片岡義男「ホームタウン東京」ちくま文庫

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-480-03909-0, \840
 目次はない。前書きもない。見開き2ページにそれぞれ「東京」マイナス「生物」を写したカラー写真が1枚ずつ掲載されていて,その写真を説明してくれるマニュアル代わりの600字程度の文章がセットになっている。それだけだ。最後に,これも長くはない「あとがき」があって,本書全体に通じるニュアンスを伝えてくれている。
 従って,本書は写真メインの文庫本ということになる。しかしその写真は,東京を良く見知ったわしには何の感慨も催さない。恐らく,高度成長以降に生まれた世代なら,わしと同様だろう。東京を明瞭に感じさせる写真は皆無である。ここに示されたものは,現代日本の都市にはごくありふれたものでしかない。
 ではその写真は乾いているのか? 違う。 ではウェットなのか? ベタベタではないが,そこに写っている人工物を介して,東京に生きる人間の湿り気は,少し,感じる。 突き放しているのか? 違う。文章はその写真を正確に述べている。
 述べている? そう,explainではなくてdescribe。よって,本書に文章は不要なのだ。片岡義男は,不要な文を写真に付属して200ページちょっとの文庫本を編んだのである。著者の「ホームタウン」をdescribeするためだけに。
 版元の筑摩書房を「不要不急の出版社」と言ったのは誰だったろうか。本書によってその「名声」はまた不動のものとなり,自社ビルを保持するまでになった。そんな不要不急の出版社を,そしてそこに作品と提供している片岡義男を経済的に成り立たせている,デフレ不況の現代日本に,そしてその中心都市・東京に,これからもよろしくお願い申し上げます。

いしいひさいち「ドーナッツブックス いしいひさいち選集37」双葉社

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-575-96082-9, \429
 何か今月は漫画ばっかり紹介しているよーな。まあいいか。ここんと専門書ばっかり読んでいるので,自然と頭が息抜きを要求しているのであろう。
 ひさびさのドーナッツブックス新刊。朝日新聞で連載を初めてから刊行がほぼストップしていたとおぼしい。ジャンル別の単行本も良いが,これは忍者もの,戦場シリーズ,小説家広岡先生,ナベツネ,ノンキャリアウーマンとバラエティに富んだ作品が一気に読めてお得。ずーっと愛読していたのだが,このたび再開されて誠に嬉しい。著者のページで発売を知って早速買ってきたという次第。
 どれも四コマの天才いしいひさいちの才能が光っていて面白いが,やっぱり白眉は巻頭の「月子」シリーズだろう。わしの記憶では,藤原センセーを書くようになって,「得体の知れない美人」を使い始めるようになった。鼻面が長く,目がデカイキャラは慣れるまで違和感があったが,この月子シリーズはそれを更に増幅させて,不気味さを醸し出している。
 デビュー以来,もう何年になるのか? いしいの亜流漫画家が,今は亡き文春漫画賞(いしいも取っている)を受賞するぐらいの大ベテランなのに,まだ新境地を開拓している。誠に恐ろしい,天才とはこーゆー人を言うのであるなぁ,と長年の読者をしてため息をつかせる意欲作である。

池田清彦「やぶにらみ科学論」ちくま新書

[ bk1 | Amazon ] ISBN 4-480-06140-1, \700
 敬愛する編集者(教授になっちゃったけど)津野海太郎は,出版社が発行している広報誌を愛読しているそうである。これは薄くて安い,おまけに面白いと三拍子揃った希有な雑誌である。「広報」が目的だから,載っているのは自社の出版物を推薦する短い文章が大半である。幻冬舎のはちと性格が異なっているけどね。
 というわけでわしも広報誌を愛読している(良いと思うことはすぐに真似をする)。といってもわしは津野さんほど勤勉な読者ではないので,購読しているのは筑摩書房と幻冬舎のものだけである。
 本書に収められているエッセイの多くは前者に連載されていたものであるので,わしも途中から気が付いて読み始めた。これが面白い。連載が終わった時にはがっかりしていたのだが,この度それが新書にまとめられて出版された。誠にめでたい。
 何が面白かったのか? わしは一応学者であるので,そのヒネクレ具合が心地よかった。学者たるもの,ある程度はヒネていなければならない。物事を多方面から観察しようと思えば,素直に受け取ることも必要だが,同じ比重でもって底意地悪く勘ぐる必要もあるのだ。その両方があって初めて物事を2π(ラジアンね)回転してねめ回すことができるのである。
 本書のタイトル,「やぶにらみ」とは良く付けたものである。著者はあとがきで述べているように,団塊世代の典型的サヨクである。その割には学生に優しくないのは世の大学教師と同じというところが既にヒネくれている。サヨクってさぁ,もっと弱者に優しくないといけないんじゃなかったっけ?それなのに,職場(山梨大学)で,自分の専門書が3冊,学生さんに売れたという事実を知ってこんなことをのたまうのである(P.130)
 本が数冊売れたぐらいで何でそんなにびっくりしたかと言えば,我が大学の最近の学生さんが,私の本を読むなどということは,まずあり得ないと思っていたからである。
 うーむ,世の大学教師が言いたくても言えないことをよくもまぁ臆面もなく書けるものである。あ,わしはそんなことはチラとも思ってませんからねー(と,予防線は張っておかないとな)。
 しかし,それだけに学生さんだけに留まらず,専門たる生物学への「やぶにらみ」具合は大したもので,トリビアではないけれど,へぇと唸らされる考え方が縦横に展開されている。わしが特に感心したのは「クローン人間作って,何が悪い」(P.121~),「自然保護と原理主義」(P.16~),「外来種撲滅キャンペーンに異議あり」(P.174~)である。タイトルだけでも読みたくなりません? ふーん,そういう考え方もあるのね,と感心すること,請け合います。たぶん,山梨大学でも3冊以上は売れるんじゃないだろうか。・・・いや,たき火の焚き付けにされるとかじゃなくって,ね。

古谷三敏「BAR レモン・ハート 19巻」双葉社

[ BK1 | Amazon ] 4-575-85894-7, \552
 第一巻が1986年の初版であるから,もう16年のつき合いになる。途中,作者が大病して長期休載になって以来,年に一冊刊行というペースになった。大体は秋に発行されるから,今年もそろそろ,と思っていたら案の定,見つかったという次第。わしも仕事(逃避?)に明け暮れる中年になっちまったので,このぐらいの刊行ペースはちょうど良いのである。
 それにしても16年間,よくぞこれだけネタ切れにもならずに続いているよな,と感心する。蘊蓄漫画の元祖である著者だが,ここまで毎回酒をネタに取り上げていれば,もう蘊蓄を越えて専門家として威張っても良いのではないか。こちとらまるっきりの下戸であるが,おかげさまで酒の知識だけはこの漫画から摂取できている。
 松っちゃんは相変わらず女性に振られまくってまだひとり者だし,メガネさんのハードボイルドスタイルも変わらない。マスターはますます年齢不詳になる。この作品世界の安定感は,世知辛い世間とは隔絶されていて大変心地よい。こちらが飽きるまで,BARレモン・ハートの営業が続くことを願わずにはいられない。

菅谷明子「未来を作る図書館 -ニューヨークからの報告-」岩波新書

[ BK1 | Amazon ] ISBN 4-00-430837-2, \700
 前著「メディア・リテラシー」に続いての第二弾。New York Public Libraryの先進的機能の紹介に留まらず,図書館関係者や実際の利用者へのインタビューがふんだんに盛り込まれており,近年の不況によって財政的に苦しい(Public LibraryではあるがNPO法人)という実情もちゃんと報告してある辺り,何事も過不足なく調査する著者の誠実さが際立つ。
 利用者の望む「本」を無料で貸し出すだけではなく,利用者の望む「情報」を,書籍やThe Internetを介して提供する,という先進的機能は,日本でも浦安市立図書館が実践していることで知られつつあるが,まだまだ全国の行政の認識は甘く,経験を積んだ司書も足りない現状では,そう簡単に普及するとは思えない。しかし,本書で示された「知のインフラ」としての機能は,間違いなくこれから必須のものとなるだろう。
 The Internetが飽和状態にある今,Googleを検索すれば望みのものは何でも見つかる,という夢物語は胡散霧消し,無数の二次的情報の中から信頼のおける数少ない「情報」を求めるリテラシーが求められるようになった。そして,結局,未だに信頼の置ける情報源は,人間である著者が情報をまとめ上げ,人間である編集者が意見を述べて改良した「紙の本」であることが多い。そしてまた,あまたの本から,利用者の望む情報をすくい上げる手助けは,人間である司書に頼る他ないのである。
 図書館よ永遠なれ,と,本書読了後には願わずにはいられない。ああ,著者のマジメさに引きずられて,わしの文までマジメになってしまった。