Webがメインメディアになる日

 うは~,ここのサイトへのアクセスが一本調子に増えている↓
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 このアクセス集計データをよく見ると,来訪者数は増えておらず,「延べ」のアクセス数が増えているということが分かる。つまりは「お得意様」がチマチマとマメに来ているってことらしい。実は昨年夏までの傾向では減っていく一方だったのだ。それから一転,過去最高のアクセスを更新し続けるまでの好調ぶり・・・正直言って更新はここのblogを除けば頻繁じゃないし,今どき手打ちのトップページを何年も掲げているという「骨董Web」であるし,ワシ自身は無名の人間であるし,職場も(以下検閲削除)なので,この好調ぶりは外部的な要因によるものという他ない。
 Webのアクセスログを眺めたことのある方なら,「ホントに人間が見に来ているの? Robotじゃないの?」と思われるだろう。確かにこのサイトを開設して暫くは殆どWeb robot,特にGoogleが多かったし,今でも1/3ぐらいはRobotによるものという感じである。しかし昨年からのアクセス数の伸びは明らかに人間の来訪者数が増えたために起っているのである。
 たとえばこれは2008年8月,先月分のアクセス数トップ30URIリストである。ここのblogへのアクセスが多いのははてなのブクマ等で定期的にチェックされているせいであるが,一番特徴的なのは,最後の30位に特定のBlogエントリが登場していることである。
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 実はこれ,この書評の著者名でググると最初の一ページ目に登場するのだ。なぜトップに登場するのか,理由は不明だが,結構知名度の高いマンガ家さんなのに,真面目に言及した記事が少ないというところが大きいと思われる。他にもちょっとマイナー系の方々の記事はググると結構上位に登場したりするので,トップ30には出てこないけど,アクセス数の「底上げ」には寄与しているらしいのである。
 ・・・とまぁ,自分のサイトに「微風」が来ましたよ,という報告なのだが,これ,実は結構な「台風」襲来の影響なのではないか,とワシは思っているのである。結論から言えば,「台風」とは,既存メディア,特に広告収入から成立してきたTVや雑誌というメディアからWebへの広告出稿大移動のことで,様々な方々がその台風襲来「予想」を述べていたことが現実になったかな,とワシは感じているのである。
 紙媒体や電波メディアが退潮しているって指摘は,実はInternetが普及する前,パソコン通信の時代から言われていたことで,まったく新しくない。しかし実際に部数減が起き,大手出版社も本腰入れて経営への影響を考えるようになった,ということは,例えば竹熊健太郎さんのまとめ記事(「いろいろもう死んでいる」「いろいろもう死んでいる<雑誌編>」に詳しいが,21世紀に入ってからの動きである。
 今年は日本も含めて世界全体の景気が下向きになっているようだが,景気悪化→広告収入減とは単純に結びつくことはない。むしろ,売り上げを伸ばす手段として広告を派手に打つ動きが活発化するので,効果が上がりそうな所をシビアに見極めるクライアントが増えるということはあっても,広告出稿自体が減るかどうか,疑問である。今起こっているのはこの,広告出稿先を「シビアに見極める」というクライアントの増加と,不景気に伴うコスト削減圧力がもたらすメディア(媒体)の絞り込みという二つの要因が絡み合っていると言える。
 メディアの絞り込みとは,端的に言えば,紙媒体&TVからPC,そしてケータイへというムーブメントである。雑誌や新聞のように,嵩張るばかりで読むところの少ない,そしてごみ収集システムがめんどくさくなって始末に困るものを一般家庭が維持しようと思う訳がない。TVだって,夜七時のゴールデンタイムにゆっくりTVの前に座って晩酌・・・なんてできる稼ぎ手が今,どれほどいるというのか? 録画したとしても,確実にCMはすっとばして観るし,大体は見もせずに消去するのがオチである。HDDレコーダーになって,CM飛ばしも消去も簡単にできるようになり,リアルタイム放映されるTV番組の効能は確実に落ちている。
 何より,収入が減っている上に物価高の昨今,生活にかかるコストを減らさねばならない。となれば,ケータイは手放せない,PCも不可欠・・・となれば,紙媒体とTVが削減対象物となってくる。TVを家庭から排除するのは躊躇するけど,どーせ地デジ化で今のTVはチューナーなしでは使えなくなるので,その時には雪崩を打って排除の動きが,「TVの買い替えをしない」という消極的活動のせいで,活発化するかもしれない。
 ケータイの方も,すっかりPCの機能の代替物として着々と地力をつけつつある。ワシはAUのユーザだが,メール機能(AU One)の実態はGoogleのGMailであるし,トップページの検索はGoogleが提供している。ワシのサイトへの来訪者も,EZ Web経由の方々が増えている。Full Browserをサポートするケータイが増えているから,閲覧にはさほど困らないようだ。ま,ワシのサイトは文字しかないし。iPhone 3Gの登場で,ますますPCは不要なもの,ビジネスやオタクの道具となり下がる可能性が高い。しかし,Webは・・・ますますメディアとしての地位を固めつつあるのだ。不景気の結果として。
 日本のInternet回線網は,若ハゲ親父の恫喝をきっかけとして,NTTの資本力&技術力を基盤に世界的にも稀有な品質と安さを誇るものになった。結果,既存メディアはコスト的にも太刀打ちできないものに成り下がってしまい,現実には広告減という動きに苛まれている。いつまでも続くものではないとはいえ,メインメディアの地位は確実にWebへと移りつつあるのだ。知りたい情報はググって求め,まとまった情報が欲しいときにのみ,薄い新書を手に取る(かもしれない)。日本におけるWeb 2.0がこのような形で定着したのが世界的な現象の先取りなのか,独自の進化を遂げた「ガラパゴス化」に過ぎないのかはまだ分からないが,少なくともその動きを捕えることができるところまでワシのサイトが運営できたことはちょっと誇っていかかな,と思っているのである。・・・あ,これからもしぶとく続けますんで,またごひいきによろしゅーに>お得意様

当たり前のこと四か条

 以前,サーチエンジンの検索結果の履歴をよく観察した結果,Webページのアクセス数を増やすことができたというコラム記事を書いた。あれを書いたのは去年(2007年)だが,今年(2008年)に入ってからはさすがに一時期のSEO/SEMブームという乱痴気騒ぎも落ち着いたようで,考えてみれば社会活動のすべてをWeb上で展開している一部の企業や人ならともかく,普通の人はせいぜい一日に数回メールチェックをするか,暇つぶしにWebを眺めるかというぐらいであるから,サーチエンジンの検索結果が多少上下しようと日々の活動にはあまり影響はないのであるからして,至極当然のことである。
 それでもやっぱり世界中の万人から閲覧することの出来るメディアを持っている以上,ある程度は目立ちたい,注目されたいと思うのは人情である。blogの世界でもアルファだのベータだのガンマだのと格付けされたbloggerが出てきたようだが,彼らとて,記事を書く以上は他人から全く無視してほしいなどとは思っていないだろう。ホントにそう思うなら,SNS内で閉じて遊んでいればいいわけだし。
 そしてワシもアルファには遠く及ばず,せいぜいカイ(χ)bloggerってところだが,やっぱり自分の書いた記事がどう他人に読まれているかは気になるのである。とはいえ,今更track backやcommentを求めるのも面倒だし管理もしたくないし,せいぜいサーチエンジンで検索して,どのぐらいの順位にワシの記事が出るかをチェックするぐらいが関の山だ。すると,さすがにエントリが1000も超えるとチラホラとワシの記事に言及したり非難したり賞賛したりしている記事が見つかったりして嬉しかったりするのである。褒められることはもちろん嬉しいが,非難されることも同じぐらい嬉しかったりするのが不思議だが,コミュニケーションが取れているという点ではどちらも同じ,いやむしろちゃんと読んでくれているからこそ非難できる訳だから,後者の方がありがたかったりする場合もあるのである。
 そんな訳で,暇にあかせて,あるいは現実逃避(こっちの方がずっと多い)の一環として,チマチマと検索しては喜んでいるワシなのであるが,そういうことを繰り返していると,経験からしか学べない下位じゃないχブロガー(どっちにしろ同じことだが)も,少しは常識というものが蓄積されてくるのである。
 で,書いてみたのが下の四か条であるが・・・,こうしてみると「当たり前じゃん」と言われるようなことばっかりなのだが,この世の中はいかに当たり前ののことをしっかりやるかで評価というものが全然違ってくるものなのであるからして,当たり前のことを何度も再確認しておくことは大事なのである。
 つーことで,経験則から得た「当たり前のこと」をつらつらと書いてみたい。
1. blogの更新はマメにやるべし
 何を今更だが,やっぱり今も昔もマメさは重要度ナンバーワン。サーチエンジンにデータをせっせと蓄えてくれるWeb robotの来訪間隔は,平均blog更新頻度で決まる。従って,毎日更新されるblogと,数年もほったらかしの静的HTMLサイトでは,更新してもそれが反映されるまでの時間は全く違う。最新情報を掲載しても,それが一月後にようやっと検索に引っかかるようでは全く役に立たない。
2. 書きたいことを書くべし
 あなたが秋元康並みに流行に対する感度が高いというなら別だが,普通の市井人の知恵など,笑止千万,ましてや未来予測などできっこない。注目されたいと思うが故に好きでもない流行物に振り回されるぐらいなら,どっしり構えて書きたいことを書くべし。この世の中,いろんな趣味嗜好の人間がいるのだから,どっかに照準を合わせて・・・なんてやってられない。見えない不特定多数相手には我を通すのが一番ストレスが溜まらないやり方である。
 ま,我を通したら世間から猛反発を食らうって方もいらっしゃるようだが,それはblogとは別の次元の問題である。
3. 思いついたことはなるべく早く書き残すべし
 どっかの団塊親父みたいに,文章はじっくり煮詰めて万人に恥ずかしくない内容にしてから公表する・・・なんてのは,あーた,馬鹿げている。質の向上は量をこなした先に訪れるのである。論文だって文学的美文だって,まずは練習しなきゃ書けるわきゃない。ましてや森林資源の無駄遣いには直結しないblogである。書いて書いて書きまくるのである。そして,間違った!失敗した!と思ったら,後から書き直せば良いのである。書き直しはみっともない? バカモン! みっともなさこそbloggerの醍醐味である。多いに楽しむべし。
 そして,書いたことをすぐに公開すると,1で述べたように,更新頻度が上がり,サーチエンジンへの登録時間が短くなり,同じような内容を書いた記事が少ないうちに人の目に触れる確率が増えるのである。χ bloggerの書いた記事など,あっという間にもっと上位のbloggerの記事に押しやられるのがオチ。どーせ流されちゃうのなら,競争率が少ないうちに書いてしまえ!検索に引っかけちまえ!
4.書いた記事はURIを変えずに長期に渡って保存すべし
 1と矛盾するようだが,一度書いた記事をずーっと保ち続けるというのは,実は3と同じ効用が期待できるのだ。
 Webサイトは案外URIの寿命が短い。人気というは訳の分からんもんで,ことにWebしか見ていない輩は視野狭窄になりがちであり,ちょっと気に入らないことがあると総スカンで非難したりして,あっという間に人気サイトが落ち目になったりする。ことにWeb以外の社会活動をしていないbloggerほど転落は早い。下手に人気のあった自分のサイトがそういう目に遭うと人間そう強くないもんで,早々に撤退してしまったりする。人気のないサイトならなおさらそうで,ちょっとデータは古いが,一月ぐらいで半分以上の人が更新をやめてしまうという話もある。もちろん続ける人もそれなりにはいるが,それとて一年,二年・・・と経つうちに,どんどん淘汰が進むのである。
 で,最初は検索しても全然出てこなかった記事が,数年経つとあら不思議,いつの間にやら上位に出てきたりするのである。ま,所詮は古い記事であるから,眺める人の数もそれほど期待できないが,こういう古典記事の「チリ積」的効用は侮れないものがある。そして古典記事となればなるほど,そのうちどんなものが良く閲覧されるようになるかなんて,流行予測より更に分からない。だからこそ,2で述べたように,書きたいことを書いておくのがベストなのである。後悔しない上に,そーゆーものが「掘り起こされる」という喜びは何者にも代え難いものがあるのだ。
 ・・・とゆーことで,コミュニティ機能を果たしていないblogを長く続けるために心がけるべき「当たり前のこと」を四つ,書いてみた。結局は「人に見てもらう→嬉しい→嬉しいからまた書く→更新が頻繁になって,長く書き続けることが出来る」というモチベーション維持が出来るシステムを作り上げるってことに尽きる訳だが,それすなわち最高のSEO/SEMってことになるんじゃないのかなぁ。してみれば,SEO/SEMなんて,当たり前のことを如何にちゃんとやるかっていう,これもまた世間的な常識の範囲の話に過ぎないのであろう。乱痴気騒ぎが落ち着いたのも,結局は当たり前のことをするだけっていうことに皆が気がついたってことも一因なんだろうな,きっと。

Movabletype 4入門・・・概要

 思いついたときにボツボツと,私家版「Movabletype 4入門」の内容を書いていく予定である。blogのことはやっぱりblogに書くべきだよねぇ。とゆーことで,久しく使っていなかった”About blog”カテゴリを活用することにする。
 まあ90分の内容だけならそんなに盛りだくさんにはならないが,それなりにまとまった資料を作ろうと思うと結構な量になりそうである。どこまで出来るかは不明だが,ま,できるところまで書いていきたい。
 で内容だが,こんな感じかな。
0.Webとは?
 ・Webの歴史と概要(WebサーバとWebクライアント=ブラウザ)
 ・HTMLとCSSの機能分担
 ・”ホームページ”(Webページ)を作るには?
 ・CGIとは?
 ・HTML+CSS+CGI = blog(CMS)
1.Movabletypeの機能概要
 ・ユーザ管理
 ・blog管理
 ・記事の作成・更新・削除
 ・コメント機能
 ・トラックバック
2.使ってみよう!(1/2)
 ・ログイン・ログアウト
 ・blogの新規作成
 ・記事の作成1・・・文字のみ
 ・記事の作成2・・・文字+リンク・引用・文字拡大等
 ・記事の更新・・・文字+画像upload
 ・動画の埋め込み・・・YouTube動画(ニコニコ動画は刺激が強いか?)の埋め込み
 ・記事の保存・・・Export
 ・練習問題・・・リンク・引用・文字修飾・画像の入った記事を1, 2本書く課題(お手本通りにやるものと自由課題)
3.使ってみよう(2/2)
 ・コメントとトラックバック
 ・コメントを書いてみる
 ・コメントを非公開・削除する
 ・トラックバックを飛ばしてみる
 ・トラックバックを管理する
 ・練習問題・・・コメント(リンク付き)とトラックバックを使った課題
4.blogのカスタマイズ
 ・Movabletypeのデザインの要はCSS
 ・blogのCSSを変更してみる
 ・blog記事の周囲を変更してみる
 ・MP3ファイルの自動更新(iTunesとの連携)
 ・練習問題・・・CSSの変更,blogデザイン全体のカスタマイズ,iTunesと動画(MP4, QuickTime)の連携
5.Movabletypeのインストールと管理
 ・用意するもの・・・TCP/IP,OS, Webサーバ(Apache),Perl,DBMS(MySQL)
 ・UNIX環境へのインストール
 ・Windows環境へのインストール
・・・絶対無理だな。1,2,3の一部を教材として使うぐらいが関の山か。ま,構想は構想。理想だけは高く持っておこうっと。

好きなBlog

 さて,これから私的Blog論を展開する訳だが,その論がどのような所から影響を受けているのかを明らかにするため,ワシが良くチェックする(ほぼ毎日)サイトを列挙することにする。これを書くためにFireFoxのTab機能を使ってこれらのサイトを並べてみたが,何とまぁ綺麗に自分の好みが反映されていることかと,改めて感動してしまった。なお,使用CGIのVersion Numberは2005年3月26日現在のものを記している。
内田樹の研究室(Movable Type 3.15A利用)
 
 「ためらいの倫理学」「寝ながら学べる構造主義」「先生はえらい」の著者である神戸女学院大学教授のBlog。ちなみに「ためらいの倫理学」は,Blog形式に衣替えする前の著者のWebサイトに掲載した文章が土台となっている。
 門外漢には小難しい文学的タームが多用されるし,ワシとは考えが異なる点も見受けられるが,文章が面白く,何より人生を楽しんでいる様子が伺えるところが良い。50を越えたら人生もBlogもかくありたいものである。
奥村晴彦のWiki(PukiWiki 1.4.4使用)
 「LaTeX2e美文書作成入門」「Javaによるアルゴリズム事典」の著者である三重大学教授の日記。以前は「いろいろ」と題した静的HTMLメモだったが,三重大に移る前にPukiWikiに魅せられたようで,更新を続けていた主要なディレクトリの多くがWikiによるものとなった。
 実は,著者とはPC-VAN時代に一度お会いしたことがある。その時は神奈川で高校の教員をされていたのだが,その後,三重の私大の教員となり,つい最近,また三重大に移られている。昔から温厚かつ冷静な対応を掲示板やWebでもされていて,ワシみたいな瞬間湯沸し器人間からすれば,その人柄は尊敬の一言に尽きる。初期のPC(8bit時代)に親しまれてアルゴリズム(特に圧縮)やTeXに関する優れた著作をモノにしてきており,どちらも版を重ねてロングセラーになっている。現在に至るキャリアアップの主たる土台はこれらの著作の実績にあると思われる。
 自分の専門分野とは被るところが多いので,内田先生よりは奥村先生を手本とすべきなんだろうが,こんなにマメにWebや著作を書く生真面目さはないので,真似しようとしても無理である。まあ,ワシにとっては見果てぬ神様レベルの到達点なので,毎日拝見するだけが関の山である。
武田徹のオンライン日記(teacup AUTO BBS Lv3)
 「「核」論」「「隔離」という病」という,単なる報道に留まらない思想を伝えてくれる重厚な著作を刊行し続けているフリーのジャーナリストによる,掲示板を利用した日記。以前は書き込み自由,但しメールアドレスの明示を求める,というスタンスで運営をしていた。その際に,浅い考えを掲示板で述べたら,真面目で深いコメントを頂き,「へー,見ず知らずのワシにもこんなにちゃんと答えてくれるんだ」と感動した覚えがある。そーゆー対応はワシには無理である。
 専門書のように,門外漢には分からない専門語を書き連ねるのではなく,ねっちりと自分が調べた内容を伝え,それでいて文章は明快に,しかし論旨はそう単純ではない,というスタイルが,ワシにとっては理想である。あれもこれもこーんな事実があって,でもまだまだこのあたりもこのあたりも未知のことなんだよ,という「一言でまとめられない」,それでいてそんなに分厚くない,ワシの専門分野について書いたものができればいいなぁ,と,武田の著作を前に,ぼんやり考えているのである。
いしかわじゅんHome Page(HTML, Topページに直書き)
 近年では「うぇぽん」「薔薇の木に薔薇の花咲く」といったギャグ漫画家としてより,BSマンガ夜話での辛口(「正直」なだけなんだけどな)レギュラーコメンテーターや,「いしかわ式」「漫画の時間」といったエッセイや評論を書いている文筆家としての方が認知度が高いと思われるいしかわじゅんのWebページ。トップページに文章をセンタリングして書き込んでいく,というスタイルは古いと言えば古いが,慣れてしまうと読む方も書く方も楽である。
 自分の気持ちに「正直」で,直裁的な言葉を使って相手の神経に触ってしまうことが多いため,あちこちで感情的な悪口を言われてしまうようだが,第三者としては信頼できる「印象批評の達人」と言える。自分の言ったことに対しては逃げずに腰を据えて対処している所は,常に逃げ腰の体制を取って日々ビクビクしながら過ごしているワシにとっては見習いたい。実践はできそうもないが。
 しかし,著作を出すスピードは物凄く遅い。連載終了後に恐ろしいほどの加筆訂正を行い,本の装丁に関してもあれこれこだわってしまうためらしい。「漫画の時間2」がいつ出るのか,殆どナイアガラ―並みの忍耐力を試されるつつ,Webサイトをチェックしつつ待ち続ける今日この頃である。
唐沢俊一の裏モノ日記(HTML, mixi.jpに書いたものを適宜整理して掲示)
 今ではオタク的なディープネタを得意とするライターとしてより,どっかに買収されかかっているフジテレビの番組「とリビアの泉」のネタ提供者としての方が名高い唐沢俊一氏の日記サイト。現在は,と学会会員が集うmixiの方でやり取りをすることが多いようで,日記の方は気が向いたときにそれをまとめて掲示する,という体裁を取っているようだ。
 氏は現在の地位を得るまではアルバイトしたり,芸能プロを経営したりと,結構苦労人である。今の日記を読むと,ご夫婦+ご母堂揃っての美食(といっても夕方だけだが)の毎日が続いているようであるが,どっちかってぇと,うまいものを食う,というよりは皆で集まってワイワイやる,という方が好きでやっている,という感じがする。一人地道にコツコツとネタ集めを図書館と古本屋を回ってやる,という作業も好きだが,と学会みたいなグループを作って喋り倒すのも同じくらい楽しむ,社会性のあるオタク(ワシの友人にもう一人似たタイプがいる)の走りみたいな人である。
 ワシは唐沢俊一名義の近作よりも,唐沢商会名義の,弟なをき氏との合作漫画が好きで本人の日記を読むようになった。これらの作品は時代が早すぎたようであまり部数が出ずに終わっているようだ。それ故にネタだけが今になって「トリビアの泉」に噴出した,とも言える。苦労人らしく,世間に物申す,というよりは申し上げる姿勢がその思想にも現れているところが,小うるさいけどいざという時には頼りになる先輩と,ワシには思えるのである。
Takachiho Notes(HTML, Topページに直書き)
 ダーティーペアシリーズ,クラッシャージョーシリーズで著名なSF作家高千穂遙氏のWebサイト。ここもトップページに日記を書いているが,いしかわじゅん氏とは違って,きっちり枠に囲んで二日分ずつ掲載している。几帳面で後輩には小うるさい氏の性格がよく出ているページである。産経新聞を盛んにお勧めしているが,連載四コマがライバルA新聞のいしいひさいちと対抗できるレベルになったら考えてもよろしい。
 思想的にはワシとは全然違っているのだが,自転車ダイエットに精を出して地道に健康を維持する姿勢は見習いたい。
 こうして見ると,全てのサイトは本人が執筆した作品を読み,それを通じてチェックするようになったものばかりである。こちとら一応三十路過ぎの中年であるから,曲がりなりにも思想は固まってきており,どれ一つとして全面的に賛成するような意見のあるサイトはないが,どこかに参考にしたいと思わせる主張があることが分かる。ま,当たり前であるが。
 内容もさることながら,字体の大きさも結構重要な要素となっている。Movable Typeの場合,標準のCSSでは日本語環境には小さすぎるFontサイズになってしまう。気にならない人が多いのか,そのまま使っているケースが多く見受けられるのだが,とにかく読みづらくって仕方がない。そーゆーページは段々読まなくなって,残ったのがこれらのサイト,ということになる。案外HTML直編集のサイトが多いのは,ISPお仕着せのBlogシステムを使ってデザインを主どおりに変更する手間を避けるための知恵なのかな,とも感じる。流行は一通りチェックしつつも是々非々で望み,役に立たないと思えばそのまま,役に立つと思えば取り入れることに躊躇しない姿勢も共通している。これは本人の思想の持ち方とも関係しているように思える。

Blogの目的

 以前,友人から「Blogとはどういうことを書けばいいのか?」という質問を受け,次のように答えた。
 1.自己満足が基本。他人がそれを読んで面白がったり怒ったりするのは全て余禄。
 2.システム的には,デザイン感覚のないワシみたいな奴でも,読みやすい版組みにしてくれる所が一番の売り。HTMLを書かなくて済むのも楽。
 3.トラックバックやコメント機能については使っていないので特段意見はなし。
 大分偏っている上,3に至ってはBlog一番の利点を活用してないことになり,Blog利用者としては下の下,と言われても仕方のない所がある。しかし,この原則に従い,Web日記からBlogへ移行して,今年(2005年)の8月で3年目を迎えるのである。「更新が命」とはWeb全般に言えることであるが,それだけではダメで
 4.年単位で更新をし続けること
これができなければ,それはとてもBlogの名に値しない。何事にも飽きっぽいワシが,Web日記も含めると6年も「更新」は続けているのだから,人様から何と言われようと,この原則は「正しい」のである。逆に言えば,4の原則を守るべく1~3の原則は定められるべきなのであり,続けることが出来ればBlogのポリシーは何であれ正当化されるのである。
 ん? Web上に公開するんだから,「人様に読んでもらう記事を書く」という原則も必要なんじゃないかって?
 ふん,しゃらくさい。
 もし,本当に誰かに読んで欲しいんだったら,それは個人ページに書くんじゃなくて,企業や組織が運営しているもっと大規模なWebサイトか,別のメディア(書籍,雑誌,TV, ラジオ・・・)に売り込むべきである。まず自分以外の信頼できる第三者に目を通してもらい,大人数が読むであろう場所にその記事が掲載される,そのぐらいのシステムと場が不可欠である。
 個人Blogはそういう場ではない。もし貴方が世間的に有名人であるか,ホリエモン並みのお金持ちであるならば別だが,そうでない一介の市井人の作るBlogのアクセス数は,外的要因がなければそう増えるものではない。ちなみにワシのBlog(ここね)の一ヶ月のアクセス数は2264(2005年2月分)である。3年続けた結果がこれであるから,始めたばかりのBlogはもっと悲惨なアクセス数となることは間違いない。読んでいるのも,偶然ググってみたら辿りついたとか,Web Robot,貴方を見知っているごく少数の知人,というのが関の山である。個人Blogにおいて,不特定多数の人に読んでもらいたいという欲求を満たすことは期待できないと思い知るべきであろう。
 読んでもらえないような文章を長く書く意味はあるのかって?
 ・・・あのね,その質問に対しての回答は,質問そのものをちょっと改変すれば事足りるのよ。
 長く書き続けた文章には何がしかの「意味」が宿る,のだよ。分かるかね?
 そりゃぁ意味の通じない文字コードのカタマリでは無理だが,少なくとも書いた本人に理解できる内容であれば,自分用のメモとしては「意味がある」と言え,もしかしたら他にも「意味がある」と感じてもらえる人がいるかもしれない。それでは不十分だ,もっと多数の人に認められたいと思うのであれば,前述したように,それに相応しい場を求めて自分を売り込めばよろしいのである。そんなことをしなくても,書いた本人が理解できる文章を書きつづけるその行為自体には,「意味が宿る」のである。少なくともワシ自身にとって,このBlogは誠に意味深い内容になっている,ということは断言できる。
 故に,Blogは書き続けること,そのことが一番の肝要なことなのである。ワシにとっては書きつづけるためのモチベーションは「自己満足」にあったのである。
 ということで,この「About Blog」というカテゴリの記事は,気が向いたときにBlogについての私論をそこはかとなく書き綴っていく予定である。春休み企画みたいなものなので,10回程度で完結する筈である。完結しなかったら「飽きたんだな」と思って頂ければ幸いである。このお気楽さも個人Blogならでは,である。