全部手を入れて徹底した書き直しを行っているのである。これはもう「監訳者」の仕事とは思えないが,それ故に,本書は三井斌友「訳」と言うべきものになっているのである。安心して購入されたい。
 3.この基礎編に続いて,「硬い方程式」向きの解法を解説した続刊が近々(たぶん)出るはずである。それを読むためには,まず本書に目を通す必要が絶対にある。もし本書で挫折したら?・・・いやいやいやいやご心配には及ばない。その時には続刊の方を買わなければいいだけの話だ。本書で挫折した人間が続刊を読めるはずがないのである(ヒドイ)。その意味では,無駄な出費を避ける為にも有用な本と言えよう。
 つーことで,ワシの予想ではあっという間に絶版になるであろうこと確実なレアアイテムである。出たら即買い! でないと後で公開すること間違いなし! 買え! 買っておくのだ〜!
 つーことで,Amazonの方に出たらこのblogにもBannerを張っておくことにしよーっと。

J.-M. Muller, “Elementary Functions — Algorithms and Implementation –” 2nd ed., Birkhauser

t[ Amazon ] ISBN 978-0-8176-4372-0, ¥7930
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(向かって左の紺の表紙が第二版,隣の緑の表紙が第一版)
 以前,初等関数の近似多項式についての論文を査読した時,著者の方に基礎文献として紹介したのが本書である。以来,折に触れて本書の第一版(緑の表紙)をつらつら眺めていたのだが,昨年,少し書き足しを施した第二版が出たので,この際,第一版の前書きの日本語訳をここに載せて,本書の紹介と代えることにした。類書は幾つか出ているし,日本でも浜田のものがあるが,最新の情報を網羅したものとしてはこれに勝るものはない。
 つーことで,

どこかで日本語訳を出版させてくれません?

と言っておこう。専門書だから10万部も売れる本には絶対になり得ないが,一万部程度は堅いんじゃないか(と言っておくテスト)。半年あれば下訳は完成させ,一年あればチェックも含めて完璧なものをお出し出来ると思いますぜ,旦那。
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 基本関数([訳注] “Elementary Functions”は「初等関数」と訳すのが普通だが,「簡単な」という意味と解釈される恐れがあるので,本書では「基本関数」と訳すことにした。)(三角関数,指数関数,対数関数等々・・・)は,数学において頻繁に使用される関数群であり,これらを正確かつ高速に計算することは,コンピュータ計算研究において,一つの主要な目標となっている。本書の目的はこれらの基本関数の計算と(ソフトウェア及びハードウェア指向の)アルゴリズムの理解に必要となる理論的背景を解説するとともに,正確な浮動小数点数を得るための関連知識も述べることであり,特定の関数や浮動小数点演算システムにしか適用出来ない「料理レシピ」を与えることではない。あくまで,読者のあなた方が,自分の計算機システムにアルゴリズムを実装し適応させることが出来るような知識を与えようとしているのである。
 本書を執筆するに際して,私は二種類の読者を想定した。一人は,これから(ソフトウェアもしくはハードウェアのパーツとして)浮動小数点演算システムを作ろうとしている,あるいはそのアルゴリズムを研究しようとしている専門家(specialists)である。もう一人は,現在のコンピュータや電卓の内部において,基本関数の計算にはどのような手法が使用されているのかを知りたいと思っている趣味人(inquiring minds)である。従って,コンピュータ科学や応用数学を専攻する上級学部生・大学院生のみならず,浮動小数点演算システムを実装するためのアルゴリズム,プログラム,ハードウェア回路を設計する専門家にも,自分たちの関連分野に役立てようとしているエンジニアや自然科学研究者にも,本書は等しく役立つものとなっている。本書の内容は,コンピュータ科学や数学の基礎知識があれば大概理解出来るものであるが,そこで必要となるコンピュータ演算の基本記号については第一章に目を通して思い出して頂きたい。
 本書にどのような内容が記述されているかはこの第一章に書いてある。基本記号について記述されたこの章の以降の内容は。大きく三つに分類される。第一部は2章で構成されており,基本関数を多項式や有理(多項式)関数で近似するアルゴリズムを記述してるが,可能な限り,数表も掲載してある。第二部は3章で構成されており,「シフト加算(shift-and-add)」アルゴリズム,すなわち,シフト(shift)と加算だけから構成される,ハードウェア指向のアルゴリズムを解説している。最後の第三部は3章から構成されており,精度が重要視される際には有用な事柄について議論している。
 本書と同じ基本関数を扱った過去の労作(HartらのComputer Approximation”,Cody \& WaiteのSoftware Manual for Elementary Functions”など)には,多項式近似式や有理関数近似式の係数表が沢山掲載されているが,本書にはあまり載せていない。それは本の分量を減らすためであるが(シフト加算アルゴリズムを掲載しようとしたせいでもある),今ではこれらの係数の計算はMapleなどの数式処理システムを使って簡単に計算出来るようになっているからでもある。私の一番の目的は,基本関数がどのように計算され,どのように使うことが出来るのかを説明することなのだ。更に言えば,前述の歴史的労作は,ソフトウェアで実装することに焦点を当てた物であるが,今では基本関数の計算の多くは(少なくみても部分的には)ハードウェアに実装されるようになっており,この労作で述べられている物とは異なるアルゴリズム(CORDICに代表される,区間数表ベースのもの,シフト加算を用いているもの)が使われているのである。私はこういった幅広い手法の解説をしたいと念願していたのだ。また,数年前までは1, 2bitの誤差があってもさして問題視されていなかったが,今ではもっと高精度なものでなくてはならない事態となっている。精緻に丸められた(exactly rounded)関数値を与えること,即ち,常に真の関数値に最も近い浮動小数点数(machine number)を返す機能(少なくともある変数領域,ある関数については)が求められるようになっているのである。これについては単精度計算において達成している実装系が存在している。私はもっと高精度でもexactly roundedな関数値を得ることが出来るということを本書で言いたいのである。
 なお,参考文献で提示したBiBTeX データベース,本書で提示したMapleプログラム,正誤表については本書のWebページから取得することができるようにしてある。
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 つーことで,いい本なので推薦しておく次第である。

奥森すがり「ねこ鍋 みちのく猫ものがたり」二見書房

[ Amazon ] ISBN 978-4-576007206-7, ¥1200
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 ねこ鍋と言えば,今や猫好き女性の間では知らぬ者なしの無敵ベストセラー写真集である。元を辿れば岩手で農家を営む奥本すがり(HN: エレファント)さんがニコニコ動画へ動画を投稿し,そこから火が付いたものであるらしい。公式(?)本は既に講談社から写真集として出版されているが,本書はその火付け役の動画投稿人による元祖・ねこ鍋オリジナルエッセイ+写真集である。こちらが「元祖・ねこ鍋」とすれば,講談社本はさしずめ「本家・ねこ鍋」ということになろうか。どちらにしろ,小さな土鍋にまん丸く収まった三毛猫達は間違いなく「めんこい」ことに代わりはないので,純粋に猫だけを楽しみたければ本家を,「何故ねこ鍋なるものが出現したのか」というルーツを探りたい向きには元祖である本書を選ぶのがよろしかろう。とかくうるさがたの方々はオリジナルを尊ぶ向きが強いのだが,これだけ出版点数が増えた昨今,一つの事象を様々な方向から眺めたというだけの類書が存在することは自然なことで,その類書の中から読者一人一人に好まれるものが選択される,ということは別段悪いことではないと思うのである。その意味では,元祖と本家のみならず,もっと沢山の便乗本が出てもいいように感じるのである。出でよ,○○ねこ鍋本!今年のコミケのペットジャンルの一角を占めたって構わないぞ!(もう当選通知が届いているから手遅れか?)
 著者のエッセイによれば,岩手の(写真を見る限り)古い家屋に元々いた2匹の雌猫に,近所の川に捨てられていた4匹の子猫が加わったのが今年(2007年)の6月のこと。この6匹の猫が,鉢代わりに使っていた古い土鍋に入り込み,丸くなって眠ってしまったことで「ねこ鍋」が誕生したとのことである。それを見た著者はその「めんこさ」に打たれ,写真や動画をニコニコ動画にアップ,それからねこ鍋ブームが数ヶ月で訪れることになった。
 ここ20年程で,ペットを猫かわいがり(猫相手だから当然ではあるが)する様を描いた,いわゆる「親バカ」エッセイや漫画が多数登場し,読者を獲得して定着するようになった。ねこ鍋写真もそのようなものを受け入れる読者層があったからこそ,数ヶ月という短期間で出版までこぎ着けたのであろう。
 バカの力がヒットを生み出す,というのは,養老孟司じゃないけれど,いつの世にも普遍的なことなのだ・・・が,ま,一読者としては「うわ〜めんこ〜い」とねこ鍋写真にノックアウトされるとともに,著者ご一家のまったりした岩手弁の会話を堪能させて頂いたので,もう何も言うことはない。ヒット作なんてヘッ,と普段は高飛車なワシだが,たまにはいいものにもぶち当たるのだな,と反省させられました。もう少しメジャーな作品も読まないといけませんね。

小谷野敦「リチャード三世は悪人か」NTT出版

[ Amazon ] ISBN 978-4-4167-4, ¥1600
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 日記にも書いたが,「日本の有名一族」「日本売春史」「リチャード三世は悪人か」と,今年の秋は小谷野敦出版ラッシュである。まあ本人は「内田樹ジュ程ではない」と言うかもしれない。しかし,内田先生の方は対談本・エッセイ・講義録が殆どであるから,呼吸するようにblogを書き続け,講義をこなし,気の合う相手と喋っていれば,優秀な編集者の助力の元,次々と本が出るのも不思議ではない。それに対して小谷野先生の本は,資料を自力で集めて読み込んで分析してまとめる,というものであるから,手数が掛かっているという点では内田先生の比ではないだろう。ワシは両先生の書いたもののファンであるが,内田先生はタレント性で売っているのに対し,小谷野先生は,学術論文を執筆するという古典的な意味での学者としての態度を捨てていない,という違いがあり,その両方に魅了を感じているのだが,ワシも一応学者の端くれのつもりでいるので,その職業意識としては,この出版ラッシュの勝負,小谷野敦に軍配を上げたいのである。
 で早速この3冊のぷちめれを,と思ったのだが,正直言って「有名一族」の方はWebにも類似のものがあり,感心しなかったのでパス,「売春史」は年末のエロ特集に取っておく必要があるので先送り。従って,今回は残った一冊,「リチャード三世は悪人か」を取り上げることにする。
 ワシがシェークスピアの戯曲「リチャード三世」を初めて見たのは,仲代達矢率いる「無名塾」の公演である。確か,仲代の妻・隆巴(宮崎恭子)が逝去する前の・・・とパンフレットを確認したら違った。追悼公演でした↓。
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 この公演の演出をしている途中で宮崎は亡くなったらしい。しかし作品の方は,悪逆非道なリチャード三世に臆病さと悲哀を盛り込んだ仲代の演技力と,宮崎の分かりやすい演出によって,演劇素人のワシでも楽しく観劇できるものであった。
 で,このパンフレットには,小谷野も参照している森護「英国王室史話」からの文章が掲載されている。それによると,リチャード三世は取り立てて容貌が悪かった訳でもなく,悪逆という評判は,プランタジネット王朝最後の王を打ち倒してテューダー王朝を創始したヘンリー七世の意向によって定着した,と述べている。まあ,ドラマはドラマ,事実はそんなモンだろうとワシは納得していた。
 しかし,リチャード三世についての論争はイギリスにおいて延々と続き,20世紀に入ってからはミステリーの題材として取り上げられる程だったという。この議論の概略を小谷野は様々な参考文献を渉猟し,引用しながら本書において解説している。ワシはここんとこを読みながら,「邪馬台国論争みたいだな」と思ったものだ。
 さて「リチャード三世は悪人だったのか?」という疑問に対する結論は,本書を読んで確認して頂くのが一番だが,「中庸」を重んじる小谷野の導いたそれは,至極穏当なものである。大体,大虐殺とか大圧政を行った場合を除いて,権力者というものは大概似たり寄ったりの悪辣さを持っているものだろう。そもそもその程度の普通の権力者の「善悪」を議論すること自体,無意味なことなのではないかとワシなんかは思う。政治を司る人間に対する評価は,その後の歴史の中で,善悪とは別の結果論としてしか意味を持たないのではないか。
 本書ではリチャード三世以外のシェークスピア劇「マクベス」「リア王」「オセロウ」についての論考も納められており,これらは全て「元ネタ」があることを,これもまた文献からの引用を交えて述べられている。まあ学問的には常識に属することなのかもしれないが,文学に暗いワシには感心するところが多かった。
 帯にも取り上げられている「シェークスピアさん,盗作です!」という文句は,これらの元ネタの存在を明らかにしている部分のものだが,だからといって,シェークスピアのドラマ作家としての力量が疑われる,ということにはならないだろう。今だって,テレビや映画・演劇には「原作」があるのが普通だし,シェークスピアの時代はそれをクレジットしないのが普通だったというだけのことだ。原作に比して面白くない作品はゴマンと存在する訳だから,今でも盛んに上演されているシェークスピア作品は総じて優れている,ということは疑いないことなのである。そして,優れているからこそ,「リチャード三世」は論争の的となり得たのである,と小谷野は書いている。
 そういう意味では,本書の一番の目的は,シェークスピアの偉大さを改めて喧伝するというものだったのかなぁ,と思えてならないのである。