2/27(土) 駿府・曇

 薄曇りの穏やかな1日であったが,午後から気温がダダ下がり,明日は平年より寒くなる見込み。首都圏以外の非常事態宣言は月曜日から解除されるらしいが,ワクチン接種計画が予定より後ろにずれ込むこと確実の昨今,油断するとあっという間に元の木阿弥になる。とはいえ,解除せずにいつまでもロックダウン状態にしておくと,補助金がナンボあっても足りんし,経済は回らんし,誰が首相でも難しいんでないかい。ワシら一人一人が飲み会自粛しつつ,マスク常時着用を心掛け,手洗いとうがいを励行する他ないよなぁ。

 いやいや,新年明け以降,死にそうなほど仕事した。額縁ょ〜の仕事はもちろん,卒研発表,「Python数値計算プログラミング」の推敲2回,国際研究集会二本submit,3月のHPC研究会の予稿作成,最後は紀要論文の原稿締め切りをクリアして,本日は腑抜け状態なのである。人生で一番濃密かつギリギリのスケジュールで仕事を遂行した二ヶ月であったと言える。こんなの,ワシの人生設計にはなかったよなぁ。まぁお国から貴重な税金を割いてワシの個人研究に予算を下さったのだから,査読ありの国際研究集会とか論文誌にチャレンジし,acceptさせる努力は最低限の義務である。科研費貰っておきながら,口頭発表だけで済ましている輩はワシから言わせれば税金ドロボーである。一応,昨年は一本通したし,本年も最低一本は大丈夫だと思われるが,できれば二本でも三本でも通したいものである。あー疲れた。

 こんなハードスケジュールでも,何とか完走できたのは,単に神さん用として購入した任天堂Switchリングフィットアドベンチャーのおかげである。かねてより運動不足を指摘されていた神さん用として,昨年11月下旬に前倒しクリスマスプレゼントとしてセットで購入したものを,神さんは取り憑かれたように毎日攻略し,1月には早々に全クリアしてしまったのである。ワシは最初その様子を見るだけにしていたのだが,ムクムクと征服欲が沸き上がり,12月半ばぐらいから恐る恐る開始,1月からは毎日100kcal以上の運動を欠かさず行い,今週木曜日に最終23ステージをクリアしたのである。

クリアした証拠画像

 忙しいとか言いながらも,毎日欠かさず二ヶ月以上に渡り就寝前に運動していたおかげで,特に腹回りがスッキリしてベルトが緩くなり,ハードスケジュールを駆け抜けるスタミナを養えたのだ。誠に任天堂様様であり,神さん共々厚く御礼申し上げたい。コロナ禍のため,昨年長らく品薄状態だったらしいが,ちょうど11月に入った辺りから市中で出回るようになり,地元の家電量販店でも在庫がいつでも購入できるようになっていたのもラッキーであった。まぁつまりは流行からは周回遅れだった訳だが,そんなことはどーでも良い。ゲームが健康増進に役立つようになったのは,ファミコン第一世代として育ったワシらアラフィフには誠に感慨深いものがある。

 明日は大学見学会に半日お付き合いすることになっているが,ちょーどいいので

の宣伝をちょろっとしておくことにする。そんくらいの役得はあってもいいわな。

 明日に備えて寝ます。本日は133kcal消費できました。

1/1 (金・祝) 駿府・晴

駿府城方面から年明け初の富士山

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。

 年越しの後は、ガースカ寝て、雑煮食べて、神さんのご実家で寿司をご馳走になり、年賀状の返事を書いたら投函し、リングフィットアドベンチャーで汗を流して風呂入ってぐっすり寝られたら良いなぁ。まぁ、人生このぐらいの幸せが良い。

 今年もボツボツやっていきます。

12/31(木) 駿府・晴

 シベリア方面からの寒波来襲につき,ピーカン晴れな静岡。富士山は程よく冠雪しており,明日は良い初日の出が拝めそうである。良きかな。

 一方,コロナウイルスは活発に東京23区で猛威を奮っており,本日とうとう1300人に到達。飲食店の時短要請も掛け声だけでは効き目なく,罰則付きのコロナウイルス特別対策措置法は1月下旬になるということだから,これからセンター入試が始まるというのに大混乱ぶりが目に浮かぶようである。クラスタ潰しでは対処できない状況なんだろうな。冗談抜きで,関所がつくられるやも知れぬ。

 昨日で年越しの準備を前倒しで進めていたので,うま煮は準備O.K.,懸案だった自宅書斎の床置き本も一掃できた。

 段ボール7箱は年明けにBook Offに差し出す予定。二束三文だが,まぁ引き取ってくれればそれで良い。これ以外にも同人誌の山を5つほど古紙回収に出した。メルカリや駿河屋にでも出せばそれなりに収益は出そうだが,面倒だしなぁ。ま,歳も歳だし,腰を痛めそうな重いものはなるべく減らして定年を迎えたいものである。

 ということで,年越しはまったり年越し蕎麦を食ってリングフィットアドベンチャーでカロリー消費して校正も手がけて寝る予定。早くワクチン出回って大手を振って東京に遊びに行きたいものである。オリンピック後になるかなぁ。秋口か。それまでは生き延びていたいものである。

 本年も多数の皆様にお世話になりました。
 来年もよろしくお願い致します。

 では良い年越しを。

12/20(日) 駿府・晴

 先週から急激に寒気がシベリアから降りてきたらしく,平年並の寒さになってきた。日本海側はドカ雪に見舞われて関越自動車道が通行止めになり,自衛隊にお出まし願うという有様。コロナ大流行に陥った旭川や大阪でも自衛隊に助けを求める状況で,かなり末期的な感がある。ワクチン接種は来年から少しずつ開始されるようで,夏までにはだいぶ良くなるかなとは思うが,それもこれも東京オリンピックのためと思うと,何だかやるせない気分になるのは気のせいかしらん。何かとこの手の公共事業でしか金の使い道が見つからないという老齢化社会日本を象徴しているように思えて仕方ないんだよなぁ。

 何とかシコシコ間に合わせて「Python数値計算入門(仮)」,入稿しましたよ全く。PEP8に合わせてソースの書式変更が一番面倒くさい上に不毛っぽくてイヤんになってきたが,関数定義の後は2行明けという規則のおかげで行数は稼げるという,著者にとってのメリットはある訳で,痛し痒しかな。何にしろ,次週には第一校が到着するとのことで,正月は暇を見ながら校正作業に勤しむことになる。全く,額縁よ〜なのによー働くなワシ。しかしこれで当面本を書くこともなさそうだし,プログラミングに勤しむことにしよう。

 とゆーことで,何とか「AVX2によるマルチコンポーネント型多倍長精度行列乗算の高速化」が形になってきた。

まぁ先達のある研究なので二番煎じ的ではあるけれど,Strassenとの組み合わせて最高速を目指すというところは売りになるかと。第一校が到着するまでには日本語の下書きは終わらせて,ヘボ英語DraftのArxiv登録は済ませてたいところ。どーなりますことやら。そろそろ線形計算の飽きてきたんで,直接法と疎行列の実装終わったらいよいよアレに着手したい。夏休み以降の課題なんだろうけどねぇ。

 つーことで,次年度の実験講座向けの資料の作成,大体材料は揃った。

 Flaskで計算させようという実験資料

 どーせ全部は終わらないので,これに追加する形でDeep Learningに繋げるような内容にして,卒研ネタにできればいいかなと。要素技術の追求は個人的には面白いし,定年後もやりたいお仕事ではあるんだけど,若い世代にそれを押し付けるのは老害もいいところ。やりたい向きが自発的に取り組むのはいいけど,総合的な技術の積み重ねの小山に登らせる経験なしで盲目的に下積み的テクニック習得に時間を使わせるのは教育機関としてはよろしくない。ま,FlaskでMVCの習得をさせてPythonにも慣れて貰うというのは一応その方向ではあるので許してもらえるかなと。

SIRモデルで,平均感染期間2週間(14日,左図)と3.5日にして計算したものを題材の一つとした。やっぱり感染者数(オレンジの線)が違うんだなと再認識。

 さて,コロナ禍でドタバタの本年もあと2週間,今週末で職場も仕事納めに入る。今年末はぷちめれ祭りする暇もなさそうなので,数冊,現実逃避がてら紹介することにしようっと。

 山下達郎の朗々としたクリスマスソングを聞きながらの,穏やかな日曜日でございました。ひと段落済んだらまたなんか書こうっと。

永坂秀子先生の思い出

卒業生の遺稿集を出すそうなので,その下書きとして書いた文章を以下に掲載しておく。

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 忘れもしない1991年,大学院生の受け入れはしないという方針の研究室にて数値解析の面白さに目覚めた学部4年生の私は,どうにかこうにか他大学の大学院へ行きたいと,手当たり次第に国内の数値解析系の研究室をリストアップし,電話(E-mailが普及するのは1990年代終盤)をかけて大学院生として受け入れて頂けるかどうか面談を申し入れまくっていた。リストアップした二番目が山梨大学の田中正次先生で,タイミングの悪いことに電話が繋がらず,三番目に挙がっていた日本大学の永坂秀子先生に電話をかけるとご本人在室で直接お話しでき,面談の快諾を得た。以来亡くなる前年の2019年まで,三十年近いお付き合いの始まりになるとは思いもしなかったことである。日本大学理工学部数学教室の研究室でお目にかかった先生は,一面識もない他大学の学部4年生に親しくお話しして頂き,「興味があるようなら6月の数値解析シンポジウムにいらっしゃい」とお誘い下さって,これもまた今も続く研究集会・数値解析シンポジウムとの長いお付き合いが始まるのである。

 そうして何とか潜り込んだ日本大学大学院理工学研究科博士前期課程(いわゆる修士課程)において,私は永坂研究室に泊まり込んだりしつつ,TeXやPC-9801や日立の汎用マシンや,SUN Sparcマシンと戯れつつ2年間を過ごしたのである。研究は面白く,計算にのめり込んだ私は,当然博士後期課程に進みたかったものの,金銭的な問題もあり,兄弟子の室伏誠先生のつてで雇用促進事業団に雇ってもらい,遠く能登半島の真ん中辺,穴水町の石川職業能力開発短期大学校にて,給料をもらいつつ理解のある校長の許可も得て社会人博士課程大学院生として3年間を穴水と東京を行ったり来たりしながら過ごし,永坂先生と戸川隼人教授のご指導のもと査読論文を三本執筆し,晴れて博士号を取得することができたのである。ちなみに,この時の副査のお一人は,戸川教授のツテで,二番目にお会いできなかった田中正次先生にお願いすることになったというのも何かの縁を感じざるを得ない。

 博士号を取得後も,私が静岡理工科大学に職を得て異動してからも,果ては永坂先生が日本大学を引退されてからも,先生のご自宅へ定期的に通うという習慣は続き,取り止めのない世間話や数値解析の研究についての楽しくお話しするという至福の時間を過ごすことができた。最近はもっぱら永坂家に伝わる古文書に関する話が多かったが,私の結婚後は妻共々親しくおつきあいさせて頂き,2019年12月まで,武蔵小山近辺の中華料理屋やイタリアンの店で会食させて頂いたのは良い思い出である。

 その他にも様々なことが思い出されるが,近年一番印象深い出来事は,2018年,常微分方程式の数値解法の世界的権威であるAuckland大学のJohe Butcher教授主催のセミナーで,永坂先生が五十嵐正夫先生や室伏先生らと精力的に取り組まれた捕外法の歴史をテーマとするマレーシアの研究者の講演で,かのNIM法(Nagasaka-Igarashi-Murofushi)の論文が取り上げられていたことである。このセミナーでは私も捕外法を例とする研究発表を行ったのだが,そこでもNIM法を取り上げており,この偶然の一致にいたく感動したことを今でも鮮明に覚えている。

 考えてみれば,はた迷惑な押しかけ弟子として出発した私は,学位取得もその後の精神衛生的支柱としても,永坂秀子先生の人徳に寄りかかりっぱなしの研究者人生であった。先生なくして今の私はここにはいない。ここに次の追悼の辞をお送りして締め括ることにする。

 日大の学部生でもないのに突然押しかけてきた私を暖かく迎えて頂き,大学院5年間のご指導を通じて修士号・博士号を取得することができました。以来,本年まで30年近くお付き合いさせて頂き,誠にありがとうございました。妻と共に静岡の地より御礼と共に,ご冥福をお祈り致します。